3.緑の魔法使い
学園生活二日目の朝、エルは憂鬱な気持ちで朝の支度をしていた。
昨日のこと、ファルとアルウィンと呼ばれる二人の美男子が、こちらの都合も考えずに初日から接触してきたためである。
『いいですかエル様。女性という生き物は集団になると怖いものなのです。特に男性絡みの嫉妬には注意が必要なのですよ。エル様はこれまでご経験がないのでこれくらい心に刻んでいかねばなりません。いいですか?』
家庭教師であったセリアにはそう釘を刺されていたものだ。
なぜなら集団生活自体がエルにとって初めての経験であるから、何が人の地雷になるのかエルはまだよくわかっていない。
とはいえ、全く人と関わってこなかったわけでもないので、ある程度はちゃんとコミュニケーションが取れるはずである。
ここはセリアのありがたいお言葉と、ルームメイトのセレストを頼るしかない。
こうなったら笑ってあれこれ躱すしかない。
エルは頬を叩いて気合いを入れて、学園へと向かった。
アルカナ学園は魔力の強い者から弱い者まで幅広く在籍している。
しかし、強さや権力を振りかざす者は少ない。
この学園の方針により賢さが重視されている為、表面では社交的な者が多い。
そう、表面ではである。
「少しお話をさせてもらってもいいかしら?」
エルは内心、『来た……!!』と警戒心が湧き出して来ていたが、ここはぐっと抑え込み、優雅に微笑む。
始業のベルがあと少ししたら鳴るという時に、その人はやって来た。
「えぇ、何か私に御用があるのでしょうか?」
「いえ、昨日のことで皆様気になられておりまして……ねぇ?」
それは一見麗しい美少女に見えたが、目の奥にはどす黒い炎が揺らめいているようであった。
クラスメイトの何十人という視線を浴びる中で、話は進められる。
「わたくしはシェル・マットーネと申しますの。貴方は?」
エルは気を強く持ち、柔和な笑みを張り付けて言葉を返した。
「エル・ガーデンと申します。以後よろしくお願いいたします」
今のエルには何もない、ただ当たり障りなく言葉を返すしか身の守り方がわからない……そう思っていた。
この瞬間までは。
エルが自己紹介をした瞬間、周囲がしんと静まり、空気が変わったのを感じた。
「ガーデン家のお方ですの?」
「――はい。そうです、が」
名乗った瞬間から空気がおかしい。
こんなことは初めてだ。
いや、学園生活自体の経験が初めてなのだから、もちろんそういった空気になった経験などないのだが。
「失礼いたしましたわ。こちらこそよろしくお願いいたします」
彼女の瞳の奥の炎がスッと消え、礼をされてしまった。
エルには一体何が起きているのかがわからない。
その時、背後からくすくすと笑い声が聞こえてきて、エルは振り向いた。
そこに居たのはファルと、昨日紹介されたアルウィンと呼ばれる男だった。
「ファル?」
「すまない。後で説明するから、昼休みに時間を貰えるだろうか?」
エルはまた眉間に皺を寄せそうになり、ぐっとこらえた。
仕方がない、ここで断ってもどうせまた接触してくるだろうし、この空気の真相も知りたいし。
何より……向けられた敵意のようなものが一瞬でスッと引いたのが、エルには不気味に感じられた。
初日の身体測定終えて昼休みになると、エルはファルとアルウィンに連れられて、裏庭のベンチで話の続きを聞くことになった。
「先程の雰囲気のことですが、お二人は何かご存知なのですか?」
エルは今の自分の雰囲気を壊さないように、焦らず一つ一つを丁寧に確認しようと話を聞いた。
「アルウィンがいるからか、変によそよそしいな」
「普段のエルさんとは違うということかい?」
「いつもはもっと口が悪い」
『話を聞いているのはこちらだが?』とイラつく気持ちを抑え込みつつ、エルはまだ笑みを貼り付けたままでいる。
「質問にお答えいただけないのなら戻りますが」
「申し訳ない、口調についてはまた後で話そうか。まず君の不安から取り除くことにしよう」
まるで王子様のような雰囲気のアルウィンが、エルの前に膝を付いてこちらを見上げる。
慣れないことに、エルは肩をびくりと上げて驚いてしまった。
「君は、ガーデン家についてどこまで知っているんだい?」
「ガーデン家は、先祖代々特別な力を受け継いでいます。それがどこまで人々に知られているのかは、知りません」
「先代の黒竜討伐については聞いている?」
黒竜とは他の竜と違い、巨大な体に硬い鱗を纏っている、『死の呪いをかける』と言われる程の恐ろしい竜だ。
「母が討伐したと聞いています」
「他には?」
「あとは……母が遺したものがあることだけです。私はあまり母のことを……覚えていません」
エルがそこまで話をすると、アルウィンはファルに目配せをする。
エルはいつの間にか落ちていた自分の視線によって、視界の中にはアルウィンしか入っていなかった。
母の話は苦手だ、あまり覚えていないというのに、あの人の存在はあまりにも大きすぎる。
「エル」
ファルの声に、エルはハッとして視線を上げる。
いけない、貼りつけていた笑顔が消えてしまっていた。
思わず笑いかけようとするエルに、アルウィンの手がエルの頬に伸びる。
そして軽く頬をつねられた。
「なん……?」
「作り笑顔が見たいわけじゃないんだ」
そういう彼こそ、笑顔を作っているだろうに。
そしてファルはエルをじっと見つめて、ため息を吐く。
「俺たちの前では、肩の力を抜いていい。そうしていてくれ」
『俺』に戻った。
ファルは別に、アルウィンの前だから一人称が変わるという訳ではないらしい。
そもそもこの二人の関係性は一体何なんだ?
エルは未だにつねられている頬にあるアルウィンの手を掴んで離した。
「ガーデン家には特別な力がある。そしてその力をもって、黒竜を討伐したのは君の母である緑の魔女の功績だ」
「それが、世間で知られている情報ですか?」
「それだけじゃない。緑の魔女というのは、元々緑の魔法使いと呼ばれていたことから来ている」
「……はい」
そう、元々は緑の魔法使いの家系だと呼ばれている。
エルが使う茨は、この家系に代々受け継がれてきたものだ。
その茨や植物に与える水は、エルの魔力を使った水属性魔術が必要にはなるが、草属性は空間干渉魔術でもなければ七種類ある属性魔術のどれにも当てはまらない、特殊な属性だ。
それ故、緑の魔法と呼ばれている。
「君は、魔術と魔法の違いを知っているかい?」
「再現ができるか、できないかの違いですか?」
「うん、間違ってはいない。僕らが使う魔術は、魔法陣と魔術式をイメージして詠唱することにより、発動する」
魔術を使うには、いくつかの条件が必要になる。
それは高度な技術であると共に、必要なオドさえ体内にあれば、誰でも再現が出来るというものだ。
「対して、君の使う緑の魔法……いわゆる草属性の魔法は、誰にも再現が出来ない現象だ。この国で唯一、今は君しか使い手がいない、特別なものなんだよ」
「……」
エルはそこで、『ん?』と自分の認識と外部の認識の違和感を覚える。
「この国で唯一というのは、この緑の魔法の使い手がということですよね?」
「いや、魔法使い自体が、君しかいないんだよ」
「……はい?」
「だからこれまで守られてきていたんだよね?」
エルはこれまでを振り返る。
今まで家庭教師をしていてくださったセリア先生は確か、王宮から派遣されてきた上級魔術師だと言われていた。
それで王宮図書館に来ていたファルとも面識があったのかもしれない。
確かに、ガーデン家が特別な家系であるから、セリア先生が派遣されたという話は聞いていた。
そしてエルはドレッダー山にあるガーデン家の屋敷の中で、ずっと家庭教師から一般科目から魔術や作法まで幅広く学んで来ていた。
だからこそ世間を知らない。
自分の母がこれまで世間でどういう存在であったかも知らない。
そして自分がどのような扱いをされるのかも、知らないままに育ってきたのだ。
「まさか、私の立場って……」
絶滅危惧種同然な扱いなのだろうか?
エルの背筋がひやりとするのを感じた。
「まぁ、この学園の中なら、これからつっかかられることも、あまりないんじゃないかな?」
「その点はこの学園ならヘタなことする奴らはいねぇはずだから安心しろ」
入学して早々、自分が人から距離を置かれるような立ち位置に居ることが判明し、エルは頭を抱えて蹲ったのだった。




