第9話「大量生産ラインの構築、あるいはホワイト経営者への華麗なる転身」
冒険者ギルド裏での露店営業は、私たちに莫大な富をもたらした。
筋肉ダルマのバドが放った「神殿の魔法や銀貨五枚の泥水より、サキ先生の薬の方が効く」という強烈な口コミは、怪我や病気に苦しむ下級〜中級冒険者たちを瞬く間に私たちのゴザの前へと引き寄せた。
薬師ギルドの手先であるチンピラたちを返り討ち(正確には患者たちによる物理的な排除)にしてからというもの、私たちの露店には嫌がらせ一つ来なくなり、売上は右肩上がりを続けていた。
しかし、利益が膨れ上がるのと比例して、私の疲労もピークに達しつつあった。
「あー……もうダメ。肩がバキバキで腕が上がらないわ……」
その日の夜。スラムの奥深くにある拠点――かつてはバイオハザード状態だったが、今やすっかり清潔になった空き家――の床にゴロリと寝転がり、私は深いため息を吐き出した。
手元には、今日一日で稼ぎ出した銀貨と銅貨が詰まった重い革袋が三つ。本来ならこの重みを感じてニヤニヤするところだが、今の私には硬貨を数える体力すら残されていなかった。
「お姉ちゃん、お疲れ様。肩、揉もうか?」
「ありがとう、シエナちゃん。でも大丈夫よ、あんたも一日中、薬の瓶詰めと患者の案内で疲れてるでしょ。早く寝なさい」
私の足元で、同じように疲れ切ったロッツが大の字になっていびきをかいている。二メートルの巨漢が一日中立ちっぱなしで列の整理と警備、さらにはチンピラから巻き上げた金貨の運搬までこなしたのだ。無理もない。
私は痛む腕をさすりながら、天井の穴(まだ塞ぎきれていない)から覗く月を見上げた。
(……このままじゃ、前世の二の舞ね)
ブラック薬局時代、私は一人で一日に百枚以上の処方箋をさばき、調剤、監査、服薬指導を狂ったようなスピードでこなしていた。結果、過労で倒れて異世界行きである。
今やっていることは、あの時のブラック労働と全く同じだった。
需要(患者)に対して、供給(私一人の生産能力)が完全にパンクしているのだ。いくら私に【成分鑑定】と【調合】のチートスキルがあっても、私が起きて作業している時間しか薬は生み出せない。露店という劣悪な環境での接客も、体力と精神力をゴリゴリと削っていく。
「これじゃダメよ。私は大金持ちになって、フカフカのベッドで毎日八時間睡眠をとるために起業したのよ。こんな自転車操業、すぐに限界が来るわ」
私はむくりと起き上がり、熟睡しているロッツの脇腹を容赦なく足で蹴り飛ばした。
「ぐふっ!? な、なんだ!? 敵襲か!?」
「起きなさいロッツ。そしてシエナちゃんも。緊急経営会議を開くわよ」
「け、けいえいかいぎ? ボス、今は真夜中だぞ……勘弁してくれよ……」
「黙りなさい。私たちの命と健康、そして今後の巨万の富がかかってるのよ」
私は眠い目をこする二人を無理やり座らせ、ドンッと三つの革袋を床に置いた。
「いいこと? 私たちは今日までの数日間で、金貨に換算して約三枚、銀貨にして三百枚以上の純利益を出したわ。これはスラムの住人が一生遊んで暮らせる額よ」
「ああ、すげえよな。俺、こんな大金見たことねえ……」
「でも、このまま露店を続けてたら、私は近いうちに過労死するわ。それに、路地裏のゴザの上じゃ、清潔な薬を作る環境としては最悪よ。雨が降れば終わりだし、いつまたあのアホな薬師ギルドがもっと大人数で襲ってくるかわからない」
私は真剣な声で、二人の目を見据えた。
「だから、この資金を全額投資して、この拠点を本格的な『店舗兼工場』に改装するわ」
「店舗兼工場……? ここをか?」
「そう。まず、屋根の穴を塞いで、床板を張り替える。入り口には立派なカウンターを設けて、奥の部屋には完全に外気と遮断された『無菌調剤室』を作るの。ロッツ、明日の朝イチで市場に行って、大工の道具と大量の木材、それに石灰(消毒用)とガラス瓶を買ってきなさい。あなたの大剣と筋肉があれば、素人でも数日で大改装ができるはずよ」
「お、俺がやるのか!? まーた俺の斬竜剣がノコギリとトンカチ代わりに……!」
「文句言わない! 私の右腕(用心棒兼大工)でしょ! 終わったら美味しいお肉を腹いっぱい食べさせてあげるから!」
肉という言葉にロッツの尻尾がピクリと反応した。チョロい獣人である。
私は次に、目を輝かせているシエナの方へ向き直った。
「シエナちゃん。あなたにはもっと重要な任務を任せるわ」
「重要な任務? あたし、なんでもするよ!」
「シエナちゃん、あなた、スラムの孤児院や路地裏にいる同年代の子供たちに顔が利くわよね? 明日、動ける子供たちをできるだけたくさん、ここに集めてきてちょうだい」
「え……? みんなを? でも、みんなガリガリに痩せてて、力仕事なんてできないよ?」
「力仕事なんてさせないわよ。彼らにお願いするのは『薬草の採取』よ」
私は立ち上がり、壁に立てかけてあった木の板に、炭の欠片でいくつかの植物の絵を描き始めた。前世の知識と【成分鑑定】の記憶を頼りに、鎮痛作用のある草、抗菌作用のあるカビが生える特定の木の実、ビタミン豊富な野草などの特徴を詳細に書き出していく。
「私がこれ以上患者を診るには、材料集めの時間を完全にゼロにする必要があるの。だから、シエナちゃんをリーダーとする『サキ薬局・特務採集部隊』を組織するわ。子供たちの小さな手と、スラムの隅々まで知っている情報網は、最高の武器になる」
「でも……みんな、お金もないし、ご飯も食べてないから、動く元気がないかも……」
「ふふん、任せなさい」
私はブラック企業で学んだ「飴と鞭」……いや、この場合は完全なる「飴」の威力を思い出し、ニヤリと笑った。
「報酬は『完全出来高制(歩合制)』よ。私が指定した薬草を一定量持ってくるごとに、銅貨数枚のポケットマネーと、栄養満点の温かい『まかない(特製エナジーシチュー)』を現物支給するわ」
「っ!! ご、ご飯が食べられるの!? 毎日!?」
「ええ、毎日よ。私がこの街にいる限りね」
シエナの顔が、驚愕から歓喜へと変わった。スラムの子供にとって、「毎日温かいご飯が食べられる」というのは、金貨の山よりも価値のある絶対的な契約条件なのだ。
「わかった! あたし、明日朝一番でみんなを呼んでくる! お姉ちゃん、絶対だからね!」
こうして、真夜中の緊急経営会議は幕を閉じた。
翌日から、サキ薬局の怒涛の大規模リニューアルが始まった。
* * *
「ほらロッツ! 屋根の板がずれてるわよ! 隙間風が入ったら薬の温度管理が狂うでしょ、もっとキッチリ打ち付けなさい!」
「無茶言うな! 俺は大工じゃねえんだぞ! だいたい、なんで釘じゃなくて木のダボで接合しろなんて細かい指示出すんだよ!」
「金属のサビが落ちたら薬に不純物が混ざるからよ! ほら、文句言ってないで手を動かす!」
翌朝、買い込んできた木材と工具を使い、ロッツの筋肉をフル稼働させた大改装がスタートした。
ボロボロだったスラムの空き家は、ロッツの規格外の腕力と、私の指示出しによって、みるみるうちに姿を変えていく。屋根の穴は完全に塞がれ、床には新しい板が隙間なく敷き詰められた。
さらに私は、部屋を三つの区画に分けた。
入り口側は、患者を迎え入れ、薬を販売する「受付カウンター」。
中央は、薬草をすり潰し、水洗いを行う「一次処理室」。
そして一番奥には、徹底的にアルコールと石灰で消毒し、私以外の立ち入りを禁じた「無菌調剤室」だ。ここで最終的な成分抽出とボトリング(瓶詰め)を行う。
拠点が見違えるように綺麗になっていく中、入り口のドア(ロッツが新しく作り直した頑丈なもの)が控えめにノックされた。
「お姉ちゃん、みんな連れてきたよ!」
ドアを開けると、そこにはシエナの後ろに隠れるようにして、五、六人の子供たちがオドオドと立ちすくんでいた。
年齢は七歳から十二歳くらい。みんな一様に服はボロボロで、痩せこけており、顔には煤と泥がついている。スラムの過酷な環境で生き抜いてきた、警戒心の強い瞳だ。
彼らは、立派になった家と、奥で大剣を振り回している巨漢の獣人を見て、ビクッと体を震わせた。
「シ、シエナ……本当に、ここにいればご飯が食えるのか……? 怪しい奴隷商人じゃねえだろうな……」
「大丈夫だよ! サキお姉ちゃんは、あたしの命の恩人なんだから!」
私は彼らの前に進み出ると、わざとしゃがみ込んで目線を合わせ、とびきり優しく、安心させるような笑みを浮かべた。
「よく来てくれたわね、みんな。私がこの薬局の店主、サキよ。奴隷商人なんかじゃないから安心して。あなたたちには、私の大切なお手伝いをしてほしいの」
私は、昨晩用意しておいた、肉と野菜(もちろんビタミンたっぷりの薬草入り)を煮込んだ温かいシチューの鍋の蓋を開けた。
ブワッと、食欲をそそる強烈な匂いが室内に広がる。
子供たちの喉が、一斉にゴクリと鳴った。
「仕事の話の前に、まずは腹ごしらえよ。たくさん食べて、元気をつけてね」
私が木のお椀にシチューを注いで渡すと、子供たちは最初は警戒していたものの、一口食べた瞬間に目を見開き、そこからは野生の獣のようにガツガツと貪り食い始めた。
「うめぇっ!」「お肉が入ってる!」「あったかい……っ!」と、涙ぐみながら鍋を空にしていく子供たち。
彼らの胃袋を完全に掌握したのを見計らって、私は仕事の説明に入った。
「いい、みんな。あなたたちの仕事は、この絵に描かれた植物を、スラムや市場の裏、森の入り口から集めてくることよ。似ている毒草もあるから、間違えないようにシエナちゃんがしっかりチェックしてね。カゴ一杯に集めてくるごとに、銅貨三枚と、今日みたいな美味しいご飯を約束するわ」
子供たちの目が、キラキラと輝き始めた。
スラムでゴミを漁っても一日に銅貨一枚稼げるかどうかという彼らにとって、これは破格の好条件だ。しかも、理不尽な暴力もなく、安全な食事まで保証されている。
「やる! 俺、どこにその草が生えてるか知ってる!」
「あたしも! いっぱい取ってくる!」
「よし、頼もしいわね。シエナちゃん、あなたが彼らの『採集部隊・チームリーダー』よ。品質管理と納品数のチェックを任せるわ」
「うん! 任せて、お姉ちゃん!」
シエナは誇らしげに胸を張り、子供たちを引き連れて元気よく外へと飛び出していった。
これで、材料の『調達ライン』は完全に自動化された。
労働力の搾取? 児童労働? 冗談じゃない。これは正当な対価を支払う立派なアウトソーシングだ。前世のブラック企業で、サービス残業という名のタダ働きを強いられてきた私からすれば、働いた分だけきっちり報酬と食事を出す私は、間違いなく『超ホワイト企業の神社長』である。
「よし。調達が自動化されたら、次は『一次処理』の効率化ね」
私はクルリと振り返り、屋根の修理を終えて一息ついていたロッツに歩み寄った。
彼が見上げる先には、私が木材と石を組み合わせて作らせた、人間が入れるほど巨大な『すり鉢』と、丸太で作った『特大の乳棒』が鎮座している。
「おい、ボス。大工仕事は終わったぞ。で、あの馬鹿でかい石の器は何に使うんだ? 風呂にでもするのか?」
「違うわよ。あれはロッツ、あなたの専用の仕事道具よ」
「……は?」
「シエナちゃんたちが大量に集めてきた薬草を、あの特大すり鉢に入れて、丸太の乳棒で粉々にすり潰すの。細胞壁を完全に破壊しないと、有効成分が抽出できないからね。普通のサイズの乳鉢じゃ日が暮れちゃうから、あなたの怪力を使って一気に大量処理してもらうわ」
私がニコリと笑って丸太を指差すと、ロッツは顔を引き攣らせた。
「お、おい待てよ! 俺は用心棒だぞ!? なんで毎日毎日、そんな巨大な棒を振り回して草をすり潰す地味な作業を……」
「何言ってるのロッツ。これはただの作業じゃないわ。『筋トレ』よ」
「……筋トレ?」
「そう。大剣を振るうには、全身のバネと持久力が必要でしょ? あの丸太を一定のリズムで何時間も突き続けるのは、体幹とインナーマッスルを鍛える最高のトレーニングになるわ。それに、薬草の成分が気化して空中に舞うから、呼吸器系からも微量な薬効成分を取り込めて、あなたの胃腸もさらに頑丈になる。まさに一石二鳥、究極の肉体改造プログラムよ!」
私がもっともらしい(しかし半分以上はでっち上げの)理屈を熱弁すると、根が単細胞な筋肉ダルマであるロッツは、「おおっ……!」と目を輝かせた。
「なるほど! ただの雑用じゃなくて、傭兵としての俺の牙をさらに研ぎ澄ますための修行だったってわけか! さすがボス、俺の体のことまで考えてくれてたんだな!」
「え、ええ。もちろんよ。だから、私がストップって言うまで、ひたすらドスドスすり潰し続けなさい。サボったらご飯抜きよ」
「おう! 任せとけ! 俺の筋肉が喜んでるぜ!」
ロッツは巨大な丸太の乳棒を嬉々として持ち上げ、すり鉢の中でブンブンと素振りをし始めた。
よし、これで一番力のいる『粉砕・一次処理ライン』も自動化(筋肉によるオートメーション化)が完了だ。
* * *
数日後。
サキ薬局の内部は、前世のブラック薬局も真っ青になるほどの、完璧でシステマチックな生産体制が構築されていた。
「シエナちゃん! 納品された酸食草(ビタミンC)の束、枯れてるのが混ざってるわ! 選別をもっと厳密に! 採集部隊のBチームにペナルティとして今日のおやつは半分って伝えて!」
「はい、お姉ちゃん! すぐに仕分け直します!」
「ロッツ! 乳棒のリズムが遅いわよ! 筋トレをサボる気!? もっと腰を入れて粉砕しなさい! ペースト状になるまで絶対に手を止めない!」
「うおおおおっ! 俺の広背筋が火を噴くぜェェェッ!!」
「よし、粉砕されたペーストをこっちの無菌室に回して! ここからは私の仕事よ!」
私は一番奥のクリーンルームにこもり、すり潰された大量の薬草と、蒸留した高純度アルコール、スライムの粘液などを次々と掛け合わせていく。
【成分鑑定】で不純物を弾き、【調合】スキルで一瞬にして有効成分だけを抽出・結合させる。私一人の作業量は以前と変わらないが、前段階の「材料集め」と「粉砕作業」を他人に任せたことで、私の生産スピードは十倍以上に跳ね上がっていた。
出来上がった特効薬(抗生物質もどき、胃腸薬、解熱鎮痛剤)を、煮沸消毒されたガラス瓶に次々とボトリングしていく。
ガコン、ガコン、と響くロッツのすり鉢の音。
子供たちが元気に草を運び込んでくる声。
そして、私の手元で次々と生み出されていく、黄金の価値を持つ薬の瓶の山。
「ふふ……ふははははっ! 素晴らしいわ! これぞ究極の分業制! 資本主義の美しき勝利よ!」
私は白衣を翻し、ずらりと並んだ薬の瓶を見渡して狂喜の声を上げた。
自分がブラック企業で散々叩き込まれた「効率的なタスク管理」と「マニュアル化」の知識が、異世界の貧しい子供たちに温かい食事と仕事を与え、同時に私に巨万の富をもたらすシステムとして完璧に機能しているのだ。
誰も損をしない。全員が笑顔で働き、そして何より、患者たちは安価で確実な医療を受けられる。
圧倒的な『ホワイト経営』。これこそが、私の目指した理想の職場環境だ。
「お姉ちゃん、今日の分の生産、全部終わったよ!」
「俺もだボス! もう腕がパンパンで一本も草が潰せねえ!」
シエナとロッツが、汗だくになりながら報告に来た。
時刻は夕方。まだ外は明るい。
私は時計代わりの砂時計を確認し、満足げに頷いた。
「二人とも、よくやったわ。今日の業務はここまで! 定時退社よ!」
「「お、おおーっ!!」」
「さあ、裏のキッチンに最高級の魔物肉と新鮮な野菜をたっぷり用意してあるわ。採集部隊の子供たちも全員呼んで、今日はサキ薬局の『プレオープン記念パーティー』よ!」
私の言葉に、ロッツの尻尾が千切れんばかりに振られ、シエナが歓声を上げて子供たちを呼びに走った。
大量生産ラインは完成した。在庫は山のように積まれている。
そして明日、いよいよこの店舗の扉を開け、『新生・サキ薬局』が堂々オープンする。
薬師ギルドの連中がどれだけ悔しがろうと、もう誰も私を止めることはできない。異世界の医療と経済のルールを、私の手で完全に書き換えてやるのだ。
私は、窓から見える夕焼け空に向かって、極上の営業スマイルを浮かべたのだった。




