第8話「既得権益からの嫌がらせ、あるいは胃袋と健康を掌握された者たちの狂騒」
冒険者ギルド裏の吹き溜まりに敷かれた、たった一枚の薄汚れたゴザ。
それが『サキ薬局』の記念すべき第一号店(ただの露店)だった。
筋肉ダルマのベテラン冒険者、バドの腐りかけていた右腕が劇的に完治したという『事実』は、口コミという最強の広告媒体に乗って、瞬く間に街中の冒険者たちへと知れ渡っていた。
あの日以来、私たちの露店の前には、日の出から日の入りまで、怪我や病気を抱えた冒険者たちの長蛇の列が絶えることはなかった。
「はい、次の方。……なるほど、ゴブリンの棍棒で殴られた打撲ね。骨には異常なさそうだけど、内出血が酷いわ。シエナちゃん、例の『特製冷湿布』を出して」
「はい、お姉ちゃん! 冷却草とスライムジェルのブレンドだね!」
「そう。患部をしっかり冷やして炎症を抑えるの。いい、あんた。今日は絶対に酒を飲んじゃダメよ。アルコールで血行が良くなったら、せっかく止まってる内出血がまた広がって痛みがぶり返すからね。料金は銀貨一枚。お大事に」
「あ、ありがとうございます、サキ先生! 本当に、あのポーションの泥水なんかよりずっと効きますよ!」
私が処方した湿布を受け取り、冒険者は何度も頭を下げながら帰っていく。その傍らでは、ロッツが警備員として仁王立ちし、列の整理と料金の回収を黙々とこなしていた。
(……素晴らしい。まさに笑いが止まらないわね)
私は次々と患者をさばきながら、足元に置かれた革袋の重みを確認して、内心でほくそ笑んでいた。
袋の中には、大量の銀貨と銅貨がぎっしりと詰まっている。
この世界の冒険者たちは、とにかく『怪我』と『不衛生による感染症・食中毒』が絶えない。彼らはこれまで、薬師ギルドが独占販売する「成分が相殺し合っている高価な泥水」を買うしか選択肢がなかった。
そこに、私が現代薬学の知識に基づく『アルコール消毒』『抗生物質もどき』『経口補水液』といった、物理的かつ科学的なアプローチを持ち込んだのだ。
価格はポーションの五分の一以下。しかし、効果は圧倒的。
まさに価格破壊と品質革命である。患者がこちらに流れてくるのは、市場原理として当然の結果だった。
「お姉ちゃん、すごいね! 今日だけで昨日よりもたくさん患者さんが来てるよ!」
「ふふ、情報が広がるスピードは加速度的だからね。でも、そろそろ『次のフェーズ』に移行しないとまずいわね。私一人の手作業じゃ、どう足掻いても一日に診られる患者の数に限界があるもの」
私は疲労で少し重くなった肩を回した。
この数日、昼間は露店で患者を診て、夜は拠点に戻ってシエナたちと徹夜で薬の調合を行うという、ブラック企業顔負けの過酷な労働サイクルを回していた。
いくらお金が稼げるとはいえ、これでは前世で過労死した二の舞だ。どこかで大量生産の仕組みを作る必要がある。
そんな経営戦略を頭の片隅で練っていた、その時だった。
「おいおいおい。随分と景気が良さそうじゃねえか、ええ?」
突如として、露店の前に並んでいた冒険者たちの列が、乱暴に二つに割られた。
ダァンッ! という乱暴な音と共に、私たちが薬の空き瓶を並べていた木箱の一つが蹴り飛ばされ、中に入っていた貴重なガラス瓶が粉々に砕け散った。
「きゃっ!?」
「シエナちゃん、下がって!」
私はシエナを背後にかばい、蹴りを放った人物をキッと睨みつけた。
そこに立っていたのは、数日前に市場の大通りで私と口論になった、あの恰幅の良い中年男――薬師ギルドの出張所を任されている『ヤブ医者ポーション屋』の店主だった。
その後ろには、いかにもガラの悪い、顔に傷のあるチンピラや、粗悪な剣を腰に下げた傭兵崩れのような男たちが十数人、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら控えている。
あからさまな『武力行使』の構えだった。
「チッ……。ボスの稼ぎを妬んで、ついに実力行使に出やがったか。わかりやすい連中だぜ」
背後にいたロッツが、地を這うような低い唸り声を上げ、背中の大剣『斬竜剣』の柄に手をかけた。二メートルの巨漢から放たれる殺気に、チンピラたちが一瞬ひるむが、人数の暴力があるためかすぐに強気な態度を取り戻す。
「なんの用よ。営業妨害ならギルドの衛兵を呼ぶわよ」
私はロッツを手で制止し、あくまで冷徹な声で店主に言い放った。
怯える様子を見せない私に、店主は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「衛兵を呼ぶのはこっちの方だ! 貴様、どこの馬の骨とも知れん無資格の分際で、いけしゃあしゃあと薬師ギルドの縄張りを荒らしおって! 貴様がここで怪しげな薬を売り始めてから、うちのポーションの売り上げが激減しているんだぞ!」
「あら、それは私のせいじゃなくて、あんたたちの売ってるポーションが『銀貨五枚もする効果ゼロの不衛生な泥水』だってことが、ついに消費者たちにバレただけでしょ? 市場の競争原理に敗れたのを他人のせいにするなんて、経営者として恥ずかしくないの?」
「だ、黙れ小娘ェッ! 貴様の使っているのは薬ではない! 悪魔の秘術か何かで、冒険者たちを洗脳しているに違いない! でなければ、あんな透明な水やカビの生えたペーストで傷が治るわけがないだろうが!」
顔に青筋を立てて喚く店主。
どうやら彼らは本気で、私の薬学知識を「悪魔の洗脳術」か何かだと勘違いしているらしい。成分の抽出やアルコールによる殺菌という概念が存在しない彼らにとって、魔法のポーション以外の方法で病気が治ることは、理解の範疇を超えているのだ。
だが、そんなことは私にとって知ったことではない。
私が今、最も腹を立てているのは、彼らの理不尽な言い掛かりについてではない。
「……ねえ。今、あんたの隣にいるそのチンピラが蹴り飛ばした木箱。中には、私が昨日の夜、熱湯で二十分煮沸消毒して、ホコリが入らないように厳重に管理していた『清潔なガラス瓶』が入ってたんだけど」
私の声の温度が、スゥッと絶対零度まで下がった。
周囲の空気が、ピリッと凍りつく。
「ガラス瓶の原価が銅貨五十枚。それに費やした私の労働力と消毒の手間賃、さらに、その瓶を使って今日売るはずだった薬の機会損失額……。ざっと計算して、銀貨十枚ってところかしら」
「は……?」
「聞いてるの? 私はね、不衛生な環境と、私の利益を不当に損なう奴が、この世で一番大嫌いなのよ。慰謝料込みで、銀貨二十枚。今すぐここで現金一括で払うなら、警察(衛兵)沙汰にはしないで示談にしてあげるわ」
私の容赦のない『損害賠償請求』に、店主は一瞬ポカンと口を開け、次の瞬間、腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。後ろのチンピラたちも、声を上げて私を嘲笑する。
「ギャハハハ! 傑作だ! この状況で俺たちから金をふんだくろうってのか!? お前ら、やっちまえ! この小娘の店を完膚なきまでにぶっ壊し、二度とこの街で商売できないように指の骨を全部へし折ってやれ!」
店主の号令と共に、十数人のチンピラたちが一斉に武器を抜き、殺気を放って私と露店ににじり寄ってきた。
ロッツが前に出ようと筋肉を隆起させる。彼一人でも、この程度のチンピラなら数分で片付けられるだろう。
だが、私にはわかっていた。
私たちが直接手を下すまでもないということを。
なぜなら、この冒険者ギルドの裏手には、今、私の露店に並んでいた『数十人の屈強な冒険者たち』が、治療を待って待機しているのだから。
「おい。そこの三流のクズども」
地鳴りのような、低くドス黒い声が路地裏に響き渡った。
チンピラたちがビクッと肩を震わせて振り返る。
声の主は、つい先日、私のアルコール消毒で涙と鼻水を垂らして絶叫していた筋肉ダルマのベテラン冒険者、バドだった。
彼は、私の治療で見事に完治した右腕で巨大な戦斧を軽々と担ぎ上げ、鬼神のような形相でチンピラたちを睨み下ろしていた。
そして、バドの後ろには、同じように私の治療を受け、命を救われた数十人の冒険者たちが、武器を構えてズラリと立ち並んでいた。その目は全員、完全に血走っている。
「バ、バドさん……!? な、なんで『鉄腕』の異名を持つあんたが、こんな小娘を庇うんだ!? 俺たちは薬師ギルドの正当な依頼で、この悪魔の洗脳術を使う女を排除しに……!」
「悪魔の洗脳だと? 笑わせるな」
バドは戦斧の腹で、ドォン! と石畳を強く叩きつけた。
「俺のこの右腕を見ろ。テメェら薬師ギルドが『気合で治せ』と見捨てて、銀貨五枚もする泥水ポーションを飲ませた結果、腐りかけて切り落とす寸前だった腕だ。それを、サキ先生は魔法も使わずに、たった三日で元通りにしてくれたんだよ!」
「そ、それは……!」
「俺たち冒険者にとって、怪我や病気は即ち『死』と『失業』を意味する。その死の恐怖から救い出してくれたサキ先生はな、俺たちにとって女神様も同然なんだよ!!」
バドの咆哮に呼応するように、背後の冒険者たちも次々と怒りの声を上げた。
「その通りだ! 俺の腹痛も、先生の薬で一発で治ったんだぞ!」
「水虫で夜も眠れなかった俺を救ってくれたのは先生だけだ! それを、またあの効かねえポーションを買わせるために店を潰そうってのか!?」
「ふざけるな! サキ先生の薬がなくなったら、俺たちは明日からのクエストでどうやって生き延びればいいんだ! 俺たちの命綱に手を出そうってんなら、ギルドの看板ごとテメェらを叩き斬ってやるぞ!!」
冒険者たちの凄まじい怒号と殺気に、チンピラたちは顔を真っ青にして後ずさった。
無理もない。彼らはただ金で雇われただけのチンピラだ。対するは、日々の生活と命そのものをサキ薬局に依存し、実質的に『胃袋と健康を掌握された』歴戦の冒険者たちの軍団である。士気も戦闘力も、雲泥の差があった。
「ま、待て! 早まるな! 俺たちは薬師ギルドの……!」
「問答無用!! 野郎ども、このクズどもを一人残らずぶっ飛ばせ!! サキ先生の店に指一本触れさせるなァッ!!」
バドの号令を皮切りに、一方的な大乱闘(というか、一方的な蹂躙)が始まった。
「ギャアアアッ!」「おでぶっ!」「ひぃぃ、許して、腕が折れるぅぅっ!」
飛び交う悲鳴と鈍い打撃音。冒険者たちは、普段魔物を相手にしている容赦のない手つきで、チンピラたちを次々と地面に沈めていく。
私とロッツ、シエナの三人は、ゴザの上からその大立ち回りを、まるで舞台演劇でも見るかのように静観していた。
「……すげえな。俺の出番、全くねえじゃねえか」
「ロッツ、あんたは用心棒なんだから、大人しく私の盾になってなさい」
「お姉ちゃん、みんなすごく怒ってるね……。お姉ちゃんのこと、本当に大好きなんだね!」
「大好きなんじゃないわ。彼らは『自己防衛』をしているだけよ。私という有能な医療リソースを失えば、彼ら自身の生存確率が下がる。だから、必死になって既得権益の連中から私を守ろうとしているの」
私は、ボコボコにされて地面に転がっていくチンピラたちを冷ややかに見つめながら、フッと口角を上げた。
これが、私が最初から計算していた『最大の防御壁』だ。
スラムで起業し、無防備な露店で荒稼ぎをすれば、必ず悪党や同業者から目をつけられる。しかし、私が提供する医療が彼らにとって『絶対に失いたくないインフラ』になれば、客が勝手に私を守るようになる。
金で雇った用心棒は金で裏切るが、自分の命と健康を握られている人間は、絶対に裏切らないのだ。
数分後。
路地裏の石畳には、鼻血を出し、顔を腫らしてピクピクと痙攣する十数人のチンピラたちと、涙目になって腰を抜かしているポーション屋の店主が転がっていた。
バドは戦斧を肩に担ぎ直し、スッキリした顔で私の元へと歩み寄ってきた。
「サキ先生、ご安心を。ゴミ掃除は終わりましたぜ。こいつら、ギルドの衛兵に突き出しますかい?」
「ありがとう、バドさん。本当に助かったわ。でも、衛兵に突き出すのは少し待ってちょうだい」
私はゴザから立ち上がり、白衣の裾を払いながら、地面でうめき声を上げているチンピラたちの間をゆっくりと歩いた。
そして、顔面がボコボコに腫れ上がった店主の前にしゃがみ込み、極上の営業スマイルを向けた。
「ひっ……! あ、悪魔……! 助けて、殺さないでくれ……っ!」
「人聞きの悪いこと言わないでよね。私は命を救う薬剤師よ。……あらあら、大変。あんたが連れてきたお友達、みんな酷い怪我をしてるじゃない。腕が折れてる子もいるし、打撲で内出血も酷いわ」
「え……?」
「このまま放っておいたら、後遺症が残るかもしれないわね。あんたたちの自慢の『泥水ポーション』じゃ、折れた骨はくっつかないでしょ?」
私が何を言いたいのか悟ったのか、店主の顔が青ざめから絶望の土気色へと変わった。
「私が治療してあげるわ。骨折の整復固定、アルコール消毒、打撲の特製湿布。十数人分の治療費と、さっき言ったガラス瓶の損害賠償、合わせて……そうね、金貨五枚で手を打ちましょうか。もちろん、現金一括よ」
「き、金貨五枚ィィィッ!? ぼ、暴利だ! そんな金、払えるわけが……!」
「払えないなら、私が治療を拒否するだけよ。バドさん、この人たち、このまま路地裏に放置していいわよね?」
「ああ! サキ先生がそう言うなら、このまま野犬の餌にでもしてやりますよ!」
バドが背後で戦斧を鳴らす。
前門のボッタクリ薬剤師、後門の筋肉ダルマ。逃げ場は完全に塞がれていた。
「は、払う……! 払います! だから、腕の骨だけは……治してくれぇっ……!」
店主は涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、震える手で懐からギルドの運営資金である金貨を取り出し、私に差し出した。
チャリン、という重厚な響きと共に、私の革袋に新たな巨万の富が転がり込む。
既得権益からの嫌がらせを完全粉砕し、さらにそこから治療費まで搾り取る。これぞ、悪徳業者(ブラック企業)に立ち向かうための、さらに上を行くブラック経営術である。
「毎度あり! さあシエナちゃん、ロッツ! 急患が十数人も入ったわよ! アルコールと添え木の準備をして! 終わったら、今日も大忙しよ!」
私は金貨の重みにホクホク顔になりながら、手際よく怪我人(襲撃者)たちの治療を開始した。
周囲の冒険者たちは、敵すらも治療費の『カモ』に変えてしまう私のブレない守銭奴っぷりに、呆れを通り越して畏敬の念すら抱いているようだった。
しかし、その日の夜。
無事に露店の営業を終え、拠点の空き家に戻って金貨を数えていた私は、ふと真面目な顔でロッツとシエナに向き直った。
「……今日の一件で、ハッキリしたわね」
「ああ? なんだボス、まだポーション屋から絞り足りねえのか?」
「そうじゃないわ。……この『露店』という営業形態の限界よ」
私は、割れたガラス瓶の破片を指差した。
「今回はバドさんたちが助けてくれたから良かったものの、路地裏のゴザの上じゃ、セキュリティが脆弱すぎるわ。雨が降れば営業できないし、衛生環境も完璧とは言えない。それに何より、これだけ患者が増えると、今の『私が手作業で作って、私が直接売る』という自転車操業の生産ラインじゃ、もう間に合わないのよ」
「た、確かに……。お姉ちゃん、最近ずっと寝てないもんね……」
「ええ。だから、決めたわ」
私は、今日稼いだ金貨と銀貨の山を両手でバンッと叩いた。
「この資金を元手に、スラムの空き家を大々的に改装するわ! 屋根を直し、立派なカウンターを作り、薬草の抽出施設を構築する。そして、スラムの子供たちを雇って『薬草採集部隊』を組織化し、労働力と生産ラインを完全にシステム化するのよ!」
それは、ただのボッタクリ露店から、一つの『企業』へと脱皮するための宣言だった。
ブラック薬局で培った「効率的なタスク管理」と「マニュアル化」を、この異世界で遺憾なく発揮する時が来たのだ。
私の壮大な事業拡大計画を聞かされ、ロッツとシエナが「またお姉ちゃんの(無茶苦茶な)思いつきが始まった」という顔で顔を見合わせていたが、私の決意が揺らぐことはない。
「目指すは、定時退社と巨万の富! サキ薬局・大量生産ライン構築編の幕開けよ!」
翌日から、私を司令塔としたスラム街の子供たちを巻き込む大規模な『薬局リニューアルプロジェクト』が動き出すことになるのだが――それはまた、別の話である。




