第10話「サキ薬局、堂々オープン! 命は平等、お代は現金か現物で」
スラムの朝は早い。
まだ薄暗い中、路地裏に差し込む朝日の筋が、私たちが作り上げた『城』の入り口を照らし出していた。
かつては悪臭とカビに支配されていた廃屋は、今や見違えるように清潔で堅牢な店舗へと生まれ変わっている。隙間風が入っていた壁は厚い板で補強され、屋根は雨漏り一つしないように修繕されている。入り口には、ロッツが近所の廃材を加工して作った立派なカウンターが鎮座し、その奥の棚には、昨日の夕方までに生産を終えた薬の瓶がズラリと並べられていた。
透明な消毒用アルコール、青緑色の抗生物質ペースト、乳白色の胃腸薬。そして、疲労回復に効く特製エナジードリンク。
どれも私が【成分鑑定】と【調合】スキルを駆使し、スラムの子供たちが集めた素材から作り出した、この世界で唯一の『本物の薬』だ。
「よし。準備は完璧ね」
私は、カウンターの奥に設けた鏡(ロッツがどこからか拾ってきて磨き上げた金属板)の前に立ち、身だしなみを整えた。
着ているのは、市場の古着屋で安く買い叩いた白いワンピースを改造した、即席の『白衣』だ。前世で毎日羽織っていたものと比べれば生地はゴワゴワだし、シルエットも野暮ったい。だが、袖を通した瞬間に背筋がピンと伸び、仕事のスイッチが入る感覚は同じだった。
「お姉ちゃん、すっごく似合ってる! 魔法使いのローブみたい!」
私の足元で、新しいエプロンを身につけたシエナが目を輝かせている。彼女もまた、ボロボロだった服を清潔なものに着替え、髪を綺麗に結い上げていた。すっかり薬屋の看板娘の風格だ。
「ありがとう、シエナちゃん。あなたもとっても可愛いわよ。今日は一日、その笑顔でお客さんを癒してあげてね」
「うんっ! 任せて!」
微笑ましいやり取りをしていると、裏の作業場から、ドスドスと重い足音を立ててロッツが顔を出した。彼は首からタオルを下げ、巨大な丸太の乳棒を肩に担いでいる。
「おいボス、朝の分の粉砕作業(筋トレ)終わったぜ。……おっ、なんだその服。なんか偉そうだな」
「偉そうなのよ。今日から私がこの店の『薬局長』なんだから。あなたも今日からはただの用心棒じゃないわ。サキ薬局の警備主任兼、現場監督よ。お客さんが暴れたら、物理で鎮圧しなさい」
「へへっ、任せとけ。俺の斬竜剣が錆びつかねえように、少しは暴れる馬鹿がいればいいんだがな」
ロッツが悪人面で笑う。頼もしい限りだ。
私は深呼吸を一つし、カウンターの前に立った。
露店でのゲリラ的な営業から脱却し、ついに自分自身の店舗を構える。前世のブラック企業で、理不尽な雇われ店長としてすり減っていた私にとっては、これ以上ないカタルシスだった。
「……行くわよ、二人とも。入り口のドアを開けて!」
私の号令に合わせ、ロッツが真新しい木製のドアを大きく開け放った。
ギィィ……という音と共に外の空気が流れ込んでくる。
そして。
「おおっ! 開いたぞ! サキ先生の店が開いたぞ!!」
「先生! 頼む、一番乗りは俺だ! 昨日から腰が痛くてたまらねえんだ!」
「ずるいぞテメェ! 俺は夜明け前から並んでたんだ! 先生、うちの子供が熱を出して……!」
ドアの外には、想像を絶する光景が広がっていた。
スラムの路地裏を埋め尽くすほどの、大勢の人・人・人。
剣や杖を持った冒険者たちと、みすぼらしい服を着たスラムの住人たちが、入り乱れて長蛇の列を作っていたのだ。その数は、ざっと見積もっても百人は超えているだろうか。
「ひぃっ!? な、なんだこの人数は……! 暴動か!?」
「驚いてる暇はないわよ、ロッツ! 列の整理! 冒険者と一般住民で列を二つに分けて! シエナちゃんは番号札(木のチップ)を配って!」
「りょ、了解!」
驚愕するロッツを尻目に、私は即座に指揮を執った。
路地裏の隅から、あの筋肉ダルマのベテラン冒険者、バドが巨大な戦斧を掲げて列の整理を手伝ってくれているのが見えた。
「野郎ども、押すんじゃねえ! サキ先生は逃げねえから、大人しく一列に並びやがれ! 列を乱す奴は、この俺が叩き斬ってギルドの裏に放り込むぞ!」
バドの恫喝が響き渡り、血気盛んな冒険者たちも渋々と整列し始める。どうやら彼が自発的に宣伝部長兼、外部警備員を買って出てくれているようだ。後で湿布でもサービスしてあげよう。
患者がカウンターの前に進み出てくる。いよいよ、新生・サキ薬局の初仕事だ。
最初のお客は、重そうな鉄の鎧を着込んだ中年の冒険者だった。彼は腰を「くの字」に曲げ、脂汗を流しながら私の前に手をついた。
「サキ先生……。噂は聞いてます。どうか、この腰を治してくだせえ。ポーションを飲んでも一時的に痛みが引くだけで、またすぐにギックリと……。これじゃあ重い荷物が運べねえんです」
「見せてちょうだい」
私はカウンター越しに身を乗り出し、彼の腰の筋肉を指先で探った。
【成分鑑定】を患部にフォーカスする。
……なるほど。重い鎧を長年着続けたことによる、慢性的な筋肉の炎症(筋膜炎)と、椎間板への過度な負担だ。治癒ポーションが効かないのは当然である。ポーションは「傷口を塞ぐ」ことには長けていても、長年の疲労の蓄積や姿勢の悪さからくる炎症を、根本から解決することはできないのだ。
「あんた、右足を引きずって歩く癖があるでしょ。そのせいで左の腰に極端な負担がかかってるのよ。ポーションに頼って根本の姿勢を治さないから、慢性的な腰痛になるの」
「うっ……! そ、その通りです……昔、右足首をゴブリンに噛まれてから、どうしてもかばっちまって……」
「原因がわかれば対処は簡単よ。シエナちゃん、赤の二番の瓶と、清潔な布切れを出して」
私はシエナから受け取った瓶の蓋を開けた。中に入っているのは、サリチル酸(柳の樹皮から抽出した鎮痛成分)と、メンソール系の薬草、そしてスライムの粘液を混ぜ合わせた特製の『消炎鎮痛ペースト』だ。
これを布にたっぷりと塗り広げ、即席の【冷湿布】を完成させる。
「痛む腰の辺りに、これを貼りなさい。皮膚から直接鎮痛成分が浸透して、筋肉の炎症を抑え込んでくれるわ。それと、今日から三日間は重い鎧を着るのを禁止。右足首の古傷をかばわないように、ゆっくり歩く練習から始めなさい。歩き方を治さないと、また再発するわよ」
「おおっ……! は、貼った瞬間から、腰の奥がスゥッと冷えて、痛みが吸い出されていくみたいだ……! す、すげえ!」
「お代は銀貨一枚よ。三日分の湿布の予備もつけておくわ」
「銀貨一枚!? ポーションの五分の一じゃねえか! ありがとうございます、先生! 一生ついていきます!」
冒険者は涙ぐみながら銀貨をカウンターに叩きつけ、腰を伸ばして帰っていった。
私はチャリンと銀貨を革袋に落とし、次のお客を呼ぶ。
「はい次! あんたは腕の擦り傷が化膿してるわね。アルコールで消毒するから歯を食いしばりなさい! 料金は銀貨二枚!」
「ぎゃあああっ!? 痛てぇぇっ! でも、すっきりした……! 払います!」
「はい次! 胃がムカムカする? 最近、市場の安い干し肉食べたでしょ。軽い食中毒よ。この胃腸薬を食後に飲みなさい。料金は銀貨一枚!」
私は、前世で培った恐るべきスピードで、次々と患者を診断し、的確な薬を処方し、そして容赦なく料金を徴収していった。
冒険者たちは、金払いがいい。彼らにとって、銀貨数枚で明日からの命が保証されるなら、安い買い物なのだ。私は彼らの足元を……いや、適正な市場価値を見極め、ギリギリまで利益を絞り取った。
だが、列に並んでいるのは、金持ちの冒険者だけではない。
冒険者の列が一段落したところで、私は隣に並んでいたスラムの住人たちの列へと向き直った。
「さて、お待たせしたわね。どうしたの?」
カウンターの前に立ったのは、みすぼらしい服を着た、シエナと同じくらいの歳の少年と、その母親だった。
少年の頭は、ところどころ髪が抜け落ち、皮膚が赤く爛れてフケのようなものが大量にこびりついていた。母親は泣きそうな顔で、震える声で訴えかけてきた。
「先生……どうか、この子を助けてください。頭の病気で、痒くて夜も眠れないんです。でも、私たち、銅貨数枚しか持っていなくて……薬師ギルドには、汚いから帰れって追い出されて……」
「…………」
私は少年の頭をじっと観察した。
【成分鑑定】が告げている。白癬菌。いわゆる「シラクモ(頭部白癬)」だ。不衛生な環境で生活していると感染しやすいカビの一種である。命に関わる病気ではないが、放置すれば永久に髪が生えなくなる可能性もあるし、何より絶え間ない痒みは子供にとって地獄の苦しみだ。
治療には、抗真菌作用のあるペーストと、毎日患部を清潔に保つための特製アルカリ石鹸が必要だ。
冒険者相手なら、容赦なく銀貨二枚はむしり取る処置である。
しかし、彼女たちの手にあるのは、黒ずんだ銅貨がたったの三枚。日本円にして三百円程度。原価すら割っている。
「……ボス。こいつらは、金がねえみたいだぜ。どうする?」
ロッツが私の背後で小声で尋ねてきた。
商売である以上、タダで薬を配っていては店は潰れる。前世の私なら、心を鬼にして「お金が足りません」と追い返さなければならなかったかもしれない。
だが、ここは私がルールを決める『私の城』だ。
「お母さん」
「は、はい……っ」
「その銅貨三枚は、しまっておきなさい。明日からのご飯代にしなきゃいけないでしょ」
母親が絶望に顔を歪めかけたその瞬間、私はニヤリと笑って言葉を続けた。
「サキ薬局は、現金払いだけじゃないのよ。現物支給も大歓迎。……お母さん、あんた、スラムの北側にあるゴミ捨て場の近くに住んでるわね?」
「え? は、はい。どうしてそれを……」
「あんたの服の裾に、『赤いトゲのある草』の種がくっついてるからよ。あれは北側の湿地にしか生えないわ。いいこと? 私はあの赤い草の根っこが大量に必要なの。明日から三日間、毎日カゴ一杯にあの草の根っこを掘り起こして、ここに持ってきなさい。それが、この子の治療費の代わりよ」
「えっ……? そ、そんな雑草で、いいんですか……?」
「ただの雑草じゃないわ。私にとっては立派な薬の材料よ。取引成立でいいわね?」
私がそう言って、少年の頭に特製の抗真菌ペーストを優しく塗り込んでやると、母親はその場に泣き崩れ、何度も何度も頭を地面に擦り付けた。
少年も、痒みがスゥッと引いたのか、ホッとした顔で「ありがとう、お姉ちゃん」と笑ってくれた。
「ほら、次! あんたは何を持ってるの!」
「お、俺は、森で拾った魔物の牙があります! ちょっと欠けてますが……!」
「カルシウムの抽出に使えるわね! 買い取ってあげるから、その咳を止めるシロップと交換よ!」
「あ、あたしは、王都の商人が落としていったっていう、古い本を拾いました!」
「よし、文字が読めれば情報源になるわ! その子の下痢止めの薬と交換ね!」
お金のある冒険者からはガッツリと現金をいただき、お金のないスラムの住人からは、貴重な素材や労働力、あるいは未確認の情報を「現物」として巻き上げる。
一切の取りこぼしを許さない、私の圧倒的に柔軟で、したたかな商売のスタイル。
ロッツもシエナも、あまりの手際の良さと、私が創り出した「誰も不幸にならない搾取のシステム」に、ポカンと口を開けて見とれていた。
* * *
その日の夕方。
用意していた薬の在庫がすべて空になり、ようやく最後のお客を帰した私たちは、カウンターの奥でぐったりと倒れ込んでいた。
「お、終わった……。もう、一歩も動けねえ……」
大剣を杖代わりにして立っているロッツが、息絶え絶えに呟く。
シエナも、番号札を握りしめたまま、カウンターの下で丸くなってスヤスヤと眠ってしまっていた。
私は、震える手で今日の売上を計算した。
現金として回収した銀貨が約五百枚。
それに加えて、店の裏には、スラムの住人たちから物々交換で巻き上げた(買い取った)珍しい魔物の素材や、大量の薬草が山のように積まれている。
初日のオープンとしては、完全に大成功。いや、想像を絶する大勝利だった。
「ふふ……。あははははっ! やったわ! やってやったわよ!」
私は、銀貨が詰まった重い革袋を抱きしめ、狂喜の声を上げた。
前世で、安い給料と理不尽な残業に縛り付けられていた私が、ついに自分の手で、自分の城で、これだけの成果を叩き出したのだ。
「ボス……あんた、本当にすげえよ。冒険者も、スラムの連中も、みんなあんたのことを拝むようにして帰っていった。この街の『命のやり取り』は、完全にサキ薬局が握っちまったな」
「当然よ。命は平等。でも、命を繋ぐための対価は、相手の懐事情に合わせてきっちりいただく。それが私の経営哲学なんだから」
私は革袋を金庫(頑丈な木箱)にしまい込み、背伸びをして凝り固まった肩をほぐした。
「さあ、今日はもう閉店! ロッツ、シエナちゃんを起こして、裏のキッチンに行きましょう。今日は稼いだお金で、市場で一番高い霜降り肉を買ってきたわよ! たらふく食べて、明日の営業に備えるわ!」
「おおおっ!! 霜降り肉!! さすがボス、一生ついていくぜェェッ!!」
ロッツが雄叫びを上げ、眠っていたシエナも「お肉……!」とパチリと目を覚ました。
私たちは笑い合いながら、温かい光の漏れる奥の部屋へと向かった。
――こうして、異世界の片隅で産声を上げた『サキ薬局』は、波乱万丈のオープン初日を乗り越え、確かな第一歩を踏み出した。
だが、この街の医療と富のバランスを根底からひっくり返してしまった私が、このまま平穏無事に商売を続けられるほど、世の中は甘くない。
私の薬の噂は、やがてスラムや下級冒険者の枠を超え、街の経済を牛耳る『商人』や、魔法至上主義を掲げる『エルフ』、果ては権力を握る『貴族』たちの耳にまで届くことになる。
既得権益の崩壊に焦る薬師ギルドの残党も、まだ完全に諦めたわけではないだろう。
しかし、今の私に恐れるものは何もない。
私には、現代薬学という最強の武器と、頼れる仲間(従業員)、そして圧倒的な商魂がある。
「今度こそ、定時で帰って大金持ちになってやるんだから!」
私の野望は、まだ幕を開けたばかりだった。




