第6話「気合で傷は治らない。筋肉ダルマのベテラン冒険者、来店」
冒険者ギルド。
それは、ファンタジー世界における荒くれ者たちの吹き溜まりであり、同時に莫大な金が動く経済の中心地の一つだ。
魔物討伐、素材採集、護衛任務。命を懸けた仕事から帰ってきた冒険者たちは、その日の報酬を酒と女と、そして『治療費』に惜しみなくつぎ込む。
だからこそ、私はサキ薬局の最初のターゲットとして、この場所を選んだのだ。
「いい、シエナちゃん、ロッツ。商売の基本は『ターゲティング』と『立地』よ。いくら良い薬を作っても、それを必要としている人がいない場所で店を開いたって誰も買わないわ」
冒険者ギルドの裏手。血と泥と酒の匂いが染み付いた裏路地の片隅に、私たちは持参したゴザを敷き、即席の『露店』を開いていた。
ゴザの上には、シエナに市場のゴミ箱や路地裏から拾い集めさせた空き瓶がいくつか並んでいる。もちろん、私のアルカリ水と熱湯で徹底的に煮沸消毒済みだ。
中には、無色透明の液体や、すり潰した薬草のペーストが詰められている。
「ターゲティングってやつはよくわからねえが……サキ、本当にこんな裏路地で客が来るのか? ギルドの正面入り口には、昨日お前が喧嘩を売った薬師ギルドの立派な出張所があるんだぞ。怪我した奴はみんなそっちに行くじゃねえか」
ゴザの後ろで腕を組んで立っている巨漢のロッツが、疑わしそうに周囲を見回した。
確かに、ギルドの正面には煌びやかなポーションを並べた店があり、怪我を負った冒険者たちが列を作っている。それに比べて、私たちの露店はどう見ても胡散臭い。看板すらないゴザの上に、透明な水が入った瓶を並べているだけなのだから。
「ふふん、素人はこれだから困るわね。いい? あっちの店は『銀貨五枚』もするボッタクリの泥水を売ってるのよ。中堅以上のパーティーなら買えるかもしれないけど、駆け出しや、ギリギリの生活をしてる冒険者には手が出ないわ。それに、あんな泥水じゃ本当の怪我は治らない」
「そりゃあ、俺が一番よく知ってるが……」
「だからこそ、この裏口が狙い目なのよ。ポーションを買えない貧乏な怪我人か、あるいはポーションに見切りをつけたベテラン。そういう『医療難民』が、ギルドの裏手には必ずたむろしてるはずなの」
私は自信満々に胸を張った。
実はこの出店のために、昨晩は徹夜で仕込みを行っていた。
シエナがゴミ山から拾ってきた、飲み残しの酸っぱい安ワイン。それを鍋に入れ、上から濡れタオルで冷やしたお椀を逆さに被せて火にかける。すると、アルコール成分が先に蒸発し、冷やされたお椀の裏で結露して滴り落ちる。
簡易的な『蒸留』だ。
これを何度も繰り返し、私の【調合】スキルで不純物を限界まで取り除いた結果、度数七十パーセントを超える『高純度エタノール(消毒用アルコール)』が完成したのだ。
さらに、シエナが採取してきた抗菌作用のある青カビ(ペニシリウム属に近いもの)や、抗炎症作用を持つ薬草をすり潰し、即席の『抗生物質入り軟膏もどき』も作成してある。
準備は完璧。あとは、最初の『カモ』……もとい、患者が来るのを待つだけだ。
「あーあ、痛てぇなクソッ。昨日のオークの野郎、手痛い一撃を入れやがって……」
露店を開いて一時間ほど経った頃。
ギルドの裏口から、ドスドスと重い足音を立てて、一人の男が歩いてきた。
身長はロッツに迫るほど高く、丸太のように太い腕と、岩のような大胸筋を持った『筋肉ダルマ』とでも呼ぶべきベテラン冒険者だ。顔には歴戦の傷跡が刻まれ、腰には巨大な戦斧をぶら下げている。
だが、その堂々たる体躯とは裏腹に、彼の右腕は悲惨なことになっていた。
肘から下にかけて、肉が大きくえぐれており、さらに悪いことに、その傷口には真っ黒な『泥』がべっとりと塗りたくられていたのだ。
「おいバドのおっさん! 大丈夫かよその腕! 薬師ギルドでポーション買ったほうがいいんじゃねえか!?」
「馬鹿野郎、あんな水に銀貨五枚も払えるか! 怪我なんざなぁ、唾つけて泥塗っときゃ気合で治るんだよ! この泥はなぁ、大地の精霊の力が宿ってる特別な泥で……」
若い冒険者に心配されながらも、筋肉ダルマこと『バド』は、ガハハと豪快に笑い飛ばしていた。
だが、彼の顔色は明らかに悪い。熱があるのか、額には脂汗が浮かび、息も少し荒い。
(……出たわね。前近代的な根性論と民間療法の最悪のコラボレーション)
私はゴザの上に座ったまま、冷ややかな視線でバドの腕を観察した。
脳内の【成分鑑定】が、警告音と共に凄まじい勢いでデータを吐き出している。
【成分鑑定:右腕の裂傷および重度感染症】
・状態:オークの牙による不衛生な裂傷。傷口に塗布された泥により、破傷風菌、ブドウ球菌、連鎖球菌などが大量増殖中。
・症状:炎症の四徴候(発赤・熱感・腫脹・疼痛)がすべて極期に達している。
・予測:このまま放置すれば十二時間以内に壊死が始まり、敗血症に移行。生存確率一〇パーセント未満。
「……ねえ、そこの筋肉ダルマのおじさん」
私は、わざと冷たく、よく響く声でバドに呼びかけた。
ギルド裏で談笑していた冒険者たちが、一斉にこちらを向く。
「あァ? なんだ嬢ちゃん。俺に用か? 悪いが、今は子供と遊んでる暇は……」
「遊びじゃないわ。あんた、明日にはその右腕、肩からノコギリで切り落とすことになるわよ」
「…………は?」
バドの笑顔が引きつり、周囲の空気がピリッと凍りついた。
ベテラン冒険者に向かって、見知らぬ小娘が突然の切断宣告。普通なら激怒して殴りかかってくるところだが、私の声に込められた『絶対的な確信』と、氷のような冷徹さが、彼の動きを止めていた。
「な、なんだと……? 腕を切り落とすだと? 適当なこと言ってんじゃねえぞ! 怪我なら泥を塗ったからもう治りかけて……」
「治りかけてる? 笑わせないで。あんたのその腕、熱を持ってパンパンに腫れ上がってるじゃない。傷口の周りはドス黒く変色して、嫌な甘ったるい腐敗臭がしてるわ。それが『治りかけ』の兆候だと本気で思ってるの?」
私は立ち上がり、ゴザを越えてバドの目の前まで歩み寄った。
身長差は倍近くあるが、私は一歩も引かず、彼の目を真っ直ぐに見据える。
「炎症の四つのサイン、発赤(赤くなる)、熱感(熱を持つ)、腫脹(腫れる)、疼痛(痛む)。あんたの腕は今、この全てが最悪の状態で進行してるの。オークの牙についていた雑菌に加えて、あんたが自分で塗ったその汚い『泥』のせいで、傷口の奥深くに致命的な細菌が繁殖してるわ。わかる? 今、あんたの肉は内側から『腐って』いってるのよ」
「く、腐る……?」
バドの額から、タラリと冷たい汗が流れ落ちた。
彼は無意識に自分の右腕を見下ろす。確かに、泥の下から覗く皮膚はどす黒く変色し、ズキズキとした激痛が彼の思考を奪い始めていたのだ。ポーションの値段をケチり、「気合で治る」と周囲に豪語してしまった手前、強がっていただけだった。
「このまま放置すれば、明日の朝には菌が血管に乗って全身に回る。敗血症……つまり、血液そのものが腐る病気になって、三日後には確実に死ぬわ。命を惜しんで腕を切り落とすか、腕に執着して全身を腐らせて死ぬか。二つに一つよ」
「ひっ……!」
私の容赦のない、そして恐ろしく論理的な『死の宣告』に、歴戦の冒険者であるはずのバドが、小さく悲鳴を上げて後ずさった。
剣や魔法で脅されるのとは違う。自分の体内で起きている見えない恐怖を、これほど冷酷に突きつけられたことはなかったのだろう。
「ど、どうすればいい……! 頼む、ポーションを買う金はないんだ! 俺はまだ、死にたくねえし腕も失いたくねえ!」
完全に心が折れた筋肉ダルマが、私に向かって泣きそうな顔で懇願してきた。
よし、落ちたわね。
私は心の中でガッツポーズを決め、営業用の冷たい微笑みを浮かべた。
「安心しなさい。あんた、運が良かったわね。私がここで露店を開いている日にお客さんになってくれたんだから」
私はゴザの方へ振り返り、指を鳴らした。
「ロッツ! この筋肉ダルマをそこの木箱に座らせて! 暴れないように両肩をガッチリ押さえつけなさい!」
「お、おう! 任せとけ!」
待ってましたとばかりに、ロッツが巨体を揺らしてバドの背後に回り、分厚い両手で彼の肩を木箱に押さえつけた。二メートルの獣人の腕力に、バドの筋肉をもってしてもピクリとも動けない。
「な、なんだ!? 何をする気だ嬢ちゃん!」
「治療よ。まずはその、傷口を塞いで菌を閉じ込めている馬鹿げた『泥』を洗い落とすわ」
私はシエナから煮沸済みの真水を受け取り、バドの腕にぶちまけた。そして清潔な布で、傷口にこびりついた泥をゴシゴシと容赦なく拭き取る。
泥が落ちると、ぱっくりと開いた傷口から、黄色い膿と黒ずんだ血液がドロリと溢れ出してきた。周囲の冒険者たちが「うわっ……」と顔をしかめるほどの酷い惨状だ。
「よし、患部が露出したわね。……いい、バドさん。これから『消毒』を行うわ。死ぬほど痛いけど、気合で治るって豪語してたあんたなら、当然耐えられるわよね?」
「し、しょうどく……? なんだそりゃ……」
「傷口の奥で増殖している菌を、化学の力で皆殺しにするのよ。ロッツ、絶対に手を離さないでね。……いくわよ」
私は、ゴザの上に置いてあった透明な液体の入った瓶を手に取った。
昨晩、徹夜で蒸留した『純度七〇パーセント・特製エタノール』だ。
私はためらうことなく、その瓶の口を傾け、バドのえぐれた傷口に直接、ドバドバと透明な液体を注ぎ込んだ。
「――――――――――――ッッッ!!!!????」
一瞬の静寂。
直後、バドの全身の筋肉が風船のように膨れ上がり、眼球が飛び出んばかりに見開かれた。
声にならない絶叫。
高濃度のアルコールが、剥き出しの神経と肉の断面に直接触れたのだ。その激痛は、焼けた鉄箸を傷口に突っ込まれるのに等しい。
アルコールは細胞のタンパク質を変性させ、細菌の細胞膜を瞬時に破壊していく。つまり、殺菌が行われているのだが、患者からすればただの地獄の拷問である。
「ギ、ギャアアアアアアアアッッッ!!!? 痛てェェェェッ!! な、なんだこれ!? 腕が! 腕が燃えてるゥゥゥゥッ!!」
「暴れない! これが菌が死滅してる証拠よ! ほら、気合で耐えなさい、気合で!」
私は泣き叫ぶバドを冷たく一喝し、さらに傷口の奥までアルコールが浸透するように、清潔な布で患部をギュッギュッと押し揉んだ。
「ひぃぃぃぃぃっ! やめっ、殺される! オークよりエグい! 嬢ちゃん悪魔か!? 悪魔なんだな!?」
「失礼ね、私は天使のように優しい薬剤師よ。ほら、ロッツ、しっかり押さえて!」
屈強なベテラン冒険者が、涙と鼻水を撒き散らしながら子供のように泣き叫ぶ。そのあまりの惨状に、遠巻きに見ていた他の冒険者たちまでが青ざめ、後ずさりを始めていた。
しばらくして、アルコールが完全に揮発し、殺菌が完了したことを【成分鑑定】で確認した私は、最後に特製の『青カビ軟膏もどき(抗生物質入り)』をたっぷりと傷口に塗りたくり、清潔な包帯をきつく巻きつけた。
「……ふぅ。よし、これで一次処置は完了よ。明日には熱も引いて、膿も止まるはずよ」
私は額の汗を拭い、満足げに頷いた。
木箱の上に力なく崩れ落ちているバドは、全身汗だくで、口から魂が抜け出たような顔をしていた。
「あ……あぁ……」
「どう? ズキズキする嫌な痛みと、腕の熱っぽさは引いたでしょ?」
「……え?」
私の言葉にハッとしたバドが、自分の右腕を触る。
アルコールの揮発による冷却効果と、傷口を塞いでいた細菌の温床(泥)を取り除き、抗生物質を塗布したことで、あれほど彼を苦しめていた『腐敗していくような激痛』が、嘘のようにスゥッと引いていたのだ。
もちろん傷自体が塞がったわけではないが、炎症の進行は完全にストップしている。
「……本当だ。熱が……引いてる。それに、あの嫌な臭いも消えた……。俺の腕は、腐らずに済んだのか……?」
「ええ。ポーションみたいに一瞬で傷が塞がる魔法じゃないけど、人間の持つ自然治癒力を最大限に引き出す『正しい医療』よ。二、三日安静にしてれば、元通り大剣を振れるようになるわ」
私は白衣の裾(ただの布だが)をバサリと翻し、極上の営業スマイルをバドに向けた。
「命と、大事な右腕が助かって本当に良かったわね。バドさん」
「お、おお! 嬢ちゃん、あんた凄腕の治癒術師だったんだな! あんなに痛かったのはビビったが、魔法を使わずにここまで……!」
「治癒術師じゃないわ。薬剤師のサキよ。さあ、治療が無事に終わったことだし――」
私はスッと右手を差し出した。
「お会計にしましょうか。初診料、外科的処置料、特製アルコール消毒薬の技術料、並びに新薬の軟膏代を合わせて……銀貨三枚になります。ポーションを買うよりずっと安くて良心的でしょ?」
バドの顔が、今度は別の意味で引きつった。
「ぎ、銀貨三枚!? 結局金取るのかよ!」
「当たり前でしょ、ボランティアでやってるんじゃないのよ。腕一本と命の値段が銀貨三枚。安いもんでしょ?」
私が冷酷な笑みを浮かべると、背後に立つロッツが「うちのボスは払うまで絶対に逃がさねえからな。諦めて払いな」と、大剣の柄に手をかけながらドスを効かせた。
完全にヤクザの取り立てである。
バドは観念したようにため息をつくと、震える手で革袋から銀貨を三枚取り出し、私の手のひらに乗せた。
「……まいった。だが、確かにあのポーションよりずっと効いたぜ。嬢ちゃん、あんたの腕は本物だ」
「毎度あり。お大事にね」
チャリン、と銀貨が心地よい音を立てる。
異世界での、記念すべき初売上の瞬間だった。
そして、この『筋肉ダルマのベテラン冒険者が、謎の小娘の激痛治療で泣き叫んだが、傷は劇的に回復した』という噂は、冒険者ギルドの裏から瞬く間に街中へと広がっていくことになる。
私の予想通り、このブルーオーシャン市場での『サキ薬局』の快進撃は、ここから本格的に始まるのだった。




