第48話「救われる命と、響くソロバンの音」
王城の中庭に設営された『サキ薬局・超巨大薬剤プラント』が、ブラック企業も顔負けの徹夜フル稼働を終え、朝日を迎えたその日の昼下がり。
王都の前広場に設営された無数の隔離テント群は、数日前までの「死を待つだけの地獄」から、驚くべきスピードで「希望に満ちた野戦病院」へと変貌を遂げていた。
「さあさあ、焦らなくても薬はたっぷりあるわよ! 順番に並んで!」
白衣の袖をまくり上げた私が声を張り上げると、隔離テントの入り口に並んだスラムの住人や下級貴族たちが、すがるような目で列を作った。
彼らの手には、カルラ商会が配給した清潔な木のコップが握られている。
「おい、そこのおっさん! 飲む前にちゃんと石鹸で手を洗ったか!? 指の間まで洗わねえと、薬はやらねえぞ!」
「あ、洗いました! この通り、皮が剥けるほどゴシゴシと!」
「よし、合格だ! ほら、サキ先生特製の『経口補水液』だ。一滴残らず飲み干しな!」
巨大な樽の前に立ったロッツとバドが、筋肉隆々の腕で柄杓を振るい、次々とコップに魔法の液体――塩分と糖分が完璧な比率で配合された水を注いでいく。
患者たちは、震える手でコップを受け取ると、我先にと喉を鳴らしてそれを飲み干した。
「ああ……っ、染み渡る……。五臓六腑に、水が染み渡るようだ……!」
「嘔吐のせいで干からびそうだったのに、なんだこの水は……! 飲んだ瞬間に、体に力が戻ってくる……!」
経口補水液(ORS)の威力は絶大だった。
コレラなどの水系感染症による一番の死因は、激しい下痢と嘔吐による『急速な脱水症状』である。単なる水では腸で吸収されずに素通りしてしまうが、私のカガク的知識によって導き出された黄金比率の水分は、腸壁のポンプ機能を強制起動させ、爆発的なスピードで体内に吸収される。
干からびたスポンジが水を含むように、患者たちの顔に次々と血の気が戻っていく。
「水分補給が終わった人は、こっちの列に並んで! 根本的な原因(病原菌)を叩き潰す『広域抗菌シロップ』を配るからね!」
私が案内した先のテントでは、シエナちゃんと、すっかり魔力枯渇から回復(という名のカフェインによる強制覚醒)したメイラが、琥珀色のシロップを小瓶に分けて配っていた。
「はい、おじいちゃん。このお薬、一日三回、必ず食後に飲んでね。途中でやめちゃダメだよ!」
「あ、ああ……ありがとう、可愛いお嬢ちゃん。これで、ワシの孫も助かるんじゃな……」
「サキ工場長の調合に間違いはありません! カガクの真理が、あなた方の体内の見えない敵を殲滅します!」
水分補給で体力を回復させた上で、抗菌薬で病原菌を直接殺す。
これこそが、魔道医たちの「悪霊退散」や「神への祈り」では絶対にたどり着けない、物理的かつ圧倒的な『正解』であった。
「……す、凄い」
隔離テントの片隅で、その光景を呆然と見つめている一団があった。
ガリウスをはじめとする王宮魔道医たちと、神殿の高位神官たちだ。
彼らはサキ式・公衆衛生ルールによって完全に治療行為を禁止され、ただの傍観者としてこの場に突っ立っているしかなかった。
「呪文も唱えず、神への祈りも捧げず……ただ手を洗わせ、奇妙な味の水を飲ませているだけではないか。それなのに、なぜ……なぜ、あれほどまでに死の淵にあった者たちが、次々と起き上がっていくのだ……!」
「我々の高位のヒールでも、熱を下げることすらできなかったというのに……! あの小娘の泥水(経口補水液)は、神の奇跡を超えるとでも言うのか!」
彼らの薄っぺらいプライドと、何百年も信じ込んできた古臭い医療常識が、目の前で次々と起き上がる患者たちの姿によって、音を立てて崩れ去っていく。
悪霊など存在しない。
神への祈りだけで病は治らない。
彼らが直面しているのは、紛れもない『カガクの敗北』……いや、『カガクへの敗北』であった。
「サキ先生……! サキ先生ぇぇっ!」
突然、ひとりの恰幅の良い商人風の男が、私の足元にすがりついて泣き崩れた。
彼は昨日、ゲルドに脅されて泣く泣く手を洗っていた富豪の一人だった。
「おおおっ……! 隔離テントに運ばれた私の妻と息子が、先生の薬を飲んで熱が下がり、今朝、おかゆを口にすることができました! あなたは……あなたはまさに、神が遣わした『慈愛の聖女』様だぁぁっ!」
「サキ先生! 俺たちの命の恩人だ!」
「聖女様! サキ聖女様、万歳!!」
富豪の男の叫びを皮切りに、隔離テントのあちこちから、私を称える大合唱が沸き起こった。
身分も、財産も関係ない。
死の恐怖から解放された王都の民衆にとって、私(サキ薬局)の存在は、もはや絶対的な信仰の対象になりつつあった。
「……皆さま、どうかお顔を上げてください」
私は、心の中でガッツポーズを決めつつも、表向きは『慈愛に満ちた聖女』の仮面を完璧に被り、静かに、そして優しく微笑みかけた。
「私は聖女などではありません。ただの一介の薬剤師です。命を救うのは、私の薬ではなく、皆さま自身が『手を洗い、水を沸かす』というルールを守ってくださったからこそ。……この王都の危機は、皆さまの力で乗り越えたのですわ」
その謙虚で慈悲深い言葉に、民衆の感動は頂点に達し、あちこちで号泣する者が続出した。
王宮魔道医たちはその圧倒的な民意の前に完全にひれ伏し、二度と私に逆らおうとする気力を失っていた。
表舞台での大立ち回りは、まさに『完璧な大勝利』で幕を閉じたのである。
* * *
その日の夜。
王城の奥深く、特別医療顧問に与えられた豪華な執務室。
分厚い絨毯が敷かれ、壁には高価な絵画が飾られたその密室で、私は――日中の『慈愛の聖女』の仮面を完全にかなぐり捨て、極悪非道な笑みを浮かべていた。
「チャリン……チャリン……。ひゃははははっ! いい音ねぇ! これが権力者から合法的にカネをむしり取る音よ!」
執務室の巨大なマホガニーのデスクの上には、目も眩むような黄金の山……数え切れないほどの金貨の袋が、城のように高く積み上げられていた。
その反対側では、ドワーフの豪商カルラが、分厚い葉巻の煙を吐き出しながら、猛烈な勢いで書類の束に目を通している。
「おいサキ、笑ってばかりいないで計算が合っているか確認しろ。……お前がスラムの平民どもに無償で配らせた薬や、石鹸、薪の代金だがな。原価だけで莫大な金額になっているぞ。我が商会のネットワークを使ったとはいえ、これを全部『タダ』にしたら、いくら王都を救ったところで私たちは大赤字だ」
「心配ご無用よ、カルラ社長。私が『タダ』で人助けをするようなお人好しに見える?」
私は、羽ペンをくるくると回しながら、デスクに広げた一枚の長大な羊皮紙を指で弾いた。
それは、国王陛下からの『白紙小切手』の権限を行使して作成した、王室および大貴族宛ての【特別公衆衛生管理費・請求書】であった。
「いいこと? スラムの連中から小銭をかき集めたって、たかが知れてるわ。だから、あいつらには『慈愛の聖女』としてタダで薬を配り、圧倒的な民意(支持率)を獲得したのよ」
「ふむ。で、そのツケは誰が払うんだ?」
「当然、この国で一番カネを持ってる連中よ」
私は、請求書の明細を一つ一つ読み上げながら、悪魔のような笑みを深めた。
「まず、王太子殿下の命を救った『特製・高濃度ビタミン・ハニーレモネード』。これは事前にゲルドさんを通じて伝えた通り、一杯につき【金貨五百枚】。一週間分で【金貨三千五百枚】ね」
「ぼ、暴利にもほどがあるぞ……。ただのレモン水と蜂蜜だろ……」
「命の値段よ。次に、王都全域の隔離テント設営費および、公衆衛生マニュアルの指導料。これを『国家特別危機管理コンサルティング料』という名目で【金貨一万枚】」
カルラの持っていた葉巻が、ポロリと床に落ちた。
「い、一万枚!? おいおい、そんなフワフワした名目で、王室の金庫番が納得するわけが……」
「するわよ。だって、私が『この請求が通らないなら、特効薬の生産ラインを今すぐ止めて、明日から王都は再びコレラ地獄になりますけどいいですか?』って言えば、向こうは泣きながらハンコを押すしかないんだから」
私は、弱みを握ったブラック企業の経営者のように、完全に開き直っていた。
「さらに! これが本命よ。スラムで無償配布した薬と物資の代金。これを『貧困層への救済措置に伴う、貴族階級の社会的責任負担金』というもっともらしい名目にすり替えて、王都に住むすべての上級貴族と大商人から、彼らの総資産の三パーセントを強制徴収するわ!」
「なっ……! 貴族たちから直接税金みたいにむしり取る気か!?」
「ええ。文句を言う奴がいたら、ユーリス様の近衛騎士団とゲルドさんの異端審問で『疫病の蔓延を助長する反逆者』としてしょっ引いてもらうよう、手はずは整えてあるわ」
私の完璧で、一切の逃げ道を塞いだ『超悪徳・集金スキーム』。
表向きは貧民を救う聖女として崇められながら、その裏では、国と貴族の財産を合法的かつ強制的に自分たちの金庫へ移し替えているのだ。
「……がははっ! がはははははっ!!」
カルラは、己の頭を抱えて、狂ったように大爆笑し始めた。
「恐ろしい! お前は本物の悪魔だサキ! 国王の特別医療顧問という肩書きを、ここまでえげつなく『カネに換算』する奴が、この世界の歴史上に存在したか!? いいだろう、その請求書、我がカルラ商会が責任をもって全額取り立ててきてやる!」
「よろしく頼むわ。もちろん、回収額の三割はカルラ社長の取り分よ。残りは、サキ薬局の王都本店の設立資金と、私の『老後の悠々自適なスローライフ』のための貯金に回させてもらうわ」
私とカルラが、黄金の山を前にゲスい笑みを交わし合っていた、その時だった。
「……サキ先生。貴女のそのブレない強欲さには、いささか呆れを通り越して感服いたしますよ」
執務室の分厚い扉が音もなく開き、真っ黒な法衣をまとったゲルドが、呆れたような、しかしどこか諦観の混じった笑みを浮かべて入ってきた。
「あら、ゲルドさん。お疲れ様。王都の保守派(邪魔者)のあぶり出しは順調?」
「ええ。貴女の公衆衛生ルールに逆らった愚か者どもは、全て異端として私の特務部隊が拘束しました。……それにしても」
ゲルドは、机の上に積まれた金貨と、悪魔のような請求書を一瞥し、片眼鏡を指で押し上げた。
「表では聖女のように微笑み、裏では国を傾かせるほどの富を吸い上げる。貴族たちは泣いて私に抗議してきましたが……『彼女の薬がなければ、あなた方は自分の排泄物を飲んで死んでいたのですよ』と事実を突きつけると、皆、青ざめて黙り込みました」
「あら、事実を言ったまでじゃない。命があってのカネでしょ?」
私が悪びれずに言うと、ゲルドは深く息を吐き、そして、深く頭を下げた。
「……ええ。その通りです。貴女がどれほどカネの亡者であろうと、貴女の『カガク』がこの王都の数十万の命を、そして王太子殿下を救ったのは紛れもない真実。神殿の祈りでは、決して届かなかった奇跡です。……私は、異端審問官としてではなく、この国に生きる一人の人間として、貴女に心から感謝いたします」
ゲルドの真摯な言葉に、私は少しだけ驚き、そして肩をすくめた。
「堅苦しい挨拶は抜きよ、ゲルドさん。私は仕事をしただけ。……それより、あんたの分の『抗ヒスタミン薬』、ちゃんと飲んでる? 王都は人が多い分、ホコリも花粉も舞いやすいわよ?」
「ハックション! ズズッ……。わ、分かっております。今週分の薬代も、もちろんこの後、お支払いしますとも……」
神殿のトップからの感動的な感謝の言葉も、最後はくしゃみと薬代の請求によって、いつものサキ薬局らしいオチへと着地した。
王都でのパンデミック鎮圧。
それは、私のカガク的知識と、仲間たちの労働力、そして権力者たちの思惑が完璧に噛み合った結果だった。
しかし、この国にはまだ『最後に落とし前をつけなければならない連中』が残っている。
「さて。王室と貴族からの集金の手はずは整ったわ。あとは……」
私は、執務室の窓から、王城の別棟――プライドばかり高くて何の役にも立たなかった『王宮魔道医』たちが立て籠もっている研究棟へと視線を向けた。
「古い常識にしがみついて、患者を煙でいじめてたあの無能な老害どもに、現代医学の本当の恐怖を叩き込んでやる時間ね」
私の次なる標的は定まった。
医療後進国の異世界において、古き悪しき医療の特権階級を完全に屈服させ、私の知識を『この世界の新たな常識』として高額で売りつけるための、最後の総仕上げ。
大富豪薬剤師の王都での大暴れは、いよいよ最終局面へと突入するのである。




