第47話「錬金術?いいえ、大規模プラントです」
王城の中庭。
かつては美しく手入れされた色とりどりの薔薇が咲き誇り、王族や特権階級の貴族たちが優雅にティータイムを楽しんでいたであろうその神聖な庭園は、たった半日のうちに、見る影もなく異様な空間へと変貌を遂げていた。
庭園の芝生は無残に踏み荒らされ、至る所に分厚いキャンバス地の巨大なテントが張られている。カルラ商会の紋章を掲げた荷馬車がひっきりなしに出入りしては、山のような麻袋や木箱をドスドスと積み上げていく。
そして何より異様なのは、中庭の中央に鎮座する『異形の建造物』だった。
城の厨房から強引に徴発してきた、大人が十人は入れるほどの巨大な鉄鍋(もはや大浴場のようなサイズである)が十個以上、ズラリと円を描くように並べられている。それぞれの鍋の上には密閉用の木の蓋が被せられ、そこからカルラ商会のガラス職人たちに急遽作らせた無数のガラス管や冷却用の銅のパイプが、まるで巨大な臓器の血管のように複雑に絡み合いながら、隣の鍋や貯水樽へと繋がっていた。
モウモウと立ち上る白い水蒸気、グツグツ、ボコボコと煮立つ不気味な液体の音、そして、飛び交う怒号。
城の窓から恐る恐るこの光景を覗き込んでいた王宮魔道医たちは、「あ、悪魔の儀式だ……!」「神聖なる王城で、なんというおぞましい錬金術を……!」と顔を青ざめさせて震えていた。
「錬金術? バカ言わないでちょうだい。これは『超・巨大薬剤プラント(化学工場)』よ!」
私は、積み上げられた木箱の上に立ち、手に持った指示書をバンバンと叩きながら、メガホン越しに大声を張り上げた。
「いい!? 今この王都には、推定で数万人のコレラ……消化器系感染症の患者が隔離テントで苦しんでいるわ! 手洗いと煮沸消毒でこれ以上の感染拡大は防げるけど、すでに感染して下痢と嘔吐で水分を失っている連中は、放っておけば脱水症状で明日には死ぬのよ!」
病原菌そのものを殺すための『広域抗菌薬(抗生物質もどき)』。
そして何より、失われた水分と電解質を急速に体内に吸収させるための魔法の液体、『経口補水液(ORS)』。
この二つを、数万人分、つまり一日に何万リットルという途方もないスケールで大量生産しなければならないのだ。ファンタジー世界の薬師がよくやるような、すり鉢で薬草をチマチマとすり潰すような手作業では、百年かかっても間に合わない。
「カルラ社長! 原材料の搬入ペースが落ちてるわよ! 塩と蜂蜜、それに柑橘類のストックはあとどれくらいあるの!?」
「急かすな、サキ! 王都中の市場から根こそぎかき集めて、足りない分は近隣の街から早馬で運ばせている! だが、お前が要求する『塩と糖分のミリグラム単位の完璧な調合比率』に合わせるために、うちの計量係が泣きそうになっているぞ!」
「泣いてる暇があったら手を動かせって伝えなさい! 経口補水液はね、水に対して『塩分』と『糖分』の比率が完璧に一致した時だけ、腸壁のポンプ機能(ナトリウム・グルコース共輸送体)が作動して、ただの水の数十倍のスピードで体内に吸収されるの! 一つまみでも分量を間違えたら、ただのしょっぱい水になって吸収率がガタ落ちするわよ!」
私は容赦なくダメ出しを飛ばし、次なる生産ライン――巨大プラントの『心臓部』へと視線を向けた。
「メイラ! そっちの温度管理はどうなってるの! 抗菌薬の成分抽出には、完璧な温度コントロールが必要不可欠なのよ!」
「はいっ、サキ工場長!! 炎の精霊よ、第一から第五プラント(大鍋)の底面温度を摂氏九十五度に維持しなさい! 絶対に沸騰させてはなりません!」
美しいプラチナブロンドの髪を煤で汚し、高価なローブの上に粗末な前掛けエプロンを身につけたエルフの魔法使いメイラ。
彼女は、十個以上の大鍋の中央に立ち、両手に握った二本の杖を、まるで狂気に憑りつかれたオーケストラの指揮者のように激しく振り回していた。
「第六から第十プラントは滅菌用の煮沸工程です! 水の精霊よ、冷却管に冷気を送り込み、気化した純水を一滴残らず結露させなさい!」
シュゴォォォォッ!! という凄まじい音と共に、メイラの杖から放たれた炎が五つの大鍋の底を寸分の狂いもない均一な温度で熱し、同時に放たれた冷気がガラス管を急速冷却していく。
これこそが、サキ薬局の最大の発明。
気まぐれで神秘的な『魔法』という力を、一切の情緒を排除し、ただの「無限に使える工業用ガスバーナー&超高性能冷却装置」としてシステム化した、完全無欠のカガク的生産ラインである。
城の窓から見ていた王宮魔道医の一人が、ついに耐えきれずに泡を吹いて気絶した。
「あ、ああ……! 誇り高きエルフの高位精霊魔法を、ただのお湯沸かしと塩水混ぜに使うなど……! 魔術への冒涜だぁぁ……!」
「うるさいわね! 魔道医は黙って手を洗ってなさい!」
私は気絶した魔道医を冷たく一瞥し、懐中時計を取り出した。
時刻はすでに深夜。空には巨大な月が浮かんでいるが、王城の中庭だけは魔法の炎とカンテラの光で真昼のように明るく、そしてサウナのように暑かった。
「急ぎなさい! 隔離テントの患者たちが、腹を押さえてお前たちの薬を待ってるのよ! 夜明けまでに、経口補水液を最低でも樽で一千個、抗菌シロップを五百瓶、絶対に完成させるわよ!」
私の絶叫が響く中、市街地での手洗い強要(物理)から帰還したロッツとバドたち冒険者部隊も、休む間もなく重い樽を運ぶ過酷な肉体労働に駆り出されていた。
「おいおいボス……手洗い指導でクタクタになって帰ってきたのに、今度は荷方かよ……。俺の筋肉が悲鳴を上げてるぜ」
「バドさん! 文句言わない! 冒険者なら一晩や二晩の徹夜、ダンジョン探索に比べれば余裕でしょ! ほら、その樽を早く馬車に積んで!」
「ヒィィッ! 了解だぜ、サキ先生!」
前世のブラック企業で、無能な上司の理不尽な命令によって心をすり減らしてきた私。
だが、今の私は違う。私が全権を握るこの工場においては、私自身が『最強最悪のブラック上司』として君臨しているのだ。目的は人命救助と莫大な富の独占。そのためならば、仲間の労働基準法など一切考慮するつもりはない。
――しかし。
時計の針が午前三時を回った頃。
無尽蔵の魔力を誇っていたはずのエルフの動きに、ついに異変が生じた。
「あ……ぅ……」
ガクンッ、と。
十個の鍋を同時に制御していたメイラの膝が崩れ、彼女が手にしていた二本の杖がカランと石畳に転がった。同時に、鍋の下で燃え盛っていた炎の精霊たちが、シュゥゥ……と音を立てて小さくなっていく。
「ちょっとメイラ! 何やってるの! 温度が下がってるわよ!」
「サ、サキ工場長……もう、限界、です……」
メイラは床に這いつくばり、煤だらけの顔を上げて、涙目で私を見上げた。
その瞳の焦点は定まっておらず、息は絶え絶えになっている。
「私の……魔力プールが、完全に空っぽです……。それに、炎の精霊たちも『もう疲れた、帰りたい』と泣いて契約を打ち切ろうとしています……。もう、指一本、動かせませ……ん……」
バタリ。
エルフの魔法使いは、過酷な連続呪文詠唱による極度の魔力枯渇(MPゼロ)に陥り、ついに白目を剥いて完全に気絶してしまった。
「あーあ、倒れちまったぞ」
「いくらエルフでも、あれだけの魔法を一晩中ぶっ通しで使い続けりゃ、そりゃ死ぬぜ……」
重い樽を運んでいたロッツやバドたちが足を止め、同情の視線を向ける。
カルラも葉巻を咥え直し、「サキ、さすがにやりすぎだ。小休止を挟まないと、生産ライン全体が崩壊するぞ」と忠告してきた。
普通の指揮官であれば、ここで「よくやった、少し休め」と労いの言葉をかけるだろう。
だが、私は千川咲。
ブラック薬局の地獄を生き抜いた、社畜のサラブレッドである。
「……小休止? 限界? 何を甘ったれたことを言ってるの」
私は、前髪の奥でメガネ(ダテ)をキラリと光らせ、倒伏するメイラの元へとゆっくり歩み寄った。私の背後から、底知れぬ漆黒のオーラ(ブラック企業の圧)が立ち上るのを、周囲の仲間たちが感じ取って「ヒィッ」と後ずさる。
「私の前世の上司はね、こう言ったわ。『倒れるなら、前を向いて倒れろ。そして倒れたまま、キーボードを叩け』ってね」
「ぼ、ボス、目がマジだ……! 怖すぎる……!」
「ノルマが達成されていないのに、休む権利なんてこの工場のどこにもないのよ! 起きなさい、メイラ!」
私はしゃがみ込み、気絶しているメイラの胸ぐらをガシッと掴んで上体を起こした。
そして、白衣のポケットから『一本の禍々しい小瓶』を取り出した。
「な、なんだお前、それは……」
カルラがドン引きした顔で尋ねる。
小瓶の中に入っているのは、ドス黒い緑色に発光し、ドロドロと粘り気を持った、見るからに致死性の毒物のような液体だった。
「これ? これはね、サキ薬局が誇る究極のカンフル剤。……名付けて『特製エナジードリンク・ブラックエディション』よ」
「ブ、ブラックえでぃしょん……!?」
「スラムの裏ルートで手に入れた『深海魔魚の肝臓エキス(強烈なタウリン)』に、魔界の奥深くに生える『悪魔の覚醒豆(致死量スレスレの超高濃度カフェイン)』を混ぜ合わせ、純度百パーセントの蜂蜜で味を誤魔化した、魔力と体力を強制的に前借りする禁断の霊薬よ。……さあ、お薬の時間よ、工場長補佐」
私は、白目を剥いているメイラの口を強引にこじ開け、ドス黒く発光する液体を一滴残らず流し込んだ。
「んぐっ!? がはっ……!」
液体を飲み込んだ瞬間。
メイラの体が、まるで落雷を受けたかのようにビクンッ!! と大きく跳ね上がった。
「あ、あああ……あがががががっ!?」
「お、おい! エルフの姉ちゃんが泡吹いて痙攣してんぞ! 完全に毒じゃねえか!」
ロッツが悲鳴を上げるが、私はニヤリと笑って時計の秒針を見つめた。
三、二、一。
「カッ……!!!」
痙攣していたメイラの目が、突然、バキィッと見開かれた。
その瞳は、エルフ特有の知的な翠緑色ではなく、毛細血管がブチ切れたような恐ろしい『血走りレッド』に染まっていた。
彼女の全身から、先ほどまで完全に枯渇していたはずの魔力が、まるで火山噴火のような凄まじい勢いで噴き出し、周囲の空気をビリビリと震わせる。
「……オ……オオオオオッ……!」
「お、起きた! なんだかヤバいオーラ出しながら生き返ったぞ!」
「さあ、メイラ! 体の奥底から力が湧いてくるでしょう! 眠気なんてどこかに吹き飛んだわよね! さっさと杖を握って、仕事に戻りなさい!」
私が怒鳴りつけると、血走った目をしたメイラは、ロボットのようにガバッと立ち上がり、床に落ちていた二本の杖を両手にガシィッと握りしめた。
「ハ、ハイッ! サキ工場長ォォォッ!!」
彼女の口から出たのは、もはやエルフの可憐な声ではなく、地獄の底から響くような野太い絶叫だった。
「ワタシ、マダマダ働ケマス! 労働、最高! 徹夜、最高ォォォッ!! 炎の精霊共、泣キ言ヲ言ッテル暇ガアレバ燃エナサイ! 水の精霊共、休ミタケレバ蒸発シテカラ休ミナサイ! 全ライン、出力三百パーセントで再起動デスゥゥゥッ!!」
ゴォォォォォォッ!!!
メイラの杖から、先ほどの三倍の大きさの爆炎と絶対零度の冷気が同時に放たれ、十個の巨大プラントを一瞬にして完璧な温度帯へと復帰させた。
薬液の煮立つスピードが劇的に上がり、ガラス管を通って完成品の『経口補水液』と『抗菌シロップ』が、滝のような勢いで樽へと注ぎ込まれていく。
「ひぃぃぃっ! エルフの姉ちゃんが完全に狂っちまったぁぁっ!」
「サキ先生のブラックっぷり、本物の悪魔よりエグいぜ……!」
恐怖に震え上がりながらも、ロッツやバドたちも「自分たちもあの謎の緑色の液体を飲まされたら終わりだ」という絶対的な恐怖に駆り立てられ、常人の限界を超えたスピードで樽を運び始めた。
「ふふふ、あははははっ! 素晴らしいわ! これが資本主義の力! これが労働の美しさよ! さあ、王都の患者の胃袋がタプタプになるまで、一滴残らず薬を生産し続けるのよ!!」
狂気に満ちた私の笑い声と、カフェイン中毒で覚醒したエルフの絶叫、そして男たちの悲鳴が、夜明け前の王城の中庭に響き渡る。
王宮魔道医たちが神に祈りを捧げていたのと同じ空の下で。
私たちサキ薬局は、ブラック企業で培った『絶対的なノルマ必達の精神』と、カガクの知識を総動員して、パンデミックという見えない敵を、文字通り物理的(圧倒的物量)にねじ伏せようとしていたのである。
* * *
そして、朝日が王都の空を白々と染め上げる頃。
王城の中庭には、カルラ商会の荷馬車にも積みきれないほどの、数千個に及ぶ『特製・経口補水液』の樽と、『広域抗菌シロップ』の木箱が、山のように高く積み上げられていた。
「……ノルマ、達成。全ライン、停止」
私がストップウォッチをカチリと止めた瞬間。
シュゥゥゥ……と魔法の炎が消え、覚醒状態だったメイラは「お疲れ様……でした……」と呟き、立ったまま白目を剥いて完全な機能停止に陥った。
ロッツもバドも、地面に大の字になって泡を吹いている。
「ご苦労様、みんな。あんたたちの尊い犠牲(労働)は、決して無駄にはしないわ」
私は、朝日を受けてキラキラと輝く薬の樽の山を見上げ、白衣のポケットから『王室宛の特別請求書』を取り出した。
「原価はカルラ社長の買い叩きで底値。労働力は身内だからタダ同然。……でも、この薬が救う命の価値は、プライスレスよ」
私は羽ペンを取り出し、請求書の金額欄に、王室の国家予算の半分が吹き飛ぶのではないかというほどの、目も眩むようなゼロの羅列を書き込んでいった。
表向きは、無償で王都の民を救う『慈愛の聖女』。
しかしその裏で、権力者から合法的に富の全てを搾り取る、最強最悪の守銭奴。
「さあ、お薬の時間よ、王都の皆さま。命は平等に救ってあげる。……でも、その代金は、あんたたちのトップから、骨の髄までしゃぶり尽くさせてもらうわよ」
朝日を背に受けながら、私――大富豪薬剤師の、ゲス極まりない、しかし何よりも頼もしい満面の笑みが、王城の中庭で怪しく輝いていた。




