第46話「サキ式・王都ロックダウン」
王宮の円卓会議室で、プライドばかり高い王宮魔道医たちと神官たちの鼻っ柱をカガクの真理(ウンコ水の実態)で完全にへし折った私は、休む間もなく次の行動に移った。
疫病の正体が水系感染症(コレラ等の類)であると判明した以上、一刻の猶予もならない。病原菌は現在進行形で、王都の地下水脈から数十万の民衆の口へと運ばれているのだ。
私は王城の正面、王都の広大な市街地を一望できる最も高いバルコニーへと歩み出た。
「シエナちゃん、拡声の魔道具の準備はいい?」
「うんっ! 最大出力にセットしたよ、お姉ちゃん!」
シエナちゃんが、王室の宝物庫からカルラ社長が(勝手に)持ち出してきた、声を数十倍に増幅する巨大なメガホン型の魔道具を私に手渡す。
バルコニーの眼下には、疫病の恐怖に怯え、逃げ惑う王都の民衆や、馬車に荷物を詰め込んで脱出しようとする貴族たちの混乱した姿が広がっていた。
私はメガホンを口元に構え、息を深く吸い込んだ。
「――王都の民衆、並びに貴族、商人の諸君! 耳の穴をかっぽじってよーく聞きなさい!!」
私の絶叫が、拡声の魔道具を通じて雷鳴のように王都全域に轟き渡った。
あまりの爆音に、パニックに陥っていた群衆の動きが一瞬にしてピタリと止まり、全員が王城のバルコニーへと視線を向ける。
「私は国王陛下より全権を委任された『王国の特別医療顧問』、サキ薬局の千川咲よ! 今この瞬間より、この王都全域をサキ薬局の完全指揮下に置き、『サキ式・公衆衛生ルール(ロックダウン)』を発令するわ!」
私は、メガホン越しに容赦のない冷徹な命令を次々と叩きつけた。
「第一! 『生水の飲用を完全禁止』とする! 井戸水には死の病原菌(殺人鬼)がウジャウジャ混ざっているわ! 水を飲む時は、必ず火にかけて五分以上『煮沸』すること! 沸かしていない水を飲んだ者は、その場でぶん殴ってでも止めるわよ!」
「第二! 『手洗いの徹底』! 外から帰った時、食事の前、そしてトイレの後は、必ず石鹸と流水で手を洗うこと! 爪の隙間から手首まで、徹底的に汚れを落としなさい! 手を洗わずに物に触れることは、他人に毒を盛るのと同じ大罪よ!」
「第三! 『感染者の完全隔離』! 腹下しや嘔吐の症状がある者は、今すぐ王城の前広場に設営した『隔離テント』に移動しなさい! 家族であっても絶対に看病しようとせず、私たち医療チームに任せること!」
私が立て続けに布告した『現代の公衆衛生における超基本ルール』。
しかし、衛生観念が中世レベルのこの異世界においては、それはあまりにも突飛で、理解不能な異常事態に他ならなかった。
「な、なんだあの小娘は……! 水を沸かして飲めだと!? そんな面倒なことができるか!」
「手を洗え? バカバカしい、水仕事など下働きのやることだ! 我々高貴な貴族に泥水のような井戸水で手を洗えと言うのか!」
「だいたい、王都を封鎖されたら商売があがったりだ! 荷馬車を出せ! 私だけでも他の領地へ逃げるのだ!」
メガホンからの放送が終わるや否や、眼下の広場からは凄まじい反発とブーイングが巻き起こった。
特に激しく抗議の声を上げたのは、裕福な商人や特権意識に塗れた貴族たちだった。彼らは「自分たちだけは特別だ」「金があるから疫病からは逃げられる」と本気で思い込んでおり、見ず知らずの小娘(私)の命令で行動を制限されることなど、到底我慢できなかったのだ。
「ふん。やはり言葉だけで言うことを聞くほど、人間は賢くないわね」
私はバルコニーからその醜態を見下ろし、極寒の笑みを浮かべた。
そして、背後に控えていた二人の『最強の盾』を振り返った。
「ユーリス様、ゲルドさん。出番よ。あの聞き分けのない特権階級の馬鹿どもを、政治と宗教の力で黙らせてちょうだい」
「承知した、サキ先生。この私の毛根……いや、命の恩人の命令に逆らう愚か者どもには、領主としての鉄槌を下そう」
「異端審問官としての権限をフルに活用し、逆らう者は全て『神の法に背く異端』としてしょっ引いてみせます。私のこの快適な呼吸(特効薬)を脅かす者は、神殿本局の長老であろうと容赦はしません」
若き辺境伯ユーリス様と、異端審問官の長ゲルド。
二人は冷酷な笑みを浮かべてバルコニーから退室し、直ちに配下の近衛騎士団と異端審問特務部隊を率いて城下町へと展開していった。
数分後。
荷馬車に財宝を詰め込み、強行突破で城門から逃げ出そうとしていた大貴族の前に、白銀の鎧を着たユーリス様が立ちはだかった。
「そこまでだ、ボルマン伯爵。サキ先生の命令により、王都からの退出は一切まかりならん」
「ユーリス辺境伯!? どけ! 私はこの汚らわしい王都から離れるのだ! たかが医療顧問ごときの命令で、私を縛れると思うな!」
「国王陛下の全権委任状を持つサキ先生の命令は、王命と同義である! それに逆らうということは、国家への反逆とみなす! 騎士団、この者を反逆罪で捕縛し、全財産を没収せよ!」
「なっ!? ば、馬鹿な! 離せ! 私は伯爵だぞ!」
ユーリス様の容赦ない政治的暴力(権力)により、反発していた貴族たちは次々と拘束され、富は没収されていった。
一方、別の広場では。
「ふざけるな! 誰が手を洗うなどという下賤な真似をするか! 私は神殿に莫大な寄付をしているのだ! 神の結界が私を守ってくれる!」
そう喚き散らしていた富豪の商人の前に、真っ黒な法衣を翻したゲルドが音もなく現れた。
「……神の結界など、貴様のその汚い手についた糞便(病原体)の前には無力だ。サキ先生の衛生ルールを守らぬ者は、疫病を撒き散らす悪魔の使い……すなわち『異端』である!」
「ゲ、ゲルド様!? な、なぜ異端審問官がそのような……」
「異端審問の権限において命ずる! こいつを火あぶり……いや、隔離牢へ叩き込み、全身を石鹸で消毒しろ! 従わねば全財産を神殿に没収する!」
「ひぃぃぃっ! あ、洗います! 手でも足でも洗いますぅぅっ!」
宗教的権威と法を完全に私物化(悪用)したゲルドの脅迫により、神の奇跡を信じていた頑固な保守派や商人たちも、次々と泣きながら井戸へと走り、手を洗い始めた。
「よしよし。これで上に立つ連中の首根っこは押さえたわ」
私はバルコニーからその様子を望遠鏡で確認し、満足げに頷いた。
しかし、厄介なのは貴族だけではない。
人口の大部分を占める一般平民やスラムの住人たちは、そもそも「お湯を沸かす」ための薪を買う金がなく、「石鹸」を見たことすらない者が大半だ。
彼らにルールを徹底させるには、政治権力ではなく、もっと直接的で、圧倒的な『物理(筋肉)』による指導が必要だった。
「ロッツ! バドさん! あんたたちの出番よ! 王都中に散らばって、衛生指導(という名の物理的制圧)を行ってきなさい!」
「ガハハハ! 待ってましたぜボス! 王都の連中に、俺たちの筋肉の恐ろしさを叩き込んでやる!」
私の号令を受け、巨大な戦斧を担いだバド率いる数百人の冒険者部隊と、大剣を背負った二メートルの巨漢獣人ロッツが、野太い雄叫びを上げながら王都の市街地へと雪崩れ込んでいった。
* * *
王都の下町、共同井戸の広場。
喉の渇きに耐えきれなくなった平民の男が、サキの布告を無視して、汲み上げたばかりの生水を木組みのコップで飲もうとしていた。
「うるせえ、水ぐらい飲ませろ! 火にかける薪なんかねえんだよ!」
男がコップを口元に運んだ、まさにその瞬間。
バシィィィッ!!
風を切る音と共に、男の手からコップが弾き飛ばされ、地面で粉々に砕け散った。
「ひぃっ!?」
「おいおいおい。そこのお兄ちゃんよォ。サキ先生の命令が聞こえなかったのか?」
男の背後に立っていたのは、テカテカに光る筋肉の塊、ベテラン冒険者バドだった。彼は笑顔だが、その目は全く笑っておらず、肩に担いだ戦斧がギラリと太陽の光を反射している。
「な、なんだお前は!」
「生水は飲むなっつってんだろ。その水の中には、腹を下して死ぬ毒がウジャウジャいるんだよ。……薪がない? なら、俺たちが『親切』に火を貸してやるよ」
バドの合図で、屈強な冒険者たちが薪と火打ち石を大量に抱えて現れた。
「さあ! 今すぐこの鍋で水を沸かせ! 五分間グラグラ煮立たせるまで、一滴たりとも飲ませねえぞ! 飲もうとしたらその腕をへし折る!」
「ひぃぃぃっ! わ、沸かします! 沸かしますから斧を下ろしてくれぇっ!」
物理的な暴力(筋肉)による、有無を言わさぬ煮沸消毒の強要。
別の路地裏では、ロッツが咆哮を上げていた。
「オラァッ! お前ら、外から帰ってきたら手を洗えって言われただろうが! なんでそのままパンを食おうとしてんだ!」
「だって、石鹸なんて高くて買えねえよ!」
「石鹸なら俺たちがタダで配ってやる! カルラ商会からの配給だ! ほら、受け取れ!」
ロッツは、ドワーフのカルラが持ち込んだ大量の『粗悪だが殺菌力は抜群の石鹸』を、スラムの住人たちに次々と投げ渡した。
「さあ、井戸に行け! 手を洗え! 指の間までゴシゴシ洗うんだ! 泡が立つまで絶対に許さねえぞ! 洗わない奴は、俺が直接この丸太みたいな腕で全身をゴシゴシ磨き上げてやるからな!」
「ギャアアアッ! 洗います! 自分で洗いますゥゥッ!」
二メートルの獣人に全身を洗われる恐怖(物理的圧死の危機)に怯え、スラムの住人たちは我先にと井戸へ群がり、半狂乱で手を洗い始めた。
「ゴシゴシ! ゴシゴシ!」
「もっと強く洗え! 手首までだ! サキ先生のルールを破る奴は、俺たち冒険者ギルドがタダじゃおかねえぞ!」
これこそが、サキ式・公衆衛生ルールの真骨頂。
お上品な言葉や啓蒙活動など、危機的状況の平民には通じない。必要なのは、圧倒的な筋肉と暴力による『行動の強制』、そして必要な物資(石鹸と薪)を同時に無償で提供するという『飴と鞭』のシステムだ。
そして、この無茶苦茶な隔離・衛生作戦に、意外な助っ人たちが現れた。
「ロッツのお兄ちゃん! こっちの路地にも、手を洗ってない人がいるよ!」
「バドさん! 感染して倒れてる人を見つけた! 隔離テントに運ぶの手伝って!」
王都のスラムの住人たちだった。
彼らは、以前の騒動(神殿のデマ事件)の際にサキ薬局に救われた経験を持つ者たちや、シエナちゃんの情報網の仲間たちだった。彼らは「サキ先生の言うことを聞いていれば絶対に助かる」と固く信じており、進んで冒険者たちの手伝いをし、ルールを守らない王都の住人たちを説得(物理的牽制を含む)して回り始めたのだ。
「おお! 助かるぜ、スラムの兄ちゃんたち! 一緒にこの街を消毒して回ろうぜ!」
筋肉ダルマの冒険者たちと、スラムの住人たちがタッグを組み、王都全域に凄まじい勢いで「手洗い」と「煮沸消毒」の嵐を巻き起こしていく。
道端で祈祷をしていた神殿の神官たちも、「邪魔だ! 煙を焚いてる暇があったら手を洗え!」と冒険者たちに蹴り飛ばされ、無理やり石鹸を握らされていた。
* * *
「ふふふ……素晴らしいわ。完璧に機能しているじゃない」
私は王城の中庭に設営された、サキ薬局の巨大なベースキャンプ(本陣)のテントで、次々と入ってくる報告を聞きながら、極上の笑みを浮かべていた。
私の号令の下、国全体が一つの巨大な『衛生管理システム』としてシステマチックに動き出している。この圧倒的な統制感、カタルシス。
前世のブラック企業で、無能な上司の元で理不尽な命令に従わされていた私が、今や国家のトップに立ち、数十万人を自分のロジック(カガク)で完璧に支配しているのだ。
「サキ、お前の言った通り、王都中の全ての商人から薪と布を買い上げ、石鹸をスラムに無償でバラ撒いてやったぞ」
ドワーフの豪商カルラが、テントに入ってきて葉巻の煙を吐き出した。彼女の手には、分厚い束になった『請求書の山』が握られている。
「だが、こんなに大量の物資を無償で配って、本当に大丈夫なのか? 商売としては完全に赤字だぞ。我がカルラ商会も、慈善事業をやる気はないんだが」
「馬鹿ね、カルラ社長。私が赤字を出すような経営をするわけないでしょ?」
私は、カルラの手から請求書の束を奪い取り、ペンでさらさらと宛名を書き換えた。
「スラムの平民にタダで配った石鹸や薪の代金はね……全部、さっきユーリス様やゲルドさんが捕まえた『命令違反の貴族と富豪商人の没収財産』、あるいは『王室の特別予算(白紙小切手)』から支払わせるのよ」
「なっ……!」
「富の再分配よ。金持ちから限界までむしり取って、それで平民の命を救い、街の衛生状態を回復させる。平民からは感謝され、私たちは莫大な利益を得る。完璧なビジネスモデルでしょ?」
私の悪魔のような(しかし最高に合理的な)スキームを聞いて、カルラは一瞬ポカンと口を開け、その後、腹の底から大爆笑した。
「ガハハハハッ! お前は本当に、恐ろしい女だ! 国の危機すらも、自分の完璧な集金システムに組み込んでしまうとはな! よし、乗った! これから配る物資には、全て三倍の利益を乗せて王室に請求してやろう!」
「ええ、よろしく頼むわ。……でも、これで終わったわけじゃない」
私はテントの奥――もうもうと蒸気が立ち上り、凄まじい熱気を放っている『特設のクリーンルーム』へと視線を向けた。
手洗いと煮沸消毒で、これ以上の感染拡大は防げる。しかし、すでに感染し、隔離テントで苦しんでいる数万人の患者たちを救うためには、彼らの体内の菌を殺し、脱水症状を改善させる『大量の薬』が必要なのだ。
「さあ、隔離と消毒の次は、特効薬の大量生産よ。ここからが本当の地獄……もとい、素晴らしい労働の時間の始まりだわ」
私は白衣の袖をまくり上げ、怪しく光る魔道具のフラスコが並ぶ生産ラインへと歩み出した。
「メイラ! 魔力炉の出力を限界突破させなさい! 王都の数万人分の命を救う『経口補水液』と『広域抗菌薬』を、一滴残らず絞り出すわよ! ブラック工場のフル稼働、開始!!」
「はいっ、サキ工場長! 私の魔力は、王都の民のために燃え尽きるまで酷使してください!!」
完全に洗脳されたエルフの歓声と、轟音を立てて燃え盛る魔法の炎。
疫病という見えない敵に対し、現代薬学とブラック企業スピリッツの融合による、異世界最大規模の『巨大薬剤プラント』が、今ここにその産声を上げたのである。




