第45話「疫病の正体は『不衛生な都市構造』」
王太子殿下の命を救った『特製・高濃度ビタミン・ハニーレモネード』の劇的な効果は、瞬く間に王城全体へと知れ渡った。
王宮魔道医たちが「強力な悪霊の呪い」と恐れ、匙を投げていた死の淵から、わずか数時間で殿下が自力で身を起こし、顔色を取り戻したのだ。国王陛下をはじめとする王族や高官たちの驚愕は、筆舌に尽くしがたいものがあった。
私は国王陛下との緊急謁見の場で、殿下の病が呪いではなく『ビタミンC欠乏による壊血病』であることをカガク的に説明し、見事に論破した。そして、事前に使者と交わした約束通り、王国全土での『サキ薬局の専売特許』と『白紙小切手』へのサインを、王の御前で確約させたのである。
「これで、王家からの全権委任状はゲットしたわ」
王城の中庭。ドワーフの豪商カルラが手配した莫大な医療物資と天幕が立ち並ぶ、サキ薬局の巨大なベースキャンプにて。私は国王の勅印が押された羊皮紙をヒラヒラと揺らして、極上の笑みを浮かべていた。
「サキ工場長! 運び込まれた物資の滅菌処理、および精製水作り、いつでも開始できます!」
「おう、ボス! 俺の特大剣も準備万端だ! 邪魔する奴は片っ端からぶっ飛ばしてやるぜ!」
すっかり野戦病院の工場長補佐と化したエルフのメイラと、用心棒の獣人ロッツが気合十分に声を上げる。バドたち冒険者ギルドの面々も、カルラ商会の私兵たちと混ざって、王城の中庭を完全に自分たちの陣地として制圧していた。
「頼もしいわね。でも、武力と魔法の出番はもう少し後よ。……まずは、この王都を覆っている『疫病』の正体を、カガクの論理で丸裸にしてやる必要があるわ」
私は白衣の襟を正し、中庭から王城のバルコニーへと出た。
そこから見下ろす王都の市街地は、悲惨の一言に尽きた。黒い煙が所々から立ち上り、路上には行き倒れた人々の姿が確認できる。隔離施設も機能しておらず、パニックになった群衆が安全な場所を求めて右往左往していた。
そして、その街の至る所で、神殿の神官たちや王宮魔道医たちが、滑稽な真似を繰り広げていた。
「出たな悪霊め! 炎の浄化を受けよ!」
「神よ、この街に蔓延る邪気を祓いたまえ! もっと聖なる香を焚くのだ!」
魔道医たちは杖を振り回して虚空に向かって炎を放ち、神官たちは街角でモウモウと煙を焚いて祈祷を続けている。彼らは本気で、空気中を漂う『悪霊』が人々を病にしていると信じて疑わないのだ。
「……バカみたい。あんな無意味な煙を焚いたら、ただでさえ弱ってる患者の喉と肺にトドメを刺すだけじゃない」
私は呆れてため息をついた。
疫病の症状は、激しい下痢、嘔吐、高熱、そして急速な脱水症状。これは前世の医学で言うところの『コレラ』や『赤痢』といった、消化器系の強力な水系感染症の典型例だ。
空気感染ではなく、経口感染。つまり、彼らは『何か悪いもの』を口に入れている。
「お姉ちゃん! 戻ったよ!」
バルコニーの背後から、スラム風のボロボロの服に身を包んだシエナちゃんが駆け寄ってきた。彼女は王都の裏路地に潜入し、私の指示で情報収集を行っていたのだ。
「ご苦労様、シエナちゃん。どうだった? 民衆の動向は」
「うん! お姉ちゃんの言った通りに調べてきたよ。最初に病気が広まったのは、王都の東側にある下町エリアだったみたい。それとね、病気になってる人たちに共通してるのが……みんな『共同井戸』の水をそのまま飲んでたってこと!」
シエナちゃんの報告に、私は「やっぱりね」と深く頷いた。
「共同井戸……。王都は人口が密集しているから、地下水脈を共有しているのね。でも、ただの井戸水でここまで一気にパンデミックが起きるなんて、尋常じゃないわ。どこかで大量の病原菌が水脈に流れ込んでいるはず……」
私が顎に手を当てて思考を巡らせていると、背後から硬質な足音が響いた。
真っ黒な法衣を身にまとい、銀縁の片眼鏡を光らせた異端審問官の長、ゲルドである。彼の手には、カビ臭い古い羊皮紙の束が抱えられていた。
「サキ先生。ご指示の通り、王城の地下書物庫の管理者を『異端審問官の権限』で脅しつけ……ゴホン、説得し、王都が建設された当時の『都市区画図』と『地下水路の図面』を押収してまいりました」
「ナイスよ、最強の監査官様。職権濫用もここまで来ると清々しいわね。さあ、広げて見せてちょうだい」
私はバルコニーのテーブルに、ゲルドが持ってきた古びた図面を広げさせた。
そこに描かれていたのは、王都の地下に張り巡らされた、複雑な上下水道のネットワークだった。
しかし、図面をひと目見た瞬間、私の薬剤師としての(公衆衛生学の)知識が、強烈な警鐘を鳴らした。
「……何よこれ。あり得ないわ。誰よ、こんな欠陥だらけの設計をした馬鹿は」
私が思わず声を荒げると、ゲルドが怪訝な顔をした。
「欠陥、ですか? これは数百年前、初代の王宮魔道医たちが魔法と土木技術を駆使して造り上げた、王国が誇る地下水路ですが……」
「王国が誇る欠陥構造よ! よく見なさい!」
私は図面の一箇所を指で強く叩いた。
「王都の東側、スラムや下町が密集しているエリア。ここの『上水道(井戸の汲み上げ水脈)』と『下水道(汚水や排泄物を流す水路)』の距離が、近すぎるのよ! しかも、この下水道のレンガの材質……経年劣化でヒビが入ってるはずだわ」
「ヒビが……? それが何か問題なのですか?」
「大問題よ! 今、この王都には数十万人が住んでるんでしょ? 下水路の処理能力が限界を超えて、ヒビ割れた隙間から『大量の汚水』が周囲の土壌に漏れ出してるの。そして、その汚水が、すぐ隣を通っている井戸の水脈に直接染み込んでいる……!」
私の推論(論理的な解明)を聞き、ゲルドの顔面からサーッと血の気が引いた。
「な……っ!? そ、それでは、王都の民は……我々は……!」
「ええ。自分たちの排泄物が混ざった汚水を、毎日『美味しい井戸水』だと思ってガブ飲みしてたってことよ。疫病の原因は悪霊なんかじゃない。完全に『人災』だわ」
真実とは時に、残酷なほど身も蓋もない。
病の正体が「悪魔の呪い」などという高尚なものではなく、単なる「糞便に汚染された水の摂取」であるという事実。
だが、これを証明しなければ、あのプライドばかり高い魔道医や神官たちは、永遠に無意味な祈祷を続けて自滅するだけだ。
「よし、証拠を突きつけてやるわ。シエナちゃん! 街の東側にある、一番感染者が多い共同井戸から、水を汲んできて! ロッツは護衛! カルラ社長、王宮の会議室を勝手に押さえて、お偉いさんたちを全員呼び集めてちょうだい!」
私の号令で、サキ薬局のメンバーが一斉に動き出した。
* * *
数時間後。
王城の最も広く豪華な円卓会議室。
そこには、王宮魔道医のトップであるガリウスをはじめとする特権階級の医師たちと、神殿から派遣された高位神官たち、そして王家の重臣たちがズラリと顔を揃えていた。
彼らの顔には一様に、不満と侮蔑の色が浮かんでいる。
「ええい、特別医療顧問だか何だか知らんが、一介の田舎薬師が我々を呼びつけるなど、何様のつもりだ!」
「王太子殿下の呪いを解いたのは認めてやろう。だが、王都全土に蔓延するこの強大な悪霊の瘴気は、我々神殿と魔道医の神聖なる祈祷でしか祓えんのだぞ!」
騒ぎ立てる老人たちを前に、私は円卓の上座にふんぞり返り、ドンッと音を立てて『二つのガラス瓶』を机の上に置いた。
片方の瓶には、無色透明な水が入っている。もう片方の瓶には、琥珀色の怪しげな液体(私が独自に調合した試薬)が入っていた。
「静かにしなさい、老害ども。あんたたちの的外れな『祈祷』のせいで、今日も王都の民が何百人も死にかけてるのよ。今から私が、この疫病の『本当の正体』を、カガクの力で目に見える形にして証明してあげるわ」
私が冷ややかに宣言すると、ガリウスが鼻で笑った。
「本当の正体だと? 莫迦莫迦しい。悪霊の瘴気を目に見える形にするなど、高位の『看破の魔眼』を持つ者にしか不可能だ。貴様のような魔力を持たぬ者に何ができる!」
「魔眼なんて便利なもの、私には必要ないわ。……シエナちゃんが汲んできてくれた、この水」
私は、無色透明な水の入ったガラス瓶を掲げた。
「これは、疫病が最も流行している下町の井戸水よ。見た目は澄んでいて、悪霊の気配(笑)なんて一ミリも感じないでしょ? でもね、この中には、数え切れないほどの『殺人鬼(病原菌)』が潜んでいるの」
私は、もう一つの瓶に入った琥珀色の試薬(ヨウ素や特殊な植物エキスを合成した、大腸菌群などの有機物に反応して変色する特製指示薬)をスポイトで吸い上げ、井戸水の入った瓶の中に数滴、ポタポタと垂らした。
「いいこと? これがカガクよ」
私が瓶を軽く振って撹拌した、次の瞬間。
無色透明だったはずの井戸水が、まるでインクをこぼしたかのように、赤黒く、ドス黒い紫色へと劇的に変色した。
ブクブクと不気味な泡を立て、淀んだ色に染まったその水は、誰の目から見ても『死をもたらす毒水』にしか見えなかった。
「な……っ!?」
「み、水が……濁った! 色が変わったぞ!」
魔道医と神官たちが、一斉に席を蹴立てて後ずさった。
ガリウスが震える指でその瓶を指差す。
「こ、これこそが魔女の呪い……! ただの澄んだ水を、一瞬にして毒の沼に変えおった!」
「呪いじゃないわよ。バカも休み休み言いなさい」
私は変色した瓶をガリウスの鼻先に突きつけた。
「これは『呈色反応』っていう化学変化よ。私が垂らした試薬は、人間の『糞便』に含まれる特定のバクテリア(細菌)と結合した時にだけ、このドス黒い色に変わるように作ってあるの。……つまり、この井戸水は、一見綺麗に見えても、その中身は排泄物が大量に溶け込んだ『ウンコ水』だったってことよ!!」
「う、うん……こ?」
王宮魔道医と神官たちの顔が、一瞬にして硬直した。
「そ、そんな馬鹿な! 王都の井戸は、神聖なる水脈から汲み上げられているのだぞ! なぜそこに排泄物が……!」
「あんたたちが何百年も前に作った、地下水道の欠陥のせいよ。下水路のヒビから汚水が漏れ出して、飲み水の水脈に直接流れ込んでるの。疫病の原因は悪霊なんかじゃない。民衆が、そしてあんたたちも、自分たちの排泄物が混ざった水を毎日ゴクゴク飲んでたから、集団食中毒を起こしてるだけなのよ!」
「なっ……! げぇぇぇっ!?」
私が突きつけた残酷すぎる真理(物理)の前に、魔道医の一人が顔を真っ青にして口元を押さえ、その場で嘔吐しそうになった。彼らもまた、この城の中で井戸水を飲んで生活していたのだから当然だ。
神の呪いでも悪霊の仕業でもなく、「ウンコが混ざった水を飲んでいたから腹を下した」。
これほどまでに身も蓋もなく、プライドを粉々に打ち砕く真実はなかった。
「で、でたらめだぁぁっ! 認めん! そんな泥水のような理由で、我々王宮魔道医が敗北するなど……! これは全て、この魔女が仕組んだ……!」
現実を受け入れられず、発狂したように叫ぶガリウス。
しかし、その絶叫を遮るように、バンッ! と会議室の扉が開かれた。
「――サキ先生の言葉は、全て真実である」
威厳に満ちた声と共に現れたのは、真っ黒な法衣を翻した異端審問官ゲルド。
その後ろには、武装した異端審問特務部隊が控えていた。
ゲルドの手には、先ほど私が調べた『王都の地下図面』が握られている。
「私自身の目で、地下水道の現状を確認してきた。サキ先生の指摘通り、東区画の下水道は完全に崩壊し、汚水が水脈へ滝のように流れ込んでいるのを確認した。……ガリウス。貴様らは、原因の究明もせず、ただ見えない悪霊のせいにして無意味な祈祷を繰り返し、民衆を見殺しにしてきたのだ!」
「ゲ、ゲルド殿……! 貴方まで、魔力を持たぬ小娘の肩を持つのか!」
「私が信じるのは、神の教えではない。目の前にある『真理』だ!」
ゲルドの冷徹な一喝が、会議室に響き渡った。
宗教の頂点に立つ異端審問官が、魔道医たちの主張を完全に否定し、私の正当性を完全に裏付けたのだ。
もはや、ガリウスたちに反論の余地はなかった。彼らは絶望的な顔でその場にへたり込み、完全に敗北を認めるしかなかったのである。
「さて、原因(元凶)が分かったところで、次はお掃除の時間ね」
私は、ヘナヘナと座り込む重臣たちを見下ろし、パンッと手を叩いた。
「いいこと? これから王都は、私、特別医療顧問であるサキ薬局の完全な『指揮下』に入るわ。神殿の祈祷も、魔道医の治療も全て中止! 私の『カガク的公衆衛生ルール』に従って動いてもらうからね!」
「か、公衆衛生……ルール?」
「ええ。第一に、全ての井戸水の使用を直ちに禁止する! 水を飲む時は、必ず火にかけて『煮沸消毒』すること! 第二に、患者に触れる前と後は、石鹸で徹底的に手を洗うこと! 従わない者は、王命に背いた反逆者として即刻投獄するわよ!」
私は、この異世界において、誰も聞いたことのない『現代の衛生マニュアル』を叩きつけた。
「パンデミックを鎮圧するためには、中途半端な魔法なんて必要ないの。徹底的な『物理的隔離』と『消毒』、そして私が作る『大量の特効薬(抗菌薬と経口補水液)』。これで、この王都の疫病を根絶やしにしてやるわ」
私は不敵な笑みを浮かべ、円卓の上の変色した水瓶をドンッと叩いた。
「さあ、サキ式・王都ロックダウン(都市封鎖)の開始よ! 命を救うための、最も過酷で、最も儲かる一大プロジェクトに、あんたたち全員、血反吐を吐くまでこき使ってあげるから覚悟しなさい!!」
魔法使いや神官たちが「悪霊退散」の儀式で現実逃避している横で、カガクの論理と水質検査によって完璧に感染ルートを特定した最強の薬剤師。
この瞬間、異世界の古臭い医療常識は完全に崩壊し、サキ薬局による『恐怖の衛生管理体制』が王都全域に敷かれることとなったのである。




