第42話「サキ薬局オールスターズ、いざ王都へ!」
サキ薬局・プレミアムの豪奢な両開きドアに、『臨時休業・国家の未曾有の危機を救うため(および莫大な特別ボーナスを獲得するため)、王都へ出張いたします』という、やたらと長くて俗物的な張り紙が掲げられた。
抜けるような青空の下、貴族街の大通りには、カルラ商会が手配した特大サイズの六頭立ての豪奢な馬車が横付けされている。
それは単なる移動手段ではない。内部の座席を取り払い、振動を吸収する特殊なサスペンション(魔道具)を組み込み、大量の薬草と機材を積み込んだ『走る巨大調剤室』である。
「よし! 機材の積み込みは全部終わったわね! ロッツ、シエナちゃん、忘れ物はない?」
「おう、バッチリだぜボス! 俺の特大剣と、道中の護衛準備は完璧だ!」
「お姉ちゃん、スラムの裏道マップと王都の下水道の図面も全部カバンに入れたよ!」
私は白衣の裾を翻し、頼もしい仲間たちの顔を見渡した。
二メートルの巨漢獣人であり、私の最初の患者(胃腸虚弱)にして最強の物理的ストッパーであるロッツ。
元スラムの孤児であり、今や情報収集のプロフェッショナルとして育った看板娘のシエナちゃん。
そして、馬車の傍らで分厚い葉巻をふかしているのは、私の最強のビジネスパートナーであるドワーフの豪商カルラだ。
「物資の補給線は全て整えてある。王都がどんな状況だろうと、我がカルラ商会の流通網が途絶えることはない。王都の連中に、我々の『経済の暴力』を見せつけてやろうじゃないか」
「頼もしいわ、カルラ社長。……で、メイラ! あんたはちゃんと乗ってるわね?」
「はいっ、サキ工場長! 馬車内の仮設クリーンルーム、すでに滅菌処理を完了しております! いつでも魔力炉を点火できますよ!」
馬車の窓から、プラチナブロンドの髪を束ねたエルフの魔法使いメイラが、フラスコを片手にギラギラとした目で顔を出した。誇り高きエルフの威厳は完全に消え去り、今や彼女は私のブラック企業スピリッツを完璧に継承した「狂気の工場長補佐」である。
よし、これでサキ薬局の主要メンバーは全員揃った。
そう思って馬車に乗り込もうとした、その時だった。
「おーい! サキ先生! 待たせたなァ!」
地鳴りのような足音と共に、巨大な戦斧を肩に担いだ筋肉ダルマ――ベテラン冒険者のバドが、ピカピカに磨き上げられた鎧を着込んで駆け寄ってきた。
「ちょっとバドさん!? なんであんたがここにいるのよ。スラムの旧店舗とギルドの防衛は誰がやるの?」
「ガハハハ! ギルドマスターに『サキ先生が王都で大暴れするから、護衛の応援に行ってこい』って言われてな! なんと、冒険者ギルドから『有給休暇』と『特別出張費』をもらってついてきちまったぜ! 先生の行くところに、このバドの斧ありだ!」
有給休暇。その甘美な響きに、前世のブラック企業で有給を全てドブに捨てて過労死した私の心が、ほんの少しだけギリッと痛んだ。
しかし、パンデミックが起きている王都へ向かう道中、強力な物理アタッカーが一人でも増えるのは大歓迎だ。
「まあ、タダで護衛が増えるなら文句はないわ。しっかり働きなさいよ。……って、そこの真っ黒な法衣のあんたは、なんでしれっと馬車に乗り込もうとしてるのよ」
私が鋭く突っ込むと、馬車のステップに片足をかけていた異端審問官の長、ゲルドが、ビクッと肩を震わせて振り返った。
彼は銀縁の片眼鏡を指でスッと押し上げ、いかにも「私は公務である」というような威厳に満ちた表情を作った。
「当然だろう、サキ先生。貴女はこれから、王国の歴史上でも類を見ない規模の医療活動を行う。神殿の最高実務者である私が、その全行程に同行し、異端の要素がないか厳密に『監査』せねばならないのだ」
「嘘おっしゃい。監査なんて名目だけでしょ。あんた、私のそばから離れて『特製・抗ヒスタミン薬』の供給がストップするのが怖いだけじゃない」
私が容赦なく図星を突くと、ゲルドは「ぐっ」と言葉に詰まり、周囲をキョロキョロと見回してから小声で囁いた。
「わ、分かっているならわざわざ大声で言うな……! 王都への街道沿いは、この時期、魔界植物の胞子(花粉)が大量に飛散するのだ。貴女の薬なしで馬車旅などすれば、王都に着く前に私がくしゃみでショック死してしまう……っ!」
魔女狩りの鬼と恐れられた冷徹な異端審問官が、花粉症の恐怖に震えて私にすがりつく。
本当に、見事なまでの堕落っぷりである。
しかし、彼が同行してくれるとなれば、王都で神殿関係の厄介な横槍が入った時に、これ以上ない強力な『政治的・宗教的な盾』として使える。
「ふふっ、いいわよ。特等席を用意してあげるから、存分に私を監査しなさい。その代わり、道中の薬代は出張特別価格として通常の三倍の値段で請求させてもらうけどね」
「さ、三倍だと!? この悪徳守銭奴め……! しかし、背に腹は代えられん……払おう!」
こうして、護衛の獣人、火力担当のエルフ、物資調達のドワーフ豪商、情報収集の少女、筋肉ダルマのベテラン冒険者、そして重度の花粉症を患う異端審問官という、異世界でも類を見ないほどカオスな『サキ薬局オールスターズ』が結成された。
「それじゃあ、出発よ! 目指すは王都、そして莫大な特別ボーナスよ!」
私の号令と共に、御者が鞭を振るい、六頭立ての巨大な馬車がゆっくりと動き出した。
見送りに来てくれたユーリス様が「サキ先生! どうか、どうか王太子殿下を……そして、帰ってきたらまた私の毛根のマッサージを頼む!」と叫びながら手を振っている。
王都へ向けた、数日間に及ぶ長旅の幕開けであった。
* * *
辺境伯領を抜け、王都へと続く長大な街道。
六頭立ての馬車は、驚くべきスピードで舗装された石畳の道を駆け抜けていた。
しかし、その優雅な外見とは裏腹に、馬車の内部は、まさに戦場のようなドタバタ劇が繰り広げられていた。
「メイラ! ぼーっとしないで! フラスコの温度が三度も下がってるわよ! これじゃあ有効成分の抽出率が悪くなるじゃない!」
「ひぃぃっ、すみませんサキ工場長! 馬車の揺れで、炎の精霊のコントロールが……! 『熱よ、定まれ!』」
私は白衣の袖をまくり上げ、揺れる馬車の中で完璧なバランスを取りながら、いくつものガラス器具を操っていた。
王都でどんな疫病が待ち受けているかは、まだ正確には分からない。だが、使者の「吐き気、高熱、斑点、そして感染爆発」という証言から推測するに、大規模な『経口補水液(水分と電解質の補給)』と『広域抗菌薬』が大量に必要になることは確実だ。
現地に着いてから一から作っていたのでは、患者の命(と私のボーナス)が間に合わない。移動中の一分一秒すらも、私は生産ラインとして無駄にする気はなかった。
「シエナちゃん! 抽出が終わった薬草のカスをまとめて外に捨てて! ロッツ、あんたはそこの乳鉢で、岩塩と砂糖もどきの結晶をひたすら粉々にすり潰しなさい!」
「お、おうっ! 任せとけボス! ゴリゴリゴリッ……ううっ……」
乳棒を力強く回していたロッツが、突然青ざめた顔になり、口元を押さえてうずくまった。
「ちょっと、どうしたのよ」
「ボ、ボス……。馬車の揺れと、この得体の知れない薬草の匂いが混ざって……俺のデリケートな胃腸が、悲鳴を上げそうだ……」
「あんたみたいな二メートルもある獣人が、馬車酔いしてんじゃないわよ! 全く、護衛がゲロ吐いてどうするの。ほら、これ飲みなさい」
私は呆れながら、ポケットから『特製・酔い止めドロップ(生姜とハッカの抽出成分配合)』を取り出し、ロッツの口にポイッと放り込んだ。
「おおっ……!? 喉の奥からスッとした爽快感が広がって、吐き気が嘘みたいに引いていく……。すげえぜボス!」
「元気になったら手を動かす! ほら、すり潰すスピードが落ちてるわよ!」
「鬼だ! この馬車の中は地獄の労働施設だぁぁっ!」
ロッツが涙目で乳棒を回し、メイラが「これもカガクの真理にたどり着くための試練です!」と完全に洗脳されたような瞳で炎を操る。
その光景を、馬車の奥の豪華な革張りシートに座りながら、異端審問官ゲルドは呆然とした顔で見つめていた。
「……信じられん。馬車の中で火を使い、これほど精密な薬の調合を連続して行うなど……。魔道医たちの工房ですら、これほどの凄まじい効率(と怒号)は見たことがない」
「関心してる暇があったら、ゲルドさんも手伝ってちょうだい。そこの薬瓶にラベルを貼るくらいはできるでしょ?」
「なっ、私を誰だと思っている! 異端審問官の長たるこの私を、軽作業のパシリに使う気か!」
「ハックションッッ!!!」
ゲルドが威厳を保とうと怒鳴った直後、窓の隙間から入り込んだ街道の土埃と花粉に反応し、盛大なクシャミが馬車内に響き渡った。
クシャミの勢いで片眼鏡が吹き飛び、床に転がる。
「……ズズッ。あ、ああ……鼻が……目が痒い……っ」
「はい、お薬の時間が来たわね。一瓶につき金貨三十枚よ。払う? それともラベル貼りの内職で労働対価として相殺する?」
私が黄金色のシロップが入った小瓶をチャプチャプと揺らしながら悪魔の笑顔を向けると、ゲルドはギリッと歯を食いしばり、震える手で薬瓶のラベルの束を手に取った。
「……貼ればいいのだろう、貼れば! 屈辱だ……神よ、なぜ私にこれほどの試練を……!」
最強の異端審問官が、涙目になりながらちまちまと小瓶にラベルを貼るという、涙なしには見られない光景が完成した。
これこそが、サキ薬局の真骨頂。身分も種族も関係なく、私の『薬』に依存した者は、全員平等に社畜としてこき使われるのである。
* * *
「おいサキ、外の連中にも少しは気を配ってやれよ」
馬車の窓の外から、並走する黒馬に跨ったカルラが、葉巻の煙を吐き出しながら声をかけてきた。
カルラの馬の隣では、バドが立派な軍馬に跨り、巨大な戦斧を肩に担いで周囲に凄まじい威圧感を放っている。
「ガハハハ! 気にしなくていいぜカルラ会頭! 俺はこの風を切って走るのが大好きなんだ! それに、王都への街道沿いに出るっていう野盗どもを、この斧でぶった斬るのが楽しみでなァ!」
「……バドさんが楽しそうで何よりだわ。カルラ社長、そっちの補給ルートの確認はどう?」
私は窓枠から顔を出し、風に髪をなびかせながら尋ねた。
「完璧だ。王都が疫病で封鎖されているという情報が入った直後から、我が商会のネットワークを総動員して、周辺の都市から『新鮮な果物(柑橘類)』『清潔な布』『大量の塩と砂糖』を買い占めさせた」
カルラは懐から分厚い帳簿を取り出し、ニヤリと商人の笑みを浮かべた。
「王宮魔道医どもは『呪いを祓うための高価な魔石や香木』ばかりを集めているようだがな。お前の指示通り、我々は物理的な医療物資に全振りをしている。王都に入れば、この物資は全て金相場の十倍で売れるぞ」
「さすがカルラ社長、話が早くて助かるわ。王太子殿下の奇病の原因……使者の言っていた『歯茎からの出血と全身の脱力』。私の推測が正しければ、あれは呪いなんかじゃない。貴族特有の偏食が引き起こした『重度の壊血病(ビタミンC欠乏)』よ」
私は目を細め、前世の医学知識を脳内で整理した。
新鮮な野菜や果物を『下等な食べ物』として見下し、肉やワインばかりを摂取する中世ヨーロッパの貴族社会において、壊血病はまさに「死の奇病」として恐れられていた。
そこに、不衛生な都市環境から来る感染症(コレラや赤痢のようなもの)が合併すれば、体力のない者から次々と命を落としていく。
神聖魔法で細胞を活性化させたところで、根本的な栄養素が枯渇していれば、体は絶対に治らないのだ。
「魔法で治らないなら、カガクの暴力(大量の栄養と薬)で強引に治す。それがサキ薬局のやり方よ。……それにしても」
私は、馬車の前方に広がる景色を見て、ふと表情を引き締めた。
数日間の激しい移動の末、私たちの馬車は、ついに王都を取り囲む巨大な防壁の数十キロ手前まで到達していた。
しかし、その光景は、一国の首都にふさわしい華やかなものではなかった。
街道沿いには、王都から逃げ出してきたと思われる難民たちのテントが延々と連なっている。
あちこちから、激しい咳き込みや、苦痛に呻く声が聞こえてくる。道端には、汚物にまみれて倒れ伏している者の姿すらあった。
空を覆う分厚い雲が、まるで死の影のように王都一帯を黒く沈ませている。
「お姉ちゃん……。なんだか、すごく空気が重いよ……」
シエナちゃんが、怯えたように私の白衣の裾を握りしめた。
ロッツも顔をしかめ、バドも馬の上で戦斧を下ろし、険しい表情で周囲を警戒している。
馬車の中でラベル貼りをしていたゲルドも、窓の外の惨状を見て息を呑んだ。
「これほどまでに、酷い状況になっていたとは……。長老どもは『神の結界があるゆえ、疫病は王都の中心には及ばない』などと報告していたが……完全に崩壊しているではないか」
「……お偉いさんの報告書なんて、どこの世界も都合のいいように書き換えられてるものよ。現実を見なさい」
私は、先ほどまでのドタバタとした強欲な笑みを完全に消し去り、白衣の襟を正して、冷徹な『医療従事者』の顔へと切り替わった。
パンデミック。
それは、目に見えない無数の細菌やウイルスが、人間の社会システムを破壊し尽くす、静かで恐ろしい戦争だ。
神に祈るだけでは、命は救えない。
プライドばかり高い魔道医たちの呪文など、この惨状の前には何の役にも立たない。
「みんな、ここから先は戦場よ。マスクと消毒を徹底しなさい。シエナちゃん、ロッツの背中から絶対に離れないこと。メイラ、魔力炉の火力を最大に。いつでも薬液を放出できるようにスタンバイよ」
私の鋭い指示に、仲間たちの顔つきが一斉に引き締まる。
「いざ、王都へ。……時代遅れの医療で苦しんでる連中の目を、私のカガクでこじ開けてやるわ」
六頭立ての巨大な馬車が、難民たちの群れをかき分けるようにして、死の影が覆う王都の巨大な城門へと突入していく。
王城で私たちを待ち受けているのは、プライドの塊のような王宮魔道医たちと、絶望の淵にある王太子。
サキ薬局のすべてを賭けた、最大規模の医療プロジェクト(と莫大な集金劇)が、今まさに火蓋を切ろうとしていた。




