第41話「王都からのSOSと『危険手当』の交渉」
サキ薬局が異世界にオープンして数ヶ月。
無一文でスラムの路地裏に放り出された私が、雑草とスライムの粘液から始めたボッタクリ……もとい、良心的な薬局は、今や辺境伯領において絶対的なインフラへと成長していた。
さらに先日、私は国王陛下の勅命により『王国の特別医療顧問』という、この上なく立派な(そして専売特許と助成金という莫大な実利を伴う)肩書きまで手に入れたのである。
「ふふふ……。チャリン、チャリン。ああ、今日も金庫が重いわねぇ」
貴族街の一等地にある白亜の洋館、『サキ薬局・プレミアム』。
その一階カウンターの奥で、私は今日も優雅にハーブティーを傾けながら、売上金(純利益)の計算に精を出していた。
辺境伯ユーリス様からいただいた「永久免税特権」と、神殿の監査から逃れられる「不干渉証明書」。この二つの最強の盾がある限り、私の利益を不当に搾取する者はこの世界に存在しない。
「お姉ちゃん! 今日の分の『特製・高濃度ビタミンC美容液』、もう全部売り切れちゃったよ! 貴族の奥様たちが、もっと売ってくれって大騒ぎしてる!」
「あら、そうなの? シエナちゃん、悪いけど二階の調剤室に行って、メイラに追加の納品を急がせてちょうだい」
「はーい!」
看板娘のシエナちゃんが、パタパタと足音を立てて二階へ駆け上がっていく。
ほどなくして、二階から「炎の精霊よ! 摂氏六十度を死守しなさい! サキ工場長、任せてください! 私の魔力炉はまだまだ徹夜で稼働できますよぉぉっ!」という、すっかり社畜の鑑(あるいは労働の狂気)に染まったエルフの魔法使いメイラの声が響いてきた。
店の入り口では、二メートルの巨漢獣人ロッツが用心棒として目を光らせ、質の悪い客や盗賊を寄せ付けない。
そして、私の手元には、ドワーフの豪商カルラから定期的に届けられる、王都や他領からの莫大な『事前予約金(前払い)』の目録が積まれていた。
「……完璧ね。定時上がりで大金持ち。前世のブラック薬局での過労死寸前の地獄から、ついに私は、自由と富を完全掌握した『最強の経営者』へと成り上がったのよ」
私は、自分が描いた完璧なサクセスストーリーの完成に、うっとりと目を閉じた。
あとは、特別医療顧問の権威を利用して、この辺境から少しずつ王都の市場へ販路を拡大していけば、文字通り笑いが止まらない一生が約束されている。
――しかし。
平穏(という名の集金パラダイス)は、突然の轟音によってぶち破られた。
ドバァァァァンッ!!
「……ッ!? なんだ、襲撃か!」
ロッツが即座に大剣に手をかけ、入り口のドアの前に立ち塞がる。
蹴り開けられたかのように勢いよく開いたドアの向こうに立っていたのは、盗賊でも、神殿の武装神官でもなかった。
「サ、サキ先生は……! 王国の特別医療顧問、千川咲殿はおられるかぁぁっ!」
悲痛な叫び声を上げながら店内に転がり込んできたのは、全身を泥と汗で汚し、息も絶え絶えになっている一人の男だった。
その身なりは、王家の紋章(双頭の獅子)が刺繍された、上等な宮廷服……だが、今はボロボロに引き裂かれ、何日も馬を乗り潰して不眠不休で駆けつけてきたことが一目でわかる惨状だった。
「ひぃっ!? 誰よあんた! 店の床が泥だらけじゃない!」
「サキ先生! ご無礼をお許しいただきたい!」
男の背後から、見慣れた二人の人物が慌てて店に入ってきた。
一人は、美しい短髪を揺らす若き辺境伯ユーリス様。もう一人は、真っ黒な法衣に身を包んだ異端審問官の長、ゲルドだ。
「ユーリス様に、ゲルドさん? どうしたのよ、血相を変えて。……その泥だらけの男は誰?」
「彼らは、王都から遣わされた緊急の特使です。昨日、私の屋敷に飛び込んできて……事態が事態ゆえ、ユーリス様と共に、直接貴女の元へ案内した次第です」
ゲルドが片眼鏡を指で押し上げながら、極めて深刻な顔で答えた。
泥だらけの使者は、大理石の床に這いつくばるようにして私にすがりついてきた。
「サ、サキ先生! どうか、どうかお助けを! 王都が……我が国の心臓部が、未曾有の危機に瀕しているのです!」
「未曾有の危機? 他の国から攻め込まれでもしたの?」
「違います! 病です! 正体不明の、恐るべき『疫病』が、王都で猛威を振るっているのです!」
使者の悲痛な叫びに、店内の空気が一瞬にして凍りついた。
疫病。
衛生観念が中世レベルのこの異世界において、その言葉は『街の滅亡』と同義である。
「最初は、スラムの貧民たちの間で流行り出した、ただの腹下しだと思われていました。しかし、病は瞬く間に広がり、吐き気、高熱、そして体中の斑点……。今や、下級貴族や騎士団の兵士たちにまで感染が拡大し、王都は死の恐怖に包まれております!」
「……ふーん。で? その疫病の治療は、あんたたちの自慢の『王宮魔道医』とやらがやってるんでしょ? 魔法でパパッと治せないわけ?」
私が冷ややかに尋ねると、使者は絶望的な表情で首を横に振った。
「効かないのです……! 神殿の最高位の浄化魔法も、王宮魔道医たちが調合した秘薬も、今回の疫病には全く効果がありません! それどころか、治療に当たった魔道医たちまで次々と病に倒れる始末……!」
魔法が効かない未知の感染症。
それを聞いた瞬間、私の脳内の「薬剤師としてのスイッチ」がカチリと入った。
おそらく、細菌性かウイルス性の、非常に感染力の強い消化器系(あるいは血液媒介)の感染症だ。魔法という『細胞の活性化』だけでは、原因菌を殺すことはできない。むしろ、症状を悪化させている可能性すらある。
「……なるほどね。状況は分かったわ。でも、ただの疫病なら、わざわざ私みたいな辺境の顧問を呼びに来る必要はないわよね? 王都ごと封鎖して、神殿に祈らせておけばいいじゃない」
「そ、そんな非情な……! いや、それだけではないのです!」
使者は床に額を擦り付け、震える声で最大の悲報を口にした。
「……王太子殿下が、倒れられたのです」
「王太子が?」
「はい! 殿下は数日前から謎の奇病に罹られ、全身の脱力と、歯茎からの出血、そして高熱に苦しんでおられます……! 王宮魔道医のトップである筆頭魔道医ですら『これは強力な呪いだ、もはや手の施しようがない』と匙を投げるありさま……!」
王位継承者の命の危機。
なるほど、それは確かに国家の一大事だ。
「国王陛下は、もはや神殿にも魔道医にも頼れぬと絶望されております。そこに、辺境伯領で未知の術を用いてスラムの悪疫を鎮圧し、神の奇跡すら及ばぬ病を治したという、貴女の噂が届いたのです! 陛下は、藁にもすがる思いで、貴女を王都へ招聘するよう、私に命じられました!」
「サキ先生……!」
ユーリス様が、一歩前に出て私を真っ直ぐに見つめた。
「どうか、どうかお願いだ! 王太子殿下は、幼き頃より私と親交のある、心優しき御方なのだ。それに、王都が疫病で壊滅すれば、流通の途絶えるこの辺境伯領とて無事では済まない! 王国を……いや、この国に生きる全ての人々を救うため、貴女のその『カガク』の力を貸してはくれないだろうか!」
領主としての強い責任感と、友人を想う悲痛な懇願。
ゲルドもまた、深く頭を下げた。
「神殿本局の長老どもは、いまだに疫病を『悪霊の仕業』と決めつけ、無意味な祈祷を繰り返すばかり。このままでは、王都の民は全滅します。……サキ先生。貴女の真理だけが、この事態を打開できる唯一の希望なのです」
最高権力者二人からの、頭を下げての懇願。
泥だらけの使者による、お涙頂戴の悲壮なSOS。
普通の物語の主人公であれば、ここで「分かりました! すぐに出発しましょう! 私の命に代えても国を救ってみせます!」と熱く頷き、正義感に燃えて旅立つところだろう。
だが、私は千川咲。
前世のブラック企業で、『やりがい搾取』という悪魔の言葉によって命を削られ、定額使い放題の社畜として過労死寸前まで追い込まれた、現役の薬剤師だ。
感動的な雰囲気に流されて、タダ働きや自己犠牲を引き受けるなど、絶対にあり得ない。
「…………」
私は、土下座する使者と、懇願するユーリス様たちを、まるで氷点下の冷水のような無表情で見下ろした。
そして、カウンターの引き出しから、新しい羊皮紙と羽ペン、そして計算尺を取り出した。
「サ、サキ先生……?」
私の予想外の行動に、ユーリス様が戸惑いの声を上げる。
私は羽ペンをインク壺に浸し、サラサラと音を立てて羊皮紙に文字を書き殴り始めた。
「いいこと、あんたたち。感動的な話の腰を折って悪いんだけど……」
私は、書き上げた羊皮紙を使者の目の前にピシャリと突きつけた。
「パンデミック(感染爆発)が起きてる地域への出張? しかも、原因不明の奇病にかかってる王族の治療? ……そんな超ハイリスクな案件、事前の『金銭交渉』なしで引き受ける馬鹿がどこにいるのよ」
「へ……?」
使者が、間の抜けた声を出した。
「王太子殿下の命がかかっているのに、か、カネの交渉だと……!?」
「当たり前でしょ! あんたたち、私がどういう人間か分かっててわざわざ特別医療顧問に任命したんじゃないの? 私は慈善事業でやってるわけじゃない。労働には正当な対価を! ハイリスクにはハイリターンを! これが資本主義の基本ルールよ!」
私は突きつけた羊皮紙――『王都出張特別見積書』――の項目を、指でビシビシと叩きながら読み上げた。
「まず第一に【危険手当】! 致死率の高い疫病蔓延地域への突入なんだから、私と護衛の命の保証金として、前払いで『金貨一千枚』! 感染リスクを負って現場に出る医療従事者をナメるんじゃないわよ!」
「き、金貨一千枚の前払い!?」
「第二に【特別出張費】! 本来ならこの安全で儲かるプレミアム店舗で稼げるはずの売り上げを捨てて、わざわざ遠方の王都まで足を運ぶんだから、その『機会損失分』を全額補填してもらうわ! 一日につき金貨五十枚、移動期間も含めて往復分きっちり請求するからね!」
「い、一日金貨五十枚!? そんな暴利……!」
「さらに第三! これが一番重要よ! 【成果報酬型・特別ボーナス】!」
私は、目を剥いて震える使者の顔に、極上の(そして悪徳商人顔負けの)営業スマイルを向けて言い放った。
「王太子殿下の命を救い、王都のパンデミックを完全に鎮圧した場合。その成功報酬として、『王国全土でのサキ薬局の専売特許の永久保証』、そして『王室の金庫からの、金に糸目をつけない莫大な特別褒賞金(白紙小切手)』を確約してもらうわ!」
「は、白紙の……! じょ、冗談ではない! 国の危機に乗じて、王家の財産をむしり取ろうというのか! このようなふざけた条件、国王陛下が呑むはずが……」
「あらそう? じゃあ、この話はなかったことにして。帰ってちょうだい」
私がクルッと踵を返し、冷たく言い放つと、使者は「えっ」と固まった。
「私がいかなくても、優秀な王宮魔道医様たちがそのうち呪いを解いてくれるんでしょ? 私はここで、貴族の奥様方に美容液を売ってる方が安全で儲かるから。さようなら」
「ま、待ってくれぇぇぇぇっ!!」
私が本当にカウンターの奥に引っ込もうとするのを見て、使者は顔面を蒼白にさせ、再び床に這いつくばって私の白衣の裾をガシッと掴んだ。
「わ、分かりました! 分かりましたぁぁっ! 払います! 危険手当も、出張費も、特別ボーナスも、全て貴女の言い値で構いません! だから、どうか、どうか王都へ! このままでは、本当に殿下が……国が滅んでしまうのです!」
「最初からそう言いなさいよ。命より重い金庫はないでしょ?」
私はニヤリと笑い、使者の手から白衣の裾をもぎ取った。
「ユーリス様、ゲルドさん。交渉成立みたいね。……あんたたちも、王都へ向かうなら一緒に来る? 政治と宗教の盾が現地にいてくれた方が、色々と『強引な手段』が使いやすくて助かるんだけど」
「も、もちろんだ! サキ先生が行くというのなら、私も領主軍の一部を率いて直ちに王都へ向かおう!」
「神殿本局の愚か者どもが、貴女の治療の邪魔をしないよう、私が異端審問官の権限で徹底的に排除して差し上げます。……それに、王都に行けば魔界植物の花粉はさらに酷い。貴女の側を離れるわけにはいきません」
かくして。
お涙頂戴の悲劇的なSOSは、私が『資本主義の論理(ボッタクリ見積書)』を容赦なく叩きつけたことで、あっという間に「超高額なビジネス契約」へとすり替わった。
「みんな、聞いたわね! サキ薬局は今日から臨時休業よ!」
私は、店の奥で成り行きを見守っていた仲間たちに向かって、パンッと手を叩いて号令をかけた。
「ロッツ! 護衛としての武力はもちろん、荷物持ちとパシリとしてフル稼働してもらうわよ!」
「おう! ボスがそう言うなら、王都の魔物だろうが騎士だろうが、全員ぶっ飛ばして道を作ってやるぜ!」
「メイラ! あんたは私の最強の『火力』兼『純水製造機』よ! 王都で大量の薬を作るための巨大プラントを仕切ってもらうから、覚悟しなさい!」
「はいっ、サキ工場長! 私の魔力炉は、王太子殿下を救うための工業用バーナーとして、限界まで燃え盛ります!」
「シエナちゃん! あんたはスラムでの情報収集能力を買って連れて行くわ。王都の裏路地に潜入して、病の感染ルートを徹底的に洗い出して!」
「任せて、お姉ちゃん! 誰にも見つからずに情報集めてくる!」
「それと、カルラ社長!」
「言われずとも分かっているさ」
いつの間にか店に入ってきていた豪商カルラが、葉巻の煙を吐き出しながらニヤリと笑った。
「王都でのパンデミック鎮圧。それに必要な莫大な医療物資、薬草、食料、機材。全て我が商会のネットワークを使って、王都へ最優先で運び込んでやる。……その代わり、国からむしり取った利益の三割は、流通手数料としてもらうからな」
「交渉成立よ。さあ、役者は揃ったわね」
私は、自分の相棒である『成分鑑定』の魔導具(拡大鏡)と、分厚い調合ノートを革鞄に詰め込んだ。
「準備はいい? 私たち『サキ薬局オールスターズ』で、王都の中枢に乗り込むわよ! 時代遅れの魔道医どもに、現代薬学の本当の恐ろしさを見せつけて、この国の医療を根底から書き換えてやるわ!」
無一文から始まった異世界での薬局経営。
その集大成となる、最大の舞台『王都』への進出。
死の影が覆う王都を救うのは、神の奇跡でも、高位の魔法でもない。
――利益を追求し、徹底的なロジックで病原菌を駆逐する、一介の(そして世界一強欲な)薬剤師とその仲間たちである。
「出発よ!!」
私の号令と共に、サキ薬局の面々は、豪華な馬車に乗り込み、一路、未知の病が蔓延する王都へと向けて旅立った。
前代未聞の医療革命と、莫大な富を巡る最終章が、今まさに幕を開けたのである。




