第39話「住民たちの総意、サキを護る者たち」
神殿保守派の急先鋒、高位神官ゾラがカルラ商会の裏帳簿と辺境伯ユーリス様の武力によって一網打尽にされ、異端審問官ゲルドの手によって神殿から破門された事件。
それは、辺境の地に一時的な平穏をもたらしたが、同時に王都にそびえる『神殿本局』の保守派長老たちをかつてないほど激怒させる結果となった。
彼らにとって、自分たちが放った使者が世俗の権力と結託して逮捕されたことは、神の権威に対する許しがたい反逆であった。彼らはついに、「法」や「陰湿なデマ」といった回りくどい手段を捨て、最も直接的で暴力的な強硬手段に出たのである。
ゾラの逮捕から一週間後。
辺境伯領の首都にある中央広場に、王都から派遣された数十騎の『聖騎士団』が乗り込んできた。
彼らは神殿の最精鋭であり、異端討伐を専門とする狂信的な武力集団だ。白銀の鎧に身を包み、太陽の光を反射する彼らの姿は、街の住人たちに有無を言わさぬ恐怖を植え付けるはずだった。
広場の中央に陣取った聖騎士団の部隊長は、拡声の魔道具を使い、街中に響き渡る大音声で布告を読み上げた。
「辺境伯領の迷える民よ! そして、悪魔の甘言に耳を貸してしまった哀れな領主ユーリス、並びに堕落した異端審問官ゲルドよ! 我らは神殿本局の命により、この街に巣食う邪悪なる魔女、千川咲を討伐すべく参上した!」
部隊長が剣を抜き、高く掲げる。
「かの魔女は、得体の知れない泥水を薬と偽り、人々の精神を操る悪魔の使いである! ゾラ神官の逮捕も、彼女の魔術による洗脳の結果に他ならない! 日没までに魔女サキを引き渡せ! さもなくば、我々聖騎士団がこの街の『浄化(物理的な焼き討ち)』を開始する!!」
それは、神殿という絶対権力からの、最後通牒であった。
* * *
「……浄化、ねぇ。要するに火あぶりにするってことでしょ。ほんと、中世の魔女狩りテンプレを地で行く連中ね」
その頃、私は貴族街にある『サキ薬局・プレミアム』の二階の窓から、遠く中央広場の方角で何やら騒いでいる聖騎士団の様子を、望遠鏡(カルラ商会製)で冷ややかに観察していた。
王都から討伐軍が派遣されたという情報は、シエナちゃんの情報網とゲルドの監査ルートから事前に耳に入っていた。私はいつでも迎撃できるよう、無菌調剤室でメイラと共に大量の『強酸性催涙ガス(改)』や『超高濃度エタノール爆弾』の調合を済ませていた。
しかし、私が白衣の袖をまくり上げて出陣しようとした時、店のドアを開けて入ってきたユーリス様とゲルドに、全力で止められたのだ。
「サキ先生は、この店から一歩も出ないでください! 聖騎士団の相手は、我々領主軍が引き受けます! 先生のその尊いお体に万が一のことがあれば、私の毛根は……いや、この領地の医療は終わりなのです!」
「ユーリス様の言う通りです、サキ先生。神殿の恥さらしどもは、この異端審問官ゲルドが法に則り、完膚なきまでに論破して追い返して見せます。先生は奥で、私の来週分の抗ヒスタミン薬を調合しておいてくだされば十分です」
そう言って、二人は血走った目で広場へと向かっていってしまった。ロッツも「ボスはここで見てな。俺があのピカピカの鎧どもを叩き割ってくるぜ」と大剣を担いで後を追った。
「……なんか、私だけ蚊帳の外みたいで手持ち無沙汰なんだけど」
私は淹れたての紅茶を口に運びながら、少し不満げにため息をついた。
私が直接手を下して、カガクの力で神の奇跡(笑)を粉砕してボッタクリの損害賠償を請求してやるのが、サキ薬局の基本スタイルなのに。
しかし、シエナちゃんが「お姉ちゃん、見て! 広場がすごいことになってる!」と窓に張り付いて声を上げた。
私は再び望遠鏡を覗き込み――そして、その光景に目を見張った。
* * *
中央広場で「魔女を引き渡せ」と声高に叫ぶ聖騎士団。
しかし、彼らの前に立ちはだかったのは、領主軍の兵士でも、異端審問官でもなかった。
「おい、そこのピカピカ鎧のお兄ちゃんよォ。あんた、さっきから随分と寝ぼけたこと言ってくれてるじゃねえか」
重い足音を響かせ、巨大な戦斧を肩に担いで進み出たのは、ベテラン冒険者バドであった。
彼の背後には、冒険者ギルドに所属する数百人もの荒くれ者たちが、武器を抜いて殺気を放ちながらズラリと並んでいた。
「な、なんだお前たちは! 冒険者風情が、聖騎士団の邪魔をする気か!」
「邪魔? 冗談じゃねえ。俺たちはただ、俺たちの『命綱』を守りに来ただけだ」
バドは首の骨をボキボキと鳴らし、聖騎士の部隊長を睨みつけた。
「いいか? 俺たち冒険者はな、毎日魔物と殺し合いをして、泥水すするような生活をしてんだ。神殿のバカ高い回復魔法なんて、俺ら平民には一生手の届かねえもんなんだよ。……だがな!」
バドは自分の鍛え上げられた胸をドンッと叩いた。
「サキ先生は違った! 銀貨数枚で、化膿した傷を一晩で治す魔法の薬(抗生物質)をくれた! スラムで病が流行った時、神殿の連中が逃げ出す中、先生だけが徹夜で俺たちの仲間を救ってくれたんだ! サキ先生の薬がなきゃ、俺たち冒険者は半分以上死んでるんだよ!」
「うおおおおおっ!! サキ先生の薬を取り上げる奴は、神様の使いだろうがなんだろうが、俺たちがぶっ殺すぞ!!」
数百人の冒険者たちが、一斉に武器を掲げて怒号のウェーブを起こした。
百戦錬磨の冒険者たちが放つ、本物の殺意。その凄まじい気迫に、エリートであるはずの聖騎士たちの乗る馬が、恐怖でいななき、後ずさる。
「ひぃっ……! 貴様ら、悪魔に魂を売ったか!」
「悪魔で結構! 俺たちはサキ先生の薬効を信じるぜ!」
聖騎士団が圧倒されていると、今度は冒険者たちの脇を抜けて、スラムの住人たちが押し寄せてきた。
彼らは武器など持っていない。しかし、その手には、木の板や布の切れ端に下手くそな字で書かれた『プラカード』が握られていた。
『サキ先生をいじめるな!』
『胃腸薬がないと俺の胃は死ぬ!』
『サキ薬局の栄養ドリンクを返せ!』
粗末な身なりの平民、老人、そして孤児院の子供たち。彼らは聖騎士団の白銀の鎧を全く恐れることなく、広場を埋め尽くすほどの数で包囲陣を形成し始めた。
「魔女を引き渡せだって? ふざけんじゃないわよ! サキ先生が魔女なら、あんたたち神殿は金の亡者じゃない!」
「そうだ! お前たちの魔法じゃ治らなかった俺の腰痛が、サキ薬局の湿布で一発で治ったんだぞ!」
スラムの住人たちの怒りの声が、大合唱となって広場を震わせる。
これは、誰かに命令されて集まった者たちではない。
サキ薬局がこの数ヶ月で、身分を問わずに提供し続けてきた「安価で確実な医療(実利)」によって、命と生活を救われた人々が、自発的に立ち上がったのだ。
「ええい、愚民どもめ……! 完全に魔女の洗脳を受けておる! 構わん、剣を抜け! 神に逆らう暴徒は、全て撫で斬りに……!」
部隊長が顔を真っ赤にして剣を振り下ろそうとした、その時だった。
「――お待ちなさい!!」
甲高い、しかし気品に満ちた女性の声が響き、群衆の後方から数台の豪華な馬車が猛スピードで乗り入れてきた。
馬車には、辺境伯領の有力貴族たちの紋章が刻まれている。
扉が開き、降り立ってきたのは、色鮮やかな最高級のシルクのドレスに身を包み、日傘をさした貴婦人たちの集団であった。
「き、貴族の奥方様たち!? なぜこのような騒ぎの場に!」
「聖騎士団だか何だか知らないけれど、野蛮な真似はおやめなさい!」
先頭に立つ伯爵夫人が、扇子をバシッと閉じて聖騎士を鋭く睨みつけた。
「サキ先生を王都に連行するですって? ふざけたことを言わないでちょうだい! サキ先生がいなくなったら、私たちが毎日愛用している『特製・高濃度ビタミンC美容液』はどうなるの!? あれがないと、私のお肌の潤いが保てないじゃないの!」
「そうですわ! 神殿の若返り魔法なんて、高いくせにすぐ元に戻ってしまうし! サキ薬局の美容液は、私たちの『命』よりも重いステータスなんですのよ!」
「サキ先生を連れて行くなら、私たちも一緒に王都へ乗り込んで、神殿の長老たちのヒゲをむしり取ってやりますわよ!」
美への執着を脅かされた貴婦人たちの怒りは、ある意味で冒険者たちよりも凶悪であった。
さらに、彼女たちの背後からは、立派なフロックコートを着た紳士たち(貴族や裕福な商人)が、血走った目で加勢に現れた。彼らの頭頂部には、見事な産毛や短髪が輝いている。
「聖騎士ども! サキ薬局を潰すと言うことは、我々の『毛根』に対する宣戦布告と見なす!」
「そうだ! サキ先生の特製育毛トニックの供給が止まれば、我々は再び、あの不毛の砂漠(ハゲ頭)に逆戻りしてしまうのだ! 髪を奪う悪魔は、神殿の方だぁぁっ!」
「毛根のために! 育毛の聖地(サキ薬局)を守り抜けェェッ!!」
薄毛の恐怖から解放された男たちの悲痛な叫びが、広場に木霊する。
もはや、中央広場は異次元のカオスと化していた。
スラムの平民、血の気の多い冒険者、そして絶大な影響力を持つ貴族と富裕層。
本来であれば決して交わることのない、階級も価値観も全く異なる人々が、ただ一点――「サキ薬局の薬(利益)を失うことへの恐怖と怒り」――によって、完璧に一つに結束し、神殿の使者を包囲していたのである。
「な、なんだこれは……。こ、この街の住人は、頭がおかしいのか……!?」
聖騎士団の部隊長は、全方位から浴びせられる凄まじい怒声と敵意(総意)のプレッシャーに、剣を持つ手をガタガタと震わせていた。
彼らは異端を討伐する訓練は受けてきたが、領民が文字通り「全員」で、しかも貴族までもが狂ったように魔女を庇うという異常事態など、想定すらしていなかったのだ。
「お前たち、状況が理解できたか?」
そこに、トドメとばかりに進み出たのは、ドワーフの豪商カルラであった。
彼女は分厚い葉巻をふかしながら、部下たちに何台もの荷馬車を広場に引き入れさせた。
荷馬車の上には、山のように積まれた『羊皮紙の束』があった。
「これは、辺境伯領の全ての商人、貴族、そして民衆から集めた『サキ薬局保護の嘆願書(署名)』だ。その数、実に十万筆」
カルラはニヤリと、商人の底意地が悪い笑みを浮かべた。
「もし、お前たちがサキの指一本でも傷つけようものなら、我がカルラ商会をはじめとするこの領地の全商業ギルドは、神殿本局への物資の納入を全てストップする。お前たちの食うパンも、着る法衣も、祈りを捧げるための魔石も、全て物流を断たれると思え」
「なっ……経済封鎖だと!?」
「そして、私からの最後通告だ」
群衆がスゥッと道を空け、その中を悠然と歩み出てきたのは、白馬に跨った辺境伯ユーリス様と、真っ黒な法衣を翻した異端審問官ゲルドであった。
「我が領民たちの総意は、今ここで示された通りだ」
ユーリス様が、冷厳な声で宣告する。
「サキ先生は、この辺境伯領にとって不可欠なインフラであり、民の健康と尊厳を守る『真の聖女』である。……王都の長老どもに伝えよ。もしサキ薬局に不当な手出しをするのであれば、我々辺境伯領は、独立を辞してでも神殿と徹底抗戦する構えである、とな」
「辺境伯様……! そ、それは国家への反逆……!」
「法的な正当性は、この私が保証する」
ゲルドが片眼鏡を光らせて一歩前に出た。
「私が監査した結果、サキ薬局に魔術的な異端の証拠は一切存在しない。長老たちの今回の討伐命令は、私の監査権限を無視した『越権行為』であり、神の法を私物化する暴挙である。……私は神殿本局に戻り、長老たちを『異端の疑い』で逆審問にかける手続きを開始する!」
武力、民意、経済力、政治、そして宗教的法務。
すべての壁が、聖騎士団の前に絶望的な高さでそびえ立っていた。
「……ひぃっ……! ば、馬鹿な……我々は……我々はただの討伐部隊……こんな、国を相手にするような真似は……撤退! 全軍、直ちに王都へ撤退せよぉぉぉっ!!」
部隊長は完全に心が折れ、悲鳴を上げながら馬の首を返した。
数十騎の聖騎士団は、まるで尻尾を巻いて逃げる負け犬のように、土煙を上げて広場から逃げ去っていった。
神の奇跡を笠に着た絶対権力が、人々の『実利という名の絆』の前に、完全敗北を喫した瞬間であった。
「うおおおおおおおおっっ!!!」
「サキ先生、万歳! サキ薬局、万歳!!」
中央広場に、地鳴りのような歓声が沸き起こる。
スラムの住人も、冒険者も、貴族も、皆が手を取り合って(中にはハゲ頭を撫で合いながら)勝利を祝福していた。
* * *
「……あーあ。結局、私の出番は全くなかったわね」
サキ薬局の二階の窓から望遠鏡を覗いていた私は、ポツリと独り言をこぼした。
私が直接、カガクの知識と悪知恵で彼らを論破するまでもなく、私が救ってきた人々が、自らの意志で私を守るために巨大な盾となってくれたのだ。
「サキ工場長、どうしました? 催涙ガスの投下準備、いつでもいけますよ?」
防毒マスクを被ったメイラが、フラスコを持ってやる気満々で尋ねてくる。
「ううん、もう必要ないわ。……撤収。今日は店を閉めて、みんなで打ち上げにするわよ」
私は望遠鏡を置き、窓の外の青空を見上げた。
神への信仰という目に見えない概念よりも、健康な体と、痛みのない生活、そして若さと美貌という『確かな利益』の方が、よっぽど人々の心を強く結びつける。
命とお金(生活)は、綺麗事よりも重いのだ。
私がブラック薬局での過労死の果てにたどり着いた、この資本主義の真理は、異世界においても完璧に証明された。
「……ふふっ。最高の気分ね」
私の薬で救われた人々が作り上げた、揺るぎなき群像劇。
それは、ただのボッタクリ薬師が、一つの領地の根幹を支える「インフラ」へと進化したことを意味していた。
辺境での地盤は、これで完璧に固まった。
だが、逃げ帰った聖騎士団の報告を受け、王都の神殿本局、ひいては王家の耳にも私の名が届くのはもはや時間の問題だ。
「次はいよいよ、王都のど真ん中で大立ち回りってわけね。……望むところよ。私のカガクとソロバンで、この異世界すべての医療を書き換えてやるわ」
私は白衣の裾を翻し、歓声の響く一階の店舗へと、満面の笑みを浮かべて降りていった。




