第31話「神殿からの使者、突然の営業停止命令」
サキ薬局・プレミアムの朝は、優雅なティータイムと共に始まる。
スラムの路地裏にあった初代店舗(今はバドたち冒険者ギルドに管理を任せている)では、朝から血と泥にまみれた冒険者が「傷薬くれぇ!」と怒鳴り込んでくるのが日常だった。しかし、貴族街の一等地に構えたこの白亜の洋館は違う。
「サキ先生、ごきげんよう。本日はこちらの『特製・高濃度ビタミンC美容液』と、主人のために『特製・超刺激性育毛トニック』をいただきに参りましたわ」
「いらっしゃいませ、伯爵夫人。いつもご贔屓にありがとうございます。ご主人様の毛根の調子はいかがですか?」
「ええ、もう! 先生のカガクのおかげで、主人の頭にも見事な黒髪が戻りましてよ! おかげで夫婦仲もすっかり円満で……ウフフッ」
大理石の床がピカピカに磨かれた一階の店舗スペース。
上品なクラシック音楽(私がカルラ商会に手配させた魔道具のオルゴール)が流れる中、私は純白の特注白衣を身にまとい、極上の営業スマイルで貴族の奥様方から金貨を回収していた。
「お姉ちゃん、こっちの棚の美容液も補充しておくね!」
フリルのエプロンを着たシエナちゃんが、テキパキと瑠璃色のガラス瓶をショーケースに並べていく。
二階の無菌調剤室からは、今日も元気に「炎の精霊よ! 摂氏六十度を死守しなさい! ああ、今日も美容成分の抽出が完璧です、サキ工場長!」というエルフの魔法使いメイラの狂気じみた歓声(労働の喜び)が聞こえてくる。
店の入り口では、真新しい制服(用心棒のタキシード風衣装)に身を包んだ二メートルの巨漢獣人、ロッツがビシッと立って警備にあたっている。彼が睨みを利かせているおかげで、身分の低い泥棒や質の悪いクレーマーは寄り付くことすらできない。
(……完璧。まさに完璧なビジネスモデルね)
私は、カウンターの奥でハーブティーを傾けながら、金庫の中にチャリン、チャリンと吸い込まれていく金貨の音にうっとりと耳を傾けていた。
辺境伯ユーリス様から与えられた「永久免税特権」のおかげで、売り上げは一円の税金も引かれることなく、百パーセント私の純利益となる。
過労死寸前で倒れた前世のブラック薬局での地獄の日々。有給は取れず、サービス残業は当たり前で、患者からは理不尽なクレームを浴びせられていたあの頃。
それに比べて、今の私はどうだ。自分の裁量で働き、自分の決めた価格で商品を売り、絶大な権力者に守られながら巨万の富を築いている。
「ふふふ……定時上がりで大金持ち。ついに、私の長年の夢が異世界で叶ったのよ。これからは毎日、札束のベッドで眠る悠々自適なスローライフが……」
私が悦に入り、ハーブティーのカップを口に運ぼうとした、まさにその時だった。
ドバァァァァンッ!!!
サキ薬局・プレミアムの美しく磨き上げられたガラス張りの両開きドアが、外から乱暴に蹴り開けられた。
あまりの轟音に、優雅に買い物を楽しんでいた貴族の奥様方が「きゃああっ!?」と悲鳴を上げてしゃがみ込む。
「な、なんだ!? 盗賊か!」
入り口で警備をしていたロッツが、即座に背中の大剣に手をかけて立ち塞がった。
しかし、土足でズカズカと店内に踏み込んできたのは、薄汚れた盗賊などではなかった。
「不浄なる魔術の徒よ! 神の裁きを受けよ!!」
大理石の床を踏み鳴らして現れたのは、純白の法衣に身を包み、胸に黄金の十字(この世界の宗教のシンボル)を掲げた十数名の男たちだった。
誰もが傲慢で高圧的な冷ややかな目つきをしており、法衣には金糸で精緻な刺繍が施されている。その身なりと、彼らが放つ絶対的な「権威」の気配に、店内にいた貴族の奥様方すらも血の気を引かせて壁際に後ずさった。
「し、神殿の神官様……!? なぜ、神殿の使者様がこのような場所に……」
震える奥様方の声を背に受けながら、一団の先頭に立つ、一際豪華な法衣を着た恰幅の良い神官が、顎をツンと上げて私を見下ろした。
「貴様が、巷で『奇跡の薬師』などと名乗り、愚民や貴族どもをたぶらかしているという魔女、千川咲だな?」
「魔女とは失礼な。私は真っ当な医療従事者、サキ薬局の店主よ。……それより、うちの店のドアを乱暴に開けるのはやめてもらえないかしら。修理代を請求するわよ」
私が一切怯むことなく、ハーブティーのカップをソーサーにコトリと置いて言い返すと、神官は顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「口を慎め、異端の小娘が! 我らは異世界の医療と宗教を統べる絶対なる神の代行者、『神殿』の使者であるぞ! 貴様のそのふざけた悪魔の店を、今すぐ叩き潰しに来てやったのだ!」
「はあ? 叩き潰す?」
「いかにも! 貴様は神聖魔法の加護も受けず、無資格のまま、草や魔物の泥をこねた得体の知れない薬品を人々に売りつけている! それは神への重大な冒涜であり、人心を惑わす悪魔の所業である! よって、神殿の権限において、この店に【即時営業停止命令】を下す!!」
神官が懐から、神殿の印章がデカデカと押された仰々しい羊皮紙を取り出し、私のカウンターにバンッと叩きつけた。
店内に緊張が走る。
ロッツがギリッと歯を食いしばり、「ボス……こいつら、神殿の本局の連中だ。逆らったらマジで異端審問にかけられて、火あぶりにされちまうぞ……!」と焦った声で耳打ちしてくる。
シエナちゃんも、私の白衣の裾をギュッと握りしめて震えていた。
この世界において、神殿とは法律そのものであり、王家をも凌ぐ絶対の権力機関だ。彼らに「異端」の烙印を押されれば、どんな権力者であっても社会的に抹殺される。それが常識だった。
しかし。
「……ふっ、あははははっ!」
私は、突きつけられた【営業停止命令書】をパラパラと裏返して眺めた後、突然、腹の底から吹き出した。
「な、何がおかしい! 己の死の宣告を受けて発狂したか!」
「ごめんなさいね。あんまりにも『お役所仕事』のテンプレみたいなイチャモンだったから、つい前世のクソクレームを思い出しちゃって」
私は命令書をポイッとゴミ箱に放り投げた。
「き、貴様ぁぁっ! 神殿の公式文書をゴミ箱に……!」
「公式文書だろうがなんだろうが、そんな紙切れ、私の店じゃトイレットペーパーの代わりにもならないわよ。無資格って言うけどね……」
私はカウンターの引き出しを開け、金枠の額縁に入った一枚の立派な羊皮紙を取り出し、神官の鼻先に突きつけた。
「ほら、よく見てごらんなさい。これは、この辺境の地を治める辺境伯ユーリス様から直々に発行された【サキ薬局・特別営業許可証】よ。そこにははっきりと、『千川咲の行う一切の医療行為および薬品の販売を、辺境伯の権限において全面的に許可し、保護する』って書いてあるわ。ついでに永久免税の特権付きでね」
辺境伯の正式な署名と、デカデカと押された領主の印章。
それを見た神官たちは、一瞬だけ怯んだように顔を見合わせたが、すぐに鼻で笑った。
「ふん、世俗の領主の許可証など、我々神殿の法廷の前では何の意味も持たん! 医療とはすなわち神の奇跡! 神殿の認定を持たぬ者の医療行為は、全て『悪魔のまやかし』として禁止されているのだ! 辺境伯がいくら庇おうと、神の法を覆すことはできん!」
高圧的な神官の言葉に、店内にいた貴族の奥様方が「そんな……せっかくお肌の調子が良くなったのに……」と絶望の声を漏らす。
彼らは完全に、宗教という「大義名分」を振りかざせば、私が震え上がって店を畳むと思い込んでいるのだ。
実際、普通の商人や薬師であれば、神殿に逆らうなど自殺行為に等しい。泣き寝入りして店を明け渡すしかないだろう。
だが、彼らは相手が悪すぎた。
私は、コンプライアンスと労働基準法が崩壊したブラック企業で、理不尽な上司や悪質なクレーマーを相手に、己の精神と論理武装だけで生き抜いてきた『最強の社畜薬剤師』なのだ。
宗教の権威? 神の法?
そんな実態のないフワフワした精神論が、私の『カネへの執着』と『冷徹な事務処理能力』に勝てるわけがない。
「……なるほど。世俗の許可証は無効で、あんたたちの宗教ルールが絶対だと。だからこの店を今すぐ閉めろと。そういうことね」
「いかにも! 分かったならば、今すぐその薄汚い薬の瓶を全て叩き割り、店を明け渡せ! さもなくば、近衛の騎士団を呼んで強行突破するぞ!」
勝ち誇ったように宣告する神官。
私は、スゥッと感情を消した無表情になり、カウンターから取り出した『分厚い帳簿』と『そろばん(この世界風の計算尺)』を手元に引き寄せた。
「ロッツ」
「お、おう、ボス。斬るか?」
「まだよ。シエナちゃん、奥様方を安全な店の奥へ誘導して。少し、このお役人様たちと『事務的なお話し合い』をさせてもらうから」
私は計算尺をパチパチと弾き始めながら、氷のように冷たい、そして一切の感情を排した事務的な声で語り始めた。
「いいこと、神殿の使者さん。あんたたちが宗教のルールで私を異端だと言い張るのは勝手よ。思想の自由は認めてあげる。でもね、あんたたちが今やっていることは、私の店舗に土足で踏み込み、正当な顧客を脅迫し、物理的に営業を妨害するという『明らかな不法行為』よ」
「ふ、不法行為だと!? 我々は神の意志を代行して……」
「神の意志だろうがなんだろうが、現実問題として私の店の売り上げが止まってるのよ!」
私はバンッ! とカウンターを叩き、凄まじい勢いで計算尺の珠を弾いた。
「さあ、計算の時間よ。今現在、あんたたちが店の入り口を塞いでいるせいで、入店を諦めて帰った貴族のお客様が、ざっと見えただけで五組。この店の客単価は最低でも金貨十枚。つまり、すでに【金貨五十枚】の機会損失が発生しているわ」
「な、なにをわけのわからん数字を並べて……」
「まだ終わってないわよ! 二階の工場では、時給換算で金貨一枚に相当する高度な魔法技術を持つエルフが、あんたたちの騒ぎのせいで集中力を乱されているわ! これによる生産ラインの遅延損害が【金貨二十枚】。さらに!」
私は羽ペンを取り出し、羊皮紙に猛烈なスピードで数字を書き殴っていく。
「店内で騒ぎを起こし、『悪魔の店』などと事実無根の暴言を吐いたことによる、サキ薬局のブランドイメージ失墜(風評被害)。これを回復するための広告宣伝費および慰謝料として【金貨三百枚】。加えて、この大理石の床を土足で汚し、ドアを乱暴に開けた器物損壊の修理費が【金貨五枚】」
ズラズラと書き連ねられた、目も眩むような超高額請求のリスト。
私はその羊皮紙を神官の顔の前にピシャリと突きつけ、極上の、そして絶対零度の営業スマイルを浮かべた。
「以上を合計して、あんたたちの不法な営業妨害に対する【損害賠償請求額】は、しめて『金貨三百七十五枚』よ。今すぐここで現金で一括払いするなら、このまま帰ってあげてもいいわ。払えないなら、カルラ商会の取り立て部隊を神殿の本局に差し向けて、あんたたちの法衣からパンツのゴムまで全部差し押さえてもらうけど、どうする?」
立て板に水のごとく、息をつく暇も与えずに叩きつけられた『資本主義の論理(カネの暴力)』。
神の法だの異端だのという高尚な宗教論争を、全て「いくら損したか」というゴリゴリの銭金の話に強制変換された神官たちは、完全に虚を突かれ、ポカンと口を開けて固まってしまった。
「き、ききき、金貨三百七十五枚だと!? 貴様、気が狂ったか! なぜ神殿の使者である我々が、そのような馬鹿げた金を払わねばならんのだ!」
「馬鹿げた金じゃないわ、正当な賠償よ。あんたたち、自分たちがどれだけ経済的な損失を生み出してるか、全く理解してないんでしょ。お役所仕事で給料をもらってる連中には分からないでしょうけど、経営者にとって『時間を奪われること』は『金を奪われること』と同義なのよ!」
私が一歩前に出て凄むと、恰幅の良い神官は「ひぃっ」と情けない声を上げて後ずさった。
後ろに控えていた神官たちも、「こ、この女、神の裁きを恐れぬのか……!」「話が全く通じないぞ……!」とざわめき始めている。
「払えないなら、とっとと店から出て行きなさい! 営業妨害だ! ロッツ、こいつらをつまみ出せ!」
「お、おう! ボスがそう言うなら、神殿の連中だろうが関係ねえ! オラァッ、お前ら、おとといきやがれ!」
ロッツが二メートルの巨体で一歩前に出ると、神官たちは完全に恐れをなし、「ひ、ひぃぃぃっ! 野蛮な獣人め!」と入り口のドア付近まで逃げ腰になった。
論戦(銭闘)でも物理でも完全に圧倒された神殿の使者たち。
「お、おのれぇぇっ! 悪魔に魂を売った魔女め! このまま済むと思うなよ! 直ちに本局に報告し、異端審問官の精鋭部隊を派遣してやる! 貴様のそのふざけた店も、貴様を庇う辺境伯も、全て異端として火あぶりにしてくれるわ!!」
顔を真っ赤にして捨て台詞を吐く神官。
彼らが完全に逆上し、神聖魔法による攻撃呪文を唱えようと杖を構えた、まさにその一触即発の瞬間だった。
「――騒々しいですね。神に仕える者が、市井の店舗で感情に任せて喚き散らすとは。神殿の威厳が地に落ちますよ」
使者たちの背後、サキ薬局の入り口のドアの向こうから、氷のように冷たく、そして絶対的な静謐を伴った男の声が響いた。
その声を聞いた瞬間、杖を構えていた神官たちはビクッと体を硬直させ、まるでカエルに睨まれたヘビのように震え上がった。
「ゲ、ゲルド様……!!」
「な、なぜ、異端審問官の長たる貴方様が、このような下等な現場に直接……!」
神官たちが慌てて道を空ける。
その間を縫って、コツ、コツ、と硬質な足音を立てて店内に足を踏み入れたのは、真っ黒な法衣を身にまとった長身の男だった。
銀色の髪を神経質そうに後ろで束ね、右目には銀縁の片眼鏡をかけている。その片眼鏡の奥にある瞳は、先ほどの神官たちのような単なる傲慢さではなく、いかなる感情も排した、冷徹な『断罪者』の光を宿していた。
(……只者じゃないわね。こいつが、神殿の本当のトップってわけか)
私は計算尺を置き、目を細めてその男を観察した。
男――異端審問官ゲルドは、店内の惨状(怯える貴族たちと、怒り狂うロッツ)をぐるりと見渡した後、最後に私へと視線を固定した。
「あなたが、サキ薬局の店主ですね。……私は神殿より派遣された異端審問官の長、ゲルド。あなたの行っている無資格の医療行為と、世迷言の薬について、徹底的な調査と『審問』を行わせていただきます」
ゲルドが懐から、先ほどの神官が出したものとは比べ物にならないほど禍々しい、黒い印章の押された羊皮紙を取り出した。
神殿の最高実務者であり、数々の魔女や異端者を合法的に葬り去ってきた「魔女狩りの鬼」。
その彼が放つプレッシャーは、ロッツでさえも息を呑むほどの重圧だった。
……しかし。
私は、彼の冷酷な宣告を聞きながらも、私の持つ『現役薬剤師としての観察眼』をフル稼働させ、彼の顔、特にその『目元』と『鼻先』をジッと見つめていた。
「徹底的な調査と審問ねえ。……随分と偉そうに語るけど」
私はフッと、小馬鹿にしたような笑みをこぼした。
「さっきから、あんたのその鼻、すっごく赤く腫れ上がってるわよ。それに、目も真っ赤に充血して、涙目じゃない」
「なっ……!?」
私の不敬極まりない指摘に、冷徹だったゲルドの顔が、一瞬だけピクリと引き攣った。
そう、彼は先ほどから、必死に無表情を装ってはいるものの、時折鼻をヒクヒクとさせ、片眼鏡の奥の目から滲む涙を、無意識に瞬きで誤魔化そうとしていたのだ。
「審問だの異端だの言う前に、あんた、自分のその『酷いアレルギー性鼻炎(花粉症)』をどうにかしたら? そんなズビズビの鼻声じゃ、せっかくの決め台詞も台無しよ」
「き、貴様……ッ!」
絶対的な権威である異端審問官に対し、神の教義でも魔法の有無でもなく、「ただの花粉症」という身も蓋もない現実(物理)を突きつけた私。
異端審問官ゲルドと、ブラック薬局の元社畜薬剤師。
神の権威と現代薬学(抗ヒスタミン剤)が激突する、前代未聞のくしゃみと涙にまみれた攻防戦が、今まさに幕を開けようとしていたのである。
「ハッ……ハックションッ!!」
ゲルドの、威厳もへったくれもない盛大なクシャミが、静まり返った大理石の店内に虚しく響き渡った。




