第30話「プレミアム店舗オープン」
抜けるような青空の下、貴族街の一等地に建つ白亜の洋館の前に、豪奢な馬車が次々と列をなしていた。
馬車には、それぞれ異なる貴族の紋章が誇らしげに刻まれている。降り立ってくるのは、最高級のシルクのドレスを身にまとった貴婦人たちや、仕立ての良いフロックコートを着こなした身なりの良い紳士たちだ。
彼らの視線の先にあるのは、磨き抜かれたガラスのショーウィンドウと、金文字で美しく彫られた看板。
『サキ薬局・プレミアム』。
それが、スラムの路地裏から這い上がった私、千川咲が手に入れた新たな城の名前だった。
「いらっしゃいませ、奥様。本日はどのようなお悩みで? ええ、乾燥による小ジワですね。それでしたら、こちらの『特製・高濃度ビタミンC美容液』が大変おすすめですわ」
大理石の床が広がる一階の店舗スペース。
私は、カルラ商会が特注で作ってくれた、最高級の純白の布地で仕立てた真新しい白衣を身にまとい、優雅な営業スマイルで貴族の奥様方を接客していた。
「まあ、これが噂の……! 隣の領地の男爵夫人が、これを毎晩塗って見違えるように若返ったという魔法の霊薬ですのね?」
「魔法ではございません。最新の『カガク』の結晶ですのよ。お肌の角質層の奥深くまでスライムジェルの保水成分が浸透し、高濃度ビタミンがターンオーバーを正常化させます。……お値段は金貨五枚となりますが、奥様のその美しいお肌を永遠に保つための投資としては、決してお高くはないかと」
「金貨五枚? まあ、お安いこと! 神殿の若返り魔法は一回で金貨二十枚は取られますもの。こちらを三瓶、いただいていくわ!」
奥様がためらいもなく金貨の詰まった袋をカウンターに置く。
チャリン、という美しい音が響く。
私は内心で(キタキタキタァァァッ! 利益率九十パーセント超えのボロ儲け!)とガッツポーズを決めながらも、表面上はあくまで涼しい顔で商品を包んだ。
「お姉ちゃん、こっちの棚の美容液、もう売り切れちゃったよ!」
可愛いフリルのエプロンを着たシエナちゃんが、パタパタと小走りで駆け寄ってくる。スラムにいた頃の栄養失調でガリガリだった面影はもうない。私の作った特製栄養ドリンクと毎日の温かいご飯のおかげで、ふっくらとした健康的な美少女に成長し、今やこの店の立派な看板娘だ。
「あら、もう売り切れ? 仕方ないわね。シエナちゃん、悪いけど二階の『工場』に行って、メイラに追加の納品を急ぐように伝えてきて」
「はーい!」
二階の広大な作業スペース(クリーンルーム)では、現在、エルフの魔法使いメイラが絶賛フル稼働中である。
貴族たちからの注文が殺到しているため、彼女は数十個のガラスフラスコを下から魔法の炎で熱し続け、同時に魔力で精製した超純水を休むことなく供給し続けていた。
『炎の精霊よ……! 摂氏六十度をキープしなさい! ああ、今日もスライム粘液とビタミンCの結合反応が美しい……! サキ工場長、私はやれます! まだまだ徹夜で蒸留できますよぉぉっ!』
シエナちゃんを通じて伝わってくるメイラの報告(うわ言)に、私は「あの子、完全にカガクの虜になってるわね」と苦笑した。
魔法という至高の芸術を捨て、工業用ガスバーナーとしての己の存在意義に目覚めたエルフ。彼女の無尽蔵の魔力がなければ、このプレミアム店舗の莫大な需要を満たすことは到底不可能だった。
「よう、サキ。相変わらず見事な集金っぷりだな」
店の奥から、高級な葉巻をふかしながら現れたのは、ビジネスパートナーであるドワーフの豪商カルラだった。
彼女は山積みになった金貨の袋を見て、ギラギラとした商人の笑みを浮かべた。
「貴族の女どもの『美への執着』は底なしだ。お前が作った美容液は、今や王都の社交界で持っていない者が馬鹿にされるほどのステータスになっている。我が商会の流通網もパンク寸前だぞ」
「嬉しい悲鳴ね、カルラ社長。材料の原価提供、助かってるわ。中身はスラムの冒険者向けに売ってる傷薬と大して変わらない成分の応用なのに、綺麗な瑠璃色のガラス瓶に入れて『貴族専用』って箔をつけるだけで、値段を十倍にしても飛ぶように売れるんだから。資本主義って本当に素晴らしいわ」
私がゲスい笑みをこぼすと、カルラも腹を抱えて笑った。
「全くだ。中身が同じだとは、あの澄ました顔の奥様方は夢にも思っていまい。お前のその『ブランディング』という手腕、本当に恐ろしいよ。……おっと、噂をすれば一番の上客のお出ましだぞ」
カルラが視線を向けた入り口のドアが開き、屈強な近衛騎士ヴァンを従えて、一人の青年貴族が店に足を踏み入れた。
この辺境伯領の領主であり、私の最大のパトロンであるユーリスだ。
「おお、サキ先生! 本日は店のオープン、誠におめでとう!」
「いらっしゃいませ、ユーリス様。本日はどのようなご用件で?……と言わなくても、分かっておりますよ」
私がニヤリと笑うと、ユーリスは少し照れくさそうに、しかしどこか誇らしげに自分の頭を撫でた。
彼の頭頂部は、私が治療を始めた当初の「ツルツルの砂漠」から劇的な進化を遂げていた。
特製育毛トニック(ミノキシジル類似成分配合)と、毎日の激痛筋膜リリースマッサージ。その過酷な毛根防衛戦を耐え抜いた結果、彼の頭には今、黒々と、そして力強く密集した見事な短髪(スポーツ刈り)が生え揃っていたのだ。
顔色も良く、重金属の毒素は完全に抜け切っている。以前の青白く病弱な領主の姿はどこにもなく、自信に満ち溢れた精悍な青年貴族がそこにいた。
「見よ、サキ先生! 先生の『カガク』のおかげで、私の髪はついにここまで育った! 先日、王都で行われた令嬢とのお見合いでも、私のこの若々しい姿に令嬢は大変ご満悦であったぞ! 全ては先生のおかげだ!」
「それは何よりですわ。でも、ユーリス様。育毛というのは『現状維持』が最も過酷な戦いなのです。血行を促進する薬の使用をやめれば、また毛母細胞は眠りについてしまいますよ?」
私がワザと不安を煽るような(セールストークの)言葉を口にすると、ユーリスは「ヒッ」と短く息を呑み、慌てて懐から分厚い財布を取り出した。
「も、もちろん分かっている! だから今日は、あの『特製・超刺激性育毛トニック』を、半年分まとめて購入しに来たのだ! それと、頭皮の炎症を抑えるスライムの冷却ジェルも特大サイズで頼む!」
「毎度ありがとうございます! ヴァンさん、こちらを馬車へ。お代は金貨二百枚になりますわね」
ユーリスが震える手で金貨を支払い、ヴァンが山のような木箱を抱えて馬車へ運んでいく。
これぞ、サブスクリプション(定期購入)の極み。
ハゲの悩みという、男性にとって最も根源的な恐怖を握っている限り、彼は一生私から薬を買い続ける運命にあるのだ。
しかも、辺境伯という身分のおかげで、この店は『永久免税特権』を持っている。売り上げは一円たりとも税金として国に持っていかれない。
完全なる不労所得への道が、今まさに完成しようとしていた。
「サキ先生、また来月も定期健診(激痛マッサージ)をお願いするぞ! ではな!」
満足げに帰っていくユーリスを見送りながら、私はカウンターの奥の椅子に深く腰掛け、淹れたての紅茶を口に運んだ。
「……完璧ね。スラムの大衆薬で底辺の支持を集め、プレミアム店舗で貴族から莫大な利益を吸い上げる。おまけに税金はゼロ。定時上がりで大金持ちになるっていう私の野望、異世界に来てわずか数ヶ月で達成しちゃったわ」
私は、紅茶の香りを楽しみながら、これ以上ないほどの達成感に浸っていた。
過労死寸前で倒れた前世のブラック薬局。あの日々を思えば、ここはまさに天国だ。
資金は潤沢。ロッツやバドといった物理的な護衛も完璧。カルラというビジネスパートナーに、メイラという生産工場長。
もはや、私の前途を阻むものは何一つないように思えた。
――しかし。
光が強ければ強いほど、その背後に落ちる影もまた、濃く、深く沈み込むものである。
私の「魔法を使わずに奇跡を起こす」という噂。
そして何より、「高額な神聖魔法を使わずとも、安価(あるいは適正価格)な薬で病や怪我が治る」という事実が、この異世界において、最も触れてはならない巨大な権威の逆鱗に触れようとしていた。
* * *
時を同じくして。
王都からほど近い、広大な森の中にそびえ立つ、荘厳な大聖堂の奥深く。
ステンドグラスから差し込む冷たい光の中、純白の法衣に身を包んだ数名の高位神官たちが、円卓を囲んで重苦しい会議を開いていた。
この世界の医療と宗教を完全に独占し、人々の生死を「神の奇跡」という名の下に管理する絶対的権力機関、『神殿』の中枢である。
「……辺境伯領からの報告によれば、ユーリス辺境伯の奇病は完全に治癒したとのことだ。我々が派遣した高位神官の浄化魔法すら弾き返した、あの恐るべき悪霊の呪いを、だ」
円卓の上座に座る、顔に深いシワを刻んだ枢機卿が、低くしゃがれた声で口火を切った。
「誰が治したというのだ。王宮魔道医か? それとも、大森林のエルフの長か?」
「いえ、枢機卿猊下。信じ難いことですが……スラムの路地裏に店を構える、一介の小娘だそうです」
報告係の若い神官が、震える声で羊皮紙を読み上げる。
「名をサキ。自らを『薬師』と名乗っているようですが、彼女の治療には一切の魔力反応がないとのこと。草や魔物の泥をこねた得体の知れない薬品を使い、神聖魔法でも治せなかったスラムの悪疫をも、たった一晩で鎮圧したと噂されております」
「馬鹿な!」
別の高位神官が、テーブルをバンッと叩いて立ち上がった。
「魔力を持たぬ平民が、神の加護もなしに病を治すなどあり得ない! それは医療への冒涜であり、神への反逆だ! その女、悪魔と契約した『魔女』に違いない!」
「魔女か……。しかし、事実として辺境伯の命を救い、スラムの愚民どもからは『慈愛の聖女』などと祭り上げられているらしい。おまけに、ドワーフのカルラ商会と手を組み、貴族街にまで豪奢な店舗を構えたというではないか」
枢機卿が、目を細めて冷酷な光を放った。
「このまま放置すれば、どうなるか。人々は『高い寄付金を払って神殿の魔法に頼らなくとも、薬局に行けば病が治る』と考えるようになる。それは、我々神殿の権威の失墜を意味し、ひいては王国における我々の政治的影響力の根幹を揺るがすことになる」
「いかにも! 医療の独占こそが、我々神殿の力の源泉。それを脅かす異端者は、決して生かしてはおけません!」
「直ちに、異端審問会を開きましょう! 騎士団を派遣し、あの魔女の店を焼き払い、火あぶりに処すべきです!」
神官たちが口々に過激な意見を叫ぶ中。
部屋の隅の暗がりで、壁にもたれかかって目を閉じていた一人の男が、ゆっくりと口を開いた。
「……騒々しいですね。たかが辺境の小娘一人に、騎士団を動かすなど大げさすぎる。神殿の威厳に傷がつきますよ」
声の主は、真っ黒な法衣を身にまとった長身の男だった。
銀色の髪を神経質そうに後ろで束ね、片眼鏡の奥の瞳には、一切の感情を排した氷のような冷たさが宿っている。
彼が声を発した瞬間、先ほどまで激高していた高位神官たちが、ビクッと体を震わせて沈黙した。
「ゲ、ゲルド殿……」
「異端審問官の長たるあなたが、自ら動くと仰るのですか?」
ゲルドと呼ばれた男は、壁から背中を離し、コツ、コツ、と静かな足音を立てて円卓へと歩み寄った。
彼は神殿の最高実務者であり、「魔女狩りの鬼」として恐れられる冷徹なる異端審問官。神の教えに背く者を、一切の妥協なく排除してきた男だ。
「神聖魔法に頼らず、未知の術で人心を惑わす者。それがもし本物の悪魔の使いであるならば、法と教義に則り、私がこの手で完膚なきまでに裁きを下しましょう」
ゲルドは、懐から一枚の羊皮紙――サキ薬局・プレミアムの営業許可証の写し――を取り出し、冷たい炎で燃やして灰にした。
「私が自ら赴き、あの魔女の化けの皮を剥いでみせます。営業停止命令を突きつけ、神殿に逆らったことを骨の髄まで後悔させてやりましょう」
そう宣言したゲルドの横顔は、絶対的な権威と自信に満ち溢れていた。
……しかし。
この時の彼は、自身の持つ「ある致命的な弱点」が、あの悪魔のような守銭奴薬剤師によって完膚なきまでに暴かれ、逆に自身が薬の虜にされてしまうという悲惨な未来を、まだ知る由もなかったのである。
「ハックションッ!!」
その時、ゲルドは突然、大声でくしゃみをした。
「……失礼。どうやら、今年の春は花粉(魔界植物の胞子)の飛散が早いようだ。私の鼻腔を刺激して不快極まりない。……これも神の試練か」
ズズッと鼻をすする異端審問官の長。
絶対権力を持つ神殿からの使者と、物理とカガクで全てをねじ伏せる現代薬剤師。
異世界の医療覇権を賭けた、全く新しい戦いの火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。




