第27話「晩餐会での種明かし」
豪華絢爛な大広間に、ガシャンッ! というガラスの砕け散る音が鳴り響いた。
辺境伯邸の晩餐会。ユーリスの病状回復を祝うはずだった宴の席は、一瞬にして凍りついたような静寂と、それに続く爆発的なパニックへと包まれた。
「な、なんだその色は……!? ワインが、黒く濁ったぞ!?」
「毒だ! 誰かがユーリス様に毒を盛ったのだ!」
「いや、これは呪いだ! 悪霊がワインを穢したのに違いない!」
長大なテーブルに連なる親族や重臣たちが、椅子を蹴立てて立ち上がり、悲鳴と怒号を交錯させる。
彼らの視線の先にあるのは、私が手にした一つのワイングラス。
注がれた直後は美しいルビー色をしていた特上のワインが、今やドス黒い赤紫色に変色し、ブクブクと不気味な泡を立てながら、鼻をつくようなツンとした刺激臭を放っている。
「呪いでも悪霊でもありませんわ、皆様」
私は、フリフリのメイド服という屈辱的な衣装のまま、ドス黒く変色したグラスを掲げ、大広間の中央へと進み出た。
その堂々たる足取りと、場違いに冷静な声色に、騒いでいた貴族たちがピタリと口を閉ざす。
「こ、この無礼者! たかがメイドの分際で、貴族の宴にしゃしゃり出るとは何事か!」
真っ先に声を荒げたのは、自身のグラスを落として顔面を蒼白にさせていた叔父のボラン卿だった。
彼は私を指差し、怒りに震える声で叫んだ。
「さてはその小娘が、我が持参した高貴なワインに卑劣な呪いをかけたのだな! 近衛兵! 今すぐこの魔女を捕らえよ!」
「誰が魔女よ。私は真っ当な医療従事者、サキ薬局のサキよ。まあ、今日はちょっと事情があってこんな格好をしてるけどね」
私が白々しく肩をすくめると、上座に座っていたユーリスが立ち上がった。
エナジードリンク(ハーフサイズ)の効果で目をバキバキに血走らせ、頭頂部に見事な黒い産毛をフサフサとそよがせた若き辺境伯の威圧感は、凄まじいものがあった。
「控えよ、ボラン叔父上。彼女は私の命を救い、そして私の『誇り』を取り戻してくれた、この辺境伯領における最高の恩人であり、客人である。無礼は許さん」
「な、ユーリス……? お前、正気か!? そこのメイドが、私のワインを泥水に変えたのだぞ!」
「泥水に変えたのは私じゃないわよ、ボラン卿」
私は、手に持った毒々しい色のグラスを、ボランの鼻先まで突きつけた。
「あんたが立ち上がる直前、袖口からこっそりと無色透明な液体を数滴、この空のグラスに垂らしたの、バッチリ見えてたわよ。ご丁寧に、魔法探知にも引っかからない植物性の猛毒をね」
「なっ……!?」
ボランの顔から、完全に血の気が引いた。
「き、貴様……何をデタラメを! 私は何もしていない! そもそも、無色透明な毒などというものが存在するならば、なぜワインがこんな色に変わるのだ! これこそが、貴様が呪いの魔法を使ったという何よりの証拠……!」
「魔法じゃないわ。『カガク(化学)』よ」
私はグラスをテーブルにコトリと置き、大広間に集まった貴族たち全員を見渡すようにして、声高に宣言した。
「皆様、よく聞いてちょうだい。この世界には、魔力を持たない無色透明の毒がたくさん存在するわ。毒見役が一口舐めたくらいでは数時間は症状が出ない遅効性のものを使えば、誰にも気づかれずに標的を暗殺できる。……でもね、物質というのは、必ずそれぞれ特有の『性質』を持っているの」
私は白衣の……いや、メイド服のエプロンのポケットから、小さなガラスの小瓶を取り出した。
「私はあらかじめ、ユーリス様が使うこのグラスの内側に、私が調合した『特製・毒物検知試薬』を薄く塗っておいたの。この試薬自体も無色透明で、味も匂いもないわ。でも、ある特定の『毒の成分』と混ざり合った瞬間にだけ、液体の分子構造が劇的に変化して、強烈な色を発する。これを『呈色反応』と呼ぶのよ」
私の専門用語を交えた理路整然とした解説に、貴族たちはポカンと口を開け、誰一人として言葉を発することができなかった。
魔法という曖昧な概念しか持たない彼らにとって、「分子構造」や「呈色反応」というロジックは、未知の言語を聞いているに等しい。だが、目の前で実際に色が変わり、異臭を放っているグラスという『絶対的な物理的証拠』が、私の言葉の真実味を裏付けていた。
「見えない毒を、見えるようにする。これが、現代薬学が導き出した『科学捜査』の力よ。魔法の探知網をすり抜けたと慢心していたみたいだけど、私のカガクの前では、どんな陰謀も丸裸にされるってことを思い知りなさい」
「で、でたらめだ! 証拠はない! そんな得体の知れない薬の反応など、公の場で証拠として認められるわけがないだろう!」
ボランが必死に反論するが、彼の額からは滝のような冷や汗が流れ落ちていた。
「証拠なら、まだあるわよ」
私は容赦なく追撃の手を緩めない。
「ボラン卿、あんたが半年前に『辺境伯就任の祝い』としてユーリス様に贈った、あの美しい西国製のティーカップ。あれの表面に塗られていた釉薬(ツヤ出しの薬)に、大量の『鉛』と『ヒ素』っていう重金属が練り込まれていたことも、私の成分鑑定でバッチリ判明してるのよ」
「な、なまり……!? ひそ……!?」
「熱いハーブティーを注ぐたびに、ほんの微量ずつ毒が溶け出す凶悪な暗殺道具。ユーリス様を半年間も苦しめていた原因不明の胃痛も、頭痛も、そして……」
私はチラリとユーリスの頭頂部を見た。
「あの悲惨なほどの『砂漠化(抜け毛)』も、全部あんたが仕込んだ重金属中毒のせいだったのよ!」
「おのれぇぇぇぇっ! ボラン叔父上ォォォォッ!!」
抜け毛の原因を大衆の面前で(しかも貴族の晩餐会で)声高に暴露されたユーリスが、屈辱と怒りで顔を真っ赤にして立ち上がった。
「私が日々領地のために身を粉にして働き、ストレスで胃に穴を空けているのをいいことに! まさか実の叔父である貴方が、私に微量の毒を盛り続け、私の大切な領民(毛根)たちを死滅の危機に追いやっていたとは! 到底許せる所業ではない!!」
「ユーリス様の仰る通りです! 命だけでなく、誇りまで奪おうとするとは、騎士道にもとる卑劣な行い!」
控えていた騎士ヴァンも、剣の柄に手をかけてボランを鋭く睨みつける。
大広間の空気は、完全にボランを『大罪人』として断罪する方向へと傾いていた。親族たちも、関わり合いになるのを恐れて一斉にボランから距離を置く。
「ち、違う! 私はやっておらん! そもそも、そのティーカップに毒が仕込まれていたとして、私が仕組んだという証拠がどこにある!」
「証拠ならここにあるぜ、タヌキ親父」
ボランの背後から、野太い声が響いた。
給仕の服を着た二メートルの巨漢、ロッツだ。
彼は懐から、丸められた数枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上にバサリと投げ捨てた。
「俺たちがスラムの薬局を留守にしてる間、商人のカルラって女が、お前の身辺を徹底的に洗ってくれたんだよ。お前が西国の怪しい裏商人から、特別注文で『鉛とヒ素を混ぜた釉薬を使ったカップ』を発注した時の裏帳簿の写しだ」
「なっ……!? なぜカルラ商会がそれを……!」
「あいつの情報網を舐めんなよ。金に汚いドワーフだが、商売敵を潰す時の手回しの早さは天下一品だからな」
ロッツがニヤリと悪党のような笑みを浮かべる。
そう、私がカルラに「毒物検知試薬」の材料を集めさせた際、同時にボラン卿の裏の金の流れを調査するよう依頼しておいたのだ。
カルラ商会の強大な経済力と情報網を使えば、没落しかけの貴族の裏帳簿を手に入れるなど、赤子の手をひねるよりも簡単である。
「これで言い逃れはできないわね、ボラン卿」
私は腕を組み、冷ややかな視線でボランを見下ろした。
「あんたは半年かけてユーリス様を病死に見せかけて暗殺しようとした。でも、私が解毒治療をしてユーリス様が復活したから、焦って今度は即効性の毒でトドメを刺そうとした。……私の立てたプロファイリング(推理)通りに動いてくれて、本当に助かったわ。探偵役としては、犯人がお膳立て通りに動いてくれるのが一番楽なのよね」
「く、くそぉぉぉっ……! たかが、たかがスラムの薬屋風情が、この私の完璧な計画を……!!」
完全に退路を断たれ、言い逃れが不可能になったボランは、突如として獣のような咆哮を上げた。
彼の瞳には、もはや貴族としての品格も、言い逃れようとする姑息さもない。あるのは、計画をぶち壊された逆ギレと、窮鼠猫を噛むの言葉通りの、血走った殺意だけだった。
「こうなれば、もはやこれまで……! ユーリス! お前さえ死ねば、辺境伯の座は正当な血筋である私に転がり込んでくるのだ!」
ボランは懐から、ギラリと鈍く光る『短剣』を引き抜いた。
毒という隠密手段を捨て、実力行使(物理)に出たのだ。
「死ねェェェェッ!!」
「ユーリス様! 危ない!」
ヴァンが叫び、腰の剣を抜こうとするが、距離が遠すぎる。
短剣を振りかざしたボランが、テーブルを飛び越えるような勢いでユーリスへと襲いかかる。
大広間にいる誰もが、若き辺境伯の死を覚悟した、その瞬間だった。
「……はぁ。本当に、最後まで短絡的な男ね」
私が深い、深いため息をついたのと同時に。
ドンッ!!
凄まじい衝撃音と共に、ボランの体が空中でピタリと止まり、次の瞬間、まるで弾き飛ばされるように後方へと吹き飛んでいった。
彼を吹き飛ばしたのは、給仕服を窮屈そうに着ていた二メートルの巨漢、ロッツの一蹴りだった。
「ぐはぁっ!?」
ボランは豪華な食事が並ぶテーブルの上に激突し、ローストポークやスープの皿を盛大にぶちまけながら床に転がり落ちた。
「おいおい、ボスの探偵ショーの最中に、刃物なんて物騒なもん持ち出すんじゃねえよ。俺の護衛手当が減っちまうだろうが」
ロッツは、大剣を抜くまでもないといった様子で、首の骨をボキボキと鳴らしながらボランを見下ろした。
物理的な戦闘力において、デスクワークしかしていない初老の貴族が、歴戦の獣人の傭兵に敵うはずがないのだ。
「おのれ、貴様ら……! 近衛兵! 何をしている! この者たちを斬り捨てい!」
床を這いつくばりながら、ボランが叫ぶ。
大広間の入り口から、数人の近衛兵が雪崩れ込んでくる。彼らはボランが裏で金で買収し、今回の暗殺計画のバックアップとして配置していた私兵たちだった。
「ふふふ……。やはり、護衛を連れてきて正解だったわね」
私はメイド服のポケットから、二つの小瓶を取り出した。
一つは、無菌調剤室で限界まで度数を高めた『特製・超高濃度エタノール』。
もう一つは、スラムの子供たちが集めてきた『酸食草の濃縮液』と、ある魔物の素材を混ぜ合わせた、強烈な刺激臭を放つ液体。
「ロッツ、少し下がってなさい。あんたの剣で血を流したら、せっかくの晩餐会が台無しになっちゃうでしょ?」
「お、おう? ボス、また何かヤバいことする気か?」
私はニヤリと笑い、二つの小瓶の蓋を指で弾き飛ばした。
「さあ、カガクの授業の続きよ! 毒殺の次は、物理制圧のロジックを教えてあげるわ!」
私は、ボランの私兵たちが剣を構えて突っ込んでくる真っ只中へ向けて、二つの小瓶の中身を空中で交差させるようにして勢いよくぶちまけた。
バシャッ!
高濃度のエタノールと、強酸性の液体が空中で混ざり合い、そこに広間のシャンデリアの熱(あるいは蝋燭の火)が引火する。
通常の魔法の炎とは全く異なる、化学反応による急激な気化と爆発。
ドボォォォォォォンッ!!
目も眩むような強烈な閃光と、鼓膜を破らんばかりの破裂音、そして致死量には至らないものの、吸い込めば肺が焼けつくような『強烈な催涙ガス』が、大広間の中央で一気に膨張した。
「ぎゃああああああっ!!」
「め、目がぁぁっ! 痛い、息ができないぃぃっ!」
突っ込んできた私兵たちは、剣を放り出して顔面を抱え、床をのたうち回り始めた。
魔法使いの放つ火球のような熱はない。しかし、粘膜を直接攻撃するカガクの煙幕の前に、彼らの戦闘力は一瞬にしてゼロになった。
「ゴホッ、ゲホッ! な、なんだこれは……! まるで毒ガス……!」
「だから、魔法じゃなくてカガクだって言ってるでしょ」
私は、あらかじめ用意しておいた湿った布を口元に当てながら、煙の中で咳き込んでいるボランの胸ぐらを、メイド服のままガシッと掴み上げた。
「動かぬ証拠と、物理的な制裁(暴力)。これがサキ薬局の、裏の顔よ。……さあ、ボラン卿。おとなしく罪を認めて、お縄につきなさいな」
私の氷のように冷たい宣告を聞き、ボランは完全に戦意を喪失し、白目を剥いて気絶した。
かくして、若き辺境伯を巡るドロドロの陰謀劇は、現代薬剤師による「成分分析」と「化学実験(物理攻撃)」によって、あまりにも鮮やかに、そして情け容赦なく粉砕されたのである。
晩餐会に集まった貴族たちは、魔法を一切使わずに事態を制圧した私の姿を、畏敬と恐怖の入り混じった目で見つめていた。




