第26話「罠にはまるのはどっちだ」
サキ特製・エナジードリンクのカフェインと糖分がもたらす『強制覚醒』の反動は、凄まじかった。
領地会議という大舞台を、目をバキバキに血走らせた異常なまでのハイテンションと、圧倒的な決断力(カフェインによる多弁と高揚感)で乗り切った若き辺境伯ユーリス。彼は、反対派の重臣たちを完膚なきまでに黙らせ、領主としての威厳を完全に見せつけた後、馬車で屋敷に帰還した。
そして、自室のベッドにドサリと倒れ込んだ瞬間、文字通り「糸の切れた操り人形」のように深い眠りに落ちたのである。
それから丸一日。
ユーリスは寝返り一つ打たず、まるで死体のように昏々と眠り続けていた。
「サ、サキ先生……。ユーリス様は、本当に大丈夫なのでしょうな? 会議でのあのご立派な……いや、少し恐ろしいほどの覇気とは打って変わり、今は息をしているのかも怪しいほど静かですが……」
ベッドの傍らで徹夜の看病を続けていた初老の騎士ヴァンが、不安げに私に尋ねてきた。
「心配ないわよ。脳が前借りした疲労を、今まとめて精算(睡眠)してるだけ。脈も呼吸も安定してるし、体内の毒素(重金属)の排出も順調に進んでるわ。それに……ほら」
私がユーリスの頭頂部を指差すと、ヴァンはハッとして目頭を押さえた。
数日前まで砂漠のように干からびていたその頭皮には、毎晩の激痛マッサージと育毛トニックの成果が確実に現れており、生命力に満ちた黒い産毛がフサフサと密集し始めていた。
「おおおっ……! やはり、サキ先生の治療は本物だ。ユーリス様がお目覚めになれば、さぞやお喜びになることでしょう!」
「でしょ? 毛根防衛戦は私の完全勝利よ。追加料金(金貨五十枚)をもらった分の仕事は、きっちりやり遂げるのが一流のプロなんだから」
私は極上の営業スマイルを浮かべた後、スッと表情を引き締め、声のトーンを落とした。
「さて、ヴァンさん。患者の命と髪の毛の安全は確保したわ。ここからは、この屋敷に巣食う『ネズミ』を罠にかけるための、探偵劇の始まりよ」
「ネズミ、ですか……。やはり、ユーリス様のカップに毒を仕込んだ叔父、ボラン卿のことですな」
「ええ。ユーリス様が会議で元気な姿を見せたことで、暗殺計画を企てていた黒幕は今頃、パニックになってるはずよ。半年かけてジワジワと毒を盛って、もう少しで病死に見せかけて殺せそうだったのに、標的が突然復活したんだから」
私はベッドから離れ、窓際から屋敷の庭を見下ろした。
外には完全武装の近衛騎士たちが巡回しているが、毒という見えない刃を防ぐことはできていない。
「いいこと、ヴァンさん。人間ってのは、計画が狂うと必ず焦って『ボロ』を出すの。黒幕は今、『なぜ毒が効かないのか』『自分の計画がバレたのではないか』と疑心暗鬼に陥っているわ。ここで私たちが打つべき手は一つ。彼らに、もう一度『確実なトドメを刺すチャンス』を与えてあげることよ」
「トドメを刺すチャンスを与えるだと!? ば、馬鹿な! ユーリス様を危険に晒すというのか!」
「最後まで聞きなさいよ、この脳筋騎士」
私がピシャリと嗜めると、ヴァンはグッと唇を噛んで押し黙った。
「ユーリス様が会議で元気だったのは、『無理をして最後の気力を振り絞っただけ』だという噂を、屋敷のメイドや使用人たちを通じて意図的に流しなさい。そして、会議から帰った直後、再び倒れて危篤状態に陥った……とね」
「偽の情報を流す、というわけですな」
「そう。黒幕からすれば、標的はまだ死にかけている。でも、何かの拍子に持ち直されるかもしれない。だから、長期的な重金属中毒(カップの毒)なんて悠長な手段は捨てて、今度こそ確実に息の根を止めるために『一撃必殺の強い毒』を使ってくるはずよ」
私の推理を聞き、ヴァンは顎に手を当てて深く考え込んだ。
「なるほど……。しかし、サキ先生。先日も申し上げた通り、ユーリス様の口に入るものは、すべて私が毒見をし、さらに銀の食器で反応を確かめているのです。それに、屋敷の結界には『魔力を含む物質(魔法薬など)』を探知する網が張られている。強い毒を持ち込むことなど、不可能では……」
「だから、カガクの知識がない連中はダメなのよ。魔法探知をすり抜ける毒なんて、この世界にはいくらでもあるわ」
私は窓枠に寄りかかり、指を一本立てて見せた。
「毒っていうのは、魔法で作られるものだけじゃない。例えば、魔力を持たない普通の植物……現代で言えばトリカブトや、特定のキノコから抽出した『アルカロイド系の毒』。これらは魔力を含んでいないから、屋敷の魔法探知には絶対に引っかからない。しかも、無色透明で、無味無臭。毒見役がほんの一口舐めた程度じゃ数時間は症状が出ない遅効性のものを使われたら、銀の食器が変色しない限り、誰も気づくことができないわ」
「無色透明で、魔法探知にも引っかからず、毒見もすり抜ける……。そ、そんな恐ろしい毒があるというのか……!」
「ええ。相手が貴族の財力と権力を持っているなら、その程度の暗殺用の毒、裏ルートでいくらでも手に入るはずよ。私は、黒幕が次に使ってくるのは、間違いなくその手の『無色透明な即効性(あるいは強力な遅効性)の毒』だと確信しているわ」
私が断言すると、ヴァンは顔面を蒼白にして震え上がった。
「では、どうやって防げと言うのだ! 色も味もなく、探知もできない毒を盛られてしまえば、ユーリス様のお命は……!」
「だから、私がいるんじゃない」
私は白衣のポケットから、空のガラスの小瓶を取り出し、ヴァンの目の前で弄んでみせた。
「無色透明な毒が魔法で見えないなら、『カガク』の力で目に見えるようにしてあげればいいのよ。特定の毒物(アルカロイドや重金属)と混ざった瞬間にだけ、強烈な色を発して化学反応(呈色反応)を起こす『特製・毒物検知試薬』。これを作って、ユーリス様のグラスに仕込む罠を張るの」
「そ、そのような便利な薬が……作れるのですか!?」
「誰にモノを言ってるの。私はサキ薬局の総帥にして、一流の薬剤師よ。材料と設備さえあれば、毒を暴く試薬なんて造作もないわ。……数日後に、親族が集まる『晩餐会』があるんでしょ?」
「は、はい。ユーリス様の病状回復(偽装)を祝う名目で、叔父のボラン卿も出席する予定ですが……」
「最高の舞台じゃない。その晩餐会で、黒幕に自らボロを出させて、すべての証拠を突きつけてやるわ」
私はニヤリと、探偵役というよりは悪代官のような黒い笑みを浮かべた。
暗殺を企てた犯人には、命を狙った代償をきっちりと払わせる。そして、見事事件を解決した探偵役(私)には、ユーリスから莫大な『特別解決報酬』が支払われるという、完璧なビジネスモデルの完成である。
* * *
その日の深夜。
私はユーリスの看病をヴァンに任せ、ロッツと共にスラムのサキ薬局へと一時帰還した。
パンデミックの鎮圧以来、スラムはすっかり平和を取り戻しており、サキ薬局は夜でも煌々と明かりを灯し、フル稼働を続けていた。
「お姉ちゃん! おかえりなさい!」
「ボス、お疲れさん。貴族の館の居心地はどうだった? 豪華なメシでも食えたか?」
店番をしていたシエナちゃんと、用心棒のロッツ(一時的に屋敷の警備から外して連れ帰ってきた)が出迎えてくれる。
「メシを食ってる暇なんてなかったわ。毛根のマッサージと、書類の決裁と、探偵の真似事で大忙しよ。……カルラ社長は来てる?」
「ああ。奥のクリーンルームで、エルフのねーちゃんと一緒に美容液の生産ラインの上がり(利益)を計算してるぜ」
私はズカズカと店の奥へと進み、クリーンルームの扉を開けた。
そこでは、ドワーフの豪商カルラが山積みの金貨を数えながら葉巻をふかし、エルフの魔法使いメイラが、フラスコの下で青白い炎(魔法のガスバーナー)を灯しながら、虚ろな目で「摂氏六十度……ビタミン抽出……」とうわ言を呟いていた。相変わらず見事な社畜っぷりである。
「おや、サキじゃないか。貴族様の専属医(お抱え)になったからといって、こちらの商売を疎かにされては困るぞ。王都の貴族どもが、美容液の追加発注を狂ったように寄越してきているんだ」
「わかってるわよ。生産ラインはメイラが死ぬ気で回してるから問題ないでしょ。それよりカルラ社長、緊急で手配してほしい材料があるの」
私はカウンターの上に、走り書きした羊皮紙のメモを叩きつけた。
「ヨウ素を含む『海藻の灰』、特定の魔物の肝から採れる『硫黄化合物』、それに純度の高い『硝酸(に似た酸性の液体)』。明日の朝までに、言い値でかき集めてきなさい」
「……なんだこれは。薬の材料にしては物騒なものばかりじゃないか。毒でも作る気か?」
「毒を『見破る』ための薬よ。貴族のドロドロした暗殺劇を、私のカガクでスパッと解決して、莫大な報酬と名声をかっさらうための先行投資だと思ってちょうだい」
私が自信満々に答えると、カルラは怪訝な顔をしながらも、すぐに商人の鋭い目つきに変わった。
「なるほど。辺境伯の命を救い、暗殺の陰謀まで暴いたとなれば、サキ薬局の名声は王都にまで轟く。我が商会の美容液のブランド価値も跳ね上がるというわけか。……いいだろう。どんな手段を使っても、明日の朝までに揃えてみせる」
カルラが足早に店を出ていくのを見送り、私は次に、炎を出し続けているメイラの方へ振り返った。
「メイラ! ぼーっとしないで。美容液の生産は一旦ストップよ。これから、最高難易度の『化学合成実験』を始めるわよ!」
「化学、合成……!?」
その言葉を聞いた瞬間、死んだ魚のようだったメイラの瞳に、狂気じみた探求心の光がギラッと蘇った。
「やります! サキ先生! 新たなカガクの深淵、このメイラにぜひお見せください!」
翌朝。
カルラが驚異的なネットワークを駆使してかき集めてきた材料を使い、私とメイラはクリーンルームにこもりきりで試薬の調合を行った。
魔法の探知をすり抜ける、無色透明な植物性アルカロイド系の毒。
それを視覚的に暴き出すために私が考案したのは、現代の化学捜査でも用いられる『呈色反応』を応用した試薬だった。
特定の毒物分子と結合した瞬間にだけ、液体の構造が変化し、強烈な色を発する。
「メイラ! 温度を八十度に上げて! 硫黄化合物を酸に溶かし込むの! 一滴でも分量を間違えたら失敗するわよ!」
「はいっ! 炎の精霊よ、微細なる熱の制御を!」
メイラの完璧な温度管理と、私の【調合】スキルによる精密な成分結合。
数時間の格闘の末、フラスコの中には、ほんのわずかに黄色みがかった、しかしほとんど透明に近い『特製・毒物検知試薬』が完成した。
「できたわ……! これをユーリス様の飲むワイングラスの内側に、あらかじめ薄く塗っておくの。無色透明だから、犯人には絶対に気づかれない。でも、そこにアルカロイド系の毒が数滴でも混ざった瞬間……」
私はスポイトで試薬を吸い取り、実験用に用意した「植物性の毒素」を溶かした水の中に、ポタッと一滴垂らした。
シュァァァッ……!
その瞬間、透明だった水が、まるでインクをこぼしたかのように、ドス黒い『赤紫色』へと一瞬にして変色したのだ。
「おおおおっ……! なんという色彩の暴力! これが、見えない毒を可視化するカガクの力……!」
「完璧ね。これなら、どんな言い逃れもできないわ」
私は完成した試薬を小さなガラス瓶に移し替え、しっかりと蓋を閉めた。
物理的な証拠を残さないファンタジー世界の暗殺手法。それに立ち向かうのは、論理と証拠を重んじる現代の科学捜査だ。
舞台の準備は整った。
役者(標的と犯人)が揃う『晩餐会』は、明日の夜である。
* * *
そして、運命の晩餐会の夜。
辺境伯邸の広大な大広間には、豪華なシャンデリアが輝き、長大なテーブルには豪勢な料理が並べられていた。
ユーリスの病状回復(という偽装)を祝うために集まった、辺境伯領の主要な親族や重臣たち。彼らは皆、華やかな衣装に身を包み、表面上はにこやかに談笑しているが、その実、腹の底では権力闘争の思惑を巡らせているのが丸わかりだった。
そのテーブルの上座に、主賓である若き辺境伯ユーリスが座っている。
彼は私が処方したエナジードリンク(ハーフサイズ)を事前に飲んでおり、病み上がりとは思えないほどシャキッとした姿勢を保っていた。そして何より、彼の頭頂部には、見事な黒い産毛がフサフサと息づいており、それが彼の自信に満ちた表情を一層際立たせていた。
私はといえば。
「……なんで私が、こんなフリフリのメイド服を着なきゃいけないのよ。屈辱だわ」
大広間の隅で、屋敷のメイドに変装した私は、ヒラヒラのスカートの裾を握りしめながら、ギリィッと歯を食いしばっていた。
証拠を押さえるためには、私が現場に潜入してグラスに試薬を仕込む必要があった。しかし、怪しげな白衣の女がうろついていては犯人に警戒されるため、ヴァンの強い要望により、急遽メイドに変装させられたのである。
「似合ってるぜ、ボス。普段の恐ろしい顔が、少しは可愛く見えるじゃねえか」
「うるさいわねロッツ。あんたもその窮屈そうな給仕の服、似合ってないわよ。終わったらボーナス弾むから、しっかり私の護衛を務めなさいよ」
私の隣には、給仕の服(特注サイズ)に身を包み、ワインのボトルを持ったロッツが、窮屈そうに首を捻りながら立っていた。いざという時の物理的な制圧要員だ。
晩餐会が進行し、宴もたけなわとなった頃。
テーブルの中央付近に座っていた、一人の恰幅の良い初老の貴族が、ワイングラスを手に立ち上がった。
ユーリスの叔父であり、領主の座を狙う最大の黒幕、ボラン卿である。
「ユーリスよ。お前が重い病に伏せっていると聞き、我々親族は皆、肝を冷やしたものだ。しかし、今日のその元気な姿、そして見事な頭髪の回復ぶりを見て、安心したぞ」
ボランは、白々しいまでの笑顔を浮かべて、ユーリスにグラスを掲げた。
「さあ、我が甥の完全なる復活と、辺境伯領の永遠の繁栄を祝して、乾杯と行こうではないか。……おい、そこのメイド。ユーリスに、私が持参した特上のワインを注いでやってくれ」
ボランが、大広間の隅に控えていた私(変装したサキ)に向かって、顎で合図をした。
来た。
私はロッツからワインボトルを受け取り、恭しく頭を下げて、ユーリスの元へと歩み寄った。
私の目は、ボランの手元を確実にとらえていた。
彼が立ち上がる直前、自分の袖口から、極小のガラスの小瓶を取り出し、私がユーリスの前に置いた『空のグラス』に向かって、何か無色透明な液体を数滴、素早く垂らしたのを。
魔法探知には引っかからない。色もない。匂いもない。
だが、それは確実に『致死性の猛毒』である。
(馬鹿な男ね。まんまと私の仕掛けた罠に、自分から毒を流し込んだわ)
私は、心の中で悪魔のような笑みを浮かべながら、ユーリスのグラスに、ボランが持参した赤いワインを静かに注いだ。
次の瞬間。
大広間に集まったすべての貴族たちが、息を呑んで硬直した。
「乾杯」の言葉を発しようとしていたボランの顔が、信じられないものを見るように引き攣り、手にした自分のグラスを取り落とした。
ガシャンッ! と、ガラスが砕け散る音が、静まり返った広間に響き渡る。
ユーリスの目の前に置かれたグラス。
注がれたはずの美しい赤色のワインは、グラスの底で待ち構えていた『特製・毒物検知試薬』と、ボランが垂らした『アルカロイド系の毒』が混ざり合ったことで、強烈な化学反応を起こしていた。
ブクブクと不気味な泡を立てながら、ワインは一瞬にして、まるで腐った泥水のような『ドス黒い赤紫色(毒色)』へと変色し、異様な刺激臭を放ち始めたのだ。
「な、なんだその色は……!? ワインが、黒く濁ったぞ!?」
「呪いか!? 悪霊の仕業か!?」
パニックに陥る親族たち。
その混乱の中、私はフリフリのメイド服のスカートをバサリと翻し、堂々たる足取りで、震えるボランの目の前へと進み出た。
「呪いでも悪霊でもありませんわ、皆様」
私は、ドス黒く変色したグラスを手に取り、ボランの鼻先に突きつけた。
「これは、科学捜査が暴き出した、動かぬ『殺意の証拠』。……無色透明な毒を仕込んだつもりが、見事に色が変わってしまって残念だったわね、ボラン卿」
魔法も使わずにどうやって、と驚愕する出席者たちの前で。
異世界の常識を打ち破る、現代薬剤師による痛快極まりない『種明かし』が、今まさに幕を開けたのである。




