表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
20/34

第20話「請求書は悪徳商人の元へ」

スラム街を覆い尽くしていた死の気配は、朝日の昇ると共に完全に霧散していた。

前日までの地獄絵図が嘘のように、路地裏には清々しい空気が満ちている。もちろん、物理的に街が綺麗になったわけではない。相変わらず崩れかけた家屋と泥道が続く貧民窟だ。

しかし、そこに暮らす人々の顔には、確かな『生気』が戻っていた。


「サキ先生……! ありがとうございます、ありがとうございます……っ!」

「サキ先生は、俺たちを見捨てた神殿に代わって遣わされた、本物の聖女様だ!」

「聖女様! サキ聖女様、万歳!!」


サキ薬局の前に集まったスラムの住人たちが、泥だらけの服のまま地面にひれ伏し、私に向かって涙ながらに祈りを捧げている。

孤児院の子供たちも、すっかり顔色を良くしてシエナちゃんと抱き合って喜んでいた。

私が徹夜で供給し続けた『特製経口補水液』と『抗菌ペースト』、そしてバドたち冒険者部隊による『問答無用の隔離と徹底的な焼却消毒』。

この現代医療における公衆衛生の基本を力業で実行した結果、スラムを襲った強力なパンデミック(細菌性食中毒)は、死者をただの一人も出すことなく、見事に鎮圧されたのである。


「みんな、もう大丈夫よ。でも、油断は禁物だからね。生水は絶対に飲まないこと、食事の前は必ず手を洗うこと。これを守らないと、聖女わたしはもう助けてあげないからね」


私は、汚れた白衣の裾を優雅に揺らしながら、極上の慈愛に満ちた『聖女のスマイル』を振りまいた。

群衆から歓声が上がる。

表向きは、無償で貧しい人々を救った慈悲深き薬師。

しかし、私の心の中(脳内ソロバン)は、彼らの歓声など一切耳に入らないほど、冷徹に、そして激しく弾かれていた。


(……塩と砂糖の買い占め費用が金貨五枚。青カビと薬草の特急仕入れ代が金貨八枚。ガラス瓶と薪代が……。さらに、ロッツとバドさんたち冒険者部隊五十名への危険手当。極めつけは、メイラに飲ませた劇薬エナジードリンクの原価と彼女の深夜残業代……)


ざっと計算しただけでも、今回のパンデミック鎮圧にかかった経費は、スラムの住人が一生かかっても払えないような莫大な額に膨れ上がっていた。

当然だ。豪商カルラの物流ネットワークをフル稼働させ、市場の物資を根こそぎ買い占め、エルフの魔力を限界まで搾り取ったのだ。コストがかからないわけがない。


群衆が散り、ようやく静寂を取り戻したサキ薬局の店内で、ドワーフの豪商カルラが呆れたように葉巻をふかしていた。


「全く、とんでもない夜だった。私の商会の倉庫はすっからかんだし、お前の薬局の奥では、エルフが魔力切れで白目を剥いて倒れているぞ」


カルラの言う通り、クリーンルームの中では、一晩中「カガクの炎」を燃やし続けたメイラが、「もう……お水、出ません……炎も……」とうわ言をこぼしながら、床に大の字になって気絶していた。見事なまでの社畜の鑑(過労死寸前)である。後で栄養のあるものを食べさせてあげよう。


「お疲れ様、カルラ社長。あんたの迅速な物資調達がなければ、今頃スラムは死体の山だったわ。心から感謝するわ」

「ふん、感謝など要らん。私は商人だからな。……だが、サキ。お前、あのスラムの連中から治療費を一銭も取らなかったな?」


カルラは、鋭い探るような目で私を見た。


「今回の騒動で、我が商会も莫大な経費を使った。もちろん、お前との契約がある以上、王都での美容液の独占販売で十分に元は取れる算段はついている。だが、お前自身はどうする気だ? ボランティアでこれだけの物資と労力を使い果たして、タダ働きで聖女気取りか? それなら私は、お前というビジネスパートナーの評価を少し改めなきゃならんぞ」

「人聞きの悪いこと言わないでよ」


私は、カウンターの上に広げた羊皮紙にサラサラと羽ペンを走らせながら、フッと冷たい笑みをこぼした。


「命は平等に救うのが私のモットーよ。でもね、使った経費と私の技術料、それに慰謝料は、取れる奴から一滴残らず、骨の髄まで搾り取るのが私の『経営哲学』なの」

「ほう?」

「シエナちゃん!」


私が呼ぶと、店の裏で片付けをしていたシエナちゃんが小走りでやってきた。


「はいっ! お姉ちゃん!」

「あんたが教えてくれた、スラムの広場で『訳ありの魔物肉』を安売りしていた商人。名前と商館の場所は割り出せた?」

「うんっ! スラムの大人たちに聞いて回ったよ。王都から流れてきた『ギドロ商会』っていうお店の人たちだって。市場の東区画に、立派な建物を借りてるみたい!」

「上出来よ。ありがとう、シエナちゃん」


私は書き上がったばかりの羊皮紙を丸め、バサリと白衣を翻した。


「カルラ社長、私はボランティアなんて大嫌いよ。スラムの連中からお金は取らない。でも、今回のパンデミックの『元凶』を作った奴には、全額、いや、その十倍の金額をきっちり負担してもらうわ」


私の悪魔のような笑みを見たカルラは、一瞬ゾクッとしたように身をすくませ、その後、腹の底から愉快そうに笑い出した。


「くっ……あははははっ! なるほど、請求書は『加害者』に回すというわけか! お前、本当に血も涙もない恐ろしい女だな! 私はそういう奴が大好きだよ!」

「お褒めにあずかり光栄ね。ロッツ! バドさん!」


私が声を張り上げると、店の外で待機していたロッツとバドが、ドスドスと重い足音を立てて入ってきた。二人とも、一晩中スラムの隔離と焼却作業を行っていたため、泥と煤で真っ黒だ。


「おう、ボス! まだ何か力仕事があるのか?」

「ええ。最高の力仕事(集金)よ。あんたたち冒険者部隊の『危険手当』と『特別ボーナス』を、今から回収しに行くわよ」


ボーナスという言葉に、ロッツとバドの目がギラッと猛禽類のように輝いた。

役者は揃った。

私は、丸めた『超高額請求書』を片手に、筋肉ダルマのベテラン冒険者と、巨漢の獣人を両脇に従え、堂々たる足取りで市場の東区画へと向かった。


* * *

市場の東区画に建つ、一際目立つ豪奢な商館。

その最上階の執務室で、ギドロ商会の主である肥満体の男は、テーブルに並べられた金貨の山を見て、下品な笑い声を上げていた。


「ゲヘヘヘ……! 笑いが止まらん! 王都の廃棄業者からタダ同然で引き取った『腐りかけの角ウサギの肉』が、スラムのゴミ共相手に飛ぶように売れたわい!」


ギドロは、脂ぎった手で金貨を撫で回した。


「聞いたところによれば、あの肉を食ったスラムの連中が、謎の腹痛で次々とぶっ倒れているらしいじゃないか。ゲヘヘ、貧乏人は胃腸まで弱くて困るわい。まあ、スラムのゴミが何百人死のうが、衛兵も騎士団も動きはせん。私はこのまま、稼いだ金を持って王都に帰るだけよ!」

「さすがはギドロ様! 鮮やかな手腕でございます!」


ゴマをすり寄る部下の商人たちと、下劣な祝杯を挙げようとした、まさにその時だった。


ドゴォォォォンッ!!!


執務室の分厚いオーク材の扉が、蝶番ごと爆け飛び、部屋の中央にまで吹っ飛んできた。


「ひぃっ!? な、なんだぁっ!?」


ギドロが悲鳴を上げて椅子から転げ落ちる。

土煙が舞う中から、ゆっくりと姿を現したのは、純白の白衣(少し泥で汚れている)を翻した一人の小娘と、その背後にそびえ立つ、二人の恐ろしい巨漢だった。


「ごきげんよう、ギドロ商会さん。サキ薬局のサキよ」


私は、部屋の中にいた用心棒たちが剣を抜くよりも早く、ロッツとバドに顎で合図をした。

「オラァッ!」と、バドが巨大な戦斧を床に叩きつける。石造りの床が蜘蛛の巣状にひび割れ、凄まじい地鳴りが執務室を揺らした。

それと同時に、ロッツが瞬動して用心棒の懐に潜り込み、大剣の『峰』で次々と男たちの鳩尾を打ち抜いていく。

「ごふっ!」「あべばっ!」

わずか三秒。

ギドロが雇っていた数人の用心棒は、一太刀も浴びせることなく、白目を剥いて床に転がっていた。


「ひっ、ひぃぃぃっ! な、何者だお前たちは! 強盗か! ここをギドロ商会と知っての狼藉か!」

「強盗? 人聞きの悪いこと言わないでよね。私たちは真っ当な医療従事者よ。あんたに、ちょっとした『お代』を請求しに来ただけ」


私は、腰を抜かして震えているギドロの前にツカツカと歩み寄り、デスクの上にあった椅子を引いて、優雅に脚を組んで座った。

そして、懐から丸めていた羊皮紙を取り出し、ギドロの鼻先にバンッと叩きつけた。


「な、なんだこれは……」

「請求書よ」


私は、震えるギドロを見下ろしながら、氷のように冷たい声で読み上げ始めた。


「スラム街で発生した、強力な細菌性食中毒の鎮圧にかかった経費の全額。消費した特製経口補水液二千リットル分の原材料(塩・砂糖)。青カビペーストの材料費。カルラ商会への特別物流手配料。エルフの魔法使いへの深夜残業代。ならびに……」


私は背後に立つ、殺気立ったバドたちを指差した。


「感染エリアの封鎖と消毒作業に当たった、冒険者ギルド所属・特務部隊五十名の『致死性感染症への危険手当』および『深夜割増ボーナス』。……しめて、金貨五百枚ってところかしら」

「き、ききき、金貨五百枚ィィィッ!?」


ギドロの目玉が飛び出んばかりに見開かれた。

金貨五百枚といえば、この豪奢な商館が三つは建つほどの、桁外れの暴利である。


「ふ、ふざけるな! なぜ私がそんな馬鹿げた金を払わねばならん! スラムで病気が流行ったことと、私に何の関係があると言うのだ!」

「あら、しらばっくれる気? あんたが数日前にスラムで安売りした『腐りかけの角ウサギの肉』。あれが今回のパンデミックの感染源よ。あの肉のせいで、百人以上の人間が死にかけたの」

「証拠があるのか! スラムのゴミ共が勝手に腹を壊しただけだろうが!」


ギドロが顔を真っ赤にして反論する。

法律も衛生管理の概念も未発達なこの世界において、「食中毒の因果関係」を証明するのは不可能に近い。彼はそこにつけ込んでいるのだ。

だが、私を相手に『証拠不十分』で逃げ切れると思ったら大間違いである。


「証拠? あるわよ。あんたが売った肉の残りを、私の【成分鑑定】スキルで徹底的に分析させてもらったわ。肉の中からは、強力なエンテロトキシンを産生する病原菌がウジャウジャと検出されたわよ」

「そ、そんな得体の知れない魔法のような鑑定、公の場(裁判)で証拠になるわけが……!」

「裁判? 誰が裁判なんてまどろっこしいことするって言ったの?」


私は、悪魔のような、底冷えのする笑みを浮かべてギドロを覗き込んだ。


「いい、ギドロさん? 私は今、この街のスラムの住人全員と、冒険者ギルドの全ての冒険者から『命の恩人』として崇拝されてるの。おまけに、バックにはあの豪商カルラがついている」

「……っ!?」

「私が広場に立って、『このパンデミックの犯人はギドロ商会だ』って一言宣言すれば、どうなると思う? 裁判なんて始まる前に、激怒したスラムの住人と冒険者たちが、あんたの商館に火を放って、あんたを八つ裂きにするわよ」


私の言葉に、ギドロの顔から完全に血の気が引いた。


「さらに、カルラ商会があんたの取引先に圧力をかければ、あんたの商会は明日からこの王国で一本の草すら買えなくなる。……物理的に八つ裂きにされるか、経済的に抹殺されて路頭に迷うか。それとも、おとなしくこの請求書にサインして、全財産を置いて王都に逃げ帰るか」


私は、ギドロの震える手に羽ペンを握らせた。


「さあ、選びなさい。命は平等よ。でも、自分の命の値段を決めるのは、あんた自身なんだから」


背後で、バドが戦斧をギリリと鳴らし、ロッツが拳をボキボキと鳴らす。

絶対的な暴力。圧倒的な権威(世論)。そして逃げ場のない経済的圧力。

完全に退路を断たれた悪徳商人は、「ひっ、ひぃぃぃ……っ!」と情けない悲鳴を上げながら、涙と鼻水で顔をグシャグシャにして、請求書にサインをしたのだった。


* * *

数時間後。

ギドロ商会が隠し持っていた金庫の中身を根こそぎ荷馬車に積み込み、私たちは意気揚々とサキ薬局へと凱旋した。


「サキ先生! あんた、マジでえげつねえな! あのタヌキ親父の顔、見ものだったぜ!」


バドがガハハと豪快に笑いながら、危険手当として受け取った分厚い銀貨の袋を放り投げてキャッチしている。冒険者たちにも約束通り、破格の特別ボーナスを支給したため、彼らの士気と私への忠誠心はもはや宗教の域に達していた。


「お姉ちゃん、おかえりなさい! わぁっ、すごいお金!」

「ボス、お疲れさん。これでしばらくは遊んで暮らせるな」


店で留守番をしていたシエナちゃんとロッツも、運び込まれた金貨の山を見て目を丸くしている。

私は白衣を脱いで椅子にドカッと腰を下ろし、大きく伸びをした。


「遊んで暮らすわけないでしょ。この資金は、次の『設備投資』に回すわよ」

「ええっ!? まだ何か企んでるのかよ!」

「当然じゃない。カルラ商会の物流網と、メイラの魔力生産ラインを手に入れたんだもの。スラムの小さな店舗じゃ、手狭になってきたわ」


私は、窓の外に広がる街の景色を見つめた。

今回のパンデミック鎮圧と、薬師ギルドの最終兵器メイラを打ち破ったことで、「サキ薬局」と「サキ先生」の名は、スラムや下級冒険者の枠を完全に越えてしまった。

魔法を使わず、理路整然としたカガクと薬理学で奇跡を起こす、天才的な薬師。

その噂は、街の経済を動かす商人たちや、そして何より――この街の権力の中心である『貴族街』にまで、確実に届き始めているはずだ。


「……カルラ社長の言っていた通りね。本当の巨万の富は、あっち(貴族)の懐にあるわ」


薄暗いスラムから這い上がり、強固な生産ラインと仲間(従業員)を手に入れたブラック薬局の元社畜。

私の次なるターゲットは、金と権力と陰謀が渦巻く、貴族社会。

富裕層のドロドロとした悩みを、私の冷徹な『成分分析』と『物理的アプローチ』でサクッと解決し、彼らを極上のパトロン(ATM)に変えてやるのだ。


「さあ、新生サキ薬局の第ニフェーズよ! 明日からはもっと忙しくなるわよ、みんな!」


私の号令に、仲間たちが力強く応える。

奥の部屋で気絶しているエルフの魔法使いも、寝言で「はいっ、サキ工場長……摂氏六十度……」と呟いていた。

異世界の医療レベルを底上げしながら、自身は大陸最大の薬局チェーンの総帥として君臨する。

私の壮大なる野望は、貴族街という新たなステージへと、確かな一歩を踏み出そうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ