第16話「押しかけ助手と便利なガスバーナー」
薬師ギルドが送り込んできた最終兵器、エルフの魔法使いメイラとの『薬効勝負』は、私の完全な大勝利で幕を閉じた。
魔法で無理やり傷を塞ぎ、内部に細菌を閉じ込めてしまったメイラの処置は、数時間後に猛烈な化膿と激痛を引き起こした。対する私は、エタノールによる完全消毒と外科的な縫合、そして抗生物質を用いた論理的なアプローチで、患者を真の治癒へと導いた。
圧倒的な『カガク(化学)』の力の前に、数百年間「魔法こそが至高」と信じて疑わなかったエルフのプライドは、粉々に打ち砕かれたのである。
群衆が散り、熱狂の冷めやらぬサキ薬局の店内で、メイラは床にへたり込んだまま、虚ろな目で自分の両手を見つめていた。
「私の……魔法が。至高の芸術が、ただの『臭いものに蓋をするだけの欠陥品』……。細菌……目に見えない微小な敵……。そんなものが、この世界を支配しているというのですか……?」
ブツブツと、まるで呪文のように私の放った言葉を反芻している。
完全に心が折れてしまったようだ。エルフというのは長命である分、一度固定された価値観が崩壊した時のショックは、人間の比ではないのだろう。
私は散らかった医療器具を片付けながら、冷ややかに彼女に声をかけた。
「ほら、いつまで床に座り込んでるの。営業時間はとっくに終わったわよ。とっとと薬師ギルドの連中のところに帰って、『サキ薬局は潰せませんでした』って報告してきなさい」
「……」
「聞いてるの? まさか、このままここで寝泊まりする気じゃないでしょうね。うちの用心棒に叩き出させるわよ」
私がロッツに目配せすると、二メートルの巨漢が「おう、任せとけ」と腕まくりをした。
だが、その時。
メイラは突如としてガバッと顔を上げ、すがりつくような、それでいてギラギラと血走った目で私を見つめてきた。
「……教えてください」
「は?」
「あなたのその『カガク』! 魔力を持たぬ人間が、世界の理を解き明かし、物質の真の姿を操るその御業! それこそが、私が数百年求めていた『真理』に違いないのです!」
メイラは床を這うようにして私の足元にすり寄り、私の白衣の裾をガシッと掴んだ。
「薬師ギルドなどもうどうでもいい! あんな腐りかけの泥水を売りつける詐欺師どもに義理はありません! 私は、あなたのその知識が欲しい! どうか、どうか私をあなたの助手として置いてください! この『カガク』の深淵を覗かせてください!!」
なりふり構わぬ、文字通りの『押しかけ助手』の志願だった。
高慢でプライドが高く、「下等な人間」と私を見下していたエルフの面影はどこにもない。あるのは、未知の知識に対する異常なまでの探求心と、学者特有の狂気だけだった。
「お、おいボス。どうすんだこいつ。完全に目がイッちゃってるぜ……」
「ロッツ、あんたは下がってなさい」
私は白衣の裾を引っ張って彼女の手を振り払い、腕を組んで冷酷に見下ろした。
「助手にしてくれって言うのは簡単だけどね。私に何のメリットがあるの? あんたの魔法は薬の役には立たないって、さっき証明されたばっかりじゃない。知識を教えるだけなら、ただのタダ働きでしょ。私はボランティアで学校の先生をやる趣味はないわ」
「お、お金なら……!」
「私、カルラ商会と組んでるから、お金には困ってないの」
私がピシャリと撥ね退けると、メイラは絶望に顔を歪めた。
しかし、私は心の中で密かにソロバンを弾き、黒い笑みを浮かべていた。
――もちろん、彼女を追い出す気など毛頭ない。
魔法使い、それも高位のエルフとなれば、その魔力量と基礎的な魔法のコントロール技術は一級品のはずだ。現代医学の知識がないから『薬』は作れなかっただけで、彼女の持つ『インフラとしての魔法の力』は、私の生産ラインにとって喉から手が出るほど欲しいものだったのだ。
「……でも、そうね。あんたがどうしてもって言うなら、テストくらいはしてあげてもいいわよ」
「テ、テスト……!?」
「ええ。あんたの魔法が、私の『カガク』の手足としてどれくらい役に立つか、見極めてあげる。ついてきなさい」
私はメイラを伴い、店の奥にある無菌調剤室へと入った。
そこには、カルラ商会から運び込まれたばかりの大量のガラスフラスコ、ビーカー、すり鉢、そして抽出用の管などが所狭しと並べられている。
「ここは私の実験室よ。メイラ、あんた、回復の魔法以外に、基礎的な属性魔法は使えるのよね? 水を出したり、火を出したり」
「もちろんです。エルフにとって、水と火、風と土の精霊を操ることは呼吸をするのと同じ。基礎中の基礎です」
「そう。じゃあ、まずは『水』を出してみて。このビーカーの中に、できるだけ綺麗な水を」
私がガラスのビーカーを差し出すと、メイラは小馬鹿にされたように鼻を鳴らした(少しだけ元のプライドが戻ったようだ)。
「そんな下級魔法でいいのですか? 造作もない」
彼女が指先をビーカーに向けると、空中に青白い魔法陣が浮かび上がり、そこからチョロチョロと清水が湧き出してビーカーを満たした。
私はその水を光に透かし、脳内の【成分鑑定】スキルを起動した。
【成分鑑定:エルフの生成水】
・原材料:大気中の水分および魔力による直接生成。
・含有成分:H2O(純度99.99%)。
・不純物:ミネラル分ゼロ、有機物ゼロ、雑菌ゼロ。
・状態:極めて安定した超純水。
「……………………はっ!?」
私は、あまりの衝撃にビーカーを取り落としそうになった。
純度99.99パーセントの『超純水』。
現代の製薬工場において、薬の調合や器具の洗浄に使われる『精製水』は、莫大なコストをかけて不純物やミネラルをろ過・蒸留して作り出される。この異世界でそれを再現しようとすれば、何度も何度も水を沸騰させて蒸気を集めるという、気の遠くなるような作業が必要だった。
それが、目の前のエルフは、指先一つで、文字通りの『不純物ゼロのH2O』を虚空から生み出してみせたのだ。
井戸水のように雑菌や謎のミネラルが混ざっていない、完璧な溶媒。
「な、なんというチート……! さすがファンタジー……!」
「どうしましたか? 水くらい出せて当然でしょう。これでテストは合格ですか?」
「ま、待ちなさい! 次は『火』よ! 火を出して!」
私は興奮で声を上ずらせながら、金属製のスタンドと、アルコールランプの代わりになる石の台を用意した。
「この台の上に、火を灯して。……いい? 薪を燃やすんじゃなくて、虚空から純粋な『熱』だけを生み出すのよ。煙やススが出たら、薬に不純物が混ざるから絶対ダメ!」
「火の精霊の力ですね。お安い御用です」
メイラが再び指先を向けると、石の台の上に、ボワッと赤い炎が浮かび上がった。薪も油もない空中で、魔力だけを燃料にして燃える炎。当然、ススや煙など一切発生しない。
「すごい……! 本当に燃焼生成物が出ない! じゃあ、次は火力調整よ! もっと火を弱くして!」
「こうですか?」
メイラの意志に応じて、赤い炎がスゥッと小さくなる。
「違う、もっと! ギリギリまで弱く! そして、温度を一定に保つの! ゆらゆら揺らしちゃダメ!」
「……ええい、注文の多い。これならどうです!」
メイラが集中すると、炎はさらに小さくなり、青白い安定した光へと変化した。
私はすかさず、その炎の上に水を入れたビーカーをセットし、【成分鑑定】で水温の上昇スピードを測った。
……信じられない。
炎の温度は寸分の狂いもなく一定に保たれている。現代の研究所にある『超精密な温度調節機能付きのガスバーナー(あるいはホットプレート)』と全く同じ、いや、それ以上の精度だ。
薬の成分抽出(特に熱に弱いビタミンやアルカロイドの抽出)において、温度管理は命である。高すぎれば成分が破壊され、低すぎれば抽出できない。薪の火ではどうしても温度にムラができるため、私はこれまでつきっきりで鍋の様子を見張らなければならなかった。
しかし、このエルフがいれば。
「……合格。完璧よ、メイラ」
私は、ビーカーの熱湯を見つめながら、ゾクゾクと全身の粟立つような歓喜に震えていた。
カルラ商会という『流通・材料インフラ』に続き、メイラという『究極の生産インフラ』が手に入ったのだ。
「本当ですか! では、私を助手にして、その『カガク』の真理を教えていただけるのですね!」
「ええ、もちろんよ。でも、私の助手を務めるには、あんたのその古い常識を全部捨ててもらう必要があるわ。魔法はただの『便利な道具』。主役はあくまで『化学式』と『薬理学』よ」
「構いません! 私は知りたいのです。あなたが先ほど見せた、二つの液体を混ぜて別の色に変えるあの秘術の原理を!」
「あれはただの酸とアルカリの中和反応……まあいいわ。まずは実践で学んでもらうわよ。カルラ社長から発注されている『特製・高濃度ビタミンC美容液』の大量生産ラインに、今すぐ入ってもらうから」
私はメイラを立たせ、目の前に山のように積まれた『酸食草』と、超純水を入れた巨大なガラスフラスコ、そして蒸留管をセットした。
「いい? メイラ。あんたの仕事は、このフラスコの下から火の魔法を当てて、中の液体を『摂氏六十度』で正確に三時間キープすることよ」
「せっし……? ろくじゅうど……? とは何ですか?」
「あ、そうか。この世界には温度の単位がないのね。ちょっと指を出しなさい」
私は自分のお湯を沸かし、私の指先の感覚(薬剤師としての経験則)で六十度くらいになったお湯に、メイラの指を突っ込ませた。
「あつっ!?」
「火傷するほどじゃないけど、ずっと触ってると熱い。これが六十度よ。あんたのエルフの鋭敏な感覚なら、この温度を一度も狂わせずにキープできるわよね?」
「……なるほど、そういうことですか。精霊の微細な息吹を感じ取れと。造作もないことです。やってみせましょう」
メイラはフラスコの下に手をかざし、青白い炎を生み出した。
彼女の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。魔法を一定の出力で長時間維持するのは、相当な集中力を要するのだろう。だが、彼女の瞳には、未知の実験に対するワクワクとした高揚感が溢れていた。
「いいわ、その調子よ。温度が少しでも上がったら有効成分(ビタミンC)が壊れるからね。私はその間に、こっちのすり鉢で……」
「サキ先生!」
私が別の作業に取り掛かろうとした時、メイラが興奮した声で私を呼んだ。
「見てください! フラスコの中の水が、草から何かを吸い出して、少しずつ色が変わっています! しかも、この上部の管を通って、別の液体になってポタポタと落ちていく……! まるで、大地の生命力を直接搾り取っているようだ!」
蒸留と抽出の過程を初めて目の当たりにしたエルフは、まるで魔法の国に迷い込んだ子供のように目を輝かせていた。
「それが『抽出』と『濃縮』よ。草の繊維や余計な毒素を捨てて、私たちの欲しい純粋な成分だけを取り出してるの。あんたの魔法みたいに不純物ごと固めたりしないわ。……美しいでしょ?」
「ええ……! なんという無駄のない、完璧なプロセス……! 魔力を使わずに、物質の持つ性質だけで別の物質を生み出すなんて……!」
メイラは完全に『カガク』の虜になっていた。
炎の温度を保ちながら、ポタポタと落ちてくるビタミンCの濃縮液を、食い入るように見つめている。
(ふふ……チョロい。これなら、いくらでも働かせられそうね)
私は心の中で、前世のブラック薬局長も顔負けの悪魔的な笑みを浮かべた。
「メイラ、抽出が終わったら、今度はそれをスライムの粘液と化合させるわ。温度を一気に二十度まで下げて。それと、純水のおかわりもお願いね」
「はいっ、サキ先生! 水の精霊よ!」
そこからのサキ薬局の生産スピードは、まさに異次元の領域へと突入した。
メイラという『音声認識付き・超精密ガスバーナー兼、無尽蔵の超純水生成機』を手に入れたことで、これまで私が半日かけていた蒸留や抽出の作業が、わずか数分〜数十分で完了するようになったのだ。
おまけに、エルフは魔力がある限り疲労を知らない。
私とシエナちゃんが交代で仮眠を取る中、メイラは徹夜でフラスコを見つめ、炎の温度を調整し続けていた。
「メイラ、もう夜中よ。少しは休んだら?」
深夜、あくびをしながら様子を見に来た私が声をかけると、メイラは血走った目で振り返った。
「休むなどとんでもない! サキ先生、今、このスライムの粘液(ヒアルロン酸類似成分)と、ビタミン濃縮液の結合反応が一番いいところなのです! ここで熱を止めれば、分子の定着が遅れてしまう! どうか、このまま続けさせてください!」
「……あんた、完全にワーカーホリック(仕事中毒)になってるわよ」
「ワーカ・ホリック? カガクの用語ですか? 素晴らしい響きだ! さあ、次の実験(抽出)の準備をお願いします!」
私は、自分の手でとんでもない『社畜モンスター』を生み出してしまったことに、一抹の恐怖を覚えた。
プライドの高かったエルフの魔法使いは、今や煤と薬草の匂いにまみれ、徹夜でビーカーを熱し続ける狂気の化学助手へと成り下がってしまったのだ。いや、本人は至極幸せそうなので、成り上がったと言うべきか。
「……まあ、本人がやりたいって言うなら、止めないけど。ほら、魔力が切れないように、この『特製エナジードリンク(高濃度カフェイン配合)』を飲みながらやりなさい」
「ありがとうございます、サキ先生! これを飲めば、あと三日は徹夜で実験できます!」
メイラが栄養ドリンクをぐいっと飲み干し、さらに青白い炎の出力を上げる。
私はその背中を見つめながら、フフッと黒い笑みをこぼした。
「素晴らしいわ。圧倒的なホワイト環境(本人の自主性による無給の徹夜労働)の完成ね」
カルラ商会の流通網と、メイラの魔法による超効率生産ライン。
この二つが完璧に噛み合ったことで、サキ薬局の倉庫には、貴族向けの『高級美容液』と、冒険者向けの『特効薬』が山のように積み上げられていった。
もはや、この街の医療と経済を完全に制圧したと言っても過言ではない。
しかし。
私の順風満帆な荒稼ぎ生活は、突如として発生した『見えない脅威』によって、思わぬ方向へと舵を切らされることになる。
それは、薬師ギルドの嫌がらせでも、同業者の嫉妬でもない。
劣悪な衛生環境を放置し続けたこの異世界の都市そのものが引き起こした、最悪の『パンデミック(集団食中毒)』の足音が、すぐそこまで迫っていたのである。




