第12話「二日酔いと奇跡の粉」
サキ薬局の朝は、いつだって戦場だ。
ドワーフの豪商カルラによる「薬草の買い占め」という経済的兵糧攻めを受けてから数日。私の店は潰れるどころか、かつてないほどの活気に満ち溢れていた。
「はい、次の方! あら、かかとのひび割れがパックリいっちゃってるわね。痛かったでしょ。今日から新発売の『特製・超保湿ひび割れ軟膏』よ。お風呂上がりにたっぷり塗り込みなさい。料金は銀貨一枚ね!」
「おおっ、ありがとうございますサキ先生! これで明日からの行軍も安心です!」
冒険者が銀貨を支払い、嬉しそうに小瓶を受け取っていく。
その小瓶の中身こそ、私がロッツに命じて集めさせた「魔物のフン」から高純度の尿素を抽出し、スライムの粘液とコケの抗菌成分をブレンドして作り上げた、究極の保湿クリームである。
まさか自分たちが顔や足に塗りたくっている特効薬のベースが、魔物の排泄物から抽出された成分だとは、誰も夢にも思っていないだろう。知らぬが仏、効けば官軍。これが現代化学の力である。
「お姉ちゃん、コケのペーストの在庫が少なくなってきたよ!」
「わかったわ、シエナちゃん! 採集部隊のAチームに、裏路地の北側の壁のコケを追加発注して!」
「おうボス! フンの一次処理(悪臭の中でのすり潰し作業)が終わったぞ! ……俺、もう自分が何の匂いを発してるのかわからなくなってきたぜ……」
「ご苦労様ロッツ。あんたの尊い犠牲のおかげで、サキ薬局は今日も大黒字よ。終わったらしっかり石鹸で手を洗ってきなさい」
私が鼻歌交じりに銀貨を計算していた、まさにその時だった。
スラムの凸凹な泥道には全く似つかわしくない、カラカラという車輪の音と、立派な馬のいななきが店の外から聞こえてきた。
「ん……? 馬車?」
冒険者やスラムの住人たちが、何事かと道を空ける。
サキ薬局の入り口の前に横付けされたのは、黒光りする高級な木材で設えられ、金細工の装飾が施された豪奢な馬車だった。御者台には、いかにも腕の立ちそうな護衛の男たちが険しい顔で座っている。
そして、馬車の扉がバタンと荒々しく開き、一人の人物が降り立った。
「……ここが、私の商売を邪魔しているという、コソ泥のような薬屋かい」
降りてきたのは、小柄な女性だった。
身長はシエナちゃんとさほど変わらないが、全身から放たれる圧倒的な『覇気』と『貫禄』が、彼女を何倍も大きく見せていた。
燃えるような赤い髪を後ろでキッチリとまとめ、仕立てのいいタイトなスーツのような服を着こなしている。ファンタジー世界のドワーフといえば、髭もじゃで酒樽のようなオジサンを想像していたが、彼女は全く違った。グラマラスで、鋭い知性と野心に満ちた瞳を持つ、美しき女社長といった風情だ。
「チッ……。お出ましだぜ、ボス」
ロッツが私の前に立ち塞がり、大剣の柄に手をかけた。
「あいつが、薬草を買い占めて俺たちを潰そうとした張本人。ドワーフの豪商、カルラだ。護衛の連中もただのチンピラじゃねえ。本職の暗殺者か、それに近い連中だぞ」
「へえ……。向こうからわざわざ出向いてくるとはね。よっぽど腹に据えかねたのかしら」
私はロッツの背中をポンと叩いて横に退かせ、カウンターからゆっくりと歩み出た。
周囲の冒険者たちが「おい、カルラ商会のトップだぞ」「なんでこんなスラムに……」とざわめき始める。
「いらっしゃいませ。サキ薬局へようこそ。私は店主のサキ。あなたがカルラさんね? うちの薬草の仕入れルートを買い占めてくれたお礼なら、わざわざ来てもらわなくても良かったのに」
私が余裕の笑みを浮かべて皮肉を放つと、カルラはピクリと眉をひそめ、私を鋭く睨みつけた。
「ふん。減らず口を叩く小娘だ。どうやって私の包囲網を潜り抜けたかは知らないが、コケやゴミからいかさまの薬を作って冒険者を騙しているそうじゃないか。天下のカルラ商会を敵に回して、この街で生きていけると思うなよ。今日こそ、貴様のその生意気な店を……」
カルラがビシッと私を指差し、啖呵を切ろうとした、その瞬間だった。
「……貴様の店を、完全に……う、うぶっ!?」
突如として、カルラの顔色からスゥッと血の気が引き、青白い土気色に変わった。
彼女は口元を両手で激しく押さえ、その場にガクンと膝をついた。
「お、お嬢様!? いかがなされました!」
「……っ、来るな! う、頭が……割れるように痛い……。それに、胃が……吐き気が……ッ!」
護衛たちが慌てて駆け寄るが、カルラはそれを手で制し、地面に這いつくばるようにして激しく嘔吐しそうになった(すんでのところで堪えているようだが、限界は近そうだ)。
威風堂々たる豪商の姿はどこへやら、今の彼女はただの『瀕死の病人』にしか見えなかった。
「お、おいボス。なんだありゃ? 毒でも盛られたのか? それとも俺の殺気に当てられてビビったか?」
「馬鹿ね、ロッツ。よく見てみなさい」
私は呆れたようにため息をつき、カルラを観察した。
【成分鑑定】のスキルを使うまでもない。彼女の全身から漂ってくる、強烈な『甘酸っぱいアルコールの腐ったような匂い』。異常な発汗。目の下のひどいクマ。そして、光や音に過敏に反応して頭を抱える動作。
前世で、忘年会シーズンの翌朝に、調剤薬局のバックヤードで死にかけていたハゲタカ薬局長と全く同じ症状だ。
「あれは毒でも呪いでもないわ。ただの『最悪の二日酔い(アセトアルデヒド中毒)』よ」
「ふ、ふつかよい……?」
「ドワーフってのは酒に強い種族なんでしょ? 彼女、私への嫌がらせ(買い占め)が全然効かなくてイライラしてたみたいだから、昨日の夜、ヤケ酒を浴びるように飲んだのよ。自分の肝臓の分解能力をはるかに超える量のアルコールをね」
私の推測は完全に的を射ていた。
アルコールは肝臓で分解される際、「アセトアルデヒド」という極めて毒性の強い物質に変化する。通常はこれがさらに無害な酢酸へと分解されるのだが、大量の酒を飲むと処理が追いつかず、毒素が体内に回り続ける。これが、激しい頭痛と吐き気の原因だ。
さらに、アルコールの強力な利尿作用によって、現在の彼女の体は『極度の脱水症状』と『電解質異常』を引き起こしているはずだ。
「うぅ……っ。だ、誰か、癒し手の神官を……。魔法で、この頭の痛みを……げぇっ」
「お嬢様! しっかりしてください! 誰か、至急ポーションを持て!」
護衛の一人が懐から薬師ギルドのポーションを取り出し、カルラに飲ませようとする。
だが、私はすかさず声を張り上げた。
「ちょっと! そんな弱ってる胃腸に、成分が相殺し合ってる泥水ポーションなんて飲ませたら、今度こそ胃痙攣を起こして本当に吐くわよ! 自分の主を大衆の面前でゲロまみれにしたいなら止めないけど!」
「なっ……!? き、貴様、ふざけるな! じゃあどうすればいいと言うのだ!」
「私に任せなさい。私は薬剤師よ。商売敵とはいえ、目の前で苦しんでいる患者を見捨てるほど落ちぶれちゃいないわ」
私は白衣の袖をまくり上げ、カウンターの奥へと走った。
「シエナちゃん! 煮沸済みの真水に、塩と砂糖を『一対五』の黄金比率で溶かして! 急いで!」
「はい、お姉ちゃん!」
「ロッツ! 念のため、ゲロ受けのバケツを持ってカルラの横に待機!」
「お、おう! 任せとけ!」
私がシエナちゃんに作らせたのは、現代医学における最強の水分補給ツール『経口補水液(ORS)』だ。
二日酔いの最大の敵は脱水である。ただの水を飲んでも、体液の塩分濃度が薄まるのを防ぐために、体はすぐに尿として排出してしまう。腸管から水分を爆発的なスピードで吸収させるには、ナトリウム(塩)とブドウ糖(砂糖)の緻密なバランスが必要なのだ。
さらに私は、クリーンルームから『ある粉末』が入った小瓶を取り出した。
シエナちゃんが森の奥で採取してきた、ショウガに似た黄色い根っこを乾燥させ、すり潰したもの。現代でいう『ウコン(ターメリック)』に近い植物だ。
【成分鑑定】によれば、これにはクルクミンと類似した強力な抗酸化成分が含まれており、肝臓の解毒酵素の働きを劇的に活性化させる効果がある。
「できたわ! 特製経口補水液と、ウコンもどきの奇跡の粉よ!」
私は塩と砂糖を溶かしたぬるま湯のコップと、黄色い粉末の入った薬包紙を持ち、這いつくばっているカルラの元へ歩み寄った。護衛たちが剣を抜いて制止しようとするが、バドをはじめとする冒険者たちが「サキ先生の邪魔をするな!」と壁を作って彼らを押し返してくれた。
「ほら、カルラさん。商売の邪魔をしてくれたお礼よ。これを飲みなさい」
「な、なんだそれは……! 毒か……!? 私を、暗殺、する気か……っ!」
「馬鹿言わないで。あんたみたいな超VIPを毒殺したら、私の店が衛兵に潰されちゃうでしょ。いいから口を開けなさい。それとも、このままこの路地裏で胃液をぶちまけて、ドワーフの豪商のプライドをドブに捨てる気?」
私の挑発に、カルラはギリッと歯を食いしばった。
彼女の商人としてのプライドが、大衆の面前での嘔吐という屈辱をギリギリのところで拒絶していたのだ。
カルラは震える手で私からコップと薬包紙を奪い取ると、黄色い粉を口に放り込み、経口補水液で一気に流し込んだ。
「……っ!? ま、不味いっ……! なんだこの、しょっぱくて甘くて、土臭い泥水は……!」
カルラが涙目で咳き込む。当然だ。健康な時に飲む経口補水液は、海水に砂糖を混ぜたような最悪の味がする。しかし、脱水状態の体がこれを摂取すると――。
「……あれ?」
カルラの動きがピタリと止まった。
彼女は信じられないような顔で、空になったコップと自分の体を見下ろした。
たった今飲んだばかりの液体が、胃を通り越し、凄まじい勢いで腸管から血液中へと吸収されていくのを感じたのだ。砂漠に水が染み込むように、枯渇していた細胞に水分と電解質が行き渡っていく感覚。
「お、おい……。嘘だろう……?」
私が処方した薬の真骨頂は、ここからだった。
ウコンもどきの成分(クルクミン類似体)が肝臓に到達し、アルコールの分解酵素を爆発的にブーストさせる。体内に滞留していた毒素が、猛烈なスピードで無害な物質へと変換され始めたのだ。
数分、十数分と経過するごとに、カルラの顔色から土気色が消え、本来の健康的な血色が戻ってくる。
ズキズキと脳を揺らしていた激しい頭痛が嘘のように霧散し、胃袋を裏返したくなるような吐き気は完全に消え去っていた。
「……痛みが、ない。吐き気も……。体が、軽い……?」
カルラはゆっくりと立ち上がった。
先ほどまで地面を這いつくばっていたのが嘘のように、その足取りはしっかりとしている。
彼女は自分の手を開いたり握ったりしながら、驚愕に見開かれた目を私に向けた。
「神聖魔法も使わずに……たった一杯の、粉と水で……? 私の、あの地獄のような二日酔いが……完全に消えた……?」
「ええ、消えたわよ。魔法じゃなくて、化学と薬理学の力ね。あんたの肝臓の機能を一時的に極限まで高めて、体内の毒素を強制排出させたの。水分補給も完璧よ」
私は白衣のポケットに手を突っ込み、得意げに笑ってみせた。
「どう? 私の作る『コケとゴミのいかさま薬』の味は。薬師ギルドの泥水ポーションよりは、よっぽど役に立ったでしょ?」
私の言葉に、カルラはハッとして息を呑んだ。
そして次の瞬間。
彼女の瞳の奥に宿っていた『怒り』や『敵対心』が、スゥッと消え去った。代わりに現れたのは、獲物を見つけた肉食獣のような、あるいは巨大な金脈を掘り当てたドワーフ特有の、ギラギラとした『商人としての強欲な光』だった。
「…………サキ、と言ったね」
「ええ、そうよ。慰謝料なら銀貨一枚で……」
「この粉は! この奇跡の粉は、いくらで作れるんだ!?」
カルラは突如として私の前に詰め寄り、カウンターをバンッと両手で叩きつけた。
そのあまりの剣幕に、私の方が一瞬ビクッと身を引いてしまった。
「は、はい? いくらって……原価の話? その辺の森に生えてる根っこと、ただの塩と砂糖だから、銅貨数枚もかからないけど……」
「銅貨数枚だと!? この、魔法を凌駕するほどの即効性を持った二日酔い薬が、たったの銅貨数枚で作れるだと!?」
カルラは興奮で顔を紅潮させ、私の肩をガシッと掴んで激しく揺さぶり始めた。
「サキ! 君は自分がどれほどとんでもないものを生み出したか分かっているのか!? この世界の酒飲み――特にドワーフや冒険者たちは、毎晩のように酒を浴び、翌朝の二日酔いに苦しんでいる! 神殿の神官に頼めば治るが、金貨数枚は吹っ飛ぶから誰も頼めない! もし、この薬を安価で量産できれば……!」
「ちょ、ちょっとストップ! 揺らさないで! 目が回る!」
ロッツが慌ててカルラを引き剥がす。
カルラは咳払いをして身だしなみを整えると、先ほどまでの「店を潰してやる」という態度はどこへやら、とびきり優雅で、それでいて有無を言わさぬビジネススマイルを浮かべた。
「……失礼した。あまりのビジネスチャンスに、商人の血が騒いでしまってね。単刀直入に言おう、サキ」
「なによ。今度は何を企んでるの」
「買い占めなどという無粋な真似をしたことは謝罪する。だから……私と手を組まないか?」
カルラの提案に、周囲の空気が再び凍りついた。
敵対していたはずの豪商からの、突然の業務提携の打診。
「君のその『化学』とやらで作る薬の凄さは、私のこの体が完璧に証明してくれた。君には類まれなる製造の才がある。だが、販売網や物流のノウハウはないだろう?」
カルラはスッと手を差し出し、私の目を真っ直ぐに見据えた。
「私の商会の流通ネットワークと、君の薬を組み合わせれば、この街どころか、王国中の市場を支配できる。薬師ギルドの古い権威など、数ヶ月で灰燼に帰すことができるぞ。どうだ? 悪い話ではないだろう?」
二日酔いの涙目から一転、一瞬にして利益を計算し、敵対関係を反転させてでも利益を追求する。
その見事なまでの変わり身の早さと、商売に対する異常なまでの執着心。
(なるほど。このドワーフ、私と完全に『同類』ね)
私は、自分と同じ匂い――骨の髄まで資本主義の奴隷であり、大金持ちになるためなら手段を選ばない強欲さ――を感じ取り、思わずニヤリと笑い返してしまった。
「……面白いわね。確かに、生産ラインの限界は見えてきてたし、上質な材料を安く仕入れるルートは欲しかったところよ」
「では、契約成立か!」
「待ちなさい。手を組むのはいいけど、条件があるわ」
私はカルラの差し出した手をパチンと弾き、カウンターの奥から羊皮紙とインクを取り出した。ブラック企業で散々理不尽な契約書を読まされてきた私だ。商人の口約束など絶対に信じない。
「私をただの下請け工場にする気なら、この話はなしよ。対等なビジネスパートナーとして、利益の分配、パテント(特許)の帰属、材料の原価提供、すべて私が納得する『エグい契約書』にサインしてもらうわよ。カルラ社長?」
私の挑発に、カルラは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに、まるで好敵手を見つけた猛獣のように喉の奥で笑った。
「ふふっ……あははははっ! いいだろう! 受けて立とうじゃないか! 薬師ギルドの無能どもを相手にするより、よっぽど血が湧き立つビジネスになりそうだ!」
かくして、サキ薬局の存亡をかけた敵対的買収(兵糧攻め)は、一杯の「特製経口補水液と二日酔いの粉」によって、劇的な業務提携へと姿を変えた。
スラムの路地裏で、現代日本の社畜薬剤師と、異世界のドワーフの豪商が、血で血を洗うような(利益率を巡る)ヒリヒリとした契約交渉を開始する。
サキ薬局の快進撃は、この最強のビジネスパートナー・カルラを手に入れたことで、いよいよ本格的な「市場制覇」へと乗り出していくことになるのだった。




