信じるのかい?
「おい、起きろ!」
ドスの利いた男の声が聞こえる。
体を乱暴に揺すられたので瞼を開くと、目の前には金髪の男が俺の胸ぐらを掴んで、睨みつけていた。
ここはどこだ? 俺は天界で女神フォルトゥナと戦っていて……。
頭に靄が掛かっているみたいで、考えがまとまらない。周囲を見回せば、俺も金髪男も、転生する前に通っていた学校の制服を着用している。
ここは、学校のトイレ? ……日本に戻ってきたのか?
目の前のこいつは、カースト上位グループのリーダー格の男だよな……? 名前は……、ちょっと思い出せない。
周りには取り巻きの奴らもいて、ニヤニヤと笑いながら俺を眺めていた。
「ここは? 女神は……?」
俺が思わずそう漏らすと、一斉に笑い声があがった。金髪男は呆れたような顔で俺を見下し、胸ぐらを掴んでいた手を放して突き飛ばした。
「女神だぁ? 寝ぼけないでさっさと出すもん出しやがれ!」
ああ、そうだったな。俺が異世界に転生する前は、毎日のようにこいつらに殴られ、金をたかられていた。
あの頃は、こいつらのことが怖くて仕方なかったよな……。
でも今は、恐怖も危機感もまるで無い。
魔力は……、使えないか。視線を落として自分の身体を見ると、でっぷりと太った体が見えた。
そうそう、俺って元はこんな感じだったよな。
それにしても、あの女神の凶悪なプレッシャーに比べれば、男子高生の威嚇なんて、子猫の鳴き声に等しい。
「ふっ、カワイイもんだな」
思わず笑ってしまった。すぐに金髪男は顔を歪ませて激昂する。
「あ? 何笑ってんだ、クソゴミが!!」
俺は金髪男の攻撃の意志を感じ取った。息遣い、筋肉の緊張、重心移動、視線。それらが彼の動きを正確に教えてくれる。
金髪男の前蹴りを俺は半身で躱し、軸足を払った。金髪男の身体が大きく傾き、見事にひっくり返ったので、腹に蹴りを入れておく。
「ぐぇっ!」
情けない声を上げて、金髪男が腹を押さえて転がった。
このだらしない体形で、しかも魔力の波動も感じられず、魔法も使えない。それでも一般高校生なんぞに負ける気は全くしない。
俺の中には、異世界で鍛え上げた戦いの経験と技術が染みついているのだから、当然の結果だ。
倒れた金髪男を見て、取り巻きたちの顔から笑みが消える。
「何反抗してんだ!? ぶっ殺すぞ!!」
怒声と共に、取り巻きたちも一斉に殴りかかってくる。俺は最小限の動きで攻撃を躱し、足を払い、腕を捻り、次々と地面に転がしていく。
あっという間に、立っているのは俺一人だけになった。
奴らは這うようにして起き上がると、捨て台詞を吐くこともなく、我先にとトイレから逃げていった。
一人残され、俺はふと壁の鏡に目を向けた。そこには太った冴えない男が映っている。大嫌いだった、かつての自分の姿だ。
あの頃は、この程度のことに絶望していたんだっけ。
……違う。この程度のことじゃない。
当時の俺にとっては、絶対に覆せない現実であり、殴られてもただ耐えるしかないと思い込んでいた。
トイレのドアを開け外に出ると、そこはいつか見た、はるか遠くまで広がる青い空間があった。
「やあ、カイト。はじめまして」
振り返ると、俺が出てきたはずのドアは消えていて、代わりに蒼い長髪に蒼い瞳の美少女が立っていた。
誰だ? 知らない子だな。
「ひどいなぁ、ボクを知らないって顔しているよ? ボクは神剣ベイルスティングだよ」
「俺の愛剣が、まさか美少女だったとは」
「はぁ? ボクの姿が美少女に見えるのかい?」
神剣ベイルスティングと名乗る美少女は、蒼い瞳を半眼にして、呆れたような顔で続ける。
「あれだけ綺麗な女の子たちに囲まれていて、それでもまだ物足りないのか。ボクは剣に宿った意識、いわば付喪神みたいなものかな。姿かたちに意味は無く、まして性別なんてないからね」
「お、おう、そうなのか。それで? ただ、雑談するために出てきたわけじゃないだろ?」
「そうだね。君が絶望しているから、ちょっと励まそうと思ってね」
俺は何も言い返せないでいると、ベイルスティングは穏やかな口調で言葉を紡ぐ。
「さっきのは、君の記憶から再現した過去の絶望だよ。だけど今の君にとっては、何の障害でも無かったよね?」
そんなのは当たり前だ。俺は思わず鼻で笑ってしまったが、ベイルスティングは俺の瞳をまっすぐに見つめ、いたって真面目な様子だ。
「おかしいかい? 状況としては似ていると思うんだけど」
昔の俺の絶望なんて、どうしていいか分からないだけで、問題自体は大したことじゃなかった。それと、世界を統べる女神と戦うことを同列に言われるのは面白くない。
「あんなの、ちょっとイキっているだけの男子高校生だ。女神とは違いすぎるだろ!?」
「君は自分の視野に映っている状況だけを見て絶望している。その点は同じだよ。まだ、見えていないものがあるかもしれない」
「相手は神だ。無理だったんだよ! 俺たち七人で必死に戦って、それでも二割しか削れていなかったって言ってただろ!? これ以上はもうどうしようもないんだ!」
「……君は女神フォルトゥナの方を信じるのかい?」
「どういう意味だ?」
「戦いが始まる前、君は誰と話して、何を決意した?」
その言葉を掛けられた瞬間、ノエルの声が頭の中で蘇った。
「どんな状況になっても絶望しないで。私を信じてくれたなら必ず勝てるから」
俺はハッと息を呑んだ。俺がこの世界に転生して、ずっと一緒で、ずっと助けてくれていた彼女の言葉を忘れていた。
ノエルとフォルトゥナのどっちを信じるか? そんなの決まっている。
俺が顔を上げると、ベイルスティングは満足そうに微笑んだ。
「それじゃあ、行こうか!」
直後、青い空間は暗転して、激痛のなかで目が覚めた。フォルトゥナの足音は、もうそこまで近づいている。
俺は神剣ベイルスティングを握り締め立ち上がる。剣を覆う青いオーラは俺に応えるように、力強く揺れていた。
「手間をかけたな、相棒」
そんな俺を見て、フォルトゥナは拍手を始めた。
「素晴らしい闘志です! 女神としてあなたを称えましょう。でも、もう飽きてきたので、そろそろ終わらせますね」
俺は、神剣ベイルスティングの切っ先をフォルトゥナに向けた。
「女神……ね。知るかそんなの!! 俺の女神が勝てるって言ってるんだよ! だから絶対勝てる!!」
フォルトゥナは目を細めて、いやらしく嘲笑う。
「妄想もそこまでいくと、哀れを通り越して滑稽ですね」
「なんとでも言え。こんな俺を想ってくれている六人こそが、俺にとっての女神だ」
俺は気合を入れてもう一度構える。フォルトゥナは嘲笑を浮かべながら、また一歩俺の元へ近付いた。
その時、フォルトゥナのはるか後方で、ノエルが立ち上がった。彼女はふらつきながらも、アイテムボックスから何かを取り出した。
その手に握られていたのは、七色のオーラを纏う神秘的な多面体だった。
ノエルがそれを両手で掲げると、強く光って辺りを照らした。




