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あとのさき  作者: 川崎 春


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3/6

3

 私の気持ちを伝えた後、テレサは憑き物が落ちたように大人しくなった。

 そして……なぜかシリウスが、テレサの見舞いの後で私の執務室にも来るようになった。


「お忙しいのでしょう?」

「いえ、大丈夫です」

 彼は大丈夫の中身を語らない。だから私には何が大丈夫なのか分からないままだ。

 同じ公爵家でも、領地の規模が違う。寄子がしっかりしている分、当主が緩いと食われてしまう。そう心配するが、シリウスに対してそれを口にするつもりはなかった。

 それは妻の役目だ。今の私は彼にとって小姑でしかないのだから。


 報告があったので、私はそれを口にした。

「母が再婚することになりましたの」

「え……」

 思わずと言ったような声が、シリウスの喉から出て私は笑った。

「母は子を産めるだろうと思われる間は、再婚をしませんでした。全ては、私たちのためでした」

 再婚して新たな子を儲ければ、その子が当主となる。それを母は良しとしなかったのだ。

「自分の産んだ子が、いつ発症するか分からない病のせいで未来を奪われるのは、嫌だったそうです」

 シリウスは苦い表情になった。


「あなたとテレサが生まれたことは、間違っていません」

「どういうことですの?」

「俺が生まれて……両親は二人とも、避妊すべきだったと開口一番に言っています」

 ローゼンバーグ家の令息とその相手の令嬢の調書は、王命により書記官によって記録されたと言う。私は読んでいないが、シリウスは読んだのだろう。

「事実ですね。言葉にすれば、品性の欠片もありませんけれど」

 不貞があっても、物証が残らなければ、公爵家ならもみ消すこともできたのだ。……それはさすがに目の前の物証に言う気はないけれど。


「そういう人間は、なかなか変われないものです。俺が十五歳頃、父が夜中に鍵付きの戸棚にしまってあったワインを取り出して、飲みながら歌っているのを見ました」

 シリウスは、私の二歳上だ。その時期、何が起こったのかを思い起こして、私は思わず体を強張らせた。……父が死んだ年だ。

「そんな風に嬉しそうにしている姿を見たのは、あの日だけです。何があったのか、あの夜、あなたの話を聞いて理解しました。父は、元婚約者の不幸をそこまで喜ぶほどに歪んでいました」

 母は、元婚約者のことをすっかり忘れていた。今も忘れているだろう。

 聞いたところで、『そうなのね』と流してしまいそうだ。当時を知らない私が大人になっているのだから当たり前だ。なぜ、今になってそんな話をするのか不思議でならない。

 シリウスは言った。

「俺が言いたいのは、俺の血縁上の父と御母上の間に子が生まれても、あなたたち姉妹のような子供にはならなかったということです」

「そんなこと、分からないではありませんか」


「分かります。俺がその証です」

 彼の顔を改めて見る。彼がどんな人生を歩んできたのか私は知らない。だから、そう言われてもよく分からなかった。ただ苦労したであろう生き様が、シリウスの美しい容姿をさらに魅力的にしている。

「美しいし、公爵にふさわしい風格もありますわ。あなたの御両親を存じませんが、さぞや美しい方々だったのでしょうね」

 本当に美しい男だ。……この男を遠慮なく眺められるならご褒美だ。だから私は結婚する。

 美しいと思う気持ちが、愛だというならそれでもいい。ただ、テレサの抱く感情のような強さも激しさもない。

「それは、見てくれだけの話です」

 吐き捨てるように言う声すら心地いい。

 余命わずかな中で、あの子がシリウスを欲しいと言った理由は、きっと王家や国のためだけではなかった。


『ねえ、お姉様、その人ちょうだい?』


 あの言葉を口にしたときのテレサは、おぞましくも艶やかな女の顔をしていた。異性としてのシリウスを誰にも渡さないと言う欲が滲み出ていた。

 父が、あの顔で周囲に母を愛していると語ったのだとすれば……候補だった者たちが母の婿になることを諦めたのは当然だと思った。実の妹だが、私でもそう思ったのだから。

 質が悪いことに、あの子はそれに気付いていない。……だから、死んでも私に彼と結婚しないで、と訴えた。まるで私のためであるかのように。道連れにするとまで口にした。


 テレサは、私がシリウスに恋をしていると思っていたのだろう。私がシリウスを気にかけているのは事実だ。婚約しようとしていたのだ。無関心などあり得ない。

 だが私は、死病を子孫に残す気はないし、長年の悲願であるローゼンバーグ領の分割よりも、自分の感情を優先させる気はないと伝えた。

 それで私の中にあるシリウスへの想いが、とても薄い感情だと知って、落胆したのだ。


 シリウスへの強い恋情と執着、姉に勝ったという優越感、全てを死後の世界に持ち去ろうと思っていたテレサは、そうではなかったことを知ってしまった。

 テレサが大事に抱えた宝箱の中身は、空っぽだったのだ。


 テレサがしおれていると悲しい。だったらもう少しだけ、テレサの思惑に乗るべきだったのだろうか。しかし嘘は、本当のことを遠ざけた時間だけ、知られたときにより深く、強く人を傷つけるだろう。そして……嘘を口にした者を、深い絶望と強い後悔へと誘うことになる。


「何を考えているのですか?」

 シリウスの言葉に、自分が意識を内側に向け過ぎたことに気付いてはっとする。

 気づけば、シリウスの目には、見慣れない色があった。私がいつも避けている何かだ。

「そろそろ、私はテレサのところに行きます。あなたもお仕事に戻られては?」

 そう言って立ち上がる。この家の主は私だ。私が立てば客人は追い払える。


 シリウスも立ち上がったが、動かずに言った。

「あなたは、女として生きる気はないのですか?」

「女として生きていますわ。着飾るのもアクセサリーも好きですもの」

 シリウスは、はぐらかされたことを理解したのだろう。口元が不満そうに歪んだ。

「今……この屋敷で、あなたはテレサの夫。私はテレサの姉です。それ以上でもそれ以下でもありません」

 テレサを見送るまで、あなたとの関係が変わることはない。

 暗にそう告げると、シリウスは大きく息を吐き、一礼すると去って行った。


 母の代からこの家で家政婦長をしているカーナから聞いている。

 私がテレサに自分の計画を話していた日、シリウスはテレサの部屋に落とし物をしていた。上着のカフスボタンだ。

 気付いた彼は、取りに戻ってきた。……きっと、幼い頃から彼の物がなくなっても、誰も探してくれなかったのだろう。彼は落とし物や探し物を、使用人に探すように命令することがないと言う。彼に付き従っている初老の従者が、うちの執事にそう話しているのを聞いたことがある。

 それで、あのときの会話の一部始終を聞かれてしまったのだ。


 ローゼンバーグ家にとって、母……王女の娘との婚姻、そして子を生すことは、過去の醜聞を消すためにどうしても必要なものだ。私や生まれた子が死病を隠し持っていることがどうでもよくなるほどに。

 王家としても、数で他派閥を黙らせた者たちを分解しようとしているのだ。それに対して、不服でも反発できないだけの血筋を、分割する領地の領主に持たせたいのだ。


 理屈は分かる。けれど私は、それが何よりも嫌だった。

 自分の命は仕方ないと思える。けれど、突然枯れるように死んでいくと分かっていて、子を生し、愛情をかけて育てるなど、できる気がしないのだ。


 誰も、私のそんな気持ちを分かってくれない。

 結局、大義名分を叫びながら、我慢できると思う人間に重荷を背負わせる。その見返りなんて考えもしないで。

『私たちが何をしたって言うのよ。こんなのおかしい』

 テレサがそう言ったことを思い出す。それには賛同しかなかった。


 発病したのが私で、テレサが元気なままだったなら、周囲の思惑通りに動いただろう。あの子はシリウスに恋をしている。私に悪いと思いながらも、堂々と結婚していただろう。父によく似た子だから、自分の欲求に素直だ。

 私や母のように周囲の評価を気にし、本心を隠して過ごす性質ではない。

 確かに我慢はしている。けれど、我慢しないで本音を漏らした末に起こることの方が、はるかに恐ろしいのだ。だから自分の気持ちなんて見ないし、確かめたりもしない。そんなことをしても、不安になるだけなのだから。

 テレサに言った本音に嘘はない。ただ妹に告げただけのつもりだったのに、シリウスに知られたことが、何よりも怖かった。


 テレサが死んだ後どうなってしまうのか。いくら考えても分からないままだった。

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