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テレサは宣告された余命をとっくに超えている。母の嘆願もあり、王はシリウスと私の結婚を当面の間、進めないことにした。
屋敷の中では、テレサはシリウスと結婚したことになった。死病を患った娘の最後の願いだと告げると、使用人はテレサとシリウスを夫婦として扱うことを受け入れた。
届け出は出さないが、夫婦となったのはテレサとシリウス。隣り合わせの客間には内扉が付けられ、テレサとシリウスは続きの二室を使うことになった。
テレサは、その部屋の内装を自分好みにすることにはしゃぎ、部屋を移動するときにはシリウスに横抱きにされ、使用人が花びらをまく中を進んだ。
私は、その様子をぼんやりと眺めていた。
私は当初、別邸に住み、母の補佐のためにこの屋敷に通うつもりでいた。
しかしテレサは、私が別邸に移り住むことを許さなかった。家督を私に譲って母が別邸に行くべきだと言い出したのだ。先の短い妹の言葉というだけでなく、母も長年の疲労が蓄積して体調を崩しがちになっていた。その方がいいという意見が多く、私が家に残って女公爵を継いで、母が別邸に移った。
私は、執務室にこもって仕事をし、たまに妹を見舞う。
その目が狂気に満ちていることに気付かないふりをして、今日も穏やかな笑顔を浮かべる。
「シリウスは、私には空のような青が似合うと言うの。私はもっと暗い色の方がいいと思うのだけれど、どう思う?」
束ねた黒髪を結ぶリボンは、空色をしている。
「似合っているわ。彼の瞳の色だし、素敵。……それよりも、このお菓子おいしいわよ?」
テレサの側にある焼き菓子には、痛みを抑え、眠りやすくなる薬が混ぜ込まれている。
表に出さないが、テレサは痛みでよく眠れていない。少しでも休んで欲しくて、いつも目の前で、見た目が同じ焼き菓子を食べて見せている。
「お姉様は、食いしん坊なんだから」
「だって本当においしいのですもの」
「じゃあ、少しだけ」
テレサはそう言って焼き菓子を口にする。しばらくすると、テレサがうとうとし始める。
「お姉様がいてくれると、安心して眠れるの。……でも本当は、少しだけ怖い」
テレサの目じりから、ぽとりと涙が落ちた。
「もう、目覚めないかもしれないから」
まだ二十歳なのだ。死にたくないに決まっている。……なぜ、この子なのだろう。
その日は、眠れなかった。真っ暗なサロンに立って、月明かりの中でぼんやりと外を眺める。
ふと気配がして振り向くと、開いた扉の先にシリウスが立っていた。
「今、帰っていらしたの?」
「はい」
シリウスは、この屋敷からローゼンバーグ家に通っている。
「無理をされずとも、あちらに泊ってもよろしいのですよ?」
シリウスは、しばらく黙ってから言った。
「いえ……お気になさらず」
気になるに決まっている。同じように公爵として仕事をしているから分かる。領地が大きな分、シリウスの方が大変なのだと。
「放っておけませんから」
そう言われてしまえば、黙るしかない。テレサはいつ死んでもおかしくないのだから。
シリウスが立ち去らないので、私は言った。
「父は、テレサと同じ病で亡くなりました。十年前です」
「……」
「そういう病の人が身内に何人もいたことを、あの家は隠していました」
「調べなかったのですか?」
王家だって万能ではない。調べるのだって時間がかかるのだ。対応はいつも後手に回る。
「婚約が結ばれる間近になって、家系図の死因に三十五歳になる前の病死が多いと指摘され、議題になったそうです」
父はさっぱりとした性格で、皆に好かれた。同時に、物事を深く考えない人だった。
祖父は存命だったが、祖父の弟も曽祖父も同じ病気で亡くなっていることを、次男という立場だったからか気にしていなかった。愚直な若い騎士として、父は母について回った。そして、母の元婚約者に怒りを燃やし、母を守るヒーローとして振舞い続けた。
母は王女だった。城でついて回る父の姿を大勢が見ることになった。それは姫と騎士の物語のようで、誰もがその行く末の幸せを期待していた。
何の瑕疵もない王女が、若くて優しい騎士に癒されて幸せになる物語を。
病があったとしても、家は続いている。だからそこまで心配する必要はない。もし発症しなければ、二人を引き裂いただけになる。結局、他の候補がそのことを理由に辞退していき、父は婚約者になった。なってしまった。
『すまない。俺のせいで……』
気丈な父がやせ細り、そう言って泣いた顔は今も覚えている。鍛え抜かれていた体は、枯れ木のようだった。
「父は、心から母を愛していました。釣書きを送る前から他の男に取られたくなくて、異性として気持ちを伝え続けていました。父なりのけん制だったようです。……人として愛情を伝えるのは、当たり前のことだったのでしょうが、王族の婚姻としては間違いだったのだと思います」
暗がりで、よく見えないシリウスの方を向いて、私は言った。
「信頼できるし一生愛せると思った相手が、いつ発症するか分からない死病を体に秘めているとしたら、あなたはどうしますか?」
答えなど求めていない。どうせ……どう答えても不正解だ。
「一つの結論の先に、私とテレサがいます。そしてあなたも」
私は大きくため息を吐いて、別の扉からサロンを後にした。
サロンの方から、壁を叩くような音がしたが……聞かなかったことにした。テレサを挟んで私達は立っている。無力を慰め合うために手を取り合うには、立っている場所が遠すぎる。
私は、シリウスとテレサが会っているときには、絶対にテレサの部屋に行かない。
夫婦の時間を邪魔しない。そう決めていたからだ。だからシリウスがいなくなってから、テレサの部屋に行くようにしている。
死ぬ直前の父と酷似してきたテレサを見て、私は内心震えていた。それでも、笑いながら薬の入った焼き菓子と白湯を用意する。紅茶は、眠れなくなるから出せないのだ。
眠るのを怖がる妹を、今日も眠らせようとしている自分が嫌になる。
「お姉様、私がいなくなっても、あの男と結婚しないで」
突然の言葉に、私は言葉が出なかった。
「私たちは、本当なら生まれなかった存在。あの男が生まれたから私たちは生まれた。そして、こんなに苦しんでいる」
「テレサ……」
「お母様が公爵家に嫁いでいれば、私の知る人たちの多くはここまで苦しまなくて済んだのよ」
私は、苛烈な言葉に否を突きつけた。
「いいえ、シリウス様に罪はないわ。……罪があるのは彼の両親であって彼ではない」
テレサは、一瞬目を見開いた後、顔をくしゃりと歪めた。
「でも、嫌。……どうしてあの男が公爵家を継ぐの?私たちが何をしたって言うのよ。こんなのおかしい」
テレサの涙をハンカチで拭いながら、私は自分にも言い聞かせるように言った。
「そうね。あまりに理不尽だわ。けれど、これは……人の手が届かない運命の仕業だから」
「諦めてしまうの?」
「いいえ、運命が命を刈り取るそのときまで、私はできることをするわ」
「できること?」
「お母様の婚約が正しかったと、証明するの。そのために……あの方と結婚する」
「お姉様」
「私の子は死病を患う可能性があるわ。だから、シリウス様には妾を持ってもらう。私が探す。……子が生まれたら、私の子として育てるの」
「そんなの、不幸だわ!」
「違う。どうせなら、後の世に残るものが欲しいだけ」
「……」
「私の血は残らなくても、行いが大勢を救う。そう思いたいの」
テレサは、しばらくして力なく笑う。
「お姉様は、強いのね」
「そう?」
「私ね、あの男を道連れに死んでやろうと思っていたの。どうやって殺すか考えていると、まだ生きていけそうだったから、夫にとねだったの。私が道連れにして死ねば、ローゼンバーグ公爵領は王家が一度預かることができるとも思っていたの。そこで再分割すれば済むわ」
「そんなに甘くないの。寄子たちは、血縁を辿れば公爵家と縁のある家ばかり。……しかも、自分の治めている土地以外と張り合っているの。公爵になり、他の寄子を支配下に置きたくて仕方ない者が争い始めたら、大きな領地だから止めるのが難しいの」
王家と公爵家、両方の血を引く者を領主に据えて割譲するしかないというのは、そういう理由からなのだ。彼らは、王家と公爵家以外を敬わない。他の派閥に対しては、普段はいがみ合っていても数の暴力で対抗する。……そんな状態がもう何十年も続いているのだ。
「お母様に対するローゼンバーグ家の仕打ちのせいで今は大人しくしているけれど、そろそろ代替わりをしてまた同じ状態になるでしょう。私がシリウス様の子を産み、その子に分割されるなら文句は言えない。だから私は、シリウス様と結婚するわ。とは言っても……私は子を生さない。だから、あなたが生きている限り、シリウス様はあなたの夫。しっかり甘えて長生きなさい」




