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あとのさき  作者: 川崎 春


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1

 母の人生は波乱万丈だった。何度も聞かされた話だ。


 母は元王女で、臣籍降下して公爵家を立ち上げた。

 元々、母は政略で公爵家に嫁ぐ予定だったが、婚約者の裏切りによって婚約を破棄することになったからだ。婚約者である公爵令息は、伯爵家の娘と恋仲になり、娘は既に妊娠していたのだ。


 この国には公爵家は一つしかなかった。どこに嫁いでも、元婚約者の家よりも格下の家に嫁ぐことになる。外国の王族への打診は数年を要し、すぐにはまとまらない。

 先王と母は相談し、女公爵となることを決めた。母は、どんな婿を取るにしても『選ぶ側』になった。誰も傷物だとは言わず、婿になりたい者が多く釣書きを送ったと言う。


 嫡男だった元婚約者は、公爵家に属する爵位の一つを与えられ、浮気相手の娘と結婚した。今は子爵として暮らしている。二人の間に生まれた子が公爵になるので、高齢の公爵は引退できないまま今も当主をしている。


「その判断は甘かったのではありませんか?」

 妹はそう言った。

「では、テレサはどうすればよかったと思うの?」

「毒杯」

 私は、口に焼き菓子を入れたばかりだったから、思わずむせてしまった。

「あら、お姉様ったら汚い」

 むせている私の背を母はさすりながら苦笑して言った。

「テレサ、それは愚かよ」

「どうして?裏切った男なんて、死んでもいいと思うの」

「あちらには、嫡子が一人しかいなかったの。もし公爵家が断絶していたら、広大な土地を巡って相続争いが起こり、内乱に発展していたでしょうね。直系がいるだけで違うものなのよ」

「だから殺さなかったの?」

 私はハンカチを口に当てたまま、涙目でテレサを見る。

「そうよ。テレサ、そろそろ横になりなさい」

「はぁい」

 私は、母と共に妹の部屋を後にした。


 私は、マリア。妹テレサと二人姉妹だ。

 テレサは活発な女の子で、将来はプリンセスガードとして従妹王女の護衛になるのだと剣技を磨いていた。学校でも騎士科に入学し、女生徒としては最高の成績を収めて卒業した。

 しかし、そんなテレサに病が見つかった。プリンセスガードへの登竜門である騎士団への入団も内定していたというのに。

 最初は食欲が出ないと言い出したことが始まりだった。騎士の訓練に明け暮れている妹はよく食べる。だから、おかしいことに皆が気づいた。

 王家が手配した御殿医から助からないと伝えられたときには、家族全員が絶望した。

 テレサも必死に病に抗った。しかしどうしても食が細っていく。食べられない。体は痩せ細り、剣が持てなくなり、とうとう歩けなくなった。


 そんなある日、伯父である国王から召喚状が届き、私と母は二人で王城に出向いた。

「マリア、お前は何歳になった?」

「今年の夏に二十三歳になります」

 完全に婚期を逃している。適齢期は二十歳なのだ。

「縁談を受けてくれないか?」

「……条件次第ですね」


 その返事に、国王だけでなく一緒にいる母も安堵の表情になる。

「それで、どなたですか?」

「シリウス・カロットだ」

 予想通りの相手に思わず母の顔を見ると、小さく頷かれてしまった。彼は現カロット子爵家の長男で、将来ローゼンバーグ公爵家を継ぐ男。……つまり母の元婚約者の息子だ。


 ローゼンバーグ公爵領は、この国の実に五分の一を占める。まるで一国の内部にもう一つ国があるような状態だ。

 だから姫である母に、嫡子との間にできるだけ多く子供を産んでもらい、王家の血縁だからという理由を付けて、子供の数だけ領地を割譲して新しい家を立ち上げようとしていたのだ。


 しかしその計画は、現カロット子爵の浮気によって消えてしまった。


 既に齢七十を過ぎた公爵がこの国の五分の一を握っている。その危うさを思えば、二十年以上前に頓挫した計画を再び実行したいと思うのは当然のことだろう。

 国王である伯父の娘、アイリス王女がシリウスに嫁ぐのが最善だったが、アイリスは隣国の辺境伯家に輿入れする。通商条約の一つとしてそう決まってしまったのだ。

「最近、老公爵の体調が良くない。シリウスとできるだけ早く縁を結んでくれないか?」

 伯父は立ち上がると、膝をついて私の手を握った。

「……どうか、未来を諦めないでほしい。これは国王ではなく伯父としての願いだ」

 そんな風に言われたら、拒むことなどできるわけもない。

「承知しました」

 私は、そう答えるしかなかった。


 シリウスの父親は、愚かではなかった。ただ……あまりに純粋に育てられていたから、恋に恋する乙女だった伯爵家の娘と出会って、熱病のような恋にあっという間に落ちていった。まるで物語のような、演劇の舞台のような恋。

 その先に何が待っているかなど、考えられないほどに溺れ……我にかえったときには、取り返しがつかなくなっていたのだ。熱病は治った。残ったのは、熱病の産物である息子だけだった。


 夫人はシリウスを産んだ後で修道院に入った。シリウスの父親は家宰としてほぼ全てのローゼンバーグ家の実務を行っている。それは、永久に爵位を譲られないのに、当主としての実務だけを搾取され続ける罰だ。

 表向き、元婚約者と伯爵家の娘は夫婦だ。王家との縁談を壊すほどの恋をしていたのだ。引き離せば、それも醜聞となる。だから結婚させないわけにはいかなかったのだ。

 しかし実際には、有能であった元婚約者は公爵の元に残された。有能なだけあって、広大なローゼンバーグ領は安定している。そして娘は、ローゼンバーグ公爵夫人となれるだけの知識も義務感も持ち合わせていなかったため、修道院に入れられることになったのだ。


 初めての顔合わせは、私の家の庭で行われた。

 熱病の落とし子であるシリウスは、まるで絵本から抜け出た王子のようだった。金色のサラサラした髪と青い瞳は、切れ長で涼やかだ。鼻筋は高く通っていて、薄い唇からは低く心地よい声がした。

「初めまして。シリウス・ローゼンバーグと申します」

 先日、公爵家の養子となったシリウスはそう言った。

「初めまして。マリア・コールライヒと申します」

 何を言えばいいのか。私はゆっくりと口を開いた。

 話したのは、ローゼンバーグ公爵家の抱える問題の解決方法。

「コールライヒ領は元々王領だった場所で、今も城から派遣された官吏によって運営されています。この領地は、王領に戻すことも出来ますし、第二王子殿下に継いでいただくことも可能です。しかし、ローゼンバーグ領はそうもいきません」

 私は一度紅茶で喉を潤してから続けた。

「寄子貴族の数は三十家を超えており、その多くが元を辿ればローゼンバーグ公爵家の血を継いでいます。直系であるシリウス様のお子でない限りは、権利を主張する者達によって領地は内乱状態に陥るでしょう」

 シリウスは黙って私を見ている。その目に否定の色はない。

「そうならないために、王家の血筋である私と直系であるあなたの子をできるだけ多く儲け、領地を割譲して公爵領の領地を減らす必要があります。それが今回の縁談の目的です」

 シリウスは小さく頷くと言った。

「承知しております。……こちらの都合にお付き合いいただくのは二度目で、義父も私も、心苦しく思っております。この縁談に否やはございません。そちらの方針に従わせていただきます」

 二度目であることに、祖父と孫は申し訳なく思っているが、謝罪は既に済んでいる。だから謝罪を重ねるのではなく、こちらの方針に従う姿勢を示した。

「ローゼンバーグ家に対してわだかまりがあったのは、先代までとして……私たちは新たな関係を結んでいきましょう」

「はい」


 そこで、キィキィと何かが回る音がした。

 音の方を見ると、テレサが侍女に押された車いすでこちらに向かってきていた。テレサは、部屋着ではなくドレスを着ているし、顔には化粧をしていた。

 シリウスはその姿に絶句して目を見開いていた。……骨と皮ばかりになったテレサは、ギラギラした目でシリウスを見ていた。

 テレサの専属侍女は顔面蒼白で、今にも倒れそうだった。

「テレサ様が、どうしてもご挨拶をとおっしゃいまして……申し訳ございません」

 結婚して別宅に移り住むことを話したのは昨晩のことだ。この侍女には日ごろから母がテレサの願いを拒絶しないように命じている。だから止められなかったのだ。

「いいわ。一緒にお茶をしましょう」

 私はシリウスの方を見ないでそう言った。……彼は私の言い分に従うと言ったのだ。だから同意は求めない。私が立ち上がると、シリウスも席を立ち、テレサの車いすがテーブルに近づくまで待った。


 私たちが再び座り直し、テーブルにテレサのお茶も用意されると、テレサが言った。

「初めまして。テレサ・コールライヒと申します」

 シリウスも先ほどと同じように自己紹介をした。

「私の妹です。少し臥せっておりまして……」

 私がそう言葉を濁すと、テレサは言った。

「お姉様、この方との縁談は、本来私が受けるべきなのではありませんか?」

 何を言い出すのか。私が驚いている間にもテレサは言った。

「お姉様はコールライヒ家の当主となられるのです。この人とは私が結婚します」

「「!」」

 私もシリウスも絶句してテレサを見る。

「跡継ぎが……いるのよ?」

「そんなの、知らないわ」

 テレサは恐ろしい笑みを浮かべて言った。

「そうやって、先を考えなかった結果が今なのでしょう?私たちが背負う必要なんてないじゃない」

「テレサ……」

「ねえ、お姉様、その人ちょうだい?」

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― 新着の感想 ―
シリウス君が公爵家に入ったなら、妹ちゃんが言ったように元凶の父親に毒杯を与えるべきだろうな。
> 母は元王女で、臣籍降下して公爵家を立ち上げた。 > この国には公爵家は一つしかなかった。 > 先王と母は相談し、女公爵となることを決めた。 > 高齢の公爵は引退できないまま今も当主をしている。 高…
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