万能工(マルチ・メカニック)・カスミ
香澄には、継母たちに決して知られてはならない「裏の顔」があった。
日々の生活費、そして父が遺したこの古い屋敷の膨大な修繕費を捻出するため、彼女は覆面作業員派遣サイトで『万能工・カスミ』として暗躍しているのだ。
ある日は、シャッターが歪んだ古い商店街での緊急補修。ある日は、複雑怪奇なサーバー室の配線整理。
「口は最悪だが、腕は神、力は重機」という極端な口コミは、DIY界隈の裏掲示板で『鋼のシンデレラ』として有名になりつつあった。
その日の依頼は、都心の隠れ家的な場所にある「実験用家庭菜園」の自動灌水システムの不調。
「……はいはい、お待たせ。どこが悲鳴を上げてるって?」
現場に現れた香澄は、いつもの紺ジャージに、使い古しの重厚な鉄製シャベルを抜刀せんばかりの勢いで腰に差していた。
「あ、あなたは……あの時の!」
聞き覚えのある、おっとりとした、しかし芯のある声。香澄の肩が「びくん」と跳ねた。
そこには、仕立ての良すぎる麻のシャツを腕まくりした誠が立っていた。相変わらず、どこか世間離れした「抜けた」オーラを放っている。
「……あんた、また会ったわね。あの時のドジな庭師? クビにならずに済んだわけ?」
「ああ、はい。なんとか。……またあなたに会えて、本当に嬉しいです!」
誠はパアァ、と周囲の気温が2度ほど上がるような、眩いばかりの笑顔を見せた。
実はこれ、偶然ではない。誠は一ノ宮財閥のネットワークをフル稼働させ、都内の「腕利き修理屋」を片っ端から匿名で指名し続けるという、富豪にしか許されない「絨毯爆撃作戦」を展開していたのだ。
「……何よその顔。日に当たりすぎて脳みそ沸いたの?」
香澄はツンと顔を背けたが、心臓の鼓動はエンジンのアイドリングのように激しい。誠の視線が、彼女の腰にあるシャベルに留まった。
「そのシャベル……使い込まれていて、とても力強い。素敵ですね」
「……父さんの形見よ。あんたみたいな『ひょろ芯』が触ったら、重さで腰をいわすわよ」
「ふふ、そうかもしれませんね。……あの、灰原さん。今日は、あの日のお礼を言いたくて。それと、これを受け取ってください」
誠が差し出したのは、ガラスの靴……などではなく、白く輝く一品の布。
それは、一宮グループが極秘に開発した、吸水性と耐久性に優れた超高級マイクロファイバー・スポーツタオルだった。触れずともわかる、雲のようなふわふわ感。
「……っ!! な、何これ! なんであんたみたいな下っ端が、こんな『整備士の夢』みたいなタオル持ってるのよ! 汚れを一瞬で吸い取るっていう伝説の……!」
香澄の瞳が、今日一番の輝きを放つ。ブランドバッグには目もくれない彼女だが、最高級の「道具」には滅法弱い。
「君の汗を拭うのに、一番相応しいと思って。……僕、君のことがもっと知りたいんです。あなたのその『手』が、何を直してきたのかを」
真っ直ぐすぎる誠の視線に、香澄は耳まで真っ赤に染まった。
しかし、その甘い空気を切り裂くように、香澄のスマホが激しく震えた。画面には『魔王(静江)』からの着信。
『香澄! 何時だと思ってるの! 早く帰って風呂を沸かしなさい! ついでにルミの部屋のエアコンの音がうるさいから、叩いて直しなさいよ!』
スピーカーから漏れる怒号に、香澄は現実に引き戻される。
「……っ、チッ! さっさと仕事終わらせて帰るわよ! このタオルは……技術料としてありがたく頂いとくわ! じゃあね!」
香澄は光速で灌水システムの詰まりを「指の力」で解消すると、愛車の軽トラに飛び乗り、激しいタイヤスモークを上げて去っていった。
誠は、遠ざかる軽トラのナンバープレートと、彼女の残像を静かに、そして獲物を定めるような瞳で見つめていた。
「……やっと、尻尾を掴んだぞ。灰原さん」




