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100万ドルのプロポーズ

 古い一軒家には静寂が訪れていた。

 静江たちは昨日、一ノ宮グループが用意したというタワーマンションへ、意気揚々と引っ越していった。「こんなカビ臭い家、二度と戻ってこないわ!」という捨て台詞と共に、トラック数台分ものブランド品を詰め込んで。


 香澄は、父と自分の背比べの傷が刻まれた柱に、そっと額を預けた。


「……お父さん。私この家を、守れなかった」


 買い取り契約はすでに成立している。数日後には一ノ宮の解体業者が来るのか、あるいは別の誰かが住むのか。

 そんな香澄の感傷を切り裂くように、表の通りから聞き慣れた「パタパタパタ……」という軽快なエンジン音が近づいてきた。

 住宅街の狭い路地に現れたのは、朝日を浴びて輝く「カボチャ色の軽トラ」だった。運転席から降りてきたのは、英国仕立ての高級スーツを着こなしているが、なぜか手には真っ新な軍手をはめた誠だ。


「灰原さん、おはようございます!」


「帰れ! この買収屋! 資本の暴力男! タワマンなんて、死んでも行かないからね!」


 窓から身を乗り出した香澄が、今にも愛用のスパナを振りかぶった瞬間、誠が切実な声を張り上げた。


「違います! 誤解です! この家を買ったのは一ノ宮グループという組織ではなく、僕個人のポケットマネーです! 登記も済ませました。ここはもう、誰にも壊させない。マンションは静江さんたちに、ここから出て行ってもらうためです!」


「……は?」


 ポカンとする香澄の目の前で、誠は軽トラの荷台から、ズシリと重そうな「大きな木箱」を大切そうに抱えて歩み寄った。


 誠は玄関先の、香澄が先日修繕したばかりの飛び石の上で、静かに膝をついた。それは中世の騎士のようでもあり、同時に、主人の帰りを待つ誠実すぎる庭師のようでもあった。


「灰原さん。……あなたが、僕が困っていた時、その温かい手で差し出してくれたのは、一粒の飴でした。僕を『一ノ宮の御曹司』ではなく、一人の不器用な男として叱り、導いてくれたのは、後にも先にもあなただけだ」


 誠は恭しく木箱の蓋を開けた。

 そこに入っていたのは、眩いダイヤモンドでも、虚飾に満ちたガラスの靴でもなかった。


「これ、特注で作らせました。航空宇宙産業で使用される超合金製の、生涯現役で使える『100万ドルの工具箱』。それと、どんな過酷な現場でもあなたの足を守る、『世界に一足だけの、フルオーダーメイド・安全作業ブーツ』です」


 香澄は絶句した。

 鈍く銀色に光る工具箱の表面には、職人の手彫りで『KASUMI HAIBARA』の刻印が刻まれている。


「僕と、結婚を前提にお付き合いをしてください! そして……この家を維持するパートナーとして、僕をここに住まわせてください!」


「……あ、あんた、バカじゃないの? こんなヘビーな代物贈ってプロポーズする奴が、この世界のどこにいるのよ……っ」


「ここにいます。香澄さん、この家で、これからも一緒に柱を直し、雨漏りを防いで……僕の隣で、笑ってくれませんか?」


 誠の真っ直ぐな、一点の曇りもない瞳。その熱量に、香澄の頑なな「ツン」がついに音を立てて崩壊した。

 彼女は玄関の引き戸を蹴破らんばかりの勢いで飛び出すと、誠の広い胸に力いっぱい拳をぶつけた。


「……バカ!私、この家を追い出されると思って、本気で泣いたんだから……!」


「あなたの宝物を、僕が奪うわけないでしょう。これからは僕も一緒に、この場所を守りたいんです」


 香澄は、誠の腕の中で暴れるのをやめ、その上質なシャツに顔を埋めた。


「……っ! そのブーツのサイズ、1ミリでも間違ってたら承知しないからね!」


「……ということは?」


「……住んであげるわよ! あんたみたいな不器用な庭師に、この家の屋根裏のメンテナンスなんて一生かかっても無理でしょ!」


 香澄は真っ赤な顔で、しかし逃げられないように誠の背中をぎゅっと抱きしめ返した。


 その足元には、二人の未来を祝福するように朝日が反射し、どんな魔法よりも堅牢で、どんな宝石よりも美しい「作業ブーツ」が、力強く置かれていた。

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