庭師の正体
「……何をしているんだ、誠」
背後から地鳴りのような、重厚で威厳に満ちた声が響いた。振り返れば、一ノ宮グループの重役たちと屈強なSPを引き連れた、現総帥・一ノ宮会長が立っていた。その鋭い眼光が、泥まみれの息子と、得体の知れない無惨なドレス姿の女を射抜く。
周囲の招待客たちが息を呑む中、香澄の「職人気質」が火を噴いた。彼女は反射的に、自分よりひょろっとして見える(と勘違いしている)誠を背中に庇うように一歩前へ出た。
「ちょっと! あんたたちがこいつの上司? 言っとくけど、この誠って子は泥だらけになって一生懸命やってるわよ! 道具の使い方が下手なのは、あんたたちの教育不足。現場の苦労も知らないで、頭ごなしに彼を責めるのはお門違いもいいところよ!」
静寂。
静寂どころか、会場全体の時間が停止した。会長は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、やがてその口角が、驚きと深い愉悦に歪んだ。
「……ほう。誠、この勇ましいお嬢さんはどなたかな?」
誠は観念したように、ふっと憑き物が落ちたような笑みを浮かべた。彼はゆっくりと麦わら帽子を脱ぎ、執事から手渡された真っ白なシルクのチーフで顔の泥を拭う。
そして、香澄の指先に残るオイルの汚れを厭うこともなく、その泥まみれの手を両手で優しく包み込んだ。
「香澄さん、嘘をついていてごめんなさい。……僕、庭師のバイトじゃないんです。このグループの次期責任者……一ノ宮誠です」
「…………は?」
香澄の思考回路が焼き切れた。目の前の「仕事の出来ない薄幸の青年」と、日本経済の頂点に立つ「若き天才」が、彼女の脳内で激しく火花を散らして衝突する。
そこへ、騒ぎを嗅ぎつけた静江と姉たちが、獲物を見つけたハイエナのごとき卑屈な笑顔で割り込んできた。
「まあ! 一ノ宮様! 失礼いたしましたわ! うちの香澄が、こんな薄汚い格好でご迷惑を……! ほら香澄、何ボサッとしてるの!? 恥をさらすのもいい加減になさい、さっさと消えて!」
静江が、忌々しげに香澄を突き飛ばそうと手を伸ばした――その瞬間。
誠が、まるで見えない壁を築くかのような毅然とした動作で、香澄を自分の広い背中へと隠した。
「汚い? とんでもない。……お義母様、あなたの目は節穴ですか? 僕には、自分の手を汚してまでこの庭を、そして僕を守ってくれた彼女が、この会場の誰よりも誇り高く、美しく見えます」
誠は香澄の方を振り返り、いたずらっ子のような、それでいてひどく情熱的な瞳で彼女を見つめた。
「香澄さん。……僕の家のメンテナンス、一生任せてもいいですか?」
香澄の顔が、厚化粧の上からでもはっきりと分かるほど、沸騰したヤカンのように真っ赤に染まった。あまりの衝撃と羞恥、そしてこみ上げる感情に、彼女の拳がプルプルと震える。
「……あんた……っ、この、大嘘つきの詐欺師じゃないのよ!!」
怒鳴り声を上げた香澄の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
騙された悔しさよりも、世界で一番惨めだと思っていた今の自分を、「美しい」と、その熱い言葉で肯定してくれた。その事実が、鉄腕シンデレラの心の防壁を、跡形もなく粉砕してしまったのだ。
「……泣かないで。今度は僕が、君を本当の特等席へ招待する番だ」
誠は彼女の泥だらけの手に口づけを落とすと、呆然と立ち尽くす静江たちを冷徹な一瞥で黙らせ、香澄を抱きかかえるようにして、光り輝く大広間へと歩き出した。
それは、煤まみれの少女が、自らの腕力で掴み取った、史上最高に泥臭くて輝かしい逆転劇の始まりだった。




