剥がされるベール
「──姉さん、グレイゴーストって、聞いたことある?」
まだ、カグヤがイストラカンで弟たちと暮らしていた平穏なときのこと。
ある日、唐突に弟のソラがカグヤにそんな質問をしたことがあった。
「どうしたの、急に?えーっと、確か……昔の軍艦だったかしら」
「違うよ。グレイゴーストっていう、伝説のガンマンの話。それに、姉さんの言ってるグレイゴーストは軍艦じゃなくて航空母艦」
「あら?あはは……そうだった?じゃあ、うーん……やっぱり、聞いたことないかな」
「ふぅん、そう」
カグヤは夕食の準備をしながら正直に答えると、ソラは面白くなさげな反応をした。
といっても、ソラはいつも感情表現が乏しくなににしても素っ気ない態度なので、カグヤの答えを特に気にとめているわけでもない。
「結構有名だって聞いたからさ。姉さんなら詳しく知ってるかと思って」
「まあ、そうなの?でもごめんね。お姉ちゃん、そういうのあまり知らないから」
「そっか。ま、所詮は都市伝説だし。眉唾だよな」
「都市伝説?」
カグヤは手を動かしながら、珍しく自分から話をしてくれたことが嬉しくて、ソラの話に耳を傾ける。
「うん、そう。なんか、虐げられた無辜の人たちの怨念とか恨み、無念が集まって、復讐の亡霊になる。それがグレイゴースト……復讐の化身……らしいよ」
「へぇ……ソラはその話、誰から聞いたの?」
「古本屋の爺さん」
「ああ、デイヴさん……」
「都市伝説ってよりは、おとぎ話みたいなものかも。とにかく、そんな話があるんだよ」
そういえば、あの人はそういう作り話を子供に聞かせるのが好きな人だったっけ。
ソラは歳の割に大人びているというか、早熟な少年なので彼がこんな話を信じている面があることにカグヤはつい微笑ましく思って笑を零した。
「なになにー?なんの話?」
そこへちょうど、ジャンク屋のアルバイトから帰ってきたエイミーが話に混ざってきた。
「おかえりなさい、エイミー。手は洗った?」
「ま、まだだけどー……」
「帰ってきたら、まずは手洗い。あとうがいもしないと。いつも言ってるでしょう?疲れてるとは思うけど、きちんとしないとご飯食べられないからね」
エイミーはイストラカンに移ってから最初に引き取った天涯孤独の少女だった。
引き取った当時、彼女は親に捨てられ、ストリートチルドレンとして生きていたエイミーをカグヤは放っておけずに世話を焼くことにした。
その甲斐もあってすっかり明るさと生きる希望を取り戻し、今ではカグヤに恩返しをしようと真っ当に働いてくれている、非常にしっかりした少女に育っている。
最近ではジャンク屋の若い店主と仲良くやっているらしく、本人は否定するが浮いた話も聞くようになっていた。
「ごめんて……あとでちゃんとするから。それより、ソラくんなんの話してたの?」
「ガンマンの亡霊の都市伝説」
ソラはやや素っ気なく答えたが、別に彼がエイミーのことが苦手だとか嫌いだということではなく、ソラは誰に対してもこうなのだ。
エイミーもそれをわかっているため、特に気にしはしない。
「あ、もしかしてグレイゴーストの話?」
「エイミー、知ってるの?」
「まーね。結構有名じゃない?多分だけど。あの生真面目クンのリーも知ってたし」
彼女の言うリーも、カグヤが引き取った孤児のひとりだ。規模は小さいものの、真っ当な運送会社に雇って貰えた今ではもうここで暮らしてはいないが、時折お土産を用意して顔見せに来る。
リーは非常に勤勉であり真面目な人間で、昔から冗談のひとつも言えないタイプの人間だった。だが、その実直な性格は人の嘘などには非常に敏感なもので、物事の真偽を見抜く力は誰よりもずば抜けていたことを、カグヤは印象深く覚えている。
ここで暮らしていたときはよくカグヤが読み終えた古本を譲って欲しいとねだったりして、知識を得ることを生きがいとするような真面目な性格であり、その甲斐もあってか優しい青年に育ってくれた。
「あのリーが信じてるほどの話だし、ノンフィクションって奴なんじゃない?この前、仕事でうちの店に寄ったとき自分で買ったとか言って本を見せてくれたんだけど、それにグレイゴーストの話……英雄譚ってゆーの?そういうのが載ってたし」
ということなら、あながちグレイゴーストは実在の存在なのかもしれない……カグヤは次第にその伝説のガンマンについて興味が惹かれ始めてきた。
「まー、でも、男のコってそーゆーの好きじゃん?ほら、ヒーロー系って言うのかな。ロビンフッドみたいなのにみんな憧れるし、やっぱり男の夢見る架空のキャラなんじゃないの」
「エイミーはおれがガキだって言いたいのかよ」
「え、いやそこまでは言ってないけどさー」
──あの後、エイミーの失言にへそを曲げたソラが期限を直すのに苦労した。
もうずっと前のことで、ほとんど覚えてはいなかった記憶だが、今、カグヤがセシリアの口から出たグレイゴーストという単語を聞いたその瞬間、フラッシュバックするかのように鮮明に記憶の断片が蘇った。
グレイゴースト。
実在するとも、架空とも言い難い、人々の間で今も細々ながら語り継がれる伝説の反英雄。
それが──。
「──ジャンゴさんッ!!」
カグヤの声が、礼拝堂に響き渡る。
鮮血を噴水のように撒き散らして吹き飛ぶジャンゴの無惨な光景を目にして、彼女の胸のうちに怒りとも悲しみともつかない激しい感情がうずまき、爆発する。
「……あなたはっ!」
きっ、とカグヤのものとは思えない鋭い目付きで、以前薄ら寒い微笑みを湛えたままのセシリアを睨みつける。
「どうして、どうしてこんなことを……!ジャンゴさんを、殺すなんてっ!丸腰のひとを突然撃つなんて、気が触れているんですか!?」
激昂するカグヤを相手に、セシリアはきょとんとした様子で小首を傾げ、
「あら、丸腰だったんですか?彼のことですし、銃の一丁や二丁、持ってるものだと思ってました。ごめんなさいね」
まるで悪びれる様子もなく平然とした態度で、心のこもっていない謝罪の言葉を述べる。
そんなひとのことを小馬鹿にした態度に、カグヤの怒りはより一層逆撫でされる。
「あなたは……あなたはそれでも聖職者なんですか!?聖女だなんて言われてるようですけど、わたしには……あなたが、悪女に、いえ、魔女に見えますっ!」
「ええ、その認識で間違っていませんよ?わたくし、悪い女ですもの。狂ってるんです。連中のせいで狂わされてしまってますもの。わたしは復讐をするために生きている、正真正銘の魔女、ですわ」
にこりと笑って、セシリアは言い放つ。
胸を張るように、誇らしげに。
「もしかしてあなた、わたくしのことが本当に一介の聖職者にお見えになられました?ふふっ。わたくし、聖書のフレーズの一文どころか、信仰心も欠片ひとつ持ち合わせておりませんわ」
「……」
なんなのだ、この女は。
カグヤは初めて、他人のことを心底嫌悪した。ここまで誰かを嫌いだと、憎たらしいと思ったのは初めてのことだった。
イカれている。彼女は、まともでは無い。
カグヤの五感、第六感に至るまでが今この状況に置かれていることを非常に危険であることを告げている。
だが、逃げ出すすべも、立ち向かうすべもない。
孤立無援、獅子身中の虫。
つまり……手詰まりだ。どうすることも出来はしない。
「うふふっ」
カグヤが突破の糸口をまるで見いだせないまま、せめてもの抵抗と彼女のことを睨みつけていると、セシリアはそれを見破ったのか愉快そうに笑った。
「あなた、なにもご存知ないのですね」
「……なにを、ですか」
「いえ。てっきり、グレイゴーストのお連れの方でしたし、知っているものだと思ってましたわ。失礼しました。まぁ、見たところ、恋人関係というわけでもなさそうですし。仕方ないのかもしれませんね」
「……」
彼女はなにを言っているのか。なにが言いたいのか。
カグヤが理解に困っていると、
「──随分なご挨拶を……してくれるじゃねぇか」
苛立たしげな低い声が、カグヤとセシリアの間に割って入った。
その声の主が誰なのか、カグヤは考えずともすぐにわかった。わかったが……信じられなかった、
「どういう手品か知らないが……おれに一発ぶち込んだのは大したもんだぜ、クソガキ」
先程、間違いなく頭をセシリアのコンテンダーに撃ち抜かれ、礼拝堂に死体を晒したはずのジャンゴがそこに生きていた。
「うふふっ。グレイゴーストであるあなたにお褒めに預かり光栄ですわ。これでも、魔女を自称していますので、これぐらいはできないといけませんもの」
「けっ。魔法ってわけか。おまえさんにはどちらかって言うと哀れなサーカスのピエロの方がお似合いだがな」
「ご助言ありがとうございます。そういうことなら、うちの教会で……いえ、ファミリーの新事業としてやってみてもいいかもしれませんね」
カグヤは目を疑った。
ジャンゴは間違いなく生きている。だが、あのとき間違いなく死んでもいた。
(どういう……こと?なにがどうなってるの?)
目の錯覚なわけはない。見間違えでは決してない。
それを裏づける証拠もある。
現に、ジャンゴの首には、ワイシャツの襟元には、べっとりとした真っ赤な血がこびり付いている。血糊だとか、塗料なんかではなく、本物の血だ。
彼は……確実に、セシリアに撃たれている。
(……そういえば)
カグヤはこの怪奇現象に覚えがあった。
以前にも、これと同じようなことがあった。
それは、彼に〈ヨミ〉から連れ出してもらったときのこと。彼は探偵社の傭兵のひとり、ステヴァンに目の前で撃たれていた。
あのとき、彼は死んだものだと思った。それはカグヤだけではなく、撃った本人のステヴァンもだ。
だが彼は当たり前のように生きていた。
あのときは深く考えず、単に当たりどころがよかったのだと思っていたが……つい先程目の前で起きたこと、今彼が生きている事実を見れば、それが間違いなのだとわかる。
これには、どういうカラクリがあるのか?
それを説明することと言えば。
「……グレイゴースト」
カグヤは、ぽつりと漏らすようにその名前を口にした。
彼は、ジャンゴは──グレイゴーストは。いったい、何者なのか。
「……おまえまで、その名前を言うな」
カグヤの無意識での発言に、ジャンゴがギロリと睨みつけてすかさず咎めた。
「まったくもう。どうしてそう、そこまであなたはその名前を忌み嫌うのでしょう。素敵な名前じゃありませんか。それに、あなたの輝かしい功績はわたくしもよく知っています。今この世界があるのは、あなたのおかげなんですから」
「……そんなこと知ったことか。結果としてそうなっただけだ。世界が滅ぶってんなら別にそれでも構わなかった」
ジャンゴはくすくすと悪戯っぽく、否、悪魔めいて笑うセシリアから目を逸らし、冷めきった口調で言った。
そこでセシリアは視線をカグヤの方に移す。
話の流れ、グレイゴーストがなんなのかわからない無知なカグヤをのことを愛しいものでも見るように目を細める。
「さて、と。そこの陰気なあなた。どうやらあなたはこの世界の触れえざる真実についてご存知ないようでしたし、せっかくですからこの場で教えて差し上げます」
「……やめろ」
「あら。でも、ここまで来たらもう知る以外の道はありませんよ?遅かれ早かれ、あなたと関わっている時点で彼女は知ることになるんですもの。ここで洗いざらい教えた方がよろしいのではありませんか?」
「……」
「それに、彼女だって、無知なままではいたくないと思いますよ」
ねぇ?と肯定を得ようと訴えるようにセシリアはカグヤを見て笑う。カグヤはあえて否定も肯定もせず、ジャンゴの方をちらりと見た。
ジャンゴは目を伏せ、なにも言わなかった。
それで同意を得たと判断したのか、そうでなくとも話すつもりだったのか、セシリアは話を始めた。
「あなた、この世界に悪魔がいると思います?」
「悪魔……ですか」
「ええ、悪魔。簡単に言えば、化け物です。人ならざる者。それが悪魔。それがこの世界には存在しています」
セシリアは薄い笑みを浮かべたまま荒唐無稽な話を語る。しかし、それがカグヤをからかっているわけではないことは、その声のトーンからよくわかった。
「わたくしたちは、この世界に蔓延る悪魔をさして〈ゲドン〉、と呼んでいます。我々鉄血教会はその〈ゲドン〉と戦うために組織された武装集団ですわ。非公式ながら政府の支援を受けてもいます」
〈ゲドン〉。その名前をカグヤは初めて聞く。
そして、同時に信じられない話も同時に聞いた。
政府が、彼女たちの活動を支援している?ひとびとが知る由もない裏の世界で、いったいなにが起きているのか。
「そして、その〈ゲドン〉を使役し、人間を脅かし世界を裏から意のままに操る存在がいます。それがなんなのか……あなたもこの偽りの楽園で生きているなら、おわかりですね?」
「……アップルシード」
「その通りです」
セシリアは今まででいちばんの笑顔を見せた。
教師が生徒から百点満点の回答を得たときのように嬉しそうな反応だった。
「といっても、アップルシードは表向きの名前。世界を救ったという看板をぶら下げた、まがい物の英雄としての名前です。正確には、〈フロンティア・セクト〉。それがわたくしたちの、いえ、無辜の人々の敵の名前です」
〈フロンティア・セクト〉。
それが、アップルシードの実態。世界の頂点として君臨する大企業の真実の姿。
元々真っ当な会社ではないと思ってはいたが……まさか、ここまでドス黒い存在だったとは。
「そこで政府は、非公式に〈セクト〉と立ち向かうための反抗勢力を募りました。この世界を〈ゲドン〉の支配から救い、その脅威を払うべく。まぁ、半分以上は政権を取り戻すためですけど……そんな雲の上の醜い話はどうでもいいことですね。兎にも角にも、わたくしたちは、そんな政府の協力を受けて、増え続ける〈ゲドン〉を殺して回っています。なんとも骨の折れる害虫駆除ですけれど」
「……待ってください。〈ゲドン〉が、増える……?」
カグヤはセシリアの話の中でひとつ気になった点があり、それを追求した。
セシリアは鷹揚にうなずきその問いに答える。
「この世界には本来なら、人間に害をなす悪魔はもう存在しないはずですもの。ずっと前に、ある方が殺して殺して殺し続けて……かつての悪魔は滅びましたから」
「じゃあ、今この世界にいる悪魔は……蘇って……?」
セシリアはその問いにふるふると首を振り、
「いいえ。〈ゲドン〉というのは、元人間です」
と。セシリアはなんてことのないように平坦な声で事実を告げる。
人間が、悪魔になる?
カグヤはまるで信じられなかった。だが……彼女にとってその話は信じざるを得ない話でもあった。
あの日、あのとき。カグヤが逃亡生活に身を投じることになったあの事件……。
「〈セクト〉はなんらかの方法と技術で素質のある人間を悪魔化させ、選ばれし者として組織の一員に引き入れています。元人間の〈ゲドン〉たちは組織に忠誠を誓い、崇拝し、彼らの尖兵として命じられた仕事を果たし、人々を襲い、世界を操りやすいようにコントロールする。それが彼らの行いです」
「あなたたちは……それに反抗し、戦っている」
「ええ、そうです。そして、ずっと昔には彼も」
セシリアの視線が、今度はジャンゴの方へと向けられた。
「先程話にあった、かつて悪魔を殺し続けて滅亡させた存在。それが、彼。グレイゴーストですわ」
「ジャンゴさんが……」
「……」
セシリアに続けてカグヤの視線も向けられたが、ジャンゴはなにも反応は示さず、黙したまま佇んでいた。
「五十年前。悪魔を殺し続けたグレイゴーストの戦いの最後、それがあの〈リフレイン〉事件です。彼は惨劇を引き起こした敵と戦い、勝利し、彼はこの世界を救いました。……まぁ、その戦いで月は破壊され、欠片が隕石として落下して今の世界になってしまっているのですけど」
嫌味のようなセリフにも、やはりジャンゴはいささかも反応を返さなかった。
それが面白くなかったのか、セシリアは唐突に話題を変える。
「そういえばあなた、お名前はまだ伺っていませんでしたね。お聞きしても?」
「え?……カグヤ、です。ツヅキ・カグヤ」
「そう。ではカグヤさん。そろそろあなたがいちばん知りたいことを教えて差し上げます」
セシリアの笑顔に、より一層邪悪なものが浮かぶ。
「──グレイゴーストがいったい、なんなのか。彼の正体をお話しましょう」
その瞬間、ジャンゴは目を見開いた。
セシリアはそんな彼を嘲笑うかのように嗜虐心に満ち溢れた顔で、得意げに語り始める。
「カグヤさん。彼は、当然ながら人間ではありません。彼もまた──悪魔のひとり。ですが、裏切り者の悪魔です。彼は、およそ二百年前から生き続けている、不死者。悪魔を殺す悪魔……〈災厄の獣〉ですわ」
カグヤは、セシリアの語る真実を聞いて、大きく驚くと共に……ジャンゴ本人には申し訳ないがすべてに合点がいってしまった。
悪魔。不死者。……〈災厄の獣〉。
それが、彼。ジャンゴ=グレイゴーストの正体なのだ。




