その名は鉄血教会
ジャンゴとカグヤがイストラカンの地へと降り立ち、早一時間。
時刻は15時50分。
天気はあいにくの雨、といったところで滝のように激しい雨を地上へと容赦なく降り注がせていた。
イストラカンの街は他の街と比較しても雨が降りやすく、日が昇っている日の方がむしろ珍しいほどだ。
カグヤは、弟とともにサン・ミゲルからイストラカンへ移り住むまではこの街でおよそ十年近く暮らしていたが、その間に太陽を拝んだことはほとんどない。
一ヶ月に一、二回気紛れにその顔を出すぐらいの頻度だ。
カグヤはあまり陽の光に強い方では無いので、どちらかと言えば日が出ていない方がありがたかった。
……などと言っても、〈教団〉から追われる以前、イストラカンで生活していた際でもカグヤはすでに半ば引きこもり状態にあったので、あまり関係はないのだが。
「あの」
「ん」
「ここが、目的地なんですか?」
「そうだが」
道を確認する様子もなく、ずんずんと迷いなくイストラカン最上層の立派に繕われた街中を進むジャンゴに着いてきたカグヤは、彼の言う目的地に辿り着いたとき、そこに建つ建物を唖然として見上げて眺めた。
彼女の目前に立ちはだかるように聳えるのは、荘厳なつくりの大きな教会だ。しかも、これほどの規模なら大聖堂といっても差し支えないほどの大きさである。
こんな建物が最上層にあったなんてカグヤはまるで知らなかった。
今の時代、宗教というのはその勢力は目に見えて衰退し、教会というのはほとんど廃墟になっているものばかりなので、ここまでの規模を維持しているこの教会は、明らかに尋常なものではないだろう。
「いつまでぼんやりしてるつもりだ?」
いつの間にか、教会の正面玄関の扉……外観が立派なのはもとより、その大きさも並ではない……の前に立っていたジャンゴが、怪訝な顔をして言う。
「風邪ひくぞ。雨に濡れたいってんなら別に構わないが」
「い、いま行きますっ」
ジャンゴはノックもなしに扉を開けると、中へ遠慮なく押し入った。
「し、失礼しまーす……」カグヤは躊躇いがちに彼の後に続き、教会の中へ。
その中に広がる空間は、外観からある程度想像がつくように非常に豪華で煌びやかな世界が広がっていた。
横にも縦にも広いエントランスホールは、超高級ホテルか歴史ある大劇場さながら、もしくはそれ以上かと言ったところで、カグヤは自分のような人間がここにいるのは場違いなのではないかと萎縮してしまう。
「あ、あの……もしかしてお祈りに来た……わけでは、ない、ですよね」
カグヤはジャンゴに恐る恐る尋ねるが、彼は無視して……というよりは、聞こえていないのか、機械がフリーズしたか時が止まったかのように硬直していた。
カグヤはジャンゴの視線の先になにがあるのかを確かめる。だが、そこにはなにもない。あるのは壁。部屋、あるいは廊下へ続く扉。飾られた大きな絵画。ただそれだけだ。
「……」
だがジャンゴは、そこになにかあるように、あるいはなんらかの気配を感じ取っているのか、厳しい顔で佇んでいる。
カグヤは気づくことは出来なかったが、彼が感じていたのは、気配よりも、強い匂いだ。
といっても、実際に鼻を苛むような匂いがあるわけではない。その匂いとは、第六感にて感じ取れることの出来る香りだ。
隠しようのない、血の匂い。狂犬の匂い。様々な戦いを潜り抜けてきた、戦場の匂い。
それは鼻では感じ取ることは出来ない。しかしながら、ただ全身で……本能で……ひしひしと、自分の同族の匂いがその存在をジャンゴに対して強く訴えていた。
ジャンゴはその匂いを放つ相手に威圧を持って睨み返していると、
「ようこそ、鉄血教会へ」
この教会のシスターのひとりであろう、修道服に身を包んだ無感情そうな女性がジャンゴとカグヤに声をかけた。
カグヤはその女性が音もなく忍ぶように現れたことでびっくりして、思わず怯んでしまった。
それだけでなく、カグヤが思わず驚いたのはその登場の仕方の他にも彼女の着ている修道服にもある。
普通は黒であるはずの修道服だが、彼女が着ているのは……赤色だ。神に仕える人間が着るようなものとは思えない、冒涜的な不吉な色……赤黒い修道服。
カグヤはそれを見せつけられて、この教会が普通ではないと即座に理解した。
……名前も、「鉄血」などとあまりにも物々しいことであるし。
「こちらへは礼拝にいらしましたか?」
赤黒い修道服の女性はまるで絵に描いたような秘書然とした仕草と口調で、ハキハキとキレのよい言葉を口にする。
しかしながら、カグヤは彼女のその在り方にやや違和感を覚える。まるで冷たい機械のようだ。精巧な作りのロボットだと言われれば信じざるを得ないだろう。
だが、ロボットでないのは確かだろう。
現代において高度に人間を模した人型のロボットを制作する際は必ず一見してロボットであるて気づかせるデザインにして置かなければ違法として摘発される。
開発し製造する段階でもそうだが、無論違法の改造行為でこれを破れば、たちまち刑務所送り。ロボットは無慈悲に解体されスクラップとしてゴミ処理場に送られ、ゴミの山を大きくさせる。
「礼拝でしたら右手側の受付へどうぞ。懺悔室のみのご利用でしたら、受付から札を貰ってお待ちください」
なお、カグヤが彼女を人間だと断じたのはちゃんとした理由がある。
引きこもり生活を送ってきた彼女だが、人との関わりがなかったわけではなく、むしろ人並み以上に多かった。
弟のソラもそうだが、イストラカンへ移ってから孤児の子供たちを引き取り、世話を焼いていたことがあるため、その分だけ様々な人間の性格というものを目の当たりにし、同時に接してきた。
だからこそわかる。
目の前の彼女は、機械ではない。単に、よく躾られた犬と同じなのだ、と。
飼い主の指示を忠実にこなし、決してそれに逸脱することはしない。それ以外のことは考えない。
それゆえに、まるでロボットかと見紛うような佇まいとなっているのだ。
「どちらにも用はない」
ジャンゴは、その忠犬のようなシスターに対してばっさりと切り捨てるように言い放つ。
「では、こちらへどういったご要件で?」
「ここの支配人に会いたい」
「支配人などという存在はこちらにおりません。ここにいるのは、みな同等の家族。主に導かれしファミリーです」
シスターは淡々と切り返すように言う。ジャンゴは彼女の平坦な態度を前にため息をひとつつき、コートのポケットから十字架……漆黒に鈍く光る十字架のネックレスを取り出した。
「──今日はいい天気だ」
それを突きつけるとともに、唐突に、なんの脈絡もなく話題を振るように言う。続けて、呪文のような言葉を(嫌々ながら)語る。
「欺瞞に満ちた日は隠れ、真実の雨が降りすすぐ」
それに対して、シスターは目を伏せてうなずく。
「ええ、今日とてもいいお天気です。さぞ〈マザー〉もお喜びかと」
すると、シスターの身に纏う雰囲気は……相変わらず無機質な佇まいは変わらない……一変し、この神聖であるはずの場所には似つかわしくはない、なにか邪悪なものが宿ったようになった。
「先程は失礼致しました、ミスター。ご要件はファミリーへの加入のための契約でよろしかったですか?」
「いや。晩餐会への出席だ。招待状もある」
ジャンゴはしわくちゃになった醜い一枚の紙……手紙を取り出して見せる。
「かしこまりました。すぐに〈マザー〉にお伝えします」
「そうしてくれ」
「その前に、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「……棺桶屋と言えばわかる」
「承知しました」
シスターは携帯端末を取り出すと、手馴れた動作で液晶画面のキーボードをフリック入力し、作成したメッセージを送信した。
すると、ややあってリプライを告げる通知音がポンッと鳴った。シスターはそのメッセージに目を落とし、内容を瞬時に確認する。
(なにがどうなってるんだろう……)
その一連の様子、ジャンゴのやり取り、それらを蚊帳の外で眺めていたカグヤはぽかんとして、まったく状況が飲み込めず、また話にもついていけなかった。
なんとなくわかるのは、やはりここがただの教会ではないということが間違いないということだ。
「お待たせしました。申し訳ありませんが、〈マザー〉は今別件で手が離せません。少しお待ちくださいとのことです。準備が整うまで、応接室にてお待ちください。私が案内しますので」
シスターはまるで暗記したセリフを読むようにスラスラと一気に言った。それから、よく訓練された軍人のする動きのように回れ右をし、そのままつかつかと歩き出した。
ジャンゴはそれに続き、スラックスのポケットに手を突っ込んで彼女の後を歩く。
カグヤは頭に大きなクエスチョンマークが浮かびそうなほど困惑しながらも、置いていかれまいとジャンゴの後を小走りに追った。
(……みんな赤い服を着てる)
来客の対応をしてくれたシスターだけが着ているものだと思っていた(思いたかった)あの赤黒い修道服は、あろうことかこの教会の制服であるらしかった。
廊下を歩いていれば、この教会に勤めているシスターはみなひとつの例外もなく赤い修道服を着ている。
では、男性は?と言えば、これもまた例に漏れず、時折通りがかる神父は赤黒のカソックコートを見に纏っており、なんとも目に痛い光景が容赦なく襲いかかって、カグヤは悪い夢でも見せられているようだった。
目の保養にと、ジャンゴの方をちらりと度々見ているが、彼の方は列車に乗っていたときより、いや、それを言うならそれよりも前の出かけるとき。そのときよりも機嫌が悪くなっているように見え、あまりじろじろ見ていたらまた怒られるな……と思い、カグヤは目のやり場に困った。
「……どいつもこいつも、見知らぬ他人を見るような目だな」
そのとき、ジャンゴがため息混じりにつぶやくように言った。
「……ジャンゴさんは、以前にこちらへいらしたことがあるんですか?」
「何度か、な。……まさかとは思ったが、すっかり変わってやがる。いつから全面禁煙になっちまったんだか」
「この教会で喫煙できたことは一度たりともございません。なにしろ教会ですので」
ジャンゴの苛立ちを露わにした文句に、先頭を歩くシスターがぴしゃりと答える。
「ああそうかい。いつまでも見かけと思想だけは立派だな。安い金メッキ仕掛けのくせに、大層なもんだ」
「そんなに喫煙がしたいようでしたら、外へどうぞ。ただ、その際はここから庭園の方へ出て、そこから北側へ歩いて二十分ほど離れた旧教会の方でお吸い下さい」
「あとでそうさせてもらう」
ふんっと鼻を鳴らして悪態をつき、ジャンゴはシスターを睨む。だが、シスターは何処吹く風といったところで、あるいは彼の苛立ちなど気づいていないのか冷淡な態度のままだ。
その態度はいかにもジャンゴの苦手とするところ、むしろ嫌悪するタイプのそれで、それが彼の苛立ちに火に油を注いでいるというのは、カグヤには考えずとも見て取れた。
それをまるでわかっていない様子の彼女は歩くペースをまったく変えずに長い廊下を迷いなく進んでいく。
「あの……この教会は、いったいどういう場所なんですか」
「ここは、我々の崇高なる聖母〈マザー〉の家です」
募る疑問と謎、そして険悪な雰囲気に耐えられなくなったカグヤが場の空気を少しでも和らげようと質問をしたが、その質問にはジャンゴではなくシスターが即座に平坦な声で答えた。
「そして、私たちはそれにお仕えするファミリー。ここに住まう者は皆すべてが〈マザー〉の子です。ゆえに私たちは彼女を愛し、また愛される。ここはこの世界で最も素晴らしいホームなのです」
ジャンゴはシスターの説明に対し、「けっ、よく言う」と吐き捨てる。
しかしシスターは特に反応を示さず、話を続ける。
「私たちは彼女の導きのもと、この世界を救済するという大義と使命を帯びて活動しています。すべての無辜のひとびとを守るために」
カグヤはその話に嘘や偽りは感じられなかった。
この教会の実態がなんであれ、彼女の言葉には間違いなく心が宿っていた。
相変わらずの抑揚のない声とはいえ、彼女の声には真実を訴える不思議な力があった。
「では、こちらで寛いでお待ちください」
シスターは辿り着いた部屋の扉を開けて、執事かメイドがするように丁寧な所作で中へ入るように促す。
ふたりはそれに従って中に入る。ジャンゴは遠慮なくずかずか踏み入り、豪華な革張りのソファに身を投げた。
逆にカグヤは遠慮がちにちらちらと後ろを振り返って見て、シスターの方にどうすればよいか探る。
「ごゆっくり」しかしシスターは彼女には助言は出さず、ゆっくりと扉を閉めた。
部屋には、今再びジャンゴとカグヤのふたりきりになってしまった。
カグヤは恐る恐るゆっくりとジャンゴの隣……少し距離をとった位置に座る。
「反対側に座れよ」
「そうは言っても……あちらは上座ですし」
「……こんな場所でマナーなんか気にするかねぇ」
ジャンゴは心底くだらなそうに言う。彼は頬杖をつきながら、膝頭を指で小刻みに叩く。
タバコが吸いたいのだろう……それが明らかに見て取れた。マナーなんか気にするのか、と口では言いつつも勝手に喫煙はしないあたり、結局は律儀な性格なんだな、とついつい思ってしまう。
……まぁ単に、あとの処理が面倒だからなのかもしれないが。
「──お待たせしました。会合の準備が整いました」
それからしばらくして、シスターが応接室に戻ってきた。
それまでの間、カグヤはお出しされた上等な茶葉を使った紅茶の味を楽しんだり(ジャンゴは猫舌なので飲むのに苦戦していた)、やはりどうしてもタバコが吸いたくなったジャンゴがあわや応接室でタバコに火をつけかけたりなどもしたが……どうにか事なきを得た。
「申し訳ありませんが、〈マザー〉の要望により場所は応接室ではなく中央礼拝堂にさせていただきます」
「なんだと?」
「〈マザー〉もそこであなた方のことをお待ちしておりますので、手間をおかけしますが、移動をお願いします」
ジャンゴはうんざりした様子で、ため息を吐くとともにソファから腰をあげる。カグヤもそれに続き、手に持っていたティーカップを置いて立つ。
それから、さらに五分後。
再びシスターに案内され、ふたりは長い廊下を渡り、あちこちに点々と存在する目に悪い赤黒の修道服を眺めながら、中央礼拝堂の扉の前まで辿り着く。
「この先が礼拝堂になります」シスターは一礼し、一歩後退する。「会合の場には私はお邪魔することはできませんので、扉の前で失礼させていただきます」
「そうかい。とっとと行け」
邪険に追い払われるような投げやりな言葉を背に、シスターは踵を返してスタスタと歩き、一度も振り返らずにその場を離れていった。
「行くぞ」
「あ……はい」
ジャンゴは扉を力強く開け放つ。豪華な作りをした扉が開かれ、その先にある神聖であり落ち着いた煌びやかさを持つ世界が彼らを待ち受ける。
だが、カグヤはその先の空間……礼拝堂にあるはずのない、どろりとした暗黒の沼めいた異質ななにかが支配しているような雰囲気を感じ取って、思わず身を硬くした。
ジャンゴもそれに気づいているはずだが、彼は臆することなくその沼の中へと身を投じる。
カグヤは意を決し、彼に続いた。
ふたりは奥行きのある礼拝堂をまっすぐ進む。
均等に並べられた長椅子の間を縫うように歩き、礼拝堂の最奥手前で立ち止まる。
「ようこそおいでくださいました。わたくしたち〈フォルテシモ・ファミリー〉の拠点とする鉄血教会へ」
その最奥に……絵画めいた豪奢なステンドグラスと祭壇のある場所に、彼女はいた。
カグヤは思わず、目の前に立つ女性の姿を見て息を呑んだ。
まるで美術品に生命を吹き込まれ、そのまま人間としての血肉を与えられたかのような、現実離れした美しさ。
神秘的で精巧なギリシア彫刻が動いている……そう言っても過言ではないだろう。
整った目鼻立ち。エメラルドが埋め込まれているかのように綺麗な翠の瞳。そして、なによりも目を引く、上品なウェーブのかかった真っ白な長髪。
病的なほどに白い肌は、気味の悪さよりも美しさが勝つ。
アルビノ……彼女がそういった体質だというのは明らかだった。しかしながら、病弱そうな様子は欠片もなく、気品と自信に溢れた強かさに満ちている。
そして、そんな美貌を彼女は修道服を改造したと思しきドレスに身を包んでいる。こちらは赤黒ではなく、彼女は特別ということか白銀に美しいドレスだ。
──まるで雪の女王。
カグヤはその出で立ちを見てそう思った。
「はじめまして。わたくし、セシリア・クラウディウスと申します。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
彼女は一国の女王を思わせるような佇まいと仕草でお辞儀をひとつした。そして、顔を上げるとにこりと柔らかく笑う。
そのひとつひとつの所作が、麗しく高貴さを感じさせられる。
(……けど。わたしは、このひとのことを……怖いって、恐ろしいって感じちゃう……)
カグヤはセシリアと名乗る女性に畏怖を覚え、警戒心を解くことなく、むしろ強めた。
気を許してはならないと。少しでも、彼女の態度に心を預ければ、たちまち食われる、と──カグヤは心の中で身構える。
目の前のこの女性は……恐ろしい魔女なのだ。
「おまえが鉄血教会の新しい支配人か?」
「ええ、そうですわ。僭越ながら、鉄血教会のトップを務めています。でも、ひとつだけ誤解を解いておきたいのですけれど……ここにいるみなさんはわたくしのことを〈マザー〉だなんて大仰な名前で呼びますけど、あれはわたくしがそう呼ぶように指示したわけではありませんので」
セシリアは恥ずかしそうに苦笑してそう説明するが、その顔には満更でもない、という気持ちも僅かながら見えていた。
「少し恥ずかしいですね。まだまだ未熟者ですもの。でも、それだけ慕ってくれているというのは、悪い気はしませんわ」
「……なんでもいいが。それはともかく、おまえさんみたいな若いのが教会のトップに上り詰めたなんてなかなか信じられんな。どんな手を使ったかは知らんが……前任者の婆さんはどうした。あのイカれた独裁者気取りのレイシストは」
ジャンゴはセシリアを睨みつけながら、初対面の彼女を測るように尋ねた。
「しばらく前にお亡くなりになりましたわ。どちらにせよ、もう歳でしたもの。引退するにも、よい頃合いでしたわ」
にこり、と笑って彼女は平坦な声で言った。なんの感情もなく、死者を敬い弔うような様子もない。
「……殺したのか、おまえが」
「さぁ、どうでしょう?」
ジャンゴに問われてもなお、やはり、セシリアは笑っていた。無邪気で残忍な、愛らしい笑顔で。
「まぁ、いいさ。なんにせよ、過去の栄光に縋りついてみっともなく堕落したあの婆さんは昔から気に食わなかった。死んでくれたなら、それで清々する」
「ええ、わたくしもそう思いますわ」
「ふふふっ」と、笑うセシリアにジャンゴはわずかに困惑した。隠す気があるのかないのか……おそらく、いや間違いなくないのだろうが。
得体の知れない女だ……とにもかくにも、彼女のペースに乗せられないようにせねばなるまい。
「で?セシリアさんよ。あんたおれになんの用だ。いきなり手紙を寄越して呼びつけて、偉く気取った稚拙な合言葉をおれに言わせて……なにが望みだ?おれになにをさせる気だ?」
「あら」セシリアは心底愉快そうに笑った。「そんなこと、あなた自身がいちばんわかり切っていることでしょう?」
「……」
「手紙にも、書いたじゃありませんか。わたくしたちに、協力してくださいませんか、と。その隠居生活と人間ごっこをおやめになって、今一度、戦ってくださいな」
カグヤはジャンゴの顔を覗き見た。
彼の顔は、表情は……分からない。ひとのこんな顔は初めて見た。どんな感情が浮かんでいるのか、それとも感情が抜け落ちているのか……まるで読み取れない、影が落ちたような真っ黒い顔。
「あなただって、おわかりでしょう?いつまでも自分を偽れるはずがないことぐらい。ねぇ、そうでしょう──」
悪魔を宿した優しい笑顔で、彼女はトドメをさすように言い放つ。
「あなたは、〈GLAY GHOST〉なんですから」
その単語が彼女の口から出た瞬間、世界中の時間が停止したかのように場が凍りついた。
「……グレイ、ゴースト?」
カグヤは、セシリアが口にしたその単語をそのままオウム返しに繰り返した。
彼女はジャンゴ……グレイゴーストと呼ばれた彼の方を再び見る。
そこにいるのは誰なのか。それを確かめたかった。
ジャンゴは、「……はっ」と乾いた笑いをひとつ漏らした。
「知らないな、そんなもの」
「あら、この期に及んで白を切りますの?」
「そんな奴、おれは知らない。おれは……ジャンゴだ」
「ジャンゴ。そう、ジャンゴですか。ふふ、素敵な名前をつけてもらってるんですね?でもその名前、これまでで何個目の名前でしょう?」
「……」
「ミスター・ノーボディ。あなたが自分のことをグレイゴーストだと認められないのなら、それでも結構です。そういうことなら──」
セシリアはふぅと小さくため息をつき、
「わたくしから思い出させて差し上げます」
BANG!
「……え?」
カグヤは突然の銃声に、間の抜けた声をあげた。
目前のセシリアの手には、魔法のようにいつの間にか銃が握られている。大型の銃、トンプソン・コンテンダー。
コンテンダーの銃口からは細い煙が立ち上り……それが放った銃弾は、
「ジャンゴ、さん……?」
ジャンゴの脳天を無慈悲に貫き、彼の頭を吹き飛ばしていた。
彼の体は撥ねられたように大きく後方へ飛び、仰向けに鈍い音を立てて倒れ、床を血で真っ赤に汚した。
「これにて、儚い夢の終わりですわ」
セシリアはコンテンダーをやはり魔法のように手から消し、柔らかく笑った。
カグヤは声を枯らして、礼拝堂いっぱいに響き渡るほどの大声で叫んだ。
「ジャンゴさん──ッ!!」




