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GLAY GHOST 〜赫焉のジャンゴ  作者: DDDog
ただ一欠片の人間性のために
20/31

Moonage Daydream

「あの……これなんてどうでしょう」

「……好きに選べ。野郎の意見なんてあてにするな」

「そう言われましても……」


 サン・ミゲルの駅構内。

 ラビリンスの迷宮めいて複雑な構造をした駅の内部には、様々な店が所狭しと並ぶ。

 カグヤは今、事務所の一員となってから新しく買った私服姿で、商品を手に取ってその善し悪しを調べていた。

 カグヤの私服は、本人の趣味か性格なのか、やはりというかほぼ黒一色の地味めで大人しい色合いのスタイルだ。

 黒いハイウエストスカートにブーツを履き、脚は黒のタイツを履いて露出がほとんどない。上半身にはダークグレーのブラウスという徹底ぶりだが、そのファッションのセンスは確かなものだ。

 また、彼女の特徴的な長い黒髪は今は後ろで一本の束に結っていて、普段よりもスッキリした印象を与えるポニーテールにしていた。

 ただ、相変わらずどこか辛気臭い印象はそのままなため、せっかくのその飾り方と容姿の端麗さは没個性と化してしまっているが。


「じゃあこちらは?」

「なんでもいい。さっさと決めろ」


 ちなみに、今カグヤがチェックしているのはメガネだった。

 なぜそんなことをしているかというと、駅につくなりジャンゴが、「……おまえの目が気に入らん。メガネでも買え」と、なかなかに理不尽かつその意図を測り兼ねることを言い出したので、列車に乗る前にひとつ買おうということになったのだ。

 とはいえ、カグヤは逃亡生活を送ることになるまでは普段メガネ……作業をするときに気分でかけるための伊達だが……をかけていることも多かったので、別段嫌ということもなく、素直に彼の要求に従っている。

 そうして、特に拘らずあれこれと目に止まったメガネを試着してみているが、当のジャンゴの反応がイマイチで、対応も軽くあしらうようなもののためさすがのカグヤもモヤモヤとしてしまう。

 やはり彼は、わたしのことが気に入らないのかもしれない……そう思いながら、ふと思いきって試すようなことを言ってみる。


「わたし、あなたに選んでみて欲しいのですけど」

「……」


 その途端、ジャンゴは鳩が豆鉄砲を食らったように神妙な顔つきになった。

 その表情を見て、出過ぎたことを言ったかもしれない……とカグヤは後悔した。なぜあんなことを言おうと思ったのか、数秒前の自分を責める。

 また悪態をつかれることを予想し、おろおろと視線を泳がせたが、ジャンゴはため息をつき、伏し目がちに言った。


「……そうだな」彼はすくい上げるように商品を手に取る。「なら、これにしろ」


 彼が選んだのは、細めのセルメガネで、フレームはアンダーリム、レンズはスクエアタイプのカジュアルなものだった。カラーリングは落ち着いた色合いのネイビーカラーで、やや黒に近いその色合いは、カグヤの好みによく合っていた。

 カグヤはそれを受け取ると、さっそく着けてみる。メガネのつるに指を添え、背の高い彼を上目遣いに覗き込む仕草で感想を尋ねる。


「どうですか?」


 ジャンゴはようやく彼女と目を合わせて、いつもの調子でぶっきらぼうに答える。


「……悪くない」

「ふふっ、なら、よかったです」


 ちゃんと()()()()()と言って貰えて、カグヤは嬉しそうに柔らかく微笑んだ。そして「じゃあ、こちらを買ってきますね」と告げて、店主のもとへ向かおうとする。

「カグヤ」だが、ジャンゴはそこで彼女を引き止めた。彼は重苦しそうに口を開き、少し躊躇いがちに言葉を吐き出した。


「……さっきは、悪かったな」

「え?」

「……なんでもない。とっとと買ってこい。列車に乗り遅れるぞ」


 はい。そう答えるカグヤの胸のうちには、少しばかり安堵の念が訪れていた。

 ジャンゴはあのとき自身に手を差し伸べてくれた優しい彼のままだということがわかって、ホッと胸を撫で下ろす気分だった。

 だから大丈夫。

 彼は、わたしが信じようと思ったジャンゴだ。わたしが一緒にいようと決めたジャンゴだ。

 だから──。



「……」

「……」


 ──心配はないと、そう思っていましたのに。

 列車の車内に乗り込み、個室で向かい合って座るカグヤは、居心地の悪さと気まずさに苛まれてしまう。

 そわそわと身動ぎしたり、しきりに目線をあちこち泳がせて、この息苦しさを少しでも和らげようとするものの、当然ながら緩和されることはなかった。

 目の前には、ぶすっとしたいかにも不機嫌そうな顔と態度で、窓辺に頬杖をついているジャンゴがいる。

 列車に乗り込んでたったの五分、そして出発してからの五分……その間の恐ろしく鈍重な沈黙はカグヤの時間感覚を狂わせた。彼女にとってその十分のわずかな時間は、一時間のようにも長く感じられた。


『ご乗客の皆様、こんにちは。そしてお疲れ様です。本日も地層鉄道公社シャイアンが提供するリニアモーターカー、〈エジソン〉をご利用いただき誠にありがとうございます』


 そんな中、乗客をリラックスさせることに特化させた丁寧な言葉遣いと抑揚を持つ合成音声の車内アナウンスが流れ始めた。


『当列車は中央都市イストラカン行きの三号車となっており、終点への到着は14時35分、走行時間は180分となっております』


 この〈エジソン〉という列車が作られたのは、地層鉄道が各積層都市を結ぶ交通機関として完全に定着してからのことだ。

 当初は従来通りの地下鉄と同じ方式の列車が大半を占めていたが、それだけでは各都市間での貿易や輸送を伴った交通や観光などに移動時間の面で不便が生じていた。

 そこで、鉄道公社はかつての日本で広く使われていた交通手段新幹線を参考に、新たな交通機関として開発したのが、この磁力によって超高速で目的地まで移動するリニアモーターカー〈エジソン〉である。

 その最高時速は公には発表されてはいないものの、各積層都市をきっかり三時間、しかもまったくの遅延なしで移動できるのは非常に画期的であった。

 なにせ、イストラカンと姉妹都市であり距離も比較的近いサン・ミゲルでさえその距離は従来の飛行機を持ってしても(すでに航空会社というものがなくなって久しいが)、六時間もかかるというものだ。

 それがこれほど大幅に縮まったのは、世紀の発明とも言えることだろう。

 しかも極めつけに、この移動時間が三時間というのは、どの都市間での移動も変わらないというもので、距離の長短関係なしというのは非常にありがたく素晴らしいことだと賞賛を集めている。


『──〈エジソン〉が各都市を三時間、つまり180分で移動することが可能となっているのは、列車の名前の由来となっている発明家、トーマス・A・エジソンが常に18時間仕事をしていたという逸話から来るものであり、その逸話から18という数字を移動時間に当てはめ、これにあやかっています』


 〈エジソン〉の車内アナウンスが、宣伝とばかりに列車の概要を説明する。

 この列車が最高時速が公にされておらず、その実質的な性能の詳細が不明というのは、この点から来ている。

 本来発揮出来る最高速度を引き出せば、イストラカンとサン・ミゲルの移動時間はさらに短縮でき、実は一時間、ないしは一時間足らずで移動できるとされている。

 だが、それをしなかったのは、アナウンスでも語ったようにエジソンの逸話をあやかったことと、ただ移動するだけでは列車を利用する際の面白み、娯楽が失われるとの判断からだったという。

 これにはスポンサーであり技術提携をしたアップルシードも苦言を呈し反対したそうだが、列車を運営するシャイアンはそれを突っぱね、ロマンを重視して押し切った。

 それにより、当初かかるはずだったコストと運賃も削減され、〈エジソン〉はひとびとに愛される列車となったのだ。


「……きれい」


 カグヤは車内アナウンスを環境音のように聞き流しながら、窓に映る()()を見つめて思わず感嘆の声を漏らした。

 そこへ映るのは、もう存在しないはずのありのままの自然だ。透き通るような青空、キャンバスに色を塗ったかのように鮮やかな緑に生い茂る木々や煌めく紺碧の海、そして、眩く輝く太陽……。

 誰もが当たり前に知っているはずの世界の姿。

 しかしてほとんどのひとびとがもはや歴史という半ば虚構的教養でしか知るすべがない、失われたかつての世界だ。


『当列車では、三時間の()()を快適にお過ごし頂けるように、車窓から地球の懐かしい幻想的な景色をお楽しみいただけます。今回のシチュエーションは春、よく晴れた麗らかな原風景をイメージしております。また、夜間での走行では満月が姿を見せ──』


 地層鉄道の例に漏れず、この〈エジソン〉も各積層都市を結ぶリニアトンネルという閉鎖空間を走行している。

 そのため、外の景色など本来は見えず、映り込むのはブラックホールめいてたちまち吸い込まれそうな真っ暗闇となるはずなのだ。

 しかし、それを覆したのが、シャイアンの社員たちの技術力と探究心、そして鉄道ならびに列車というものにかける情熱だ。

 シャイアンは〈エジソン〉車内の窓にスクリーンを設置した。それは一見すればなんの変哲もない窓ガラスのようにしか見えないが、薄い膜状の有機ELディスプレイを組み込み、そこに映像を映し出すという技術を完成させた。

 これにより、車内の窓からは〈リフレイン〉が起きる環境崩壊前の世界が現実のように生き生きと映って流れていく。

 この景色は時間帯によって変更され、夜ならば月が出る。ときおり雨が降る、冬ならば雪が降る……そういった風に現実の天候さながらに気まぐれに変わる。

 これがまた好評で、このバーチャルともリアルともつかない迫力ある景色を楽しむためだけに乗るという人も中にはいるぐらいだ。


「わあ……」


 カグヤは見惚れるように食い入ってその景色をぼんやりと眺め、自然と和やかな気持ちになる。先程まで、びくびくおろおろとしていたことを忘れて、()()()()に没入する。

 すっかり〈エジソン〉が作り出す幻の景色の虜になり、子供のように顔を緩めてしまう。

 ベルさんも一緒にこの列車に乗っていたら、きっと楽しそうに笑って、はしゃぐんでしょうね。

 カグヤはそう思って、この場にいない少女の明るい顔を想像し、くすりと笑った。


「……いい、景色だな」


 そのとき、ジャンゴが独りごちるようにつぶやいた。

 カグヤは彼が声を発したことに驚いて、ぱっと振り向いた。

 そこには、カグヤから顔を背けて同じように窓の外を眺めているジャンゴがいた。しかし、彼の頬は……非常に微妙でわかりづらいが……若干朱に染っているようにカグヤには見えた。

 おそらくは、思いがけずつい言葉を漏らしていたことを恥じ入っているのだろう。

 そんなこと、気にしなくてもいいというのに。

 カグヤはついつい、口許を緩ませて薄い笑みを零してしまう。


「……なに笑ってんだ」


 それに気づいたジャンゴが、窓に視線を向けたまま刺々しく言った。

「ご、ごめんなさい……不愉快でしたよね」カグヤは慌てて詫びる。「……別に」それに対して彼はため息を吐き、やはり顔を背けたまま言う。


「そうやって、いちいち謝るのもやめろ」

「……ご、ごめんなさ……あっ」

「……まぁいいさ。あれもこれもすぐに治せなんて、言わないからな」

「はい……」


 しゅんとして、カグヤは身を小さくする。

 さっきから彼はずっと不機嫌にしているというのに、わたしはなにをしているのだろう。逆撫でするようなことをしてしまうなんて。

 自分の性格が嫌になる。

 カグヤは自己嫌悪に陥って、いつも暗い顔をより一層暗くする。

 それを見兼ねたジャンゴは、またもため息を吐き出して顔をカグヤへ向けた。

 カグヤは彼の視線に当てられ、思わず緊張して姿勢をピンと正す。


「カグヤ。おれはだな」

「は、はい」

「おまえのそういうところがイライラするとは言ったが……嫌いだとは言ってないからな」

「え……」


 ジャンゴはそれだけ言うと、また外の景色に顔を向けた。太陽の光を受けてキラキラと輝く海が、どこまでも、地平線の果てまで広がっている。


「……リニアに乗るのは、初めてなのか」


 彼は美しい景色を眺めながらカグヤへ尋ねた。


「あ……はい。イストラカンにいた頃は、滅多に外に出ませんでしたし……遠出をする理由もなかったので」

「ふぅん、そうかい」ジャンゴはカグヤを横目で見た。「とすると、列車も使わずサン・ミゲルに逃げ込んだのか?」

「ええ、まぁ……。密航も考えましたけど、それはそれでリスクが高かったので……結局、信じられるのは自分の足でしたね。イストラカンの貨物運搬用の真っ暗闇のトンネルを歩いて歩いて……あれはなかなか骨が折れました」

「……おまえさん、そんなナリで思ってたよりフィジカルだな」

「う……そこはせめて我慢強いと言ってください。体力はそんなにありませんからね」

「そうだったな」


 ジャンゴはふんっと鼻を鳴らした。彼は本来はふっと笑うつもりだったのだが、どうにもうまくいかなかった。

 しかしそんなこといちいち気にすることはなく、彼は話を続ける。


「興味から聞くが。おまえ、なんで昔住んでた想い出の場所になんか拘った?いっそミフネ・シティに行こうとは思わなかったのか。あそこなら、上手いこと潜り込めば追っ手の手も振り切って逃げおおせることだってできたはずだぞ」


 ミフネ・シティは五つある積層都市のうちのひとつだ。

 アジア系の人間が多く移り住んだ都市で、その中でも極東の国、日本からの移民がその大半を占めている。

 そのため日本の文化や風習が良くも悪くも色濃く反映されており、都市の名前も日経の名前が付けられている。また、その名の由来は三つ目に完成された〈方舟〉であることからも来ている。

 しかし、現在はこの積層都市は鎖国状態にあり、その入国は非常に限定されており、厳しく管理されている。

 彼ら独特の価値観と基準を満たさなければ、どんな権力者であろうと金持ちであろうとも門前払いされるほどだ。

 その厳戒な態勢と施策により、密入国など以ての外、その嫌疑がかけられただけでも即射殺されるというレベルだ。

 だが、それをパスする究極であり限定的な方法がある。

 それは、日本人であること。

 ないしは日系の血を持つということだ。

 この時代になっても、他と比べても病的なほど根強く排他的な自国愛は健在であり、その悪しき慣習は薄れることなく、むしろより一層色濃くなって染み付いていた。


「まぁ……そうですね。あなたの言うことも最もです。きっと最初からそうしておけば……ただ生きるだけなら、それでよかったのかもしれませんね」


 カグヤはジャンゴの問いによって再度込み上げてくる罪の意識を受け止めようと、肌身離さず持ち歩いているロケットの懐中時計を小さく華奢な掌に握り込んだ。


「でも、それだけは嫌でした。前にも言ったように、どこまでもワガママで、自分勝手ですけど……死んだように生き続ける方を選ぶのが、罪深いわたしが迎える終わりとしてはお似合いだと思ったんです。わたしは自分を慕ってくれた子供たちから目を背けて、捨て去って……そんなふうにのうのうと生きることだけは出来なかった」

「……」

「でも、今は……そんなこと思いません。どんなに苦しても、背負って生きようと思いましたから。逃げずに立ち向かおうって、思いましたから。あの子たちのためにも、そして、わたし自身のためにも。あなたが、そう思わせてくれたんです。あなたが勇気を……くれたんです。わたしを取り巻くすべてに抗って戦う勇気を」


 カグヤは貞淑に笑い、ジャンゴに感謝を改めて告げる。


「だから。本当に、ありがとうございます、ジャンゴさん」


 ジャンゴは、カグヤの純粋な気持ちから生まれるそのお礼の言葉に対してつんとした態度を露わにして鬱陶しそうに目を背けた。


「……前と同じ話はするもんじゃないな。蒸し返して、悪かった」

「いえ、お気になさらず」


 このことは、何度だってお礼を言ったって、足りませんから。

 そう言いたいところだったが、それを言えば今のジャンゴはどう反応するかわからなかったし、ここで機嫌を損ねたくもなかったので、それはそっと胸の中にしまう。


「……なぁ」


 そこでジャンゴは、急に声のトーンを落として重々しく口を開いた。


「おまえに、いくつか質問したいことがある」

「え……な、なんでしょう」


 なにか、重要なことを聞き出そうとしている。

 それを悟ったカグヤは少し身構えるように体をさらに緊張させ、彼の質問を待ち受ける。


「おまえの母親の名前は、なんだ?」

「え……お母さん、ですか?」


 だが、実際に問われた思いもよらない質問に、カグヤはわずかに拍子抜けした。しかし、彼が真剣に尋ねているのだとなんとなく理解して、正直に答える。


「……サクヤ、です」

「そうか……。わかった、次の質問だ。おまえには……弟がいると言ってたな」

「ええ……はい」

「その他に、姉か、妹がいるってことはないのか。それも、双子みたいに瓜二つな」

「いえ……わたしには、そんな血縁の方はいませんよ」

「なら、いい。……ちなみに、その弟さんの名前、念の為に聞いてもいいか」


 カグヤを相手に質問を重ねるジャンゴは、まるでなにかに縋るようにも、怯えているようにも見えた。いったいなにに怯えているのかはわからないが……どこか裁判に臨む罪人のように映って見えた。


「わたしの弟の名前は……ソラです」

「……そう、か」


 その名前を聞いたとき、ジャンゴは先程までの怯えや不安がわずかに消えたようだった。


「義理の、弟のようなものですけれど。身寄りをなくしたあの子を、わたしが引き取ったんです」

「そうか。……おれも。おれも、姉さんに拾われた義理の弟だった」

「まあ。そうなんですか?」

「……そうだ。今のは……どうでもいい話だ。忘れてもいい」


 ジャンゴは少し寂しそうな顔を一瞬見せた。それから彼は、カグヤに聞こえない小さな声で、「……なんでそんなこと、話してんだ、おれは」と責めるようにつぶやいた。

 だが、すぐに気を取り直して、


「次の質問だ。おまえは……結婚しているのか」

「えっ……」

「……どうなんだ」


 なぜ急にそんなことを……?

 カグヤの頭に混乱が駆け巡る。どういう意図の質問なのか。先程から縋るような問い方のせいで、彼にそんなつもりはないとわかっていても誤解しそうになる。


「え、ええと……」

「あんたには昔旦那さんがいて……実は未亡人とかじゃ、ないのか」

「ち、違いますっ。わたし、結婚だなんてそんな……」カグヤは強く強く否定する。「殿方をひとり、特別に愛したことなんて……ありませんから」

「……なら」ジャンゴは茹で上がったように真っ赤になっているカグヤにさらに容赦なく問い詰める。「子供も、いないんだな?あんたによく似た娘さん、とかも」

「い、いませんっ!いくらジャンゴさんでもそんな質問は──」


 震えた声で、若干の怒りを露わにしてカグヤは叫びかけたが、途中でその声は喉の中へ引き返し、戻っていった。

 なぜなら。


「そう、か……そうなんだな……」


 ジャンゴは泣いていた。

 泣いている、といっても……彼の表情はまるで変わらず、嗚咽もない。相変わらず横を向いたままだ。

 なのに、つう、と。ただ一筋の涙が、下へ下へと流れていた。


「……ジャンゴ、さん?」


 ただ一滴のみの涙を目から流したジャンゴの感情は、まるで読み取れられなかった。

 嬉しそうにも、悲しそうにも……安心したようにも、寂しそうにも見える。あるいは、そのどれでもない。

 その様子は本当に不思議で……どこか、神秘的で。

 そんな彼をじっと惹き付けられたように見つめるカグヤは、しだいに胸のうちによく分からないなにかが込み上げてくるような感覚を覚えた。

 なんだろう。これは。

 わからない。わからないが……。

 ただ、強く、思う。

 わたしは──。


『お疲れ様でした。間もなく、終点、イストラカンです。皆さま、ご乗車ありがとうございました。お忘れ物のないようご注意ください。この度は、シャイアン社の提供する〈エジソン〉をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。またのご利用、お待ちしております──』


 遮るように、車内アナウンスが流れ出した。

 気づけば、もうイストラカンに到着していた。早いもので、すでに三時間経っていたらしい。


「さて、降りるぞ。目的地はまだ遠い」

「あ……はい」

「……どうした」


 不思議そうな(というよりは、じとっと睨まれるようだったが)顔をされ、カグヤはジャンゴへ向けて伸ばしかけていた手をゆっくり引っ込めた。

 ジャンゴは、つい先程一滴の涙を流していたのが最初からなかったかのように平然としていた。

 見間違え、だったのか。カグヤはそう思ってしまいそうになる。

 いや、しかし……。


「……いえ」カグヤはかぶりを振る。「なんでも、ありません。行きましょうか」

「あぁ」


 ジャンゴとカグヤのふたりは列車を降り、イストラカンの駅のホームへとその足を踏み入れ、寄り道をせず真っ直ぐに駅構内を突っ切り、外へ出る。

 出迎えるのは、サン・ミゲルとはやや構造が違い、そのうえさらに広大かつ巨大に聳え立つ積層都市の姿。

 屹立する建築物、整備された路上。そしてその路上の下にまた屹立する建築物。そこに路上。さらにその下に……と、実際その光景はあまりにも禍々しく見えるが、この光景が当たり前になった現代において、それを気に留める人間はいない。

 だが、先程まで〈エジソン〉が作り出す幻想の世界を見ていたカグヤにとって、その現実の世界はあまりにも陰鬱で歪んで見えた。


「あの、どちらへ向かわれるんですか?」

「……行けばわかる。黙ってついてこい」


 ジャンゴの先導のもと、カグヤはイストラカンの街中を歩く。少し前までいた、この街を。

 懐かしいとは思わない。ただ、まさかここへ戻ってくることになるとは思ってもみなかった。しかも、堂々と。

 カグヤは歩きながら、列車の車内で垣間見たジャンゴの涙を思い返す。

 このひとが何者なのか。それは今に知ることになる。そうトニーは言っていた。

 自分はもう、それを知る立場になってしまっていると。


(わたしはそれを知ったら……どうなるのかしら)


 彼を、拒絶する?

 わからない。

 彼を、受け入れられる?

 わからない。


(今はまだ、わからないけれど……)


 カグヤはなにかを心に決め、先程列車にてジャンゴへと伸ばそうとした手を目の前に上げ、その掌を見つめる。

 そしてそれを、決断的にきゅっと握り込む。

 自分にできることをする。

 ずっと、そうしてきたように。

 ずっと、そう生きてきたように。

 ジャンゴの後ろを歩くカグヤは、彼の広く大きな……だが哀愁の漂う背中を見つめながら、この先起きうることに対する覚悟を決めるのだった。

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