過去が追いかけてくる
「あぁ、そういえばジョン」
四人になって初めて食べる(少し早い)朝食を済ませてから、時刻は早朝の四時。
あれからカグヤとベルは食事後すぐにシャワーを浴びてさっぱりしてから、そのまま就寝した。なんとも仲のいいことに、ふたりで一緒のベッドで寝ている。
カグヤはこれまでの逃避行と先刻の一悶着のため当然のことだが相当疲れが溜まっており、食器を片付けたあと電源が落ちるように寝入ってしまった。
そんなカグヤをジャンゴが(面倒くさそうに)ベッドまで運んでやり「わたしも寝よーっと」と、ついてきたベルはカグヤを寝かせたベッドに潜り込むように隣で横になった途端、一瞬で眠りについた。
カグヤの方はすっかり不安からも解消され、そばにいてくれるベルやトニー、そしてジャンゴの存在があるおかげか安心しきって、安らかな寝顔ですぅすぅと穏やかな寝息を立てている。
ベルはそんなカグヤを抱き枕にするようにしがみつき、嬉しそうな顔ですやすやと熟睡していた。
「なんだ、急に」
ジャンゴとトニーは暫定的にカグヤの部屋となった元客室を退室すると、休むより先に戦闘で使った武器の手入れをすべく工房へと向かった。
手入れといっても、銃砲の火薬の汚れはそうそう簡単に取れるものではないので、今できるのは油を塗りたくり汚れを浮かす程度なのだが。
しかしながら、眠いから、疲れたからといってほんの少しの手入れでも後回しにして怠るようなことをすれば後々面倒になるもので、下手をすれば銃の故障や破損に繋がりうるため、必ずやっておかねばならないのだ。
「いや、おまえさんに渡さなきゃいけないものがあってだな」
「渡すもの? ふむ、かたたきけんとかか」
「そりゃわしが受け取りたいね、ぜひ」
そんなとき、トニーは「すっかり忘れてたよ」と口に出し、ごそごそと服のポケットに手を突っ込んで手探りにあちこち探し始めたのだった。
「おまえさん当てにな、手紙が届いとったんだよ」
「なに、手紙だって? 今どきか? ほー、随分と古風なこったな」
「今どきって……おまえさんがそれ言うかぁ? まぁいいが。おまえをリフトんとこまで送って、ベルを連れ帰ってる間に事務所に届いてたみたいでな。しっかしこんな夜遅くに手紙を置いとくなんざ、変わったヤツもいたもんだが」
たぶん、普通の手紙じゃないぞ。とトニーは少し不安げな表情を見せて前もって忠告する。
「あぁ、あったあった。ここに入れとったか。ほれ。ちなみに、差出人は不明だ。まったく、怪しいったらありゃしないな」
トニーは工房の作業机に脱ぎ捨てるように置いていたコートから一通の手紙を見つけて取り出した。
ジャンゴはそれを受け取ると、封を……雑に、というよりも不器用さがこれでもかと溢れんばかりにビリビリと引き裂くように開ける。
「あーあー、ヘッタクソぉ。なんちゅう開け方だよ」
「うっせぇ。開けづらいのが悪いんだよ。糊付けしすぎだ」
トニーの茶々にジャンゴはふんっと鼻を鳴らして、不機嫌そうに、あるいは恥ずかしがっているのかぷいとそっぽを向く。
彼はひどく醜く破けた封筒の中から手紙を抜き取り、役目を果たした封筒をゴミ箱へ放り投げた。
「さて。なにが書いてあることやら」
「どれどれ、鬼が出るか蛇が出るか」
トニーは作業用工具や手入れ用品、油の入ったボトルを用意しながら、銃の手入れを始めるための準備をする。
ジャンゴは手紙の内容に目を落とし……その表情を一瞬にして硬くする。
顔の色までは青くはならなかったが、見るからにその手紙の内容が少なくとも彼にとってはろくなものでないことはその反応から明らかだった。
「……」
ジャンゴは手紙を読み終えると、その途端込み上げてくる感情のままに両指に力を込め、紙に幾重ものシワを刻み込む。
顔に陰鬱な影が差し込むジャンゴの様子をトニーはじっと観察しながら、作業机に銃をごとりと並べて置く。
ジャンゴは手紙をスラックスのポケットに乱雑にねじ込むように突っ込むと、重いため息を吐き出し、顔を上げて虚空を思い詰めた様子で眺める。
「……どうした」
見るに見兼ねて、トニーは重苦しい空気を身に纏うジャンゴに声をかける。
「……別に」ジャンゴは顔を背けたまま、表情を見せずに俯き加減で返す。「なんでもない。ただ……昔懐かしい想い出に浸ってただけだ」
「想い出、ねぇ。それにしちゃあ随分と、重っ苦しい想い出もあったもんだ。わしにはまるで……なにか己の罪深さに責め立てられとるように見えるぞ」
「……」
ジャンゴはその指摘には無言で返した。うなずくこともせず、目で訴えるようなこともなく。ただ、黙するのみだった。それは無言の肯定というわけでもなく、ただ反応に詰まっている、という様子であった。
そして、ジャンゴは「すまんが、銃の手入れを任せる」と背を向けて告げ、トニーの工房を逃げるように足早にでていった。
「あいよ。っと。……まったく、あいつがひとこと謝って物事を……まして銃のメンテを……丸投げするなんて、珍しいこともあったもんだよ」
ジャンゴは普段からものぐさな性格をしてはいるが、命を預ける銃に関しては必ず自分の手で手入れをする。といってもさすがにその道の専門、トニーにしかできないような部分はやむなく任せることはあるのだが……。
自分でできる範囲は絶対に自分で手掛ける。
そうしなければ気が済まないというか、安心しないとは本人の弁であるが、それを踏まえると彼があんな風に何にも手をつけず物事を丸ごと託すというのはよっぽどのことといえた。
「ありゃ……災厄の前兆かな」
トニーは顔を歪め、彼もまた重いため息をつく。
自分自身……いや、ジャンゴ本人の方が強く覚悟をしていたことではあるはずなのだが、だとしても……まさかこんなにも早くとは。
彼の身になにが起ころうとしているのかを鋭く察したトニーは、銃を手入れする手を動かしながらじんわりと沸き起こる不安感に掻き立てられる。
「……やれやれ。どうにも、過去は待っちゃくれんらしいな」
──ジャンゴは酒にひどく酔ったときのような重い足取りで、いつもよりやけに長く感じる廊下を歩き、やがて自室に辿り着く。
寝るためのラフな格好に着替えることもせず、まるで重装備の鎧のように重く感じる服を脱ぐこともせず、昨夜カグヤを連れ出す際に出かけてからずっと着っぱなしのワイシャツ姿のままおんぼろベッドに身を投げ出す。
彼は己の逞しい腕を顔に覆い被せるように置くと、再び重いため息を吐き出した。胸のうちに溜まった気持ちの悪い毒気を外へ放出するように。
「……おれは」
ジャンゴは弱々しい声をぽつりと零す。それから、自虐的な乾いた笑みを浮かべた。
「結局おれは、あのクソ忌々しいカイブツに戻らざるを得ないのかもしれないな」
わかってはいた。わかりきっていたことだった。
カグヤに関わろうとしたことで、かつての自分に片足を突っ込んだことで、こうなるであろうことは予想はしていた。
あのときトニーに胸のうちを吐露したときにはもう、すべて受け入れる心づもりではいた。
だが……。
そうだとしても。
「今の自分を手離したくない、か。……まったく、おれもすっかりとんだ臆病者になっちまったもんだ」
未練がましい気持ちを抱えながら、ジャンゴは体の力を弛緩させて抜き、仰向けに寝転がった状態のままでマールボロをゆっくりと取り出して、ひとまず気持ちを整理させようと吸い始める。
彼はタバコを持つ手を虚空を掴もうとするようにまっすぐ伸ばし、じっと指の間に挟まるタバコを見つめる。
タバコから立ち上る細い煙と吐き出した煙が、導かれるように上へ上へと伸びていく。
それがまるで、残り少ない自分の人生の灯火のように感じられて、ジャンゴは目を細め、ひどく空虚な目付きになる。
それから彼は、静かに罪を告白するかのようなトーンで独りごちる。
「……〈ドクター〉。あんたのせいで、おれはこんな情けなくなっちまったよ」
彼の深い青色をした瞳の奥にひとつの情景と、ひとりの女性が映り込む。まるで今まさにその光景が目の前に存在するかのように生々しく、現実味を帯びて。
しかしそれは当然のことと言えた。
脳裏にまざまざと焼き付くように刻まれ、忘れようもなく常に鮮明に思い起こせるあの瞬間とあの罪なのだから。
片時でも離れたことないその苦悩は、どう足掻いてもなにをしようとも晴れることはなく常日頃から抱え続けてきた。
しかし、それはいつもの比ではなかった。
あまりにも激しく、苛烈に……彼を揺さぶらんとし、脳内から送り出された記憶が、ジャンゴの視界をジャックし、責め立てるように五感すべてに訴えかけるようにまざまざとフラッシュバックする。
ジャンゴは伸ばしたその手を遥か遠くに見えながらもすぐそこにいるような彼女へ届かせようとする。
──彼女が、こちらを振り向く。
まるでライ麦畑のように温かく、風になびけば光を振りまくような輝けるあの黄金の髪。
透き通るような白い肌に、優しく穏やかで太陽のように明るいあの綺麗な顔。
どんな宝石よりも価値がありそうなほどに眩しく美しい、淡い緑色の瞳。
白い清潔な衣装に身を包んだ、天使めいたあの容姿。
そして……自分のことを呼んでくれる凛としながらもどこか甘く感じる声。
──□□□□。
そんな彼女がジャンゴをいつもの様に呼ぶ──赤々と燃え盛る地獄の光景のただ中に佇んで。
どこまでも優しい声で。優しい顔で。
なのにどこか残念そうに。なのにどこか寂しそうに。
怒るわけでもなく、悲しむわけでもなく。
ただそんなふうに、いつものように自分を見つめてくる。
……やめてくれ。そんな目で、そんな顔でおれのことを見ないでくれ。
──どうしてなの? □□□□。
これは、違う。
そんなつもりじゃなかったのに。
だから……違う。違う。違う。
違う違う違う違う違う違う違う違う!
だってそこへは行けない。行ってはいけない。行きたく、ない……。
──そう。そうなのね。あなた……。
それ以上、言うな。言わないでくれ。
その先は……。
聞きたくはない。
聞かせないでくれ。
──わたしを裏切る、のね?
嗚呼。
ああ、ああ、ああ……!
うらぎる、うらぎる、うらぎる、うらぎる、うらぎる、ウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギルウラギル──。
やめろ、やめろやめろやめろ!
そうじゃない。おれじゃない。
裏切ったのはおれじゃない。
捨てたのはそっちだ。
騙したのは……そっちの方だ。
どうして。
どうして……。
「……」
……ジャンゴの胸元にぽとりと灰が落ちた。
いつの間にかほとんど吸わないうちにタバコは根元までとうに灰になっており、そのころにはジャンゴは半ば気絶に近い形でぐったりと眠りの中に落ちていた。
ひどい悪夢に苛まれながら、ジャンゴは壊れ、歪みきった己の精神の中で溺れるようにもがき続ける。
……そんな彼のスラックスの中に、しわくちゃの手紙が一通。
それが彼を蝕み苦しめる災いの元凶であり、恐ろしい呪いのアイテム。
その手紙には、ある名前が記されていた。
──「GLAY GHOST」、と。




