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GLAY GHOST 〜赫焉のジャンゴ  作者: DDDog
ただ一欠片の人間性のために
13/31

ミスター・ノーボディ

 一方。その廃ビルの中にて。

 カグヤが入ったそのビルの内部もやはり外観通りの様相と化しており、ひどく荒れ果ててはいるが、それは元からだ。カグヤはこのビルが最初から廃墟だったころから住み着いていた。

 その荒れ放題の様子があの頃とまったく変わっていなくて、カグヤはついつい昔の記憶を思い出してしまい、足がなんども止まってしまった。

 ここは、カグヤが昔弟とともに住んでいた場所だ。訳あってサン・ミゲルからイストラカンに引っ越す前は、この廃ビルにひっそりと隠れるように住んでいた。

 あの頃は、本当に平和で、穏やかな毎日を送っていた。いろいろと大変なことも多く苦労していたが……それでも、弟が一緒にいてくれた。

 彼は心を半ば病んでいたカグヤを立ち直らせるほどに眩しく、優しくて……ずっと心の支えになってくれていた。

 その弟も、今となっては……もう、どこにもいないのだが。

 そうして、楽しい思い出と辛い思い出の両方にひたりながらもようやくカグヤはかつての自室に辿り着いた。

 ほとんどコンクリートがむき出しになっているこの廃ビルにおいて、その部屋は比較的綺麗な部類で、壁の穴なども特になかったため、つつましく生活をするには十分な部屋だった。


「ここも、あの頃のまま」


 ついつい、微かながら嬉しそうな笑顔が漏れてしまう。

 テーブルや椅子、本棚、花瓶、ラジオ、古ぼけた年代物のレコード……カグヤの生活の跡が、そこにはしっかりと残っていた。

 カグヤは誘われるように部屋の奥へ進み、かつて弟と食卓を囲んだときのように椅子に座る。そして、すっかり埃を被ったテーブルに手を触れ、指でなぞるように埃をとった。

 指についた埃が弟との思い出の結晶のように感じて、カグヤは目を細めた。

 ──あぁ。本当に、懐かしいな。

 カグヤはテーブルの上にロケットの懐中時計を首から取って置き、中を開く。

 聞き慣れたオルゴールの旋律が流れ始め、カグヤの心を揺さぶる。


「わたし……本当に幸せだったな」


 あの頃は生きるのが楽しくて、希望があった。

 なんてことない日常がかけがえもなくて。

 弟と騒いだり、ささやかな喜びを噛み締めたり、怒ったり、ときには辛いことがあって悲しんだり。

 本当に毎日がきらきらと輝いていた。

 ふと、カグヤの頬に熱いものが伝った。

 涙……そうだと気づくには意外にもかなりの時間を要した。

 ぽたぽたと何粒もの雫がテーブルに零れて、埃をじんわりと溶かす様子を見て、ようやく自分が泣いていることに気づけた。


「……寂しいなぁ」


 カグヤは、自分の中から込み上げてくる感情に身を任せ、大粒の涙を流し続けた。

 泣きじゃくることはせず、嗚咽もなく、ただただ静かに、カグヤはひたすら泣いた。

 そして、オルゴールの旋律がゆっくりと消えたとき、


「──なるほどね。郷愁、ってところか」

「……っ!?」


 静謐に包まれた孤独な世界を打ち破る何者かの声が聞こえた。

 いつの間に……まったく気配を感じなかった。

 カグヤはひどく驚いて、全身に緊張が駆け巡った。

 追手が来ることを覚悟をし待ち受けていたとはいえ、突然の、しかもなんの予兆も気配もなく現れたその存在に思わず怯えてしまった。

 カグヤはゆっくりと顔を上げて、声の主を確認する。

 そして、その正体にさらに驚いて思わず目を丸くした。


「あなたは……」

「悪いな。驚かせるつもりはなかったんだが」


 どうして。あなたが、ここに。

 まったく予想もしていなかった者の登場に、カグヤは言葉を失った。


「……ジャンゴ、さん……」


 彼女の前に現れたのは、なんとあのジャンゴだった。

 惹き付けられるような孤独を秘めた、優しく綺麗な瞳を持ったあの彼。

 カグヤと関わるのを拒んだはずのジャンゴが、なぜかこの廃ビルへとやってきていた。


「……わたしを」

「ん?」

「殺しに来たんですか?」


 カグヤは淡々とした、すべてを悟り受け入れるような口調で思わぬ来客に尋ねた。

 その問いに彼は面白そうに笑った。


「どうしてそう思う?」

「だって……あなたはわたしを助ける気なんて、ないでしょう?」

「ああ」彼はやはり笑って言った。「ないね」


 ジャンゴは背負っていたギターケース……なぜそんなものをここに持ってきたのかはわからないが、中身はおそらくギターではないのだろう……を下ろして手に提げると、ずかずかと遠慮なしに部屋の中へ押し入る。


「だが、わざわざおまえのことを殺す気もない。そんな面倒なこと、すると思うか?」

「いいえ……でも、それぐらいしか、ここに来る理由も思いつかなかったので」


 カグヤは思っていた考えを正直に話した。

 ジャンゴのほうは、その考えに対して、特に気分を害した様子もなく、やはり不敵な笑みを浮かべるだけだった。

 彼はギターケースをテーブルの横に乱雑に投げ捨てるように置いて、椅子を引いた。


「ふぅん、ここがおまえさんの言ってた行きたいところってわけか。もしかして、昔住んでた場所か? いい部屋だな。ボロいのに目を瞑れば住み心地は存外悪くなさそうだ」


 ジャンゴは断りもなくカグヤの正面に座り、ぐるりと当たりを見回す。

 それから、テーブルの埃を鬱陶しそうに払って、手前に手を組んでカグヤの真っ赤になった(元々赤色の瞳だが普段よりなお赤い)目をじっと見つめてきた。

 カグヤは、それに対して負けじと見つめ返し、


「……ええ。いい場所でしょう? 住めば都です。昔は弟とふたりで慎ましく暮らしていたんです」


 と、彼がどうしてこの場に赴いたのかはそれ以上尋ねずにこの廃ビルとカグヤとの関係を口にした。


「へぇ、弟さんがいたのか」

「はい。無愛想で、不器用で……素直じゃない子でしたけどすごく優しかった。いつもわたしを守ってくれて。可愛い子でした。……今はもう、いませんけど」

「そうか」

「はい」

「……おれにも、姉弟がいた。おれの方が弟、だが。おれにはかけがえのない姉がいた」

「まあ……そうなんですね」

「ああ。おれの姉は優しく、賢くて、そして強い人だった。おれはいつも、彼女に憧れていた。彼女の支えになるためなら、なんだってしようと思えた」


 ふたりは、家族……姉弟のことを話題に会話を交わす。

 そこに広がるのは、緊迫した状況でありながらもまるで穏やかで、不思議な雰囲気に包まれていた。


「素敵な方だったんですね」

「ああ、そうだ。世界一、素晴らしい人間だったと思う。だから。あんたの気持ちはわかる。あんたの郷愁に浸る気持ちはな」


 ジャンゴはタバコを取り出し、それを吸おうという仕草を見せたが、なにかに引き止められるようにその手をぴたりと止め、やがてタバコをポケットにしまった。


「聞いてもいいか」

「……どうぞ」

「おまえ、どうしてそんな、なにもかも諦めてます、って態度をしてるんだ」

「……」

「おまえのその、大切な弟のためにも生き延びたいと思ったりはしないのか」


 カグヤはその問いに、迷う様子を見せた。

 その迷いは、彼の問いにどう答えるか言葉を探している、といった迷いだった。

 彼女はしばらく逡巡し、そして答える。


「そうですね……。そんなこと、まるで考えもしませんでした。なにもかも唐突に失って……ひとりになって……きっとそれが、もうすでにわたしに死を与えてしまっているんです。空っぽで、虚しくて。だからもう、生きる理由も、特に感じられません」


 ジャンゴは訥々と語るカグヤのことを身動きひとつせずにじっと見つめて聞き入る。


「たくさんのひとに迷惑をかけました。たくさんのひとを、わたしのせいで狂わせました。……きっと、あなたがわたしの話を聞いて想像している以上の、たくさんのひとを。わたしは……多くの命を弄び、奪った。だから、これからのことは報いとして受け入れることにしたんです。償いとしては、陳腐かもしれませんけど……わたしにできることは、それぐらいしかないと思いましたから」


 カグヤの目に、再び涙が滲む。

 彼女は押し寄せる感情を堪えるように手をきゅっと握りしめた。絞り出すような震えた声で、さらに言葉を紡ぐ。


「自分勝手。そう言われることはわかっています。でも、わたしは……あまりにも無力で、弱い自分から抜け出せない、変われない。強くあろうにも、わたしにできることなんてただ悲鳴をあげて、助けを乞うぐらい。それなら、いっそ……なにもしない方がいいんです。だからわたしはここに来た。すべてに終止符を打つために。わたしを殺すために」


 カグヤは話を終えて、口を噤んで俯いた。

 その拍子に、ぽたりぽたりとまた涙が零れ落ちた。泣いてばかりで、本当に情けない……。そうは思っても、泣くことはやめられない。

 それをやめたら、きっと、自分のために犠牲にしてしまったひとたちに目を背けることになると思った。

 それが、死んだも同然のカグヤにとって、最後に残された人間性。虚しい足掻きだった。

 きっと、彼らに捕まれば、もうこんな風に涙を流すことも出来なくなるから。

 乾いた瞳では、泣くことは叶わない。だから、今のうちに泣いておくのだ。泣けるだけ泣いて……自分のすべてを吐き出し捨てて。

 そうして、自分を殺すのだ。吐き気がするほどに、卑しくて愚かで、大嫌いな自分自身を。


「……なるほどね」


 ジャンゴは立ち上がると、カグヤの横にまで近づき、彼女を見下ろして立つ。


「よくわかったよ。おまえの気持ちは。本当に、自分勝手なヤツなんだな」


 ジャンゴは冷たい言葉を彼女に投げかける。

 だが、不思議なことにその言葉に嘲りはまるで感じられなかった。かといって、憐れみもなく……ただ、彼女の語った言葉をそのまま事実として口にしたようだった。


「だがな、ひとつ言っておくぞ。自分勝手でなにが悪いんだ」

「え……?」

「おれが仮におまえさんの立場になったとしても、おれはそんな他人のこといちいち気にかけやしない。誰がなにを言おうと構うものか。恨み言を吐いて、憎まれ、許せないなどと宣おうと、そんなこと知ったことか。人間はな、自分のためにしか生きられないんだ」

「……わたしは。あなたとは、違います」

「そうだな。だが、自分のエゴを捨てられる人間は有り得ない。自分のことを心底大切にしてエゴを貫けるからこそ、そいつは初めてどうでもいい他人のためになにかができるんだ。自分のことを度外視して他人に尽くせるようなヤツはただのイカれたカラクリ人形だ。だがおまえはそうじゃない。おまえはただ、無理して自分に言い聞かせようとしてるだけだ」

「……でも、わたしは」

「いいか、カグヤ。人形に涙は流せやしない。おまえは今、エゴに従ってここに来た。それはおまえがまだ、しっかり生きてるからだ。つまらない言い訳を考えて、それが誰かのためだと自分を殺してなんになる。他人のために自分から目を背けるな。おまえはおまえのための命しか持ってないんだ」

「……」

「本当に死ぬつもりなら自分で首をかっ切るなり首を吊ればいい。だがそれができなかったのは、おまえにその勇気がなかったからじゃない。本当は生きていたいからだ。違うか?」


 今のジャンゴは、カグヤが初めて見た彼とはまるで別人のようだった。無口な人間だと思っていたが、熱に浮かされたように(顔は相変わらず無表情そのものだが)、彼はカグヤを諭すように語っている。

 そしてその話に、カグヤはなにかが胸に去来して……否、むしろ、逆だ。胸のうちに押し殺していたものが、熱を帯びて蘇ってくるような感覚に苛まれていた。


「自分を否定するな。胸を張って肯定しろ。生きるってことはな、それこそが自分勝手なことなんだ。だから、自分勝手でもいいんだ。ただおまえさんがひとつだけ間違っているのは、おまえの本当にすべきことは逃げることでもなく、助けを乞うことでもないということだ。だが、かといって今のようにすべてを諦めてひとり塞ぎ込むことでもない。戦うことだ」

「戦う、こと……」

「そうだ。エゴを貫くために自分以外のすべてと戦え。おまえを取り巻くものすべてに反抗しろ。おまえが、本当は生きたいと……そう望んでいるのなら。他人の思いや言葉など無視して、耳を傾けるな」


 ジャンゴはカグヤの瞳に溜まった涙の粒を、指でそっと拭った。カグヤの細く華奢な指とは違い、太く逞しい指で。


「生きて、戦え」


 彼は力強く言った。


「それを望むのなら、おれは──」


 ……その刹那。

 BLAM!

 恐ろしく大きな銃声が突如鳴り渡る。


「……ジャンゴ……さん……?」


 カグヤは目を見開いて、眼前の光景に呆然とした。

 ジャンゴの側頭部から、血が流れでて……そのまま、見えない力に弾かれたように吹き飛び、どさりと倒れ込む。


「お話中、すまないね」


 口調は穏やかでありながら、ひどく下卑た声がカグヤにかけられる。

 カグヤはゆっくりと正面を向き、新たに現れた侵入者を見る。

 ……ジャンゴに銃弾を撃ち込んだ男のことを。


「お待たせして悪かった。ツヅキ・カグヤさん。グリゴリ探偵社のステヴァンだ。部隊の代表として、あんたのことをお迎えに上がった」


 ステヴァンと名乗った男は、銃口から煙を立ち昇らせるオートマチック拳銃を手に提げたまま、カグヤのもとへ歩み寄る。

 しかし、カグヤは彼の方には視線を向けず、吹き飛ばされたジャンゴの方を呆然として見つめていた。

 ……彼は動かない。血を流し、まるで生気を感じられない。

 死んだのか。殺されてしまったのか。

 ……わたしのせいで。

 また、ひとが死んだ。

 ……わたしのせいで。


「さて、追いかけっこは終わりだ。いや、隠れんぼだったかな? まぁ、どちらでもいいが。カグヤさん。あんたは我々と同行してもらう。依頼主が首を長くして待っているのでね」

「……」

「彼のことはすまない。だが、目撃者や障害は消すのがルールだ。ただ、せめてお悔やみぐらいは申し上げよう」


 カグヤはゆっくりと顔を動かして、視線をジャンゴの方から十字を切るステヴァンの方へ寄越した。

 彼女は睨むわけでもなく、ただ冷めきった目つきで目の前の傭兵を見る。


「さぁ、そんな死体のことはもういいだろう? こちらへ来てくれるかな。なに、手荒な真似はしない。あんたには傷をつけるなとキツく言われてしまってね。我々も態度を改めたんだ。どうか、信頼してくれないか。我々も、依頼主も、あんたを保護したいだけなんだよ」


 手を差し伸べるステヴァンの顔は温和で、あたかも天使のようにも見える。

 しかし……彼の本心にどす黒いものがあることは、カグヤは敏感に感じ取っていた。


「どうした? 腰でも抜かしたか? そうして座り込んでいてもどうにもならないぞ」

「……わたしは」


 カグヤは、その手を取るしかないと思った。

 その手を取れば、楽になれる。この地獄から、解放される。

 もう、終わりにする。これ以上、自分の身勝手のために誰かを失わないためにも。

 そのためにここに来た。だから、それでいい。それで……。

 ──本当に?

 本当に、それで、いいのか。

 伸ばそうとしたその手が、見えない力に掴まれた。彼女自身の内なる手に。込み上げてくる感情が、カグヤの手を阻んだのだ。

 彼が……ジャンゴが言ったことを思い出し、反芻する。なんどもなんども、繰り返し繰り返しその言葉の意味を確かめ、噛み締める。

 ……確かに、自分はここに至るまで犠牲しか出せなかった。

 いろんなひとを、わたしのせいで死なせてしまった。

 その現実が辛くて、苦しくて。張り裂けそうなほどに、罪の意識に苛まれた。

 だから、それを終わらせたくて逃げるのを諦めた。それが、その犠牲と自分勝手な行いの罪への(あがな)いだと信じて。

 けれど。

 本当に、死なせてしまったひとたちに報いたいと言うのなら。犠牲の上に立っている自分が、本当にすべきことは……そうじゃない。


「あなたには……いえ、あなたたちには、ついていく気はありません」


 カグヤは、静かに……だが、強い意志を込めてつぶやく。

 償うために。これまで犠牲にしてしまったひとたちの想いやや願いを、無駄にしないために。


「あなたは、信頼できない。信頼するつもりもありません。わたしは……あなた方の巫女になる気は、ありません」

「……はっ」


 ステヴァンはカグヤの答えた言葉にくだらないと言うふうに一笑に付す。

 そして、彼は先程語った言葉に反し、銃をカグヤへ突きつけた。彼の目つきはひどく険しくなり、温和な態度は一変して恐ろしい人殺しのものとなった。


「あんたの意思なんて最初から関係ないんだよ。いまさら選択肢があると思ってるのか? さっきそこの死体になにを吹き込まれたかは知らんが、俺たちに大人しくついてくるしか道はないんだよ、わかるか。エエ?」

「手荒な真似はしないんじゃなかったんですか」

「手荒にする気はないが、事故ということなら問題はあるまい。おまえのせいで何人もの仲間が犠牲になったんだぞ。その悔しさを我慢しろだと? ふざけるな。どちらにせよ、強情を張るというのならおまえのその体を痛めつけて、犯して……無理矢理言うことを聞かせてやってもいいんだ。クライアントにも上司にも、いくらでも言い訳をすればそれでいい。減額はされるだろうが、まぁ仕方ないだろう」

「……」

「いまさら都合がいいことを考えるなよ。よく思い出してみろ。あんたは自分の身勝手のためにどれだけの犠牲者を出した? あんたが〈教団〉から逃げたせいで、あんたを慕うお仲間は愚かにもあんたを守ろうとした。匿おうとした。まったく、とんでもない悪女だよ。そんな優しい仲間のことを自分が生き延びるために(たぶら)かし、弄び、そして突き落としたんだからな。いやはや信じられんな。その事実と多くの犠牲者に背を向けて、まだおめおめと逃げ続ける気でいるとは」


 ステヴァンは笑った。本当に滑稽だと言う様子で、大きく笑った。その笑い声には、カグヤに対する侮蔑がこもっている。

 そして、そんなステヴァンに対してカグヤはきっと、今までにないほどの鋭い目付きできっと彼を睨みつけると、ロケットの懐中時計を手に取ってきゅっと握りしめ、椅子から立ち上がる。


「逃げるつもりは、もうありません」

「……なに?」


 カグヤは言い放つ。

 力強く。迷いなく。静かにも、硬い意志を込めて。


「わたしは……あなたたちと戦います。わたしを取り巻くものと向き合って、それと戦います。わたしはわたし自身の罪と戦います」


 カグヤは一歩前に踏み出て、ステヴァンの突きつける拳銃を胸元に押し当てた。ちょうど心臓の位置。彼女の豊満な胸が歪む。


「生きる、ために。わたしは戦う。わたしはもう逃げません」


 カグヤは拳銃を右手でがっちりと掴み、握り込んだ。

 彼女の決意と覚悟ある覇気を前にして、ステヴァンは目の色を変えた。冷めた侮蔑の目付きから、燃え盛るような激しい憤りの篭った目付きに。


「戦う。戦うだと? はっ。とんだ笑い話だ。で、どうやって戦う? たったひとりで、なんの力もないくせに、どうやって戦うんだ? エェ?」

「……」

「おまえには本当に呆れるよ。愚かすぎて救いようがないバカ女だ。そんな甘い浅はかな考えがよく出てくるもんだ」


 カグヤはステヴァンの目付きにも怯まず、むしろ鋭く睨み返してみせた。だが、これ以上の反論はできないでもいた。

 彼の言うとおり、自分には力はない。この場を乗り切るだけのすべは無い。

 だが、それでも。

 ここで、目を背けてはいけない。逃げ出してはならない。

 たとえ戦う力はなくとも、戦う意志だけは揺るがない。


「いいか! マヌケなおまえに特別に教えてやる! おまえにはもう道はないんだよ! おまえはもうここでお終いなんだ。おまえに手を貸してくれる人間は、誰もいない(Nobody)! おまえはもうこの先ずっと、永遠にひとりなんだよ!」


 ステヴァンは激昂するように声を荒らげ、その大声で朽ちつつあるボロボロのビルをびりびりと揺さぶる。その声の大きさはビルをそのまま倒壊させそうなほどの剣幕だ。

 それに対して……カグヤはやはり目を背けず、一歩も退かずに言葉を返そうとする。


「そうだとしても、わたしは──」


 そのとき。


「──いいや」


 その場の空気を一変させるような、恐ろしく強く、重い気迫を秘めた、静かな声が発せられた。

 思いがけないその声の主に、ステヴァンもカグヤも驚き、視線を集中させた。

 そこにいたのは……。


「そうとも限らないさ」

「ジャンゴ……さん?」


 カグヤは己の目を疑った。

 死んだはず……銃で頭部を撃たれたはずのジャンゴが、なにごともなかったかのようにそこに立っていた。


「どうして……」

「言ったろ。……いや、途中で言い損ねたんだったか。まあいい。おれは、おまえを助けるつもりはない。だが、おまえが生きて戦うことを望むというのなら、それに手を貸す。一緒に戦ってやる。おまえの罪とやら、一緒に背負ってやる」


 どうして、と言ったのはそういうことじゃない。

 彼は確かに撃たれ、血を流していた。明らかに致命傷だったはずだ。なのに……どういうカラクリか、彼は当然のごとく生きている。


「貴様……なぜ生きてる? 確かに殺したはずだ」


 彼を銃で撃った本人であるステヴァンもやはりカグヤと同じ疑問を抱いていたようで、驚愕と困惑からその得体の知れない男へ問う。


「さあ、なんでだろうな」ジャンゴは飄々としてはぐらかす。「()()でも撃ったんじゃないか?」

「……気味の悪いヤツだ。いったい、何者だ」


 ステヴァンはカグヤに突きつけていた銃口をジャンゴの方へ向けた。

 彼は目前のジャンゴからにじみ出るただならぬ危険性をひしひしと感じ取っていた。ステヴァンの指がトリガーをゆっくりと押し込む。ジャンゴがどう答えようと、即座に引き金を引くつもりで彼はいた。

 しかし対するジャンゴはその殺気にまるで動じることなく、白いダスターコートのポケットに両手を突っ込んで佇み、吸い込まれるような恐ろしく冷たい暗闇を孕む銃口をじっと見据える。

 彼はステヴァンの問いに口の端を歪め、不敵な笑みを浮かべて答える。


「おれか? おれは誰でもない(Nobody)


 そして、その刹那。


「──ただの死に損ないさ」


 BANGBANGBANGBANGBANG!

 けたたましい銃声が、(せき)を切るように轟いた。

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