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私たちは、国境近くの森林地帯へと『生態系調査』の共同任務に出向いていた。



目的は、新種の薬草の採取と、その周辺大地の魔素バランスの測定。

事前に安全が確認されている区域だ。



けれど、私たちの空気は最悪だった。



「……リノ、あの、この区域の土壌に含まれる魔素の結晶化比率なんですけど……」


「あ、うん。データはそっちでまとめておいて。私はサンプル採取するから」


「あ、はい……すみません……」



シエルが、頭の上のピンクの花をしょんぼりと萎れさせながら、私の少し離れた後ろをトボトボとついてくる。

あの日、彼に「出ていってください」と言われて以来、私たちの間にはなんとも言えないぎくしゃくとした気まずい空気が流れていた。

謝りたいけれど、私の意地っぱりな性格が邪魔をして、どうしても素直になれない。

というか、これ、私が謝るべきなのか……?



調査には、私たちの護衛として、国から派遣された屈強な戦士たちが三人同行していた。

全員が分厚い胸板に、たくましい腕。まさに私が理想としていた「ゴリゴリのマッチョ」そのものの男たちだ。強面なのも私的に評価が高い。



いつもなら「目の保養だわ」なんて思っていたかもしれないけれど、今の私の目は、どうしても彼らの後ろで大きなリュックに背負われそうになっている、線の細いシエルばかりを追ってしまっていた。



(あのバカ、あんなに重そうな荷物背負って……。研究員としては立派になったけど、運動音痴なのは相変わらずなんだから。私がちゃんと見ててあげなきゃ)



そんなことを考えていた、その時だった。



空気が、一瞬で凍りついた。



地響きと共に、周囲の木々がなぎ倒される。

現れたのは、私たちの身長の倍はある、禍々しい巨体を持った魔獣だった。安全区域のはずの場所に、なぜ。



「おい、嘘だろ!? なんでこんな上級の魔獣がここに!」


「ひるむな、研究員のお二人を守れ!」



護衛の戦士たちが果敢に武器を構え、魔物へと突撃していく。筋肉隆々の彼らの背中は、確かに頼もしそうに見えた。

――けれど、素人目で見ても対応人数が足りていない。現実は無情だった。



魔獣が咆哮と共に放った、圧倒的な密度の魔力の衝撃波。

それが直撃した瞬間、鎧ごと、屈強な戦士たちは一撃で吹き飛ばされた。頑丈な大木に叩きつけられ、彼らは一歩も動けなくなる。



「嘘……、あんなに強そうな人たちが、一瞬で……!?」



恐怖に襲われた瞬間、私の脳裏をよぎったのは自分の安全ではなく、後方にいるシエルの姿だった。

魔物の、血走った巨大な眼球が、まっすぐにシエルを捉える。

鋭い爪が、彼に向かって振り下ろされようとしていた。



(危ない――!!)



体が勝手に動いていた。

私が守らなきゃ。

その一心で、私はシエルの前に全力で飛び出し、その細い体を突き飛ばすようにして背中に庇った。



「シエル、伏せてっ!!」



襲いかかる巨大な爪。間に合わない――そう覚悟して目を瞑った、次の瞬間だった。



「リノ――っ!!」



突き飛ばされたはずのシエルが、短い悲鳴と共に、信じられない執念で私の前に再び割り込んできたのだ。

ふわふわした薄緑の髪、私の視界を遮るように立ちはだかる細い肩。



叫ぶ私の目の前で、シエルは案の定、生まれたての小鹿のように全身をガタガタと震わせていた。恐怖で顔は真っ青だ。

けれど、彼の頭のてっぺん、そして首や腕から生えたオジギソウの花が、かつてないほど激しく、今にも爆発しそうな勢いで色濃くなっていく。



それは、恐怖のせいじゃない。彼の命がけの感情の暴走だった。



「土素の分子配列を密度最大に固定、硬度指数を四倍……いや、僕の全魔力を代償に十六倍に引き上げ――っ! 熱力学的な反発壁を、ここに緊急展開ッ……!!」



パニック時の、あの驚異的な早口オタクトーク。

けれどその声は、今までで一番力強く、森中に響き渡った。



7歳の頃、地面に砂粒ほどの精密さで魔法陣を描いたあの卓越したコントロール力と、今日まで死に物狂いで積み重ねてきたち密な理論。



その全てが、今、この瞬間に結実する。



シエルが地面に両手を突き立てた瞬間、私たちの前に、幾重にも重なる巨大な幾何学模様――魔法陣が、まばゆい光を放って展開された。



ドオォォォンッ!!!



激しい衝撃音が轟く。魔物の爪は、私たちの数センチ手前で、完全に停止していた。

シエルが作り出したのは、ただの土の壁ではない。

大地の成分を極限まで圧縮し、あらゆる物理攻撃を無効化する、ダイヤモンドをも凌駕する超高硬度の岩の障壁だ。



「が、はっ……、あ……っ」



圧倒的な魔物の力を受け止め、シエルの口から血が滲む。それでも彼は、一歩も引かなかった。

魔物の猛攻を完璧に押さえ込みながら、シエルは震える声で、けれど真っ直ぐに、私を振り返って叫んだ。



「僕には……っ、リノが好きな、筋肉も、男らしさも、何一つない、けど……っ! でも、リノに、指一本……触れさせない……っ!!」



その瞬間、私の胸の中で、ずっと張り付いていた臆病な曇りが一気に吹き飛んだ。



モテモテのイケメンだから、私なんかもう眼中になくなるかもしれない。

ただの契約者だから一緒にいるだけかもしれない。家族愛と勘違いしているだけかもしれない。



……そんなわけ、ないじゃない。



運動音痴で、生まれたての小鹿みたいにガタガタ震えているくせに、私のためにこんな命がけの無茶をしてくれている。この必死な背中が、何よりも真っ直ぐに私への想いを叫んでいた。



私が昔からシエルの努力を信じていたように、シエルの心の中にいるのは、ずっと、私だけ。



視界が涙で歪む。

目の前で必死に壁を維持し続ける、世界で一番頼もしい、私のオジギソウ男子の背中を見つめながら、私はもう、自分の心に嘘をつくのを完全にやめていた。



「シエル……!」



けれど、シエルはただ守るだけで終わる男ではなかった。

パニック状態で驚異的な回転数を誇る彼のオタク脳は、すでにこの窮地を脱するための次の一手を完璧に弾き出していたらしい。



「障壁の維持に全リソースを割くのは非効率的です……! 反発エネルギーをそのまま運動ベクトルに変換、地殻の流動性を利用して――ターゲットの足元を強制変形ッ!!」



シエルが叫びながら、さらに深く地面に両手を突き立てる。

すると、魔物が立ち尽くしていた地面が瞬時に泥濘ぬかるみへと変化し、その巨体を底なし沼のようにズブズブと飲み込み始めた。

慌てて暴れる魔物だったが、シエルが「流動停止、瞬間硬化!」と唱えた瞬間、泥はダイヤモンド級の超高硬度な岩へと逆戻りし、魔物の手足を完全に、かつ強固に地面へと縫い付けたのだ。



「グオォォォッ!?」



完全に身動きが取れなくなり、悲鳴をあげる魔獣。

シエルの完璧すぎる拘束魔法のおかげで生じた決定的な隙――それを見逃さないほど、護衛の戦士たちもヤワではなかった。



「……はっ! 助かった、お前ら!」


「今だ、アイツが動きを止めてくれたぞ! 全員、最大火力で叩き込めーーっ!!」



何とか衝撃波の直撃から意識を回復した戦士たちが、一斉に飛びかかる。

自由を奪われた魔物めがけて、鍛え上げられた大剣と斧が、戦士たちの雄叫びと共に容赦なく振り下ろされた。

手足の岩を砕くこともできず、完全に無防備な状態だった魔獣は、彼らの渾身の一撃をまともに喰らい、ついにうめき声をあげてその場に崩れ落ちた。



「はぁ、はぁ、はぁ……っ」



魔物の消滅を確認した瞬間、シエルは限界を迎えたようにその場にへたり込んだ。頭の上のオジギソウの花は、ぐったりと萎れてしまっている。



「シエル!」



私は泥と汗まみれになった彼の細い身体を、今度はきつく、抱きしめるようにして支えた。



「無茶苦茶だよバカ……! 運動音痴のくせに、何考えてんのよ!」


「……だって、リノが、僕の前に、出たから……。リノが死んだら、僕の脳内メモリは……一生、起動エラーを起こします……っ」



相変わらずわけのわからないオタク構文で、けれど、過呼吸になりそうなほど必死にシエルが私を見つめ返してくる。



ボロボロの護衛たちも「おいおい、助かったぜお二人さん。特にそっちの魔族の兄ちゃん、最高のサポートだった」と近づいてくるけれど、今の私の耳には、トクトクと早く波打つシエルの心音しか届かなかった。



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