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「ほらシエル! 今日こそお庭をあと三周! まずは足腰から鍛えましょう!」


「ひゃっ……! む、無理です。リノ、僕の肺活量と大腿四頭筋の運動エネルギーの比率を考えると、これ以上の有酸素運動は細胞の、げ、限界を……っ」



保護施設での日々は、私の熱血トレーニング指導と、シエルの泣き言で埋め尽くされていた。



とにかくシエルは、びっくりするほどの運動音痴だった。



走れば自分の足でもつれて派手に転び、訓練用の軽い木剣を持たせれば重さに振り回されて尻もちをつく。

運動神経という概念をどこかの遠いところに置いてきたかのようなひ弱さだ。



彼は「オジギソウ」の華人だった。



まったく、そのオジギソウそっくりの繊細すぎるメンタルはどうにかならないものか。

私が「もう、シャキッとしなさい!」と少し強めの声を出すだけで、頭のてっぺんのピンクの蕾をきゅっと縮め、ものすごい速さで体育座りをしてしまう。

物理的にシャッターを下ろすなと言いたい。引きこもりオタクの防衛本能が高すぎる。



そんな弱っちいシエルにも、華人として絶対に欠かせない大切な日課があった。



「……リノ、あの……その……」


「なによ、もじもじしないで言いなさい。プロテイン飲む?」


「ち、違います……。一週間に、一度の……お日様の、時間です……」



そうなのだ。華人である彼は、幼少期の間は、最低でも週に一度『日向ぼっこ』をして魔力を補給しなければ、文字通り元気がなくなって枯れてしまう。



ある天気の良い休日、私はシエルを連れて、施設の裏手にある日当たりの良い芝生広場へと向かった。

シエルはぽかぽかと降り注ぐ太陽の光を浴びると、心底気持ちよさそうに目を細める。

すると、いつもは閉じている頭の蕾が、ほんの少しだけ、ほころぶように緩んだ。



「気持ちいい?」


「ええ、とっても。お日様の光を浴びると、大地の魔素が僕の身体に満ちていくのがわかるんです。……あ、でも、栄養剤でも代用はできるんですけど、あれはあんまり美味しくなくて……」



急に饒舌になって、聞いてもいないのに独自のこだわりを語り出すあたりは相変わらずのオタク気質だ。

私は苦笑しながら彼の隣に腰掛けた。



「ふーん。まあ、そんなに喜ぶなら、毎日ここに連れてきてあげるわよ。たっぷりお日様を浴びて逞しく!大きく!強くなりなさい!!」



いつも通りの教育方針を語りながら、私はシエルの小さな手を握った。

人間と魔族。私たちは契約で結ばれた運命のパートナーだ。私が触れることでも、私の中に溜まった有害な魔素が綺麗にシエルへと還元され、彼が生きるためのエネルギーへと変わっていく。



私の手から伝わる温もりに、シエルが「はっ」としたように息を呑んだ。



いつものコミュ障を発動して逃げ出すか、あるいは丸まってしまうかと思った。

けれど、シエルは逃げなかった。



「……あったかい、ですね」



シエルは私の手を、細い指先でぎゅっと握り返してきた。

その顔は耳まで真っ赤だったけれど、明後日の方を向くこともなく、必死に、まっすぐ私の目を見つめてくる。



「リノは、いつも僕を怒るけど……でも、僕が転んで怪我をした時は、誰よりも早く駆けつけて、痛いところを撫でてくれます。僕がうまく喋れなくてみんなの輪に入れなかった時も、ずっと隣にいてくれました」



ぽつり、ぽつりと、吃りながらも紡がれる言葉。そこには、嘘はひとかけらもなかった。

不器用で、一生懸命で、どこまでも純粋な、彼だけの本心の言葉。



「僕、リノの契約魔族になれて、よかったです。筋肉は……つけられないかもしれないけれど、僕、リノのために、もっともっと勉強して、強くなりますから……っ」



そう言った彼の頭のてっぺんで、小さなピンクの蕾が、嬉しそうにぷるぷると震えていた。



「……バカね。筋肉は一日にして成らずよ。諦めるのはまだ早いわ」



私はわざとぶっきらぼうに言って、繋いだ手に少しだけ力を込めた。

顔が赤くなるのを見られたくなくて、空を見上げる。



(……まあ、イケメンになるのは困るけど。こんなに素直なオタクくんなら、余計な心配はいらなさそうね。)



私の契約魔族なんだから、イケメン化してチャラ男の才能を開花させそうになったら、その都度私が全力で軌道修正してあげればいいだけの話だ。



……なんて、この時はまだ、私がシエルを「引っ張ってあげる側」だと、お姉さんぶって余裕をかましていたのだけれど。



このオタクくんの本当の才能――その片鱗を、私は間もなく思い知らされることになる。



**



ある日の魔法の授業でのことだ。



まだ7歳の子供たちが、大地の土をほんの少し動かすだけの初歩的な実技。

周囲の男の子たちが力任せに土の塊をぶつけ合って遊ぶ中、運動音痴のシエルはやっぱり輪に入れず、一人でぽつんと座っていた。



「シエル、あんたもやってみなさいよ」



私が声をかけると、彼は「ひゃうっ」といつものように丸まったが、恐る恐る地面に指先を触れた。



「え、ええと……土素の結合密度を、一般的な粘土質から、結晶質のそれへとほんの少しだけスライドさせて、熱力学的な変化を応用すれば……っ」



例のパニック早口オタクトーク。

けれどその瞬間、シエルの指先が触れた地面の土が、まるで生き物のように滑らかに形を変えた。

彼が作ったのは、泥の塊ではない。

教科書に載っている魔法陣の図形そのものを、砂粒ほどの細かさで寸分の狂いもなく地面に再現した、おそろしく精密な『土の造形』だった。



踏めばすぐに崩れてしまうような小さなものだ。

けれど、先生がそれを見て「……7歳で、これほど精密な魔力コントロールと構造理解ができるのか!?」と目を丸くして驚いていた。



(この子……体力は壊滅的だけど、頭がめちゃくちゃ良いんだわ……!)



私が脳筋な筋トレを教えている裏で、一人で分厚い専門書を読み漁っていたのもよく知っている。

私には到底真似できないスピードで、誰もが認める知識の天才へと駆け上がろうとするシエルの小さな背中を見つめながら、私は密かに焦りを覚えていた。



このままだと、いつかこの子は私の手の届かない、遠い世界へ行ってしまうかもしれない。

誇らしくもあり、でも心のどこかで「自分はまた置いていかれるのではないか」という臆病な不安も首をもたげる。



だからこそ、私は決意した。

この子において行かれないよう、私も絶対に強くならなくては、と。

強い男を育てるためには、まず私が強い女にならないとね!




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