その四十九
「本当に行くんですよね?」
3度目の質問が、拓海に飛んでくる。
拓海と美咲は10時過ぎに蕨の家を出て電車に乗っている。その中での美咲の言葉であった。拓海は何も回答せずに彼女の様子を見てみる。ややウキウキしているようにも見えて、緊張しているとよりは楽しみにしているように見えた。今朝の2度目の質問の時とは、ちょっと違う。
浦和駅につき、二人は階段を上がって百貨店側に向かっていく。拓海の家に最短で行くには反対出口がいいのではあったが、手土産という重要なものがあった。
【美咲さん来るの急じゃない?どうしたの?】
家族のグループメッセージで、姉の由佳はいいねのスタンプのみ、美咲も喜ぶスタンプを張ってくれたが、個別メッセージで質問が飛んできていた。
【美咲が忙しくなりそうで、今日明日しか余裕がないって】
【あ…なるほどね。了解!兄の部屋も掃除しておく!】
美月はメッセージと合わせてふざけたスタンプを送ってきている。妹は少し勘違いしていると思った。今日美咲が自分の部屋に泊まることはない。むしろ、挨拶が終われば拓海はまた美咲の家に帰るつもりであった。でも怠け者の妹がやるなら、お願いしておこうと思った。
2人は百貨店の地下の食品フロアにつくと、一旦全体を見回ることにした。
「お母さんは、洋菓子とかどうですか」
「うーん、あんまりかな?お店でデザート頼むときは和風系が多い」
「む、難しくなりますね」
美咲なりに目をつけていたのがあったのか、拓海の返事に苦い顔になってしまった。彼が考えても和のデザートはすこし難航しそうだった。ここは初めましてだし、一般的にデザート類でいいのではないかと拓海は思っている。
「美月もいるし、普通の洋菓子かケーキとかでどうだろう?」
「…できれば、お母さんの趣向に合わせたい」
拓海が折衷案を出すが、見事の断られた。彼女は一度決まると中々変わらない。それが彼女であることを知りながらも、こう同じ店を何回も見ながら、真剣に考えている彼女をみると拓海まで少し緊張するような気がした。
(今日は、結婚の挨拶ではない。ただ、母と話に行くだけ)
そう自分に言い聞かせて拓海は美咲が見ている店を一緒に見る。ここはよさそうな気がした。
「カステラって、和菓子になりますよね」
「なる。これにする?」
美咲は頷いて、カステラを一本、カットしてもらうようにお願いする。それから一緒に最中がいくつか入っているも箱も合わせて頼む。拓海が財布を出そうとすると美咲が少し睨む。
「あたしが買うものです」
美咲に拓海は頷く。正直自分が買って美咲が渡しても問題ないと思っているが、彼女にとってそれは大分意味合いが違うようであった。店員が渡してくるものを受け取り、二人は地下から1階に上がり、百貨店を出ていく。
駅の戻る途中、猫と猫の里親を探す人たちがいたので、美咲は思わず目が行ってしまう。
「もう緊張はなくなった?」
「ち、違います!猫ちゃん可愛いからつい」
拓海は意地悪を言ったことに対して美咲は言い訳をする。彼女を見ていると電車でのウキウキは消えてそわそわしているように見えてきた。今から向かうのが彼氏の実家というのが、また実感がわいてきたのだ。4度目の質問が来る。
「本当に行くんですね」
質問のような、確認のような言い型になっている。拓海は軽く頷き、いつも家に帰る出口から歩き始めた。この方面から拓海の家は10分程度だろうか。美咲は彼の家を具体的にはわかっていない。なんとなくこの辺であろうとは思っているが、具体的に向かうのは今回が初めてである。
いつも仕事でも使う道だから馴染みはあるはずなのに、美咲は少し違和感を感じている。拓海の隣を歩き、覚えがある道路を通り、商業施設から離れた路地に入って少し歩く。
「あそこの、角の横の家です」
美咲は拓海の説明に従って視線を移す。
最初の印象は‘車がない‘であった。住宅の玄関の右手に屋根付き駐車場があるにも関わらず駐車場はなく、自転車が2台置かれている。その裏に小さい庭があり、リビングからつながっているように見えた。彼の家はグレーを基調にした、現代的で大きな2階建て家であった。
美咲は秦野の実家を思い出す。なんか全体的に拓海の実家は都会って感じがすると思えた。美咲は拓海の服を引っ張り、路地裏に入る。
「本当に行くの?」
不安と緊張に駆られた顔になっていると美咲は思う。自分でも今日は、浮き沈みが激しい事は気づいている。蕨の家にいる時は、ちょっとした緊張感であった。拓海と一緒に駅まで歩くと実感が湧いて楽しくなった。しかし、手土産を選び、ここまで歩いてくるのは腹の奥が落ち着かなかった。呼吸も少ししにくいと感じる。得意の顔と気持ちの制御が上手くできないと思うと、なおさら不安になってきた。
「美咲、今日は結婚の挨拶ではない。ただ母とお話ししに行くと考えてくれませんか」
美咲の5度目の質問に拓海は落ち着かせるように優しく声をかける。美咲を見つめる。
「お話ですね」
「そう、だから緊張しないでください。俺も隣りに座りますから」
「うん、でもマナーとか、挨拶とか、気を付けます」
その返事に今の自分の言葉あまり彼女に届かないと拓海は思った。そして自分もまた妙に落ち着かないと気づいている。いつも何も考えてなかった家のグレーの外装が今日はやたら冷たく見える。
「拓海、行きましょう」
美咲は話すと拓海は自分の家の前に立つ。一瞬インターホンを鳴らすかと考えたが、普通に鍵で玄関を開けて中に入った。
「ただいま」
美咲が入る事を見て声を出すと、リビング側から母と美月が出てきた。美月の顔を見かけた美咲は一瞬でも安心感を感じたが、その横に立っている拓海の母、真理子に視線が行くと唾を飲み込むしかできなかった。
拓海は母の姿に違和感を感じる。いつはもっと柔らかい服装をしていたはずが、今日はキレイめの服を着て、少しのアクセサリーをつけている。出かける用事があるためか、美咲のためかはわからない。
「いらっしゃい、美咲さんもようこそ」
母が慣れた言い草で拓海と美咲を迎え入れる。彼女にとって新しい人を家族に迎え入れるのはこれで二回目、拓海や美咲よりは余裕がある。
美咲はお邪魔しますと話して、スリッパに履き替え、靴を揃えてから立ち上がる。拓海の母から視線を感じらのでやはり白のスニーカーが気になる。しかし、がっかりする余裕はなかった。リビングに向かう中、美月が振り向いて小さく手を振ってくれる。
いつも美月が占領しているソファがキレイに片付けられていて、客間のようになっている。真理子は拓海と美咲を奥に座るように案内してくれた。美咲はキョロキョロしたい気持ちを抑えて、ソファの前で立つ。
「美咲、座ろうか」
拓海の声にやっと腰を下ろすと真理子と美月、拓海もソファに座る。真理子が拓海を見る。
「母さん、こちらがお付き合いしている東雲美咲さん。美咲さん、私の母です」
拓海の言葉が終わると美咲が軽く頭を下げてから話す。
「はじめまして、東雲美咲です。今日は急にも関わらずお時間いただきましてありがとうございます」
「母の真理子です。わざわざお越しいただいてありがとうね」
「妹の美月でーす」
母の挨拶の言葉に美月が食い気味で、かつ軽いノリで話すとみんな美月を見てしまう。美月は何食わぬ顔で美咲を見ている。
「ごめんなさいね、もう会ってるからご存知だと思うけど、ちょっと失礼な子で」
「いいえ、正直今のは、私は助かります。朝からずっと緊張していたので」
「え?美咲さん緊張しているの?可愛い〜」
美月のコメントに真理子と拓海はため息をつきそうになった。2人してこの子はいなかった方が良かったかも知らないと思った。
「これ、つまらないものですが」
美咲は先ほどに真剣な顔をして選んだカステラと最中が入った袋を渡した。その仕草に拓海は少し安心する。美咲は本人が心配していたほど、変になっていなかった。少なくとも拓海にはしっかりした大人に見えた。
「ありがとう、私最中大好きなの」
美咲は後から思いつきで入れた最中が正解で良かったと思う。
「あの駅前百貨店なら、ケーキとかが良かったなー」
「美月、お茶お願いしてもいい?」
隣で会話の雑音になろうとする妹に対して拓海が一言お願いをする。彼女は反発しそうであったが、真理子が微笑みながら美月を見るとさっそくお茶を入れにキッチンは向かった。
「美月もああ言ってるけど、意外だわ。美咲さんは洋菓子より和菓子か好きなの?」
「正直言うと、拓海に、あ、拓海さんにアドバイス頂きました」
美咲は失敗したと思う。癖でさんをつけずにいってしまった。つい数ヶ月前まではあんなにさん付けで呼んでいたのに。真理子の顔色を伺うが、彼女はまるで気にしてないように見えた。
「そうだったのね。気遣ってくれてありがとう。ちなみに私は洋菓子も和菓子も好きだわ。旦那と子供らは洋菓子ばっか買ってくるから自分では和菓子を選ぶようにしていたけどね」
拓海も知らなかった事を知った。確かに佐藤家は幼い頃から洋菓子が普通にあった。亡くなった父の仕事柄でもあれば、由佳も美月もケーキが好きな普通の女の子だった。
美咲は美咲で柔らかい物腰の真理子に安心を感じつつ、自然の拓海の父の話が出ることに正直驚もあった。昨夜の話を聞いてないと今でもご健在なような話し方だった。彼が言った通り、彼の母はもう辛かったことから逃げることなく完全に受け入れているように見えた。
美咲はもう少し勇気を出してみることにした。
「実は私、チーズケーキが1番好きなんです」
「あ〜いいわね。市役所前の通りにある洋菓子店のチーズケーキは食べたことあるかしら?」
市役所は美咲の勤め先ととても近く、真理子が言っている店も美咲は何回も行ったことがあるところだった。素直に嬉しくて声に出す。
「わかります!ベイクドチーズとレアチーズが二層になっているものですね」
「あそこのは美味しいわよね!」
「あそこのは私も好き〜、あそこ何でも美味しいもん」
美月も冷たいお茶を持ってきてテーブルの上に乗せながら会話に参加していく。拓海だけがついていけてない。彼はケーキ類が苦手な人なのだ。




