その四十八
暗くなった部屋のベッドの上で、2人は横になっていた。隣の家か、月の灯りかわからない光が少し入る。枕元にある写真立ての二つが光に照らされている。古いものと新しいもの。
美咲は彼の心臓の上に頭を載せている。彼の心臓が動く音がよく聞こえる気がした。
「もし、あの病院の人たちを拓海が見なかったら、今の拓海じゃないかもって思ったの」
美咲は拓海に視線を向けることなく、そうつぶやく。拓海はその声に美咲の頭に左手を載せて話す。
「そうかもしれない。もっと素直な人でいたかも、いや、警察になれたかな?」
「茶化して」
自分の職業をいじられた気がした美咲は少し拗ねた声を出す。そうすると拓海は美咲の髪を優しくなでる。
起きてないことだから、実際はどうなっていたか想定もできない。ただ、今よりもっと不器用に生きていたかもしれないと拓海は思った。
「一つだけ約束して、拓海」
美咲は相変わらず拓海を見ずに話した。
「今の生き方は変えるとは言わない。あたしがいることだけ忘れないでほしい」
拓海は理解ができず、胸元にいる美咲を見るが、彼女はそう言ってから特に動きはない。
「…親父の件、がっかりした?」
拓海は嫌な想像をしながら、聞いてみる
「どちらかと言うと怒っている」
「どうしてか、教えてくれる?」
寝室に静寂が走る。拓海はいけない事を聞いてる気がして、心臓が早くて動いている気がした。
「あたしがいるのに、まだ1人で抱え込んでだから」
「…それは」
「いいの。早くあたしに約束して」
彼女は言い訳を許さないし、決めた事を引かないと思った。親友から心配事を言われたからか、三枝に注意を受けてからか、はたまた先ほどの話を聞いて思うことがあったのか、美咲の考えの背景を拓海は知ることができなかった。しかし、彼女が自分を受け入れてくれたなら、自分は美咲に恥じないようにしていきたいと思う。
拓海は右手を動かして美咲を抱きしめてから話す。
「約束する。美咲がいることは忘れない」
「うん、あたしも拓海がいるのは忘れない」
美咲も左手を拓海の腰に回し抱きしめた。その温もりにやっと美咲の気分が柔らかくなった気がした。拓海は少し考えたから美咲に聞く。
「今度、俺の家に来ない?」
その言葉に、美咲がすっと起き上がって拓海を見下ろした。彼はまた、何か失敗したかと心配をしている。無言の圧力を感じる。
「母が美咲には…会いたいと言っていて…その、どうかな?」
拓海は言葉を選ぶ。美咲はただただ拓海を見下ろす。無表情でもないのに顔が読めなかった。
「…行く。でもちょっと遅くなるかも」
拓海は理解できなかった。
「今週末に休みもらっちゃったから、しばらく平日休みになると思います。それから…その…10月は七海のところが忙しくて、あたし良く貸し出されるんです」
拓海はやっと理解できた。行きたい気持ちはあるものの、仕事の都合で調整が難しいと言っている。そうきたら笑うしかなかった。彼女は平気な顔しているが、緊張してうまく頭が回らないのであった。
「な、何で笑うんですか?」
「いや〜、美咲が緊張するの可愛いと思って」
美咲はその言葉に顔を隠す。愛情表現は嬉しいが今はなぜか弱点を突かれた気がしたからだ。それに留まらず拓海はまた言う。
「しばらく難しいなら、明日か明後日に行きます?」
美咲はさらにパニックになりそうだった。
「警察って、忙しいのね」
「すいません。こんなに伸び伸びになってしまって」
金曜の夜11時過ぎ、佐久間は仕事を終えて約1か月ぶりに美月に会うことができた。20代半ばの二人使うには少し落ちつきすぎているチェーン喫茶店にいる。美月は自宅から来たこともあり、ほぼスーツに近い佐久間とは異なり、気軽な半そでにデニム姿でいる。化粧も気持ち薄いかもしれない。
それにしても、彼女の唇はかなり尖っている。
「大地くん、リスケが多すぎる。普通友達でもこんだけすると怒られるよ?」
「…断る立場ではなくてですね…」
言い訳をするように佐久間を話す。良くも悪くも男社会の職業、一番下に位置する彼としてはやや厳しい場面が多い、断ることもできるだろうが、何があるかわかないし、この仕事で頑張ると決めいている彼としては仕事を優先したかった。
それに、美月は不満がある。フリーの仕事をしている彼女は、こなすのも断るの自己責任でできるからだ。組織に閉じこめられ、意見を言えない佐久間が理解できない。そして、彼女の周りには拓海、美咲といういい例があった。
「たく兄と美咲さんは結構あってるように見えるけど、美咲さんは仕事あんまりしないってこと?」
「それはないです。業務量は俺に倍くらいあるはずで…」
美月は拓海がどれだけ美咲と日程調整しながらあっているのか知らない。外から見れば、ほぼ毎週朝帰りをしているので、必ず週1はあっているように見えたからだ。それがたとえ拓海が仕事上の出張と言って彼女は美咲に会いに行っているとみている。
だからある意味、美月は佐久間にがっかりしていることもあった。
「私も会えるように他の仕事を前もって調整して終えているの。大地くんはやっている?」
「もちろんです。でも先輩から聞いても8~10月は忙しいシーズンらしくて」
「そうじゃなくて、私の会う努力をしているの?」
佐久間は止まってしまう。なぜここまで言われなきゃいけないんだろうと思ってしまう。
「…それは俺が、要領悪いって言いたいんですか?」
美月は何も言わない。正直思っているが、佐久間が珍しく反発したのでこれ以上強く言うといけないとわかったらだ。でも目が語ることを隠せなかった。佐久間はため息をついた。
「要領、悪いかもしれません。でも、時間を作ろうともしていないって責められるのは、つらいです」
「…ごめん」
「美月さんとは仕事の自由度が全然違うと思います。一方的に理解してくれも限界があるでしょう。でも俺、この仕事をしたくてやっているんです。だから…わかってほしいです」
佐久間は言いながら思う。彼女が理解するつもりは正直にないかもしれない。彼女と自分は恋人ではない。ただよく会えて、話して楽しくて、友達のような、それ以上のような関係だと考えている。だから、こちらの考えを押し通すことも、美月の考えを強要されるのも違うのではないかと考えていた。もっと気軽に理解しあえる関係になれないかと彼は悩んでいる。
「わかった、私が言いすぎた」
美月は少し考えてから佐久間に言葉を伝える。彼女も彼女なりの考えがあったがここまではっきり今の仕事が好きと言われると言えることがなかった。ただ、乖離があることを改めて実感するだけであった。それでも今こうやって、彼とちゃんと話し合えることは楽しくて、嬉しい。
「大地くんさ、仕事終わりに必ず一報頂戴よ」
「どうしたんですか。本当退勤の着替え前にしか送れませんよ」
「いや、どうせ私は家にいることが多いからさ、合えば、夕飯一緒に食べよ。飲みでもいいし」
彼女なりの折衷案を出してくれたと思う。
「わかりました。ちなみに、当番明けの昼ご飯でも一緒に食べてくれます?」
「うーん、私の起きる時間次第かな?」
美月がそういってアイスコーヒーをストローで飲むと佐久間は笑みが浮かぶ。まだ、彼女との名前のない関係性が継続できそうなのが、嬉しいのであった。
「本当に行くの?」
美咲はこの質問をすで5回している。拓海と美咲は今佐藤家の近くの路地裏にいる。美咲はいつもでデートできるような華やかな服ではなく、少し落ち着いた服を身にまとっている。右手には先ほど駅前に購入したお土産が持たされている。
今朝、1回目の質問をされたときに拓海は‘気にしなくていい‘と話して、顔を洗いにベッドから起き上がった。顔を洗って出ていくと美咲がキッチン側で険しい顔で料理をし始めていた。その顔を見て、冗談半分のつもりが、本当に行かなくてはいけないかもしれないと拓海は思った。
彼女が料理に集中している間、家族にグループメッセージを送る。
【お昼くらいに美咲と家に行ってもいい?】
【いいけど、お母さん3時くらいには出ちゃうよ?あと掃除できてないよ?】
まだ朝ではあったが、母の返信は早かった。
お掃除というキーワードに拓海は少し実感がわいてきてしまった。
【一応、もう一回美咲に確認するから、決まったら連絡します】
母からのOKのスタンプを見てから拓海は持ってきた服に着替えて、ダイニングに戻った。まだ寝間着姿の美咲が朝食をほぼ作り終えている。再度お湯を沸かして洗面台の方に入っていく。拓海は当然のようにわかされているお湯の前から朝の支度をし始める美咲を見つめて、彼女がダイニングに戻ろうとするときに話す。
「お母さん、お昼から3時前ならいいというけど、どうしますか?」
その言葉に美咲の行動が止まる。
けしていやなわけではないが、昨日、今日の話でしっかりした彼女の姿で彼の母の前に立てるかどうか自信が見えてこなかったのだ。
拓海の横から湯気が湧いてくる。彼はガスコンロの火を止めてからもう一度美咲を見るが、彼女はいつの間にか寝室のクロゼットの前に立っていた。拓海がのぞくと美咲は私服の方ではなく、仕事用の服の方を見ている。
「お母さん、落ち着いた服の方が…いいですよね?」
「…まず朝ご飯食べようか」
拓海は直感的にクローゼットの前の彼女が長くなりそうだと思ったので、まだ寝間着姿の彼女を食卓に呼び戻した。
美咲は珍しくサラダを食べながらスマートフォンで検索をしている。拓海は行儀悪いと思ったが、彼女は急に切羽詰まっているに違いないと考えた。
食事の後、彼女はいくつかの服をメイキングしたベッドの上に並べている。すべてロングスカートになっている。パンツスタイルはやめた模様だった。
「お母さん、好きな色とかあります?」
「うーん、どうだろう。アースカラー的なものをよく着ているイメージだけど」
「…本当に今日行きます?持っている服で対応できますかね?」
二度目の質問に拓海は別途の真中くらいにある薄いベージュのスカートを進めた。着ると腰に大きなリボンができるので、拓海が個人的に可愛いと思うスカートである。美咲が不信感を抱きながらもそのスカートをベースにトップスを合わせてみる。
「あまりかしこまると、むしろ話しにくくなるんじゃないかな?」
「そ、そうですよね。じゃ、ブラウスとかシャツ系はやめて…Tシャツはラフすぎるし…あ、ごれでどうでしょう?」
美咲は、首回りがすっきりする独特なデザインのポロシャツを選ぶ。薄い青色でスカートとの色相性もよさそうに見えた。やっと服が決まると拓海は部屋から追い出され、リビングにしている部屋のソファで待機させられる。メークもやっているのか、少し時間がかかる感じだった。
準備ができた美咲が部屋から出て拓海を無視してすぐ玄関に向かう。服に合う靴を選びたいところであったが、仕事用の地味目なヒールか、私服用のスニーカー類しか見えてこない。地味目なヒールを履くには今の服装は軽すぎると美咲は思っている。
「いつもの白いスニーカーでいいと思う。すぐ靴脱ぐし」
そういう問題ではないことは男の人にはわからない。
だが、美咲には他のいい選択肢がないので彼に言葉を聞くことにする。諸々決まったらあとは一つだった。
彼女の職場は世間的に言うと少し硬めの環境。よく言えば礼儀とかしきたりとかがしっかりしている。そのため美咲は手土産が必要だと思った。
「拓海、駅前の百貨店寄ってから行きます」




