その四十六
【ごめんね、急かすようなことを言ってしまって】
日曜の夕方、拓海が家につくと美咲からのメッセージが入ってきていた。三枝との食事が終わり、カフェでまた少し話し合いをしてそれぞれ自宅に帰ることになった。拓海が美咲と電車で別れた後に入れたものと思われる。
拓海はそのメッセージを見て自宅のベッドの横たわる。美咲のあの言葉は嫌いではなかったが、その後の4人の目線は拓海としても負担を感じざる得なかった。皆が悪意があるわけでもない、既定の事実として美咲と自分の関係を認識してくれていることだとわかっている。
「俺、もしかして怖いのかな?」
自分に質問をする。
伸也が放った言葉に美咲の反応は自然だったと思う。三枝と東雲兄妹で縁が深いのは美咲だからだ。しかし、結婚をするなら、行動力が優れている伸也、真緒が先になることも違いない。では、美咲と自分があの二人に比べて足りないものは何か。
拓海は今、初めて自分の覚悟と行動力が足りてないかもしれないと感じ始めた。
「向こうは結婚前提、こちらはただの恋人?いや、結婚は俺だって意識している…ならなんで?」
なんでその場で言い切れなかったんだと質問が湧く。
拓海は右手を額に当てて、自分の状況を整理してみる。なるべく感情を取りのぞいて、美咲との関係を進めるためにおいての、懸念事項を探す。
まずは2人の意欲、ある。
2人の仕事、障害になるとはいえない。
お金、2人で生きていける。
お互いの実家、互いが認識している。
では親族との関係、自分はクリアしている。美咲は由佳、美月とは会っている。でも母の真理子には会っていない。
それは意図的に避けたのか?違う。
なぜ紹介しなかったのか?いいタイミングがなかった。
美月は翌日に紹介したのに?母と妹は重み違うと感じた。
なんの重みを言っている?美咲が感じる負担だ。
なぜ母が負担が大きい?結婚へのステップになる…それから、母は父親のことで病んでいたから。
病んでいる母親が恥ずかしいのか?違う。
ならなぜ紹介しない?医療事故から話さなくてはならない。
話せるのか?できれば話したくない。
「俺、親父がなくなって何があったかを言ってない…」
懸念事項は自分にあると、拓海は気づく。自分が踏みとどまってしまうのはそれではないかと考え始める。
美咲は自分の父親が早く亡くなったのは知っている。それから触れられてこなかった。気遣いだと思うが、それが2人においてブレーキになっているのかもしれない。
美咲は勇気を出してくれているのに、自分が甘えていたかもしれないと思うと拓海は少し嫌な気分になってしまう。自己嫌悪が起きようとしている。
拓海は感情の揺動に気づくとすぐさま起き上がり、一階に向かう。幸いいつも茶化して来る妹は見えない。母の真理子だけが、テレビを見ている。それを横目に拓海はキッチンからウィスキーを取り出し、氷をグラスに入れる。
「拓海、お母さんにも一杯ちょうだい」
テレビを見ながら母が声を出す。拓海はもう一つのグラスに氷を入れて、2つのグラスに少し多めにウィスキーを入れる。
グラスを持った拓海はソファに向かい、テーブルの上に母のグラスを置いた。
「ちょっと、これ多すぎよ」
「そう?なんか、飲まなきゃと思って」
「何それ?美咲さんに意地悪言われたの?」
ある意味そうかもしれないと拓海は思う。でもこの気分になったのは間違いなく、自分のせいだった。
拓海は一口ウィスキーを飲んでから、少し考えてから真理子に聞く。
「母さんは、美咲の事気になる?」
「それはそうよ」
「俺、まだ親父のこととか、その後のこと話してないんだ」
「うーん、それは良くないね」
母の軽い言葉に拓海は意外な顔をする。言ってほしくないのだと思っていたからだ。真理子は少しウィスキーを飲んで驚いた顔をする息子に言う。
「結婚するからなんでもかんでも言わなきゃってわけではないけど、あの事は私達を大きく変えたと思うよ。それは言わないと後から美咲さんが悲しむんじゃない?」
「俺、母さんはそれに触れてほしくないのだと思っていたよ」
「いい記憶ではないからね〜でも、もう母さんは大丈夫だよ。これからはあなたが結婚して、美月が就職して、誰でもいいから孫を見せてくれれば悔いはない!」
簡単に言うが中身は貪欲な母だと思う。それから気になる、母は本当に大丈夫なんだろうかと。
彼が日本に帰ってきた3年半ほど前、真理子は精神的にかなり追い込まれていた。この時ですでに二度目のことであった。
全貌を知っている医者の所見に過ぎないのでなんともだが、長年の法廷の戦いが結局原因不明で終わって、巨額な金だけが佐藤家に渡されたことが悔しくて、また亡くなった旦那への申し訳なさから起きたことと言われていた。
拓海が信野医薬に入って、日本に定着して、母のメンタルをケアする生活をして、落ち着いたのがつい昨年のことだった。
「俺が結婚すると寂しくならない?」
「なるに決まってるじゃない」
「それでも結婚して欲しいの?」
「…そうね。あなたを好いてくれるいい人ならして欲しいよ」
真理子は息子の悩みに気づいたのか、落ち着いた声で優しく話した。それからウィスキーを一口飲む。拓海もそれに合わせて一口。
「俺、結婚するなら美咲としたいと思う」
「可愛いお嬢さんだもんね」
「そう、でも彼女うちの事を負担として感じないが不安だよ」
「美咲さんは弱い子なの?」
拓海はまたウィスキーを一口飲む。
彼女は弱くない。支え合える人だと思っている。拓海は首を横に張る。
「なら、信じて話しなさい」
「うん。そうする」
「話ができたら、一度うちに連れてきなさい」
母が優しい声で話してから拓海にグラスを差し出す。拓海は軽く自分のグラスと母のグラスを合わせた。少し重めな音が響く。
9月25日、金曜の午前10:25、美咲は当番を終え自宅に帰ろうと浦和警察署を出て行く。
伸也と真緒に会ってからはや3週間、それから拓海とは会えてない。正確にはランニングで少し話ができて、メッセージのやりとりがあっていたが、デートはできていない。週末夫婦も美咲の休みが合わずできていない。
その間、美咲には届けられた知らせが二つあった。
一つ目は宮原から結婚式の招待。仕事帰りの食事に誘われて珍しいと思いきや、店に入ると高瀬もいたので、すぐ理解することができた。拓海との話したことが役に立つ。
高瀬と宮原が話すと一緒にいた七海はかなり驚いていた。彼女は2人とも個別に仲が良かったのにも関わらず、全く気づかなかったからだ。反応が薄い美咲はむしろ疑われる。
「しのちゃん、事前に知らされてたんじゃないの?」
「いや、これが職場では初めて話すことだよ」
疑う2人に拓海との事を話すと、宮原はかなりびっくりした。彼女も蕨駅周辺ではかなり気をつけていたつもりだったことや、高瀬とくっついている姿を見られたと言うのが恥ずかしくもあった。
「ここまできたら隠し通したって事でいいだろう、真紀」
高瀬がみんなで前で2人の時のように名前を呼ぶ。宮原はまだなれないのか、高瀬に思わず‘ちょっと‘と声を出してしまう。美咲と七海にはそのやりとりが新鮮すぎでうまく言葉にならなかった。
「真紀さんに泰隆さんが惚れるのはわかるけど、真紀さんは泰隆さんの何が良かったの?」
美咲としても聞きたい事を思考を取り戻した七海が聞いてくれる。正確には2人から結婚の決め手を知りたいと美咲は思う。
高瀬と宮原はお互いを一瞬見てから照れるように笑みを浮かべる。嫌な顔になるのは七海だけだった。
「私を見てくれているところかな?」
宮原の回答に美咲が大きく頷いた。今の自分に好感を持つだけではない、過去も、見えない所での努力も、失敗も、良かったことも踏まえて、その言葉に含まれる。美咲は拓海との関係性を思い出し、共感できた。美咲は顔がさらに苦くなる七海を無視して、高瀬にも聞く。
「結婚の決め手的なものはありました?」
「特別なことはなかったよ。でも1番自然体でいられるからね」
高瀬はそう言って宮原を見ると彼女は笑みを浮かべてくれた。美咲としては高瀬の言葉が理解できなかった。これっていうのがないのに、男の人は結婚を決めらるものなのかと言う疑問が生じる。
招待客の2人がそれぞれ難しい顔をすると高瀬が話を切り出す。
「察していただいた通り、2人にはぜひ式に参加して欲しい。仕事の都合もあるからギリギリで調整になるとは思っているが、前向きに検討してくれないか?」
真面目な言葉に美咲と七海は、一瞬目を合わせてからすぐ高瀬を見て同時に首を縦に振った。2人にしては断る理由がない。その返事に高瀬も宮原も喜びながら笑う。その姿に美咲と七海も笑みが浮かへた。
この日は職場では誰を呼ぶのかとか、新郎側と新婦側の挨拶を一つにして榊原にお願いするなど、その時点で決まった事を教えてくれた。人の結婚式を間近で見て、内部の話も聞くのは美咲としては初めてだったので、不思議で他人事ではない気分になってしまった。
美咲に届いた二つ目の知らせは兄の伸也からであった。
【年内に大きい部屋の家具を入れ替える。古いから要らないと思うが、なんかあったら教えてくれ】
簡略なメッセージであったが、単語らが持つ意味を美咲はちゃんと理解していた。
大きい部屋はかつでの両親の部屋。それを入れ替えることは、伸也がそこに入る事を意味する。おそらく真緒と一緒になる事を前提にした動きであろうと思った。
長い間、伸也はその部屋は維持していた。手をつけられなかったと言った方が正しいかもしれない。美咲はそれが一種の呪縛のようで、すでに何回も兄には使うように話していた。だから連絡をもらった時は素直に嬉しかった。
(兄は、もう大丈夫になったんだ)
それは正直に真緒のおかげかもしれないと思う。彼女の行動力と明るさが、兄を幸せに連れて行ってくれそうに思えた。
(悔しいけど、やはり兄と真緒さんの式がはやいよね)
頭では前からわかっていた。伸也と真緒の関係は自分たちよりずっと以前から着実に積み上げられていて、この夏をきっかけに形になったに過ぎないと。だから、彼らが先にするのはおかしくない。
美咲は以前、三枝とみんなで話した事を思い出す。本当にその場で思っていた事を述べたものの、一瞬の静寂が彼女はとても恐ろしかった。
(拓海は、どうしたんだろう?)
今までは将来を見据えた態度や話をしてくれていた、その場だけなぜか、妙な静けさで流れてしまって、拓海はうまく冗談を言って自然に流れを変えていった。それからはいつもの拓海にしか見えなかった。
(あたし、最近結婚を意識しすぎているのかも)
自分自身に言い聞かせるように美咲は考えた。出会ってやっと6カ月が過ぎろうとしている。お付き合いしてからはやっと3か月かどうか。拓海とお付き合いして、同年代の結婚事情を調べたことがあるが、普通はやはり1~2年はお付き合いして結婚のフェーズに移るらしい。それに比べ自分と拓海はかなり早くから結婚という言葉が頭の中で回っている。
(本当に拓海を急かせすぎたかもしれない…でもなんか不安になるな)
会えない間も何回かその不安に駆られていた。このままなんとなく、付き合いだけ続いて、気づいたら愛情がなくなり、お互い独り身として生きる道を選ぶのではないかと。
一度不安を認識してしまうと、存在感がどんどん増していくことを感じる。美咲は東京方面に向かう電車に、見知らぬ人たちに紛れて乗っていく。




