その四十四
「緊張した?」
朝の朝食のレストランで真緒は伸也に聞いている。大宮の少し高めのホテル、二人は昨日から泊まっていた。ホテルを選んだのは真緒で、二人で広く過ごせるような部屋をとった。
「こういうシティーホテルは馴染まないな、ホテルはビジホしか使ってないから」
伸也はホテルの味噌汁を啜りながら回答した。しかし、それは真緒が求めている方向ではない。
「佐藤さんのことだよ!」
そう言われると伸也は視線を逸らす。緊張どころかあまり認めたくもないのが正直なところだ。頭では整理ができたつもりだが、いざ会うのが近くなると感情面では乱れが出るようだった。
「なんか胡散臭い。人当たりもよくて、顔も悪くないのに、大手企業の研究職?うま過ぎる」
「美咲さんが魅力あるってことじゃない?」
「それはそうだが、警察の彼女ってどうなんだ?」
自分の妹を彼女に聞いている。いい回答しか出るはずがないのに、伸也はそこも気づかないくらいに乱れている。
「伸也さんは美咲さんが絡むとダメになるからね」
「…真緒の言う通りかもしれない」
そう言いながらも内心では、今日の昼から明日の昼まで一緒に過ごす事も気に入らなかった。食事だけでいいだろうと思うのに、なぜかずっといる。
「まぁでもダブルデート見たいでいいじゃない?あのレイクタウンは行ってみたかったよ」
二人は今日昼前ににアウトレットで拓海と美咲と合流する。レイクタウンは最初から真緒の要望だった。せっかくなら買い物したいと。真緒が車で来ているもので、美咲が人が少ない駐車場まで教えている。夕食の時間も考えると時間が足りないと真緒は考えていて、実のはこの食事の後にオープンの時間に合わせて出発するつもりだった。
「そういえば明日会う先生には、私はどういうスタンスで行けばいいの?」
「一応俺も、美咲もお世話になっていたから、彼女の紹介でという流れだな。いずれはということも言うつもりだが、おそらく式とかにはいらっしゃらないかな」
「へぇ~面倒見てくれてたんじゃないの?」
「俺というよりは、美咲をメインで可愛がってもらっていたからな」
伸也としては三枝においての自分の立ち位置は理解しているが、何も言わないまま実は結婚してましたはよくないと判断したので、わざわざ時間を頂くことにしたのだ。真緒は曖昧とは思ったが、伸也がそう考えるなら仕方がないと考えた。一旦可愛い彼女として‘支えてます‘のポジションで行こうと思う。
「…ふーむ」
「何か気になるの?」
「なんでもない」
「やっぱり佐藤さん?」
「…ちょっとな、ちゃんと話せるかと」
唐突に伸也の悩みに真緒はしつこく聞いて行った。緊張しているとしか考えられない回答が出てきたので真緒は自然に笑みが浮かぶ。
「大丈夫だよ。彼は人に合わせる人だと思うし、あなたが怖い人と伝えているから」
「余計な事、言ったのか」
少し目が鋭くなる伸也を真緒は笑いながら誤魔化した。
「なんか、緊張してきた」
拓海はレイクタウンのアウトレット方面に歩きながら美咲に向かって呟く。美咲が振り向いて彼を見ると少し顔が固い気がした。
今週ランニングで会う度に美咲は拓海にいろんなことを聞かれた、服装はどんなものがいいかとか、髪型はもうちょっとしっかりした方がいいのかとか、好き嫌いはあるかとか、夕食の店はあそこでいいのかとか、何か手土産を用意した方がいいのかとか、事前準備をしているんだなと美咲は感じたが、ここまで緊張しているのを見るとやりすぎな気がしてきた。
「拓海らしくないですよ」
「そういわれましても…」
「先生の時はすごい堂々としていたじゃないですか」
「それとこれはね、だいぶ違うと思います」
彼の声も少し固い気がした。
今日の待ち合わせも三十分も近く早くついて、駅前のベンチで一人座っているところで合流した。病院行く前の大きな犬がこんな感じだろうと美咲はこっそり思っていた。
「大丈夫ですよ。別に昭和のお父さんでもないし」
「頭ではわかっているけど、なんか心がね」
「むしろ今の状態が、悪く評価されるかも」
美咲は少し脅かすように話す。拓海の顔がさらに固くなる。
なぜこんなに固くなるのか、拓海自身でもわかっていなかった。始めた会う人は別に苦ではない、コミュニケーション能力は高い方だと思っていたのに、全く機能しない気がした。
美咲の兄、伸也の情報はデータとしては拓海の頭に入っている。4歳年上、美咲の実家の仕事を二十歳で急に引継いで大きくしている社長業の人、タバコを吸う、サッカーをやっていた等。しかし、頭ではわかることが役に立つ気がしなかった。
漠然として不安が拓海にはある。
「あたしも、真緒さんもいますから険悪にはならないですよ」
「…変になっていたら助けてね」
2人はゆっくり歩き、アウトレットの敷地まで入る。伸也が待っていると言っていた店の方に向かう前に、美咲はお手洗いによりたいと言い、拓海を待たせることにした。
1人になった拓海は女子トイレの前で大人しく待つことができず周りをぶらつく。近くにある喫煙所が目に入る。
「あれ?」
ガラス越しに見える喫煙所の中で見慣れた顔がいる。吊り上がった目男性、身長は自分より少し小さく、退廃的な雰囲気がある。その雰囲気に似合わず片手には買い物の袋が持たされている。
拓海は急に心が落ち着く気がした。頭も冷静なる気分が、学会のプレゼンテーションの前のあれと近しいものを感じる。でも気が立つことはない。
(あの人が、伸也さんだ)
遠目で見てもわかる。全く同じとは言えないが、兄弟というのが伝わる。考え事しているような目元が、無表情が美咲のにしか見えなかった。もう少し、疲れているようは感じる。
「佐藤さん!お久しぶりです」
聞き覚えのある声に拓海は振り向く。桐谷真緒が笑顔でそこに立っていた。結びあげているウェーブかかった髪がとても似合っている。
「お久しぶりです。美咲が今ー」
「あ、先お手洗いで会いました。偶然すぎてびっくりしましたよ」
「そうなんですね、早くからいらしたんですか?」
真緒は少し気まずそうに笑う。なぜそうおもったのかもあるが、こっそりオープンから来ているのがバレたくはなかったのだ。それを勘付いたか、拓海は後ろの喫煙室の一度視線を送ってから戻した。
「伸也さん…のような方が荷物持っていたのだ、もしかしてと思いました」
「なるほどね」
真緒は拓海越しの喫煙所を覗いてみる。伸也はこちらを見ていて、あまりいい顔はしていない。タバコの火を消そうとしている。
「似てるから、すぐわかりますよね?」
「はい、顔全般というか、特に目元が」
「でしょう?私も以前カフェで会った時すぐ美咲さんとわかりましたから」
激しく同意する真緒の後ろから美咲が笑みで歩いてくるのが拓海には見えた。それは真緒から見ある方向でも同じだった。拓海の後ろの喫煙所から出で来る伸也が無表情でこちらに向かってきている。
拓海はそれを感じたのか、ゆっくり後ろに振り向く。無表情の彼が拓海の近くまで来ていた。拓海は彼から拒絶感や冷たい目線とかではなく、ただ上から下まで素早く視線の動きがあったことだけ感じた。
伸也は右手を差し伸べて話す。
「美咲の兄、伸也です」
短い、一般的な挨拶は含まれていない。だからと言って敵意や圧力があるわけではない。
拓海は先まで浮ついて緊張するとか言っていた自分に戻りたいと思う。本当に緊張しなきゃいけない場面が来てしまった。
…
…
…
落ち着くことができない。
夕方まで、あのショッピングモールでお店に寄ったり買い物したりしていた。楽しかった雰囲気の一方で、拓海と兄が妙にぎこちない。
あたしの気にしすぎだとは思う。
ショッピング帰りで荷物も多かったので、大宮のホテルに戻り、荷物を置いてから歩いて予約したレストランに入った。
「ここは拓海が予約したんです」
「拓海くんは洋食好き?」
夕食の店に入り、案内される個室に向かいながら兄に話すと、普通のキャッチボールのように拓海に話しかける。
これと言った悪いことはないのに、心がソワソワしている。
「正直にいうと、妹がこの手は詳しくて、勧めてくれたレストランです」
「あ、美月さんね!SNSフォローしましたよ」
真緒さんの差し込みに拓海はあまり理解できていない顔をしてこちらを見てくる。
あたしはすぐ謝るポーズを取ってから席に座った。
ごめんなさい、あたしが勧めてしまいました。美月さんビューティー系がメインなので、興味あると思ってつい。
「伸也さん、知らないと思いますけど、拓海さんの妹さんすごいの」
兄もその分野には疎い。
最近は零細企業でもSNSはやるのに、事業内容から必要ないと言っているらしい。
しかし、真緒さんが言ったためか、少し興味を示している。真緒さんは携帯で美月さんのページを開いて兄に見せてくれる。
あたしとしても実は参考しているところがあったりする。
「羨ましいです。こんなインフルエンサーの家族って」
「家ではニート扱いなので、なんともです」
拓海は笑い誤魔化す。
彼も彼であまりわかってないかもしれない。そもそも美月さんのことを率先して話す拓海は見たことない。
3人で美月さんのSNSを見ている間、拓海は店員さんと話、飲み物を手配してくれて、料理と合わせて順次手元に届いた。
兄がシンプルに乾杯をして、食事が始まった。美月さんの話から始まる軽い受け答え、拓海さんらしく冗談も交えつつ、真面目な話もしながら何事もないように食事が進んだ。
「ちなみに明日三枝さんに会うのは、結婚報告ですか?」
聞きたい。
拓海があたしが気にしていることを聞いてくれた。
「はい、そうです」
「真緒、嘘をつくな。明日はただの挨拶だよ」
「本当に?先生は中途半端な挨拶嫌がるよ?」
身に覚えがあることを自分の口で話した。
兄は少し苦い顔をして話す。
「俺はこの後数ヶ月で、真緒と結婚すると思う。でもその式とかに先生はいらっしゃらないだろう?次にお会いした時に実は結婚しましたはまずいと思ってさ」
「兄が呼べばいいじゃない?」
「美咲、先生はお前ほど俺に思い入れはないぞ」
兄は線を引いている。
正論だと思う。兄はあたしほど先生には関わっていない。再開してから大人の付き合いはしているが、そこまでとも知っている。
「まぁまぁ、私はいいですよ。今間違いなく嫁候補No. 1なので」
少し落ちる雰囲気に真緒さんが助けてくれた。
それに合わせてなのか、店員が袋を持ってきて拓海には渡す。
なにそれ?
「その祝いではありませんが、手土産を勝手に用意しました」
やらなくていいって言ったのに!
拓海は笑みを浮かべて、兄にその袋を渡した。兄はすこし驚きながら拓海の’どうぞ’という言葉に品を取り出した。
英語で書かれている暗めのお酒の箱が出てくる。下段に16という数字だけ見えた。
「ウィスキー好きなので1人で飲んだりしますが、以前知り合いの店で飲んだらとても良かったのでぜひ伸也さんにも」
「すまない、あまり詳しくなくて。初めてみる」
兄はそう言いながらボトルを取り出した。ボトルの首部分が少し太っているのが珍しい瓶だと思った。真緒さんも同じことを思ったのか、兄の腕越しに不思議そうに瓶を覗いている。
気に入ってくれている?
兄が神妙な顔をしている。
「…一応聞いておくが、美咲の拓海くんが不釣り合いだと思っているとしたらどうする?」
なにを言い出すの?
あたしが声を出そうとすると拓海があたしの膝の上に手を置く。
酒のせいか、彼の手は暖かい。
「社会的なステータスに2人は差があると思う。しかも拓海くんはこういうものも自然に渡せるくらい世渡りが上手いと思う。それに比べて美咲は自分で精一杯というのが正直なところだろう」
正直、言い返せない。
世間的に拓海は安定した大手の中核部署にいるという。あたしは公務員とはいえ、現場の警察。社会常識も最近拓海に比べて足りないとは感じることもあったりする。
でもそれを兄から言われたくはなかった。まるであたし達を否定するようなことをこの場で言う必要はないのに。
「特に今はなにもしません」
静寂の間もなく、拓海は簡単なことのように話した。兄は無表情で彼を見ている。
「言いがかりは何をやっても生まれます。でも俺を選んで、頑張ってくれたのは美咲だけです」
「自分が辛くなってもそう言える?」
「二人でそうならないようにすればいいだけです」
彼はそう言い返してから、あたしに視線を送る。
彼は優しい。でも何でもかんでも包みあげる、支えてくれることはない。それはあたしもそうであろう。自分でできることをして、相手のために努力して一緒にいようと、そうしていきたい。
あたしの膝の上にある彼の手を握る。
この気持ちまで兄に話す必要はないと思う。




