その三
21:03、もうすぐ京浜東北線ホームに電車が入る。
そう考えていたら視線を感じた。
右を振り向くと、見覚えある顔が立ち留まっていた。
癖っ毛な髪、黒の細いフレームの眼鏡、日本人にしてはがっしりした体格。
間違いなくあの時の人だった。
軽く頭を下げてくる。
こちらもしなくては…!
先日の格好に比べると…
よりモノトーンなオフィスカジュアルで、リュック、顔に少しのお酒も感じる。
間違いなく疲れているだろう。
あたしは名前も知らない彼を見ながら、そう思った。
彼が私の後ろを通ってから、視線も感じなくなった。
なんでここに?
勤め先が近くなの?
え、そもそも会社員であってる?
飲み会帰り?
そもそも浦和になんでいたんだろう?
疑問が湧いてくる。
お酒のせいか頭の回転が活発で、顔が熱い気がした。
電車が入る。
彼とあたしは、すぐ隣のドアからそれぞれ電車に乗り込んだ。
人はそこそこいて、座ることはできない。電車の真ん中くらいでつり革を捕まえて立つ。
周りを見ると彼もまた近くでつり革を捕まえて立っている。リュックは下ろして別の手で握っている。イヤホンはしておらず、目は窓の流れる風景を見ている。
みんながスマートフォンを見る時代に珍しい。
近くで降りるのかな?
疑問がまた湧いてくる。
車もレンタカーだったし、埼玉県に住んでいないなら、赤羽の前には降りるって感じ?
なんであの時、外国の人に運転させていたんだろう?
そもそもあなたも日本人で合っている?
なんで英語が得意なんだろ?
…
…
…
21:30、電車は今日暮里を出た。
この30分近く、あたしの頭は彼への疑問でいっぱいになっていた。
一瞬しか会ってない人にこんなに疑問を持てる自分に驚いている。
初めてなのにちょうど良い距離感だったから…?
あの時の疑問がまた湧いてくる。
彼は数駅前から席に座り、文庫本を読んだり、暗くなった風景を見たりしている。
あたしは一つ決めていた。
王子駅は乗り換え駅になる、人の乗り降りが多くなるだろう。
もし彼の隣も開くなら、あたしはそこに座りたい。
理由は自分でもわからない、多分お酒と合コンの悪影響だと思う。
この疑問もすべてぶつけたいと考えている。
声をかけるネタはある。
だけど、ちょうどいい距離感をその前に決めたい…
21:37、王子駅につき彼の隣に座れた。彼も気づいている。
こちらに振り向いた。目が合う。特に言葉なく、笑みだけ浮かび視線を戻して行った。
美咲、真摯に聞いていくんだ。
「あの…先日はご協力ありがとうございました」
「…え、あ、いいえ。こちらこそお手を煩わせてすいませんでした」
彼は慌てていた。
話しかけられるとは思わなかったみたいだ。でもすぐに安定した顔に戻る。
「お仕事帰りか何かですか?」
「はい、社外の接待がありまして……お巡りさんもですか?」
「いいえ、少し付き合いで…初めて品川で飲みました」
合コンとは言いたくなかった。
あの失礼な感じを思い出したくないし、あたしを勘違いしてほしくなかった。
それにしてもお巡りさんと呼ばれるのは交番勤務以来だな。
「そうですよね。お巡りさんって勤め場所が決まっているイメージだったので、妙だと思いました」
「その通りです。仕事は基本は埼玉南部です」
「そういう区分けなんですね。東京にはよく出られるんですか」
「いいえ、池袋までですかね。好きなカフェがあって」
「池袋ですか、最近変わりすぎてわからなくなりましたが、私も学生時代お世話になってました」
先までの合コンがひどすぎたせいか、とても話しやすいと感じた。
もっと話したい…!
「大学とかがあったんですか?」
「いいえ、私は浦和生まれ育ちなので、東京といえば池袋って感じでした」
くすっと思わず笑いがこぼれた。
浦和付近の人だと分かったこと、飾らない本当の感想がとても良かった。
「そんなに笑われることですかね」
「ごめんなさい。正直だと思いまして、私は神奈川出身ですが、埼玉に住み始めて池袋が東京みたいになってました」
「神奈川のどの辺ですか?」
「すごい田舎の方なのでいうのが恥ずかしいです。ところでこの間は英語の対応されてましたね」
話したくない内容は避ける。
それでもこの男は本当に話しやすい。どんどん楽しくなっている自分がいる。
いつもでは考えられない気分だった。
会話のキャッチボールが続き、あたしがふっと気づいたのは電車が赤羽駅に入る時だった。
楽しい、柔らかな高揚感を感じる。
一瞬会話が途切れることもあったが、すぐに質問したいことが出てくるし、彼も聞いてくれる。あと、途切れた時に沈黙が不思議と居心地悪くなかった。
「そういえばお名前もまだ知らないですね。私は佐藤拓海です。ご覧の通りサラリーマンです」
電車が川口駅を発つ時に彼が自己紹介をした。
やっと名前がわかった。
「失礼しました。東雲美咲と申します。職業はあれです」
公の場であまり言いたくなかったので誤魔化す。
佐藤さんは察してくれたからにっこり笑ってくれる。優しい人。
「ってことは、勤務先は浦和駅付近のあそこですか?」
「そうです。地域課ではありますが、浦和駅近くのあそこですね」
警察署をまるで隠語みたいに言ってくるのも面白いと思った。
彼は回答を聞いて一瞬妙な顔をして普通の顔に戻った。
知り合いでもいるのだろうか。
「どなたか知り合いでも勤めていますか」
「いいえ、学生時代に何回か伺ったことがあって」
「やんちゃだったんですか」
普段ならしない悪戯な質問もしてみる。気になったからだ。
「いやー私は真面目でして…そう言った意味ではお世話になってません」
「この間もなっていましたね。」
「それは正確には友人であって…」
少し困って言い訳するのが可愛らしい人だと思った。
(まもなく、蕨です)
「そういえば東雲さんは浦和近くにお住まいですか」
最寄駅の案内が質問と同時にくる。
どうしよう、もっと話したい。
「浦和駅ではないです」
ドアが開く。
どうする?
「佐藤さんは浦和駅の近くに住んでいますか。」
人々が降りる。
乗る。
どうしよう?
「恥ずかしいですが、わたしは浦和の実家住まいで、生まれ育った実家で今もぬくぬくしてます」
ドアが閉まる。
あぁ…あたしは一体どうした。
ここで降りるべきなのに。
そう考えているのに、動きたくなかった。
彼を、佐藤さんをまともに知らないのに、まだ終わりたくない。
あたしはこんな人間だっただろうか。
「差し支えなければ最寄り教えていただけますか」
冗談も、気遣いもしっかり伝わっている。
ただ自分自身にびっくりしている。
もっと話したいという気分に駆られて、駅を乗り過ごすのは初めての経験だ。
どうしてしまった、あたし。
「あれ、もしかして今の駅でした?」
(まもなく、南浦和です)
彼は優しく聞いてくれる。
「は、はい、実はそうだったんです」
「……おりましょう」
素直に返したら彼は急に立ち上がり話す。
理解ができなかったが、彼はあたしを引っ張り、二人で南浦和駅に降り立った。
夜の冷たい風が、一気に迫ってくる。
少し目が覚める気がした。
「まだ電車ありますから、反対方向の電車に乗ってください。すいません、気づくのが遅くて」
「いや、違うんです。私、佐藤さんともっと話がしたくて…!」
言って驚く。
あたし、今、何をしている?
合コンの人たちと一緒じゃない?
人との距離感も守れず、自分勝手に…
佐藤さんとあたしはそんな距離感じゃ…
なんとかしなくちゃと思った先に佐藤さんの声が聞こえる。
先よりは少し低いと感じるのは勘違いだろうか。
「東雲さんは…想定した人とは、違うみたいですね」
佐藤さんが妙な顔をして言葉を発する。
先ほどまで佐藤さんが纏っていた柔らかい空気ではなく、妙に異質な空気感になった。
あたし、今、大丈夫なの?
「いや、なんか…すいません。取り乱して」
夜の冷たい風に当たったためか、一気に目が覚める気分だった。
そして長年の感が語る、今私はある停止線の前にいると。
この線を越えたら先ほどの佐藤さんは完全に消える気がした。
今まで空を飛ぶような気分だったのに、急に不安が顔を見せてきた。
「これから一軒付き合っていただけませんか。東雲さん」
あたしは人を見誤ったかもしれない。
彼は低い声でもう一度口を開いた。
「私も、あなたのこと知りたいですよ」
軽い女、ちょろい人と見られているのかもしれない。
不安は確かな存在感を表してきた。
この停止線から逃げ返した方がいいと、あたしのアラームが鳴り止まらない。
それでも…彼を知りたい気持ちもまた、強くある。
「…わかりました」
佐藤さんは謎深い笑顔を見せてくれた。
先までの優しさだけある笑みではない。
でも他の感情が読みきれない。
あたしは、そういう彼を、これから知りに行く。




