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そのニ

 3月の終わり、季節は桜色と人々の色とりどりの姿で活発になっているように見えた。

 東京都品川駅から少し外れた場所に、信野医薬のR&D施設が位置している。このラボは外とは異なり、季節感はなく、白色の灯りに整えられている。特有の静寂さと微細に聞こえてくる研究機材のモーター音、研究員達のキーボード音が聞こえてくる。


 「黒川さん、まだ連絡つかないね…久々だわ」


 シニア研究員の森下綾子は、携帯を見ながら不安がっている。来客打ち合わせが15時、今は14時を過ぎている。森下の向こう側に座っていた拓海は資料から目を外す。


 「これは新記録ですかね」

 「何呑気にしてるの、タック君がアレンジしていたんでしょ?」

 「まぁ…とはいえ、来る奴も来る奴ですからね」

 「心当たりありな人、そこにいるみたいですよ。佐藤さん」


 森下と拓海の会話に淡々とした男性の声が入る。爽やかな見た目の早川蓮はオフィスの端にある簡易実験室の中を指さす。

 中で気まずそうにしている若い女性に向かって拓海の隣に座っていた、長い黒髪をバンスクリップでまとめ上げた吊り目の無表情の女性が動き出す。拓海と同じく黒川が信頼する部下の水野理沙だった。彼女は簡易実験室の窓の前に立って、中の女性を少し高圧的に見下ろしながら指で出てこいと語る。

 悪戯がバレた犬のように、中にいた西村ひなは肩を落とし、見上げながら簡易実験室から出て、叫ぶように言う。


 「すいません!!昨日2件目までしか知りません!!その後は勝手に消えていきました!」


 水野、森下が額に手を当てる。


 「ひなちゃん、昨日はやめとくように言いましたよね?」


 水野は鋭い語調で言い出す。拓海は長めの説教になりそうだと思いながら、開いているPCを見る。そして黒川に社用携帯がOnになることを発見する。


 「水野さん、だいじょー」

 「やっぱサウナは最高だわ!二日酔い死から完全復活!」


 みんなに状況を知らせようとした拓海の声に被せるように、このチームのリーダー、黒川恒一の声がオフィスに響き渡る。オフィスカジュアルをちょいワル親父ノリで決めた髭の男は二日酔いなど全くない顔で拓海に向かう。


 「一回死んでいたんですね。ショーンは15時ちょうどにつきそうです」

 「昨日の連中もなかなか過激でさー」


 拓海は冗談を返しながら黒川に必要な情報を渡していく。そこに水野も合流し、事前にまとめておいた午前中の実験内容とショーンからの議題を書類で渡す。


 「こちら来客まで目通してください。佐藤さんと私は把握済みです」

 「どれどれ、ADCの次世代化、放射性医薬、オリゴ核酸DDS…なんか、拓海と俺が好きそうなネタが多いな。理沙ちゃんはちょっとつまんないかもなー」

 「研究室一緒でしたからね。好みは近いと思います」


 自然に黒川のモードがやんちゃおやじから仕事人へ切り替わる。その流れで拓海と水野はその場で軽く事前準備を始め出す。それを遠くから見ている森下、西村は安心する顔をする。早川だけが興味なさげに自分の作業に戻っていた。

 



 18:40、夕方の京浜東北線の上り電車に東雲と七海が乗っていた。飲み会らしくカジュアルな私服の七海はウキウキしている。東雲はオフィスカジュアルのスーツに淡色のベージュコートを着ていた。どちらも’この合コンに力を入れています’って感じの服装ではなかった。


 「ちゃんとした合コンっていつぶりだろ。しのちゃんは27年ぶり?」

 「誰が初合コンですか。警察学校時代にも何回か七海といってますよね」


 東雲の勢いある回答に七海は思い返す。警察学校時代。

 東雲との出会い、いろんな男がその外見に騙されていた頃を、重なる逮捕術や柔道、剣道の職務訓練で東雲の本気に散っていて隠れファンたちを。そして盛り上がらなかった失敗した合コンを。

 七海の顔が一瞬苦くなる。気持ちを切り替えるため話題を振る。


 「この数年一緒にいて男の陰は、伸也様くらいだけどさー全くないの?」

 「ありませんよ。興味も、ご縁も」


 兄の名前に’様‘がつくのはいやだったけど、東雲は軽く無視して回答する。


 「ご縁はあったじゃん。先週末の一時停止線で」

 「またですか…あの人は優秀だろうな思っただけですから」

 「えー?しのちゃん、目がうっとりだったよ〜」


 もうからかうための会話が始まった。七海は有る事無い事をつけだし、東雲はいやそうに反応していく。2人の小競り合いは品川駅に着くまで続いていった。




 品川駅港南口から歩いて数分、黒川の行きつけ居酒屋のお手洗いで水野は身につけているシルバーのイヤリング、ネックレス、腕輪を確認した。飲み会でなくすのが1番悔しいと知っているからだ。

 席に戻ると黒川とショーンは出来上がっており、先週末の草津温泉の思い出と温泉作法について語っていた。唯一まともなのはセーブしている拓海のみ。彼を見ると打ち合わせでの議論を思い出し、水野は少しイラっとした。


 「佐藤さん、先の議論…ロジック飛ばしてましたよね」

 「バレたかー共有資料にも言及していたからいらないかなーと思ってまして」

 「前も危ないからやめましょうって言いましたよね?」

 「はい、すいません。早川くんとひなちゃんがいる時はしません」


 拓海はまた始まったと思いながら、言い返すことや指摘することを模索する。水野は人と壁を作りがちで、妙なところで控えめになるが、仕事熱心だしあえて嫌な役も進んでやってくれる、表には出さないが心優しい人だと拓海は考えていた。そしてちょくちょく自分のことをライバル視するのがすこし嫌とは思ってもいる。

 

 「でも、水野さんも興味ない分野で別の仕事するのはやめた方がいいですよ」

 「…効率です」

 「効率だなんて、水野さんはやはりロボットみたいなこと言うね!」


 ショーンが拓海と水野の話に割り込む。ロボットという単語に拓海が思わず笑ってしまうと水野は眉間に皺を寄せる。何か言いたげにしたが、待ってくれる黒川とショーンではなかった。そこからまたショーンは草津に行く前にあった別のロボットの話をし始める。




 20:45、酒が回った七海と東雲は品川駅に向かって歩いている。合コンは想定よりかなり良くなかった。2人して抜け出したのが今。

 スタートは悪くなかった。警察という職業、2人の見た目は興味を引くには十分だったが、途中から女性の警察ということが裏目に出たか、いじられ役に落ちてしまった。

 

 「ドラマ見たいとか、Sっぽいとか、手錠は持ち歩くのかとか、アホか!」


 七海は無表情で正面だけ見ている東雲を見る。おそらく東雲がさらに無口になった理由はそれだけではないだろうとは思っていた。無表情が多い子ではあるが愛想笑いくらいできる、そういう子が抜け出す直前は顔に筋肉がないかのようになっていて、大して好きでもないお酒を飲み続けていた。


 「美咲って言われました。会って2分くらいの人に」

 「出たー!とりあえずイケイケで詰める奴!俺、いい男だろうみたいな」

 「彼氏いないのが、逆に怖いらしいですよ」


 いじられ役になったから面白くない、というだけではない。東雲は迷いなく自分のために人の心に土足で入りたがる人たちが嫌いだった。今回は運悪くそういう人が多かった。そう考えるしかないとあきらめることにした。


 「この辺まで来るの久しぶりだから、どっかで飲み直そうかな…しのちゃんどうする?」

 「いいえ、明日もあるし、なんか疲れました」


 七海はその言葉に申し訳なさを感じる。だからこれ以上誘うこともできない。

 2人は駅の付近で別れた。東雲は品川の夜に消えていく七海の後ろ姿を見て駅の改札を通った。多分、彼女なりに配慮してくれたと思っている。




 拓海は水野と2人で品川駅の改札を通った。ショーンと黒川は気づいたら消えていたので、水野が電話をするもののつながらず、二人は帰ることにした。


 「失礼なお友達でしたね」

 「まぁ…類友って事で」


 棘ある言葉に拓海が冗談みたいに言うと、水野は少し笑みを浮かばせて手を振ってから川崎方面の、早い電車が入るホームに向かっていた。

 拓海も京浜東北線に乗るためにホームに向かう。最寄りの浦和駅に行くには水野と同じ線で反対方向に乗るのが早いのは知っているが、そこまでの時間を水野と一緒に過ごす必要はないと思ったし、ゆっくり自宅に向かう電車の中て1人で時間を過ごすのは好きだった。



 …

 …

 …

 階段を降りホームを歩く。

 いつも乗り降りする場所まで歩こうとしたら、目の前に見覚えがある横顔がいる。

 やや吊り上がった目が子猫みたいで可愛いと思ったと思った記憶がある。

 違和感は服だと思う。

 青ベース制服ではなく、淡いベージュのコート。

 その格好と雰囲気がまた先ほどまで一緒にいた同僚に似ていると感じた。

 この名前も知らない女性は私の視線を感じたのか、こちらを振り向き、目が合う。

 私は思わず足が止まる。

 冷たい感じの整った顔立ち、吊り上がった目、斜め前髪、やや長めのボブ。

 年は同じくらいだろうか。

 見つめる瞳の奥に少し壁を感じた。自分を守る線が明確にしている人だと思った。

 軽く頭を下げると向こうも頭を下げてくれる。

 私もそうだが、視線は外さない。

 そのままその女性を通りすがり、隣のドアの位置に立つ。

 何か声をかけるべきかと思ったが、適切な言葉が私の中では見つからなかった。

 それと多分、そういうことは嫌がる人だろうと……

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