その三十ニ
「おはよう、髪切ったじゃん」
「おはよう、早いですね。七海」
出勤する道、浦和駅から浦和署まで歩く道中で後ろから七海の声に美咲は振り向いた。手を振って近づく彼女が隣に近づくまで少し立ち留まる。
「帰省の間、兄の彼女さんに切ってもらったんです」
「彼女いたっけ?あ、例の人?」
「まだ正式じゃないけど、実家に色んなもの置いてましたよ。認めるのも時間の問題です」
七海は少し意外な顔をした。伸也には何回かあったことがあったが、今美咲が話している内容が中々イメージしにくい状況だった。似たものの兄弟で基本無口だし、あまり顔に表情も出ない人で、器用に彼女とか作れるような人には思えなかった。
「しのちゃんもそうだけど、伸也さんも裏でちゃっかりやってるね~」
「七海、言い方」
「だってそうじゃん、あんた先の角までタックとイチャイチャしてたでしょう?」
その言葉に美咲を顔が崩れる。
「…どこから見てたの?」
「さすがに出勤中に手つなぐのはまずいんじゃない?結構人通りいるし」
美咲は思い出す。浦和駅からは拓海と手を握って歩いた。彼の家の方向と浦和署が反対になる先の角道まで、知り合いがいないことを確認しながら美咲なりに注意して歩いたつもりだった。それでもこのいたずらっ子には見られていた。美咲は顔が赤くなることを感じる。
「嘘だけどね~、さっき別れるところを偶然見ただけだよ。でも気をつけな?職場にばれたくないんでしょう?」
その言葉に安心はするが、少し心にも刺さる。注意不足は確かだった。
「き、気をつける」
「ならよし!て、何で朝なのに一緒だったの?」
七海がニヤニヤしながら美咲に聞いてくる。お互いいい大人人だからわかるはずなのに、わざわざ聞いている。
「き、昨日会いにきてくれて…」
「それでそれで?」
「お寿司食べに行って…」
「うんうん!」
七海がいじめるように顔を近づかせてくる。そこで美咲も流石に怒ってしまった。
「もう!先行きます!」
「熱いねー!よっ!」
声を上げてからかう七海を置いといて美咲は先に行く。七海はそう言う彼女の後ろ姿を見ながらゆっくり歩いていく。美咲とこの道を歩くのはよくあることだったが、今日ほどいじり甲斐がある日は初めてだった。
実家に帰省する前、色々心配しそうにしていたけど、そちらも大丈夫そうに見えて七海としては安心している。拓海と会ってからやはり美咲はいい方向で変わっていると七海は改めて思った。
由佳は実家の駐車場に自分の車を停めて降りた。海外メーカーの小型SUVで乗り回しとパワーの良さを感じれる物だった。日常的な使っていることもあって彼女にはだいぶ扱い慣れていいるように見える。
「ただいま〜」
佐藤家の喧嘩に泊まり用で持ってきたボストンバックを置き、声を上げる。中から真理子が出てくる。弟と妹の姿は見えない。
「おかえり、車の音したからすぐあなただと思ったよ」
「拓海と美月は?」
「2人ともリビングにいるよ」
礼儀がなってないものらとは思うが特に感情の変化はない。いつものことだった。2人は廊下を抜けリビングに入る。
「お姉様が帰ってきたぞ〜」
「おかえり」
姉の声にソファに転がっている2人は合わせて声を出した。テレビはついているが、2人してスマートフォンをイジるばかりで見てはいない。
「お前ら見ないならテレビ消しな」
そういうが誰も聞いちゃいない。母の真理子だけでキッチンで忙しそうにしていた。
由佳はボストンバックをソファの裏に置いて食卓に座る。その後に拓海が起きて食卓にスマートフォンを置いて座った。
「どんくらい泊まる?」
「週末まではいるつもり、日曜には帰る」
「結構長くいるね、お義兄さんは?」
「先週末から出張、月末までは帰って来ないからこっちでぬくぬく過ごすわ」
由佳はいわゆるパワーカップルであった。よく結婚まで行ったなと言われるが、結婚する時はここまで忙しい家庭ではなかった。歳を重ねて忙しくなっただけ。
「美月、もう夕飯にするから!」
キッチンから真理子の声がするとソファに一体化していた美月も起き上がり、食卓に座る。
キッチンカウンターから取っておいたお寿司やおかずら、味噌汁らが渡されてくる。美月と由佳がそれを受け取り食卓に並べている間、拓海は冷蔵に向か少し前に冷凍庫に入れて置いたビールを取り出してみんなの席に置いておく。佐藤家のみんなが特に言葉を交わさずにテキパキと動いて、食卓を作り上げ、各々席に座った。
「じゃー乾杯〜」
母の声に合わせてみんなビール缶をぶつける。真理子はビールを飲むととても幸せそうに笑った。
「今年もみんな集まってくれてありがとう」
「別に年末年始じゃないから変なこと言わないで」
母のお礼に美月が突っ込みながら好きな寿司ネタを取り出す。拓海は味噌汁をすすり、由佳は続けてビールを飲んだ。飲み干しそうな勢いだった。
「もう次、要る?」
「まだ大丈夫。て、お前彼女できたんでしょ?」
お代わりのビールを取ってやろうとしている拓海を姉はいきなり本題を刺した。拓海は嫌そうな顔をする。この後の流れが余裕に想像つくからだ。
「この子ね、昨日も朝帰り」
「最近多いもんね〜」
真理子と美月が姉を支援する。拓海は早々に諦めた。今日は逃げられそうにない。
「実家暮らしのくせにあんま堂々と朝帰りすんなよ」
「はいはい、すいません」
姉の揶揄を適当に流しながら拓海は寿司を取るつい2日前の夜にも食べたが、感じる気持ちは全く違う。真理子は興味津々で、美月は笑いを少し堪えているように見える。
「美月は結構知っているんでしょう?」
「うん、何回も会ってる。たく兄が母には内緒だぞと言ってた」
「そんな言い方してない!しかも美月もなあなあと同意してました」
子供のやり取りを聞きながら真理子はほっこりする。由佳がいると、昔の気分を思い出させてくれる。いつもはしっかりしている拓海がちゃんと弟になれるからだ。
「で、どんな子?いや、先に美月から行こう!」
「え〜私はまず顔がタイプ」
「拓海の周りにそんな子いる?美月の友達みたいな、ひなって子?」
真理子の質問に美月が右手を左右に振りながらビールを飲む。拓海も同時に手を振っていた。
「全然違う。会社絡みじゃないよ」
「え〜何で知り合ったの?マチアプ?合コン?」
由佳の言葉に美月がまだしもケラケラする。真理子と由佳ははてなマークが頭に浮いた。拓海は何も言わない、言いたくないネタの中で最も言いたくない部分だった。
「言っていい?たく兄」
「好きにしろ」
その言葉に美月はスマートフォンを持ち上げてネットから画像を取り出す。そこには警察が車を取り締まる写真が載っていた。
「えーわかんない」
「相手が警察って事?」
「そうだけど、このまんまが出会いなの!」
真理子と由佳は互いの顔を見て拓海をみる。先に動いたのは由佳だった。
「お前、捕まったくせに警察ナンパしたの⁈」
「ちげーよ。そもそも捕まったの俺じゃない」
また美月が笑いながら話し続ける。
「一応ね、たく兄は逆ナンされたの。その後の電車で」
それを聞いた由佳は爆笑し始めた。真理子はまだ話を理解していない。そんな母を置いて娘2人は笑い続ける。真理子が琢磨を見ると拓海が困った顔をしながら話す。
「前うちに来たショーンって覚えてる?」
「あの筋肉の白人の子でしょう?」
「そいつと草津温泉行くときに、ショーンが一時停止線無視で警察に捕まったのね?そこでちょっと英語のやりとりしてたのを覚えてくれてて、偶然電車で会って声かけてもらった流れです」
真理子は少し呆れながらも笑いが出てしまった。やっと息子に彼女ができたと思ったらバカな出会い方をしていたのだ。笑う母を見て拓海は複雑な気持ちになる。
「はぁーおもろい、そんで?本当に警察?」
「浦和署地域課勤務です」
「めっちゃ近所!」
美月はも具体的には知らなかったので3人ともに美咲の勤め先に驚く。特に真理子としては衝撃だった。近くを通ることもあるところに息子の彼女が勤めているとは、想像もした事なかった。心の中ではなんとなく同じ会社の子なのかと考えていたのだ。
「うちの周りとかもパトロールするの?」
「わからない、与野とかではあったことあるよ」
「私は浦和駅近くで会ったことあるよ」
自慢するように美月が言い返す。拓海としては美月の駅前遭遇の件は触れてたくない話しだったのでサラッと流しながら寿司を取る。その隙に由佳は食卓に置いてあった拓海のスマートフォンを取り、透明ケース下にある写真を見る。
「ぷはっ!何かのポーズ?これが彼女?」
拓海は好きなようにしてくれとの表情になり、諦めて寿司を口に運ぶ。その間、佐藤家の女子3人は小さい写真を見回す。
「美咲さん、こんなことするんだ〜」
美月だけが意外な顔をする。彼女があった美咲はちょっと無口だけど話すと優しくて、おとなしくて、一言で言うならお淑やかな人だった。警察の時は少し怖い印象もあるけど、こんなはっちゃけるような人には見えなかった。
「美咲さんって言うの?お名前」
「うん、もっと大人女子って感じだと思ってた」
「うるさいな〜デートくらいはっちゃけるだろう」
「お前のこの顔もな」
みんな一言ずつ話す。真理子だけが美咲の顔をじっと見ている。オフィスカジュアルな拓海の服装に近いけど、ところどころの差し色が彼女の顔をより明るくしているように感じた。
「他のはないの?」
「そうだね〜」
真理子が携帯を返しながら拓海に聞く。彼は写真をみ返す。他の人に見せていいって言われた美咲なりのベストショットを、探しているのだ。
「これとか?」
拓海の携帯に佐藤家の女子3人が集まる。いつかのカフェ、イナトマメてとったものだった。美咲は淡いブルーのブラウスに薄めのラベンダー色のカーディガンを羽織って、真剣な顔をしてチーズケーキを攻略している。猫のような吊り目が目立つ。
「なんか、拓海には勿体無いね」
「姉貴、言葉には気をつけるんだぞ」
「だってさ、普通に可愛い子じゃん!」
由佳の言葉に拓海は何も言い返せなかった。言い返したところで響かないと思った。確かに美咲は可愛いと一人で思うだけだった。
「でもこんな子が警察ね。お母さんちょっと心配」
「めちゃめちゃしっかり警察だよ」
「危ない仕事じゃない?」
美月がフォローするが、母の心配は防げなかった。拓海はその点は理解している。しかし、やめてほしいとは思ってない。
「本人がやりたくて選んだ仕事だがら、俺はいいと思う。会えない時もあるけど、別にやめてほしいとは思わないよ」
柔らかい言葉で言ってるが、芯があった。真理子は息子にそう言われると言い返すことはできず、一人で心配するしかない。
「美咲さんの後輩から聞いたけど、美咲さん結構武闘派らしいから意外と心配されるべきはたく兄かもよ」
そんな気持ちを察したか、美月が再度フォローを入れる。その言葉に真理子には少し笑みが戻る。武闘派とはいえ女性、自分の息子も負けてないと思っているのだ。
「さぁ、拓海、電話かけるか」
由佳が無茶振りをする。
「するわけねぇだろう」
「じゃ、いつ紹介するわけ?」
拓海は周りを見る。3人とも無言で拓海を見るだけだった。
「美咲がいいと言う時?」
拓海の中途半端な回答に佐藤家の女子3人は静かにビールを飲んだ。




