その三十一
カルマは顧客の数の割には店舗スタッフはそこまで多くなかった。完全予約制とまでは行かないが、予約でほぼ埋まっている。アシスタント、スタイリストのシンプルなな構造をとっており、オーナー兼スタイリストの真緒が全て取りまとめている形だった。
その忙しい合間を縫って真緒はケーキを買い、美咲を待っていた。しかし、いざ美咲が来るとちょうど予約の顧客の対応真っ最中で軽く会釈だけしてまともに話することもできなかった。
「ー兄がお世話になってまー」
「東雲さんってやっぱりー」
ところどころ対応をお願いしているアシスタントの人との会話が聞こえる。始めは律儀な話だと思ったら伸也の妹と分かってからには手が空いてる子らが美咲に群がった。
真緒は気になる。その会話に参加したいと思う。しかし、仕事放棄はプライドが許せなかった。
美咲はアシスタントの人と会話が落ち着くとスマートフォンを開く。当番明けの七海が朝から同じく当番明けの佐久間や元々非番の地域課の中原と飲み屋にいる姿の写真が送ってきていた。叱咤する猫のスタンプだけ返す。拓海からは特にメッセージはない、実家で一通りやり取りしたし、休み明けの出張の準備をすると言っていた。
「お待たせしてごめんなさい〜。裏、行きましょうか?」
仕事を終えた真緒が美咲に近づき、裏のオフィスに案内する。煩雑に成りがちな裏方であったが、真緒の性格なのか、シンプルで洗練されていた。社員のロッカーや書類はもちろんあっだが、煩雑になっておらず整理整頓されていた。入れ口から近くにはミーティングができるデスクがあり、そちらに美咲は案内された。
ロッカー隣にある小さい冷蔵庫からケーキが二つ出てくる。それと同時にアシスタントの人がコーヒーを2つ持ってきてくれた。
「はい、美咲さんにはチーズケーキ!」
「なんかごめんなさい、図々しくいただきにきて」
「そんなことないですよ。ほら、うちは女の子多いからよくおやつ買っておくんです。今日はちょっといいの買っちゃおうみたいな?」
真緒は笑いながらケーキを渡してきてくれた。それに対して美咲は少しぎこちない感じがある。こう言う場所にいるのも馴染みがないし、まだ真緒とは打ち解けていない。
「昨日の帰り、驚きました?」
真緒は少し悪戯をするみたいに話す。美咲は自分が聞いて無視された事を思い出す。
「はい、兄は何も話しませんでしたけど、毎回なんかあるって事ですよね?」
「伸也さん、甘える人に弱いじゃないですか?だからいつも甘えるふりしてハグしてもらうんです」
ハグか、美咲は安心した。真緒のことだしもっと無茶な事を強要しているのだと思っていたからだ。
「美咲さんはしないんですか?」
唐突な質問に美咲は表情が崩れた。
「あら、なんかあるんですね?」
美咲は慌てて首と手を横に振る。それから話を変えるためにフォークを握る。
「こんなおしゃれなケーキって売っていたんですね」
「ちょっと歩きますけど、三、四年前にできてたまに買うんですよ。で、何するの?」
流してくれない。ゴリ押しと悪戯が合わさって美咲を困らした。
「は、ハグとかはしますよ」
「へぇー知ってました?美咲さんの困った時の顔、伸也さんにすごい似てますよ」
真緒は楽しそうに笑いながら言う。七海とは違う意味で弄ばれている気がする美咲であった。もっと二手三手を先読まれているような、何も意図してないような。
「兄をみんな知ってるような感じでしたけど、よくお邪魔してますか」
負けずに話題を変える。純粋に気になるところでもあった。美咲からすると伸也はそこまで真緒のことを遠ざけようとはしてないように見えるからだ。
「いつもここで髪切ってますし、ちょこちょこ商工会絡みもあって、ウチの向こう側の喫煙所でよく待ってますよ」
改めて真緒も一つの会社の社長である事を感じる。こんなに突っ走っているように見えてるのに、実は意図的にやっているのかもしれないと美咲は思った。
「後は伸也さんところとみんなで飲む機会もあって、本人たちからは聞いてないですけど、誰と誰かが付き合ったりしてますね。私がよく伸也さんの隣に座ってるのもみんな気づいてますしね」
堂々としていて隠すつもりもない。自分の感情に素直な人だと改めて感じる。もし自分もこう言う性格であったら拓海とより早く付き合えたかもしれないという考えがよぎった。
「なんか、桐谷さんは羨ましいです。素直にいられて」
その言葉に真緒は少し笑みを浮かべる。美咲は一瞬失礼な事を言ってしまったと後悔した。嫌味のつもりはない、でも相手によっては微妙なところであった。
「素直にいてもみんなが受け入れてはくれませんよ?私も人を見ながら生きてますから」
「ごめんなさい、失礼な事を…」
「ううん、そう言う意味じゃなくて。美咲さんが素直になれる人を増やせばいいじゃないかなーって。私とか?」
美咲は淡々と話をしえてくれる真緒を見て、ふと以前渡れた資料を思い出す。幼く見える見た目と違って伸也より2歳年下、自分よりは年上。東雲家とはまた異なる家庭環境で育って、自分の努力で生きてきた人。
ただただ兄の隣が欲しい人とばかり見ていたけれど、この人もまた色んなものを抱えて伸也の隣にいたいと思ってるかもしれない。美咲もまた兄を手放せない人だったかもしれない。
美咲は肩の力が抜ける事を感じる。少し頼ってもいい人かもしれないと思う。
静かなオフィスで、彼女はフォークをケーキに入れる。
「…兄は嫌いな人を家に入れたりはしません。物も置かせてあげないでしょう」
チーズケーキを一口。美咲を見つめていた真緒の表情が明るくなる。
「それって!」
「今朝、下の名前の呼び捨ては流石にダメかと聞かれました。きり…真緒さんはあたしの想像より努力してたみたいですね」
真緒は立ち上がり美咲に近づく。じっと見ているのかと思いきや、彼女はいきなり美咲を抱きついた。
「もう!それ早く言って!」
…
…
…
パソコンのメールを読み返す。
ベトナムに行く前に彼と韓国出張の最終話調整だ。
仕事の段取りは整っている。
今回の出張はおそらく問題もなく、少し観光もできて、気持ちよく帰って来れる気がした。
しかし、もっとあってほしい。
「何…期待しているの?」
そう、私は期待している。
何かがアクシデントのように、彼と何かが起きないかって。
意地悪の取引さんに、カップルですかとか、出張のふりしたデート旅行ですねとか言われないかなと。
もう認めるしかない。
これは好きに違いない。
彼をもっと知りたい。
より一緒に時間を共有したい。
いつも通り、私が彼の隣に立ちたい。
「嫉妬なのかな?」
私と似たような雰囲気の人。
あなたが、会社外から彼に近づくなら、私は会社内から信頼できる人として隣に立つ。
少なくとも仕事では、一番信頼される人でいたい。
…
…
…
【今赤羽で乗り換えてます。夕食教えて?同じもの買って帰る】
美咲からのメッセージに拓海はビールグラスをカウンターに置いた。休み明けの出張準備が終わった拓海はルートCAで一人飲んでいる。明日からは仕事を忘れ完全に休日でいたいし、できれば美咲にも会っておきたかった。彼女はこのお盆休み中、ずっと仕事で個別に時間を作って会えることは難しいと言われているから、帰りの一瞬でも彼女に会っておきたかった。運が良ければ朝のランニングでも会える気はしたが、拓海としてはそれはなんか違う気もした。だから今日帰りの時間を見計らい、蕨駅でこっそり驚かそうと思っていたのだ。
「もう帰ります」
そう一言、オーナーに言葉を残して拓海はルートCAを出で言った。もう何度も歩いている笑いべきまでの道、美咲と付き合ってからお店に来る回数も増えた気がした。大体美咲が一緒だったから、もう茶化すだけの彼女ではなく、冗談も言えないちゃんとした彼女さんとしてオーナーと内田店長に覚えられている。
拓海は蕨駅まで歩いていくと遠くから二人が見えた。2人とも知り合いで、一人は黒スーツを着た仕事帰りの様子の強面の男性、もう一人はしっかりしているけど優しそうな笑みが似合う女性だった。2人の距離感は近く、おそらく恋人であろうと拓海は思った。2人は正面の拓海気づかず、角を曲がり進んだ。
(この方向だと、他の警察の人にはばれにくいのか)
拓海はそう思いながら駅への足を運ぶ。美咲や佐久間などが住む場所は蕨駅を中心にここと反対出口であった。だから、あまり知られていないのか、それとも自然すぎてみんな知らない顔をしてくれているのかは拓海としてはわかるすべがなかったが、彼なりに推測はした。わざわざ言いふらすほどでもないと思い駅に向かった足を急がせる。
駅につき、いつも美咲が利用する階段の近くで拓海は立っていた。それから美咲にメッセージを送る。
【実は夕食まだです】
【え、もういい時間ですよ?お腹すきません?】
【ちょっと用事があって外出しているので、これからですね】
美咲の返信は早く、拓海もそれに合わせて嘘だが嘘でないものを送っている。ちょうど蕨駅に電車が止まると美咲からの返信が途絶えた。既読スルーとは思えない、普通に考えれば歩き始めたら、スマートフォンをいじらないがあっていると拓海は思った。
その予想通り、改札を通る小さい人群れの中で美咲が見える。でも少し様子が違う。
「お帰り、美咲さん」
「——ッ!」
拓海に急に声をかけられた美咲は声にもならない悲鳴が通っていた。少し周りを通る人らが二人を見る。
「もう、拓海さん!」
美咲が拗ねたように声を上げる。両手はカバンと紙袋の荷物にふさがれていた何もできない。美咲の声だけが拓海を攻めていた。
「驚かしてごめんね、荷物持つよ」
「本当にびっくりしましたよ。どうしたの?こんなところで」
「美咲さんに会いに来たんだ」
拓海はそう言いながら美咲の手から大きな紙袋をとる。彼の言葉に少しは気分が和らいたか、美咲は笑みを浮かべながら拓海を見る。わざわざ来てくれてうれしい気持ちもあった。
「次からはちゃんと教えてくださいね。それか遠くてもわかるようにしてね」
「わかりました。にしてもすごい荷物だね」
「ちょっと、真緒さんの美容室によったら、帰りに物凄くサンプルと化粧品をくれたの」
二人は階段おいて行きながら会話を進めた。拓海は美咲の呼び名が変わったことに気づくが何も言わなかった。今回の帰省では色々あったのかと考えるだけだった。美咲の短くなった髪もまたそう。
「髪、変?」
視線を感じ美咲が聞いてくる。気になったのだ。
実は拓海としてはあまり気にならなかった。髪を切った美咲はボブヘアになったわけだが、彼女はもともとボブヘアから少し髪を伸ばしているような形だったので、そこまで違和感はないと思った。しかし、彼は知っている。美咲のその質問に適当に返したら後々火が吹くことを美月を通じて学んでいるのであった。
「似合う。首の抜け感もいい、丸みも増えてより可愛くなったと思いますよ」
「ふーん、拓海さん、髪短いのが好き?」
拓海のデータベースにない質問だった。少なくとも妹はこういうことは聞いて来ない。回答に悩んでいるとタイムリミットになった模様だった。
「長い方が好きだった?」
拓海は彼女の言葉が攻められるようないい方になっている気がした。
「正直に言うと、美咲さんならあんまり気にならない。全部好きだから」
やっと出した答えは美咲としては満足できない内容だった。いくら自分好みだけで髪を切ったとは言え、彼氏としてもう少しいい言葉はなかったのかと思えたのだ。でも最後の言葉で、少し許してもいいかな、どうかなで悩ましいとこだった。
美咲が無言になると拓海は少し顔色を伺ってしまう。それは彼女も気づいているし、そういうところが実は可愛いと美咲は思っていた。
「今日は外食して帰りたいですね~」
「そ、そうしよう!何しましょう、中華?ベトナム?」
美咲は少し笑みを浮かべて素直になってみることにした。
「お寿司奢って、拓海」
拓海は一瞬動きが止まる。今まで仕事なんとなく続いていたさん付けが、急に消えた。それが彼としては突然すぎて驚きもあれば、距離がさらに近くなった気がして嬉しかった。
「美咲が好きならなんでも」
そう言い返してくる拓海に美咲が腕を組んでくっ付いて歩く。
真緒みたいにはなれない、でも拓海の前ではより素直でいたいと思う美咲だった。




