その二十七
早川は最近オフィスの空気が妙だと感じている。黒川からは気にしすぎだと言われていた。拓海と水野の関係性のことであった。
朝早くのテラス喫煙所、森下と早川は出勤前の一服をしていて、自然に水野の様子の話となった。
「荒療治通じたのかな?この数日いい感じじゃない?」
「ある意味はそうじゃないですか?ちょっと出張前に戻った感じはしますし」
そう、2人の関係性は落ち着いている。出張の後みたいにやたら声をかけることも、ランチに誘うことも、飲みに誘うこともなくなっていた。
「ここだけの話、ご指示通りケアはしてあるんです。その時にちょっとスッキリしたとは言ってましたよ」
「あら!あの美咲さんだっけ?彼女と遭遇した後に?」
「森下さん帰った後の居酒屋でです」
早川は嫌味も込めて言ったつもりたが、森下には響かなかった。また彼は水野がタバコを吸ったのは言わなかった。守る義理はないが、本当にダサいと思っていたのだ。
「でもたっくんの彼女さんとは話して見たったな〜後、黒川さんと意気投合したスポーツ美人もね」
その日のことを思い返す。居酒屋は特に荒れることなかった。黒川と七海、西村が一つのチームとなり、拓海と美咲をいじり倒したことくらいのただの彼女紹介飲み会で終わった。早川としては帰りに黒川が七海、西村、佐久間、美月を連れて違う飲み屋に入る後ろ姿を覚えている。拓海と美咲、水野はいつの間にか消えていた。
「彼女さん、やはり水野さんぽいなと思うところありましよ」
「やっぱりね?その目線で見ると、たっくんと理沙ちゃんって気持ち複雑になるよね」
「でも、かなり違うなとも思いました。なんだろう、より素直な感じ?芯があるというか?」
早川は言い訳するように付け加える。しかし感じていたことは事実であった。自分事ではないから何か決定的な違いがあったんだろうとふんわり思うだけであった。
「また偶然出会わないかな?お姉さん根掘り葉掘り聞きたいわ」
「そんな都合よくは行きませんよ」
早川はそう話して次のスティックを差し込む。森下は吸っていたタバコの火を消して先にオフィスに向かうこととした。
1人残された早川は実は引っ掛かっている一つのことを考える。確かに2人は前みたいに戻った。しかし、2人で話す時の距離感は以前より近くなったら気がしたのだ。見方によっては信頼感がある距離にも見えたが、海の日の後、あまりにも綺麗すぎる関係が成立したのが早川としては気になったのだ。
(まぁ、俺関係ねぇか)
「東雲、一応言っとくが、俺も佐藤さんにあったぞ」
東雲は行動が止まる。
地域課と刑事課の担当者の打ち合わせの帰り、廊下で高瀬は美咲に話した。他の人はすでに遠くなっている。美咲はゆっくり振り向く。顔がいつもより硬い。
「い、いつからでしょか」
「君ら付き合い始めの頃かな?七海と3人で飲んだよ」
美咲は少し怒りそうだった。少し時間が経ったいるのに拓海も七海も自分には教えてくれなかったからだ。
「会ったのは君らの話で言うよりは彼自身関する話だ。そこは勘違いしないでくれ」
「拓海さん、なんか関わってますか?」
高瀬の言葉に、美咲がかなり沈んだ声で確認をしてくる。刑事課の人が別途会いにいくのは業務上いい想像ができなかった。それを見て高瀬は軽く笑う。
「事件系ではない。あいつ…失礼、彼は高校の時に何回か練習試合と大会とかで会ってるんだ。七海から言われて懐かしくて会って見たら、もうすっかり始めましての人になっていたよ」
それかと安心する美咲。また、いつか七海と話し身内調査を下手に自分がやらなくて良かったことやその結果、まだ口が硬い人が知って良かったと思う美咲であった。無論、七海への怒りも少し湧いていた。
「少し心配なところはあるけど、いい人だと思うぞ。楽しくやれよ」
高瀬はそう言って美咲の肩を軽く叩く。信頼できる先輩だから特に美咲から付け加えることはなかった。
ただ、高瀬が心配する事には美咲としても心当たりがあった。七海が引っ掛かっていると言っていたものと同じであろうと想像はできた。しかし、美咲としてはそれが具体的何かとは言い切れず、また、詮索もしたくなかった。いずれわかる時に、受け入れられる自分でありたいと思うのであった。
高瀬との話を終えた美咲は、七海に文句を言うため席には戻らず交通課に向かう。
(七海も七海だけど、拓海さんがひどい!帰ったら怒る!)
別に嘘をつかれたわけではなったのに、何だか怒りがあった。前までの自分ならこうならないことに気づいてない美咲であった。
「どうしてたの?東雲、交通課まできて」
事務所の入れ口で宮原に会う。彼女の後ろには話していたのか、榊原課長がいたので美咲は少しかしこまってしまった。
「七海に用があってきたんですが」
「早乙女は先出ていたぞ」
榊原が代わりに答える。優しい笑みを浮かべる。
「ちょっど東雲に話すつもりだったが、三枝先生が気にしていてね。大丈夫かと」
美咲は少し言葉に困った。三枝が心配しているのは拓海とのことで、付き合い始めてからの報告はできていない。しかも、榊原には具体的に言ってないし、あんまり知られたくなかったのだ。それを察したのが宮原が話す。
「この間練習後にちょっと先生と東雲が色々話し込んでたから、多分それですね。東雲ちゃんと電話入れてる?」
「すいません、最近あまりできてなくて、今日電話します」
榊原が2人の会話を何も言わずに見ていて、2人はやり取り後に彼の様子を伺った。榊原は残念そうに話す。
「信頼できない上司は辛いな〜、なんか困ったら言ってくれ。じゃ先に失礼するよ」
見た目に似合わない軽い言葉を残し彼は去っていた。彼の姿が消えかける時に宮原が慌てて美咲に迫る。彼女は困った顔をして話す。
「榊原課長にバレてるの?」
「以前食堂で拓海さんの写真を見ていたのを見られましだけど…」
「あれ、絶対知ってる人の反応だよ!」
「そうですよね、あんまり仕事に持ち込みたくなかったのに。七海しかり、高瀬さんしかり…」
高瀬というワードに宮原は少し固まる。心当たりがある。彼の巧みな言葉に操られ、気づいたら一通り話していた。それをこの無表情の人に知らされたら怒られるに違いないと宮原を思い、少し怖い後輩の顔を覗く。
「七海がいないから一旦帰ります。三枝先生にはちゃんと電話しておくので」
幸い彼女は気づいてないなさそうだった。胸を撫で下ろす宮原は軽く雑談に切り替える。拓海に関するネタは美咲がガン無視で通した。うまく対応する要領はないからだ。
「うん、お盆に何日間そちらにいるよ」
『わかった。まだお仕事中?』
「いや、もう家の近くだよ」
拓海の姉、由佳は豊洲の夜景を背景に歩きながら電話している。相手は母の真理子だった。拓海が帰ってきて落ち着いてから電話の回数は減ったが、今でも月に何回かは話している。
『そういえば拓海、あっている人いるみたいなんだよね』
由佳は心底から笑みが浮かんだ。中々浮いた話がなかった弟にやっとかと思う気持ちで興味が湧いたのだ。
「え、詳しく教えて、今度帰ったらイジるから」
『それがね。本人は何も言わないの。服装も変わって、美月と何回か服の買い物にも行ってるし、家に帰って来ない日もちょくちょくあるのに』
「それは完全にいますね」
『美月は知ってるみたいだけど、ほら、あの子以外と口固いじゃない?』
由佳はお盆休みにやることリストに弟尋問を追加した。ついでに妹も聞いてやろうと思う。由佳としては弟が二十代後半にやっと彼女ができたことは嬉しいことだった。ただその先までを考えると少し心配ある。真理子のことであった。拓海が実家に戻ってくれて法廷の戦いで疲弊しておた母は大分安定してきた。
その中で、拓海が家を出る事があれば、それは自分の母にいいことになるか気になるであった。自分だってずっと母の隣を守れなかった後ろめたさも少しあるからだ。
「なんか実家帰るの楽しみになってきた」
『そうね。楽しみにしているとすぐ会える気もするからね』
「うん。私はもう家着くから。またメッセージ入れる」
由佳は母とはそう言って電話を終えた。マンションのレセプションを過ぎて、エレベーターに向かう。どういう子か、楽しみであった。
…
…
…
『ごめんなさい…隠すつもりはなかったです』
「今日高瀬さんに聞いてびっくりしました」
携帯の向こうの拓海さんは申し訳なさそうに頭を下げる。本当に怒ってはない。でも悪戯の気持ちがあり、拗ねたふりをやめられない。
『すっかり高校時代の話してして…どこかで美咲さんに話しておけばよかったね』
「そうですよ!」
また頭を下げてくれる。
そんな逃げられない拓海さんに私は一つ提案する。
「今度三枝先生に、一緒に挨拶行ってくれれば許します」
『あ〜、確かに。それは全然行きたいですね』
慌てる様子もない。
こう言うところは少しつまんないと感じちゃう。
気持ちが硬いってことだから安心はできるけど!
少し怒った顔をすると拓海さんが笑って話題になって変えてくれる。
『お兄さんに…桐谷さんのことは話したんですか?』
「まだです。話したら‘気にするな‘と言われそうだし、あたしが口出していいものかと言うこともあって」
あたしは間違いなく拓海さんのことを話す。
そうすると根掘り葉掘り聞かれて、会いに行くとか言われそうだけど…
携帯の向こうにいる拓海さんを見る。
「拓海さんは、兄と会ってみたいですか」
『美咲さんと一緒なら会いたいです。でもやっぱり嫌われますかね』
淡々と返してくる言葉に嬉しくはなるが、兄が彼をどう思うかは正直自信がなかった。
それ以前にあたしをどう思うか。
「実はあたしも怖いんです」
『何が?』
「拓海さんを紹介したら、‘お前だけ幸せになるのか’と言われそうな気がして」
拓海さんは言葉を探すように黙り込んだ。
兄には、申し訳ないと思っている。
子供の頃はあたしの代わりに大人がやるべきことを全部やってくれて、親戚に嫌われらことや行政の難しいところも1人で耐え凌いできた。亡くなった親の会社を引き継ぎ、信頼を回復するために家に帰って来ない日も多くあった。
そう言う兄の努力があって今のあたしがいる。それなのに、兄を差し置いて、自分だけ幸せになることは許されることだろうか。
『言わないと思いますよ。例え思ったとしても』
「…なんでそう思いますか?」
『美咲さんは、お兄さんが不幸になって欲しいですか?』
「いや、そんなことは思わないよ」
『俺もそうですよ、姉も妹も不幸になれとは思わないもん』
納得はいく言葉だった。
家族ならそうであろう、でもうちは、兄はどうだろうか。背負わせ過ぎたかもしれない…
『美咲さん、一緒にいるから』
あたしの気持ちが透けているようで、彼は優しい言葉をくれる。この人に出会えて本当よかったと思う。
その後拓海さんとは三枝先生に行く予定の話と少し雑談をして電話を切った。ベッドの布団に入る前に、兄にメッセージを打つ。桐谷さんの話をする前に、あたしの話をするのが、正しい順番だと思う。これで怒られるなら拓海さんと、一緒に謝りに行こう。
【お盆に実家に帰ったら詳しく話しますが、彼氏ができました。その内、兄にはあって欲しいと思ってます。とても安心できる人です。わがままでごめんなさい】
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