その二十六
カフェ、イナトマメには女性が1人、4人掛けのテーブルに座って人を待っていた。彼女の隣には旅行用のボストンバックが置かれている。桐谷真緒は昨日の東京での仕事を終え、池袋で一泊していた。
今日、彼女が会う人は、好意を寄せている相手の妹とその彼氏であった。彼女としては少し緊張はしている。一度も会ったことなく、夜に電話した挙句に無理矢理時間を作ってもらっているからだ。今回、味方にしないと伸也との距離はこれ以上縮まらないと思っている。
「あ、こちらです」
カフェのドアが空き、男女2人が入ってくる。男の方はがっしりした体格で黒のメガネをかけている。女性の方は少し表情が硬く、やや長めのボブヘアで、吊り目が猫のようで可愛い感じだった。真緒としてはその吊り目から伸也と近しいものを感じていた。
「桐谷真緒さんですか。東雲美咲です」
「はじめまして、佐藤です」
「この間はすいませんでした、桐谷真緒です」
美咲の顔と声は硬く、それを和らげるように拓海が挨拶をした。真緒もまた改めて自己紹介をする。それから軽くアイスブレイクを入れる。
「2人ともすごいお似合いの服ですね。お洋服、好きなんですか?」
2人は揃ったようにオブホワイトのパンツと白のスニーカーを履いた。美咲は薄めのブルーグレーのシャツ、拓海はネイビーのシャツを来ている。清潔感もあり、柔らかい明るさが垣間見える2人だった。
「いいえ、それほどでも」
しかし、アイスブレイクは美咲に通じなかった。真緒としては少し苦い気分になる。回答内容が本当かどうか知らないが、好意的ではない気がしたからだ。
拓海は間に入る。
「なんか頼もうか、美咲さんはいつものでいい?」
「はい、桐谷さんはどうされますか?」
「私はもうコーヒーいただいてますので」
「そう言わず、ここはチースケーキが美味しいらしいですよ」
拓海は手を上げ、アイスコーヒーとホットコーヒー、チーズケーキを2つ頼む。その間美咲と真緒の間には静寂だけあった。真緒は考えていた話が中々出せなかった。今になってこの約束が正しかったか、少し不安になったのた。
少しの静寂後、美咲が硬い顔から話を始める。
「桐谷さんは、兄と交際されたいってことですか?」
「…はい、伸也さん、美咲さんのことはすごい大事にしてるから美咲さんが手伝っていただければと思って」
「ご要望はわかりましたが、私も何も知らない方を兄にお勧めすることはできません。後やや変なやり方をされて思っています」
拓海が美咲を見る。池袋駅で落ち合った時から負担を感じているのは分かった。一階で澪にあっても仕事モードに近い対応をとっていたし、ここまでくる道もそこまで会話には盛り上がらなかった。淡々と兄の伸也がどう言う人かを拓海に説明していた。
(少し厳しめに対応するとは思ったけど、初めから言うとは)
真緒は美咲の言葉は理解した。しかし、彼女も彼女のやり方で今までやってこれた人であった。相手がこちらにネガティブな印象ならそこからやっていくしかないと真緒は思いながら、用意していた資料を渡す。
「長い時間話すことはできないと思ったんです。だから私の資料を用意しました。後からでもいいので読んでいただければ幸いです」
美咲と拓海は資料を手に取り、軽く目を通す。前半は履歴書のようなプロフィールが書いており、今営んでいるカルマの状況も簡略に入っている。後半は伸也との出会いやそこからどう思ったのかとかなど今の状態が彼女目線で手紙のように書かれていた。
拓海としては面接だと考えた。こちらは何も用意してない応募者だけがいる面接。美咲は紙を下ろして一度拓海をみる。それからまた話した。
「…なんで兄なんでしょう」
「人なりが素敵だと思いました。言うことは守る、信頼をくれる。あとは一目惚れですね」
明るく軽めの話し方だった。でも嘘ではないと美咲は感じた。自分が幼い頃、兄に感じたものと同じことを話しているからだ。
「うちのヘアサロンに、伸也さんの会社の人、特に若い方と女性の方が良くいらっしゃるんです。そこで良く伸也さんの名前が出て、良い人なんだと思いました。それで伸也さんの会社の方が、食事会の時間作ってくれてそこで、一目惚れって感じで」
「でも兄は、特に反応がなかったとかですかね」
真緒は思う、実は出会ったその日に反応はあった。でも妹の前で言えることではないし、翌朝の彼の様子は自分だけのものと思っているからだ。彼女から打ち明けることはない。
「そうですね。かれこれ一年くらいそばにいますけど、お堅いと言うか、押しても倒れないので、どうしようかなってところです」
美咲はここで一度確認しておこうと思った。
「桐谷さんはうちの事情は知ってますか?」
自分にとってはネックなところだと思っているし、実際拓海との付き合おうとした時に最も悩んだ部分だからだ。
「はい、会社の人から大体聞いてます。伸也さんにも知っていると伝えてます」
「兄はなんと?」
「だからといって自分が変わることはないと」
その言葉は真緒を少し悲しげにして、美咲には罪悪感が心に刺さった。拓海もそんな美咲の様子を察することができた。彼は彼女の肩に手を置く。あなたが1人で背負わなくていいと言う意味だった。美咲が拓海をみると彼は笑みを返す。その笑みに美咲は少し考える。
「まぁ、桐谷さんもケーキをどうぞ」
その間、拓海は届いたケーキを2人の前に置く。
「佐藤さんは召し上がらないですか?」
「俺はケーキ系が少し苦手でして、ここはいつもコーヒーだけですね。実は酸味も苦手でしたけど、よくきていたら好きになりました。特にアイスで飲むのが」
「ちなみに、お付き合いしてから伸也さんにはお会いされてますか」
「いいえ、でもいずれは」
真緒は少し目を光らす。まるで場合によっては使えるカードだと思ったように見えた。だから拓海が言う。
「俺の存在がお兄さんに知られたら、美咲さんが少し困ることにはなりますが、俺はかまいませんよ。いずれと言うのは本気なんで」
その言葉に美咲も真緒も拓海を見る。
美咲は美咲で驚いた。自分も想像はしたことがある。しかし、相手から言われるとより具体的に結婚という文字が目に見えた気がした。
真緒としては、この人はある意味で伸也に似ていると思った。守ることを言う、言ったことを守る、責任を取れる人だと感じた。
「本当だ、ここのチーズケーキとてもおいしいですね」
「美咲さんの気に入りなので」
拓海の宣言に妙な静寂が走る前に真緒が一口、チーズケーキを食べて感想を述べる。拓海が一言加えるが、美咲は特に何も言わず、ケーキにフォークを入れる。彼女なり考えをまとめている。
「私の店の近くにも美味しいところがあるので、今度帰ってきたら一緒に行ってほしいです」
その言葉に美咲は真緒を見つめる。
やはり距離感が少しおかしい、でも彼女なりの誠実さがあることは美咲としても感じている。準備してきた資料や、自分に会いにわざわざ来ることを見ると、しっかりしていて自分にはない積極性もある人だと思えた。でもそれだけでこの人が分かって、兄に勧めていこうとにはならなかった。
「この後、資料はちゃんと読みますし、8月に帰省した際には桐谷さんのことも言うと思います」
「なにか、引っかかるところでも?」
「私が持つ印象はともかく、私が兄に言ったところで、兄は変わらないと思います」
それに伸也は伸也としての考えがあると美咲は思った。伸也が成人になりたてのころ、彼は自分の人生を決めている。親が残したものを守り、妹の幸せを守ると。そこからの苦労は隣にいた美咲がよくわかっているつもりだ。方針を変える予定がない事も。
「兄が変わるきっかけがあるなら、私だと思います。でも、桐谷さんが求める形にするには桐谷さん本人の努力がものすごく要ると思います」
「承知しています」
真緒は簡潔に答えた。
表情に変化はなく、大きな目はまっすぐ美咲を見ている。
彼女がどんな気分なのか、美咲は少しわかる気がした。
「なら、今のところは応援までならできます。支援はできません」
自分と真緒を少し重ねた美咲は結論を出した。その結論に真緒は意外と満足していた。冒頭で最悪は悪く終わる可能性もあると覚悟したからだ。
「そう思って頂いたなら私としては嬉しいです」
「兄は、幸せになるべき人です。あたしなんかよりずっと」
美咲はそう言いながら拓海をみる。彼女の少し申し訳なさそうな顔に拓海は笑って見せる。
「桐谷さん、伸也さんはどういう方ですか?」
拓海の言葉に真緒は笑う。ある意味この人も自分と同じ立場の人だと思ったからだ。真緒は適切なことは話を探してから美咲を見てから笑いながら言う。
「佐藤さんには、怖い人になりますかね」
彼女の言葉に拓海は苦く笑うしかなかった。
「大地くん、もうちょっと斜めに」
佐久間は、美月の指示に皿の位置を調整した。BBQの後、美月とのメッセージが増えた佐久間は少し悩んでいる。
(この人は、俺をなんだと思っているんだろう)
以前浦和駅で仕事中にすれ違った後に連絡をもらって少し会話したのが始まりだった。美月はBBQと飲みの間はずっと隣にいて楽しく話しかけてくれた。その後も撮影協力を理由にメッセージのやり取りして、今日の2人だけで会うことに繋がっていた。
(普通はデートっていうよな?でもそう言う感じにはならない)
撮影したものを確認した美月は満足そうにカメラを下ろした。それから佐久間は見て話す。
「終わりました!ありがとうございます!」
「いいえ、お役に立てているなら」
少し静寂が走る。この2人はあまり趣味が合わないことは自分たちでも認識している。美月は服や化粧、おしゃれなものが好きであり、そう言う仕事をしている。しかし、佐久間は運動や仕事に打ち込みたい人であり、世の中の流行り物はあまり興味がなかった。
「大地くん、せっかくの休み潰されていやだった?」
「いいえ、本当に自分なんかが役に立っているのか疑問で…あまりSNSとかも知らないので」
佐久間の素直な言葉に美月は笑みが浮かぶ。なんて、素直で分かりやすい人かと考える。以前の走り去る時と同じ人とはやはり考えにくかった。
「大地くんは仕事の時と普段って結構違うよね?」
「そうですか?特に意識はしてないですが…」
「前浦和ですれ違った時覚えてる?」
「はい、お陰様で…」
佐久間は言葉を止めた。言っていいことではないと思いついたからだ。急に黙り込む佐久間に美月は変に思っだが言いたいことを話し続けた。
「あの時の大地くん、すごい記憶に残ってるいるの。目が荒々しくて、なんと言うか覇気があって、本当にこの前あった人なのかなーと思ったよ」
「そうですか」
「普段はこんなに真面目なのに、ギャップがあると言うか、私にはない、何かがある人だと感じたんだよね」
佐久間はわからなかった。恐る恐る彼女を見る。淡々としている彼女の目には好奇心があるように感じた。
「それは、どう受け取ればいいですか」
「特に?、私が勝手に興味湧いただけだから」
佐久間には美月が難しかった。自分が経験したところにはない人で、明快ではい複雑な人だった。だから彼もまた素直になってみる。
「美月さんのような人って、僕の人生ではあまりないタイプです。お仕事も特殊に見えるし、そう言う職の人はもっと短絡的な人に生きると思ってました」
「そうなんだ、私って短絡的に見える?」
「いや、だからわからないんです。普段触れることない所の人なので」
佐久間は美月を見つめる。彼の視線から少し異性として見られていることは感じ取れた。その気持ちは美月もないわけではない。
「じゃ、しばらくはこのままでいいかな?大地くんはいや?」
「タイミングが合えば大丈夫かと」
「また、協力をお願いすると思う」
「了解です」
そこまで話した2人、頼んでおいた飲み物を飲む。話題は変わる、最近見たドラマの話を美月がしていく。
2人はわかっていた。何か始まったわけではない。今まで通り連絡は取る、都合が合えば会う、会ったから次に会う約束をするわけでもない。その曖昧な線の上で2人の関係が続く。




