その二十三
『ー先日発生した、浦駅付近の傷害事件につきー』
美月は月曜の朝、リビングでテレビを見ている。今まで自分が関わることは全くないと思っていた傷害事件に関して、目を外すことができなかった。
(きっとあの時の事だ、犯人捕まったんだ)
彼女はあの夕方の光景を思いだす。今でも鮮明に残っているのは佐久間の目だった。怖かったわけではない。でも強い印象が残っている。以前SNS動画の手伝いの時の人よしの後輩の人が、荒々しく、力強い目で犯人を追っていた。
(佐久間さんが捕まえたのかな)
自分は確かに犯人が逃げた方向を正しく指して、それにすぐさま佐久間は反応して走っていた。普通に考えたら、それが正しい。でもニュースではそこまで詳細を述べることはなかった。
「…近くの件だね」
いつの間にかランニングから帰ってきた兄の拓海がテレビを見ながら話す。そこで美月も美咲のことを思い出した。
「あれ、私現場にいてさ、美咲さんに会ったよ」
「…うん、先ほど美咲さんから聞いた」
美月は少し複雑な顔をしている拓海を見る。彼女のことを心配しているに違いない。聞かなくてもわかる妹であった。兄の彼女は特殊な仕事についていて、それは安全安心なだけではないと改めて感じる瞬間だった。本人同士がどう思っているのかは、美月としては知るすべがなかった。
「お母さんには言わないことでいいね?」
「うん、なんか美咲さんのことまでしゃべらないといけなくなりそうだから。いわない」
「別に彼女がいることを隠すつもりはないけど…なんかすぐ連れてくるように言われそうだから、ちょっと時間おきたいかな」
拓海はそう言いながら、シャワーを浴びに行った。
自分にはすぐ言ったくせに母や姉には言わない兄が少し理解できなかった。美月はテレビに視線を戻す。そして再度佐久間のことを思い出した。
(うーむ…気になるな…一度会ってみるか?)
言い訳はある。幸い、この間投稿した動画は順調に数字を伸ばしているからだ。
秦野駅から徒歩5分、水無川を超えてすぐのヘアサロンのカルマの前、タバコ屋には一人の男が立っている。東雲伸也はタバコを吸いながら、妹からのメッセージを確認している。
【本当に大丈夫だから、もうあたしの所では終わっているケースだし】
美咲からは大丈夫のマークが付いている猫のスタンプも届いている。伸也は今朝のニュースをみて妹の安否を確認したく連絡をしていた。一般人の彼としては物騒な仕事についている美咲が心配で仕方がなかった。すでに何年も経っているのにこういう地域名が明らかな傷害事件などではいつも連絡を入れいていた。
煙が伸也の心配している顔の前で揺らしながら散っていく。
「伸也さん、お待たせしました」
カルマから出てきた女性、桐谷真緒は伸也に声をかける。美容院にやっていることもあって、実際の年齢より若く見える。ゆるく掛かっているウェーブの明るい茶色が団子の形で首後ろに結ばれている。おしゃれにCalmaと書いているサロンエプロンをしており、腰とポケット周りには美容道具が少し入っている。
「あーすまない。すぐ行く」
伸也は灰皿にタバコを消して、美容院に向かう。
「また、妹さんにメッセージ?」
「そんなところ、よくわかったね」
「妹さんに絡むと神妙な顔するからね」
二人は親しげに、それでも少し距離感がある態度で話している。伸也は店内に入り、店員が示す椅子に座る。真緒が近づき、カットクロスを伸也にかけた。
「さあ、今日はどんな風にしましょう?」
「桐谷さんに任せる」
真緒はその声ににっこり笑う。彼がこの店に来てくれるようになって、約1年。はじめの出会いはともあれ、今は自分にすべてお任せしてくれているのは真緒として嬉しかった。何回言っても呼び名が変わらないことは少し気になっている。
「真緒ちゃんって呼べば、ディスカウントしますよ?」
「いらん。それより、今週金曜日また飲みがあるって聞いたけど、カルマさんが無理して付き合わなくてていいんだぞ」
「あ~いいじゃないですか。うちの子たちも、そちらの人たち好きですし」
真緒は伸也の髪を触りながら話す。真緒がカルマを立ち上げて数年、伸也が営む会社の人々はカルマで髪を切るようになった。田舎では珍しくおしゃれにできることやベース技術が高いとの評判だった。真緒をはじめ、店員さんが可愛いということも若い社員に刺さっていた。最後の人が伸也で、彼が来るようになってからほぼ全員が通っているといっても過言ではない。
「…いつも内の連中が迷惑かけてすまない」
伸也はボソッと詫びる。この堅物みたいな人が小声に言うのが、真緒としては少し可愛いと思う。
「なら、今回の飲み会も隣り席は私ですね」
伸也は何も言わず、目をつぶる。すべて任せたいと言っているようだった。真緒は逃げたと思い、少しため息をついてからハサミを入れる。
(やっぱりまずは妹さん攻略かな~)
真緒はそんなことを、こっそり考えていた。
信野医薬のテラス喫煙所、森下と早川はタバコを吸っている。
「理沙ちゃん、意外と平気そうだね」
「…マジで言ってます?」
森下の言葉に早川が少し顔をゆがめる。彼女は直行だったからランチの水野を見ていないからそう言えるんだと早川を思う。彼の言葉に森下は少し驚き聞く。
「なんかあったの?」
「…ないですけど、今朝からなんかあるごとに佐藤さん呼んでますよ」
「え~諦めてないって感じ?」
「諦めるとかではなくて、おもちゃを取られないように頑張っている感じです」
森下は納得した。彼女から見た水野はとても頑張っている子で今まで努力で何とかしてきたイメージがある。彼女は今佐藤拓海に努力していると思えたのだ。早川は社内の周りの人を良く見ている。彼が言うなら間違いないであろうというのが前提だった。
「これ…理沙ちゃん、ノックアウトしない?」
「いずれは来るでしょうね。本人がまた自分の感情に気づいてなのが強いからまだ大丈夫でしょうけど」
「理沙ちゃん、可哀想~」
「綾子さんと黒川さんが遊びすぎが、こうしましたからね」
早川が攻めるように言い渡す。森下としてはそういわれてもという気持ちはあったが、自分にも非があることは認めざる得なかった。完全に拓海の眼中に水野はないと思っていたが、今の拓海の彼女は水野に近しい雰囲気を感じる。なら、拓海が水野に行ってもおかしくなかったのではないか。そう思うのであっった。
二人の携帯が同時に鳴る。
「ほら、水野さんまだどうでもいい事で、佐藤さんにメッセージしてますよ」
チームのチャットで水野から拓海に質問が飛んでいる。オフィスにいる誰でも回答できるような内容だった。森下もメッセージを見る。そしてどこかでちゃんと話して教えてあげないといけない気がした。
「荒療治…しちゃう?」
「また、余計なこと…どうするつもりですか」
「もうすぐ海の日じゃん?またBBQしようよ。みんな呼んで」
「…佐藤さんの彼女さん、さすがに来ないでしょう?しかもそれやって水野さんに自覚させて、どうしたいですか」
「女の闘い?、ダメだったら早川君頼むよ!」
森下は気まずそうに話す。早川は溜め息をついた。仕事では尊敬できるのに、人間関係になるとへたくそになるこのチームの人々らが情けないと思えたのだ。
夜、拓海は自宅で悩んでいた。帰り際に黒川と森下から海の日のBBQに誘われたのだ。家族ぐるみでのBBQは別に初めてではない。家から近い秋ヶ瀬公園でやるからって、美月も何回か参加したこともあった。森下は家族全員を連れきたし、黒川は離婚して母親側にいる子供を連れてきたこともある。
「彼女、連れてきなよ」
その言葉が引っかかった。どちらかというと美咲がの気分が気になった。逃げないとは言ってくれたが、さすがに刺激しすぎではないかと思っている。
「美月、会社でBBQするけど、来る?」
「あ~いつ?」
美咲のことは本人と話してみようと思い、まずは常連の美月に聞く。
「海の日だけど、予定開いている?」
「いいよ~、あ、美咲さん連れて行くの?」
「考え中だけど」
「いいじゃない、ひなちゃんとか女子トークできるから喜ぶんじゃんない?」
そういうのがあるから悩んでいるとはさすがに言えない。それを知っているかどうか、美月は拓海を見て少し考えてからわざと軽めに話す。
「あと、あの人も呼んでほしいな、後輩くん」
「後輩?佐久間さんの事?」
「そうそう、いじりがいあって面白かったんだよね」
彼はお前のおもちゃではないと拓海は思う。でも彼もいた方が美咲としては精神的に安定するかもしれないと思った。できれば、七海も加えておきたい。しかし、そこまでになるとあまりにも多い気がする拓海であった。
「美咲さんと話してみる」
「了解~うめとくから、確定したらまた教えて」
拓海はそう言ってソファと一体に戻る美月を見てから自分の部屋に上がっていく。先ほど美咲からは仕事終わりの連絡が来ているから、いまなら電話もできると考えたからだ。
部屋に入り、ベッドに座ってから美咲への電話を押す。自然にビデオ通話だ。
『もしもし』
まだ仕事行き用の服を着ている美咲が出る。場所は食卓と見える。
「今帰ってきた?」
『うん、作る気がしなくて弁当買っていたらちょっと遅くなりました。どうしたの?』
彼女は弁当を見せびらかしながら聞いてくる。少し疲れているように見えるけど可愛いと拓海は思った。
「ちょっと相談だけど、海の日に会社の人と秋ヶ瀬公園でBBQすることになったんだ」
『海の日ですか…うん、行って来たら?』
すっかり彼女モードが板についた美咲であった。彼が‘飲みに行っていいか‘と聞いてくることは許可してくれるような感じになっていた。自分が行くことは想定せずに話している。温まった弁当をあけながら拓海の言葉を待つ。
「もし…美咲さんがよければ、一緒にどうかなと…思ったんだけど」
拓海は言葉に気を付ける。
美咲は‘一緒‘という単語を聞いて少し止まってしまった。拓海はやはり厳しいかと思い、ごまかす言葉を探す。しかし美咲の方が早かった。
『拓海さん、ごめんなさい』
「あ、そうだよね。ごめん、無理言って」
『違うんです。今回は逃げじゃないんです。あたし、前日当番なんです』
拓海は理解した。当番、今まで何回も聞いたことがあり、何回もデートの日付を見直しさせられた不条理の単語だった。美咲が誤解してほしくないのか、弁当の蓋を持ったままスマートフォンを向けて熱弁する。
『多分朝方には家に帰ってこれますけど、時間と業務量によってはあたしの状態が…』
「わ、わかりました。理解してますよ」
『まったく苦手意識がないといたら嘘ですけど…本当に逃げじゃないです。ちゃんと拓海さんの彼女としてその場にいたいですけど、できればベストな状態でいたい!』
美咲は自己主張を終えた。そして我に返ったのか、慌てて弁当の蓋を下ろす。
「わかりました、時間は迄未定なので、決まったら伝えます。そこから判断してください」
『うん、ありがとう』
「そういえば、佐久間さんは開いてるかな?美月も参加するけど、佐久間さん面白いから一緒にどうかって聞かれている」
『佐久間くん?面白いかな?』
佐久間に対するイメージは美月と美咲によってだいぶ違うようだった。拓海もどちらかというと美咲のイメージに近しい。真面目で、実直で、少し要領は悪いって感じで覚えている。
『明日、聞いてみます。多分休みだったと思うので、あ、一応な七海も誘っていいですか』
美咲からそうしてくれるなら助かると拓海は正直に思った。
『出張の写真見せた時に、黒川さんとは馬が合いそうとか言ってたので』
「…確かにあうと思います」
少し迷ってから話す拓海に、美咲が面白いものを見たかのように笑みを浮かべる。自分の顔に何かついているのかと思いながら美咲を見る。それから思ったのだ。
(もっと、安心できるようにしなくては)




