その十五
七海は今、刑事課にいる。
交通課の人間が刑事課に来ると、やや小競り合いになるため、あまりよろしくないと昔先輩に言われたが、七海は気にしなかった。
目当ての人は、高瀬泰隆。
刑事課の若手エースであり、柔道、ボクシング、合気道をたしなむ人物で、下の世代に厳しいことで有名だった。
「泰隆さん、元気?」
「早乙女か……また何を茶化しに来た?」
しかし、七海にとっては、茶化しやすいただの強面の先輩にすぎなかった。
それに、彼は東雲に弱い。
合気道同好会でも仲よくしているし、仕事も的確で、連携すると非常に楽に動いてくれるからだった。
「いや、少し調べ物をしていて」
「最近、何かあったっけ?」
何があったのか、七海は言いたい!
しかし、言えば猫パンチどころか、首筋をかまれる可能性があるため、何も言えない。
「泰隆さん、この辺りの出身ですよね?」
「そうだね。中学の時に鴻巣へ引っ越してきてから、ずっとだね」
「柔道って、幼い頃からやっていますよね?」
「そうだね……焦らすな。何が聞きたい?」
「佐藤拓海って知っています?」
我慢強くない先輩に、七海は単刀直入に聞く。
高瀬は少し考えた。
ありふれた苗字。
自分たちの世代でもよくある名前。
柔道……。
「ああ、県大会でよく邪魔してきた奴だ」
「え? え? 思い出せた? どんな人? どんな人?」
高瀬は思い返す。
「確か、二つ下くらいで……」
「うん! うん!」
「眼鏡をかけていたっけな」
「うん! うん!」
「普通の高校生」
「何やねん!」
七海は遠慮なく、高瀬の頭をたたいた。
少し大きな音がしたが、周りは誰も気にしない。
あの二人はあんなものだと認識されているようだった。
「え、何? 彼氏?」
「違うよ。知り合いの友達が、昔県大会に出ていたというから、どんなものかと思ってさ」
「何だ、つまらねえな。お前のことだから、自分の男か、東雲関連だと思ったけど」
やたら勘の働く刑事の先輩。
より気をつけて話さなければならないと思う七海だった。
「まあ、でも、記憶に残らないってことですね?」
「いや? 普通に強かったよ。しぶというえに、センスもよかったからさ。実力はこっちが上でも、油断すると足元をすくわれる感じだった。『これ』と決めたら自分を変えない、みたいなスタイル」
七海は少し息をのんだ。
たぶん、その佐藤拓海で合っている。
高瀬が言うのなら、本当に強かったのだろうと七海は思った。
「どんな感じの人でした?」
「要領のいい奴って感じ。周りから好かれていたし、後輩らしい動きもきちんとしていたし、譲る時は譲る、みたいな」
今と大して変わらない気がした。
「ああ、でも何だっけな。母親か父親、どちらかが医療事故で亡くなって、あいつだけ試合中に先に帰ったことがあるよ。確か、その影響で柔道も高校までにするとか、そうなったと聞いたな」
七海はここで初めて、彼に対して鳥肌が立った。
それが本当なら、拓海はその片鱗すらまったく見せていない。
学生の頃に親を亡くすと、人はどこかしらに影響が出る。
それは仕事柄でも、私生活でも見てきた。
しかし、拓海は、いかにも裕福で幸せな家庭に育ち、人として余裕のある姿そのものだった。
(だから……私は違和感を、引っかかりを感じたの?)
東雲から初めて聞いた時の引っかかり。
今でも、自分が接している時に感じる妙な違和感。
それがすべてつながる気がして、七海は少し怖くなってきた。
以前、一度は特定した佐藤拓海という人物が、偽物のように思えた。
そして、東雲と拓海の人生が似ていることにも。
拓海は運転をしていた。
日本とは反対側の車線を走り、スペンサー砲台へ向かっている。
まさに、ゴールデンゲートブリッジの上を走っているところだった。
隣では、サングラス姿の水野が景色を楽しみ、後ろでは黒川が眠っていた。
「何だか、普通の橋ですね」
「こんなものですよ。ここは夕焼けの時に来る場所なので、今来ても何もないな、となりますね」
「うっ、知っているなら最初から言ってください!」
「まあ、でも観光ですし? いいかなと思って。いい写真スポットですから」
水野は気に入らないのか、少し眉を動かす。
無言で運転する拓海を見ながら、この出張中、気になっていたことを聞く。
「タックさん、一応もう一度聞くけど、どうして私のことを助け――」
「黒川さん! もう着きますよ!」
しかし、拓海は話す気がなかった。
ちょうどゴールデンゲートブリッジを渡り終え、目的地へ続く坂を上り始めたこともあり、わざと黒川を起こす。
水野の眉が再び動く。
拓海が駐車をし、三人が降りて砲台へ向かって歩き出す。
話していたとおり、ちょうどいい時間帯ではなかったせいか、思ったより人は少なかった。
「何度来ても、何もないな」
「げっ、黒川さんも知っていたんですか?」
「まあね。でも、あの橋を背景に写真は撮った方がいいよ。見る? 俺とタックのツーショット」
「いりません。でも、三人では撮りたいです」
水野の言葉に、黒川と拓海が水野の両側につき、自撮りをする。
ぎりぎり橋が写り、場所が特定できる感じ。
そこで、黒川はひらめいた。
「せっかくだから、二人で撮りな。俺が撮るから」
水野は了承したが、拓海は嫌そうだった。
それを無視して、黒川はポーズを求める。
「ピースとかつまらないから、二人で見つめ合って」
距離を置き、見つめ合う二人。
二人ともサングラスをしているため、目元の様子は分からないが、口元が笑っているのは水野だけ。
「タック、もう少し近づいてくれないかな? 理沙ちゃんの腰に手を回しちゃう感じで!」
「はい、セクハラ」
黒川の行きすぎた要求に、水野が冷淡に返す。
それから、拓海に言う。
「もう少し近づいても、いいですよ」
拓海は少しだけ近づく。
口元は笑わない。
水野は笑う。
いい感じになったと思った黒川は、カウントダウンを始める。
シャッターが切られる直前、拓海は正面を向いた。
「うわっ! タック、何してくれてるの?」
「この手には乗りませんよ。カップルみたいに撮らせて、どうせ後から飲み屋で見せびらかすんでしょう?」
図星ではあった。
黒川は、ばれたかと思いながら、そんなことはないと言い返す。
スマートフォンは水野に返した。
水野は写真を見る。
若い男女二人が、ゴールデンゲートブリッジの前に立っている。
女性の体は男性へ向き、やや傾いた姿勢で、腕を組み、足を交差させ、笑顔で男性を見ている。
近い距離にいる男性は無表情で、腕を組み、体の半分は女性側を向いているものの、顔は正面を向いている。
少し残念だと思う水野。
隣では黒川と拓海が小競り合いをしていたが、声が聞こえたため、水野も一言返す。
「じゃあ、黒川さんもさっきのポーズで水野さんと撮ってくださいよ」
「はい、セクハラ。無理」
15:35、浦和警察署内の職員食堂。
東雲は朝、拓海からもらった写真を見返しながら、一人で食事を取っていた。
彼は今、日本へ帰る飛行機に乗っている。
次に会えるのは日曜日の午後。
浦和駅で食事をすることになっている。
(早く会いたいな)
自分の考えに、少し驚く東雲。
数か月前に、こんな気持ちになることはあっただろうか。
これほど待ち望むのは、おそらく連休に実家へ帰る時か、七海とどこかへ遊びに行く時くらいしかなかったと思う。
それが今では、海外から帰ってくる男性のことを思うようになるとは。
やはり、拓海に出会って自分は変わってしまったのかもしれない、と感じる東雲だった。
彼は海外から、東雲へたくさんの写真を送ってくれていた。
風景。
ぎこちない自撮り。
人に撮ってもらった写真。
みんなで撮った写真。
上司や同行者の面白い写真。
どれも華やかで、浦和周辺に生活圏が固まっている自分の暮らしとは違うと感じていた。
(……この人が、あたしの知らない場所で拓海さんと一緒にいる人)
その中でも特に、拓海と妙な距離感で写り続けている、自分に似た雰囲気の同僚女性が気になった。
おそらく同年代。
武道をしている東雲とは違い、かなり華奢な体つきで、イヤリングや腕輪、ネックレスなど、女性らしいアクセサリーを多くつけている。
冷たい顔立ちだが、笑っている写真が多い。
拓海と似たようなサングラス姿で写っている写真を見ると、東雲は腹の奥が少し熱くなるような気がした。
「東雲、ちょうどいいところに」
東雲は突然かけられた声に我に返り、立ち上がって正面の中年男性を見る。
榊原憲一警視。
合気道同好会の会長で、署内でも地位の高い人物だった。
「そう固くなるな。三枝先生から、日曜日の練習の後、食事でもどうかと話が来ている。東雲は大丈夫か?」
「三枝先生が……ですか?」
東雲は困った。
楽しみにしていた時間に、急に、これまで世話になってきた先生からの誘いが入るとは、彼女にとって難しい問題だった。
「うん? 珍しいな。悩むなんて。先約でもあるのか?」
「ええ。実は友人が海外から帰ってくるので、その約束があって……」
榊原は食卓に置かれている東雲のスマートフォンを、ちらりと見る。
ゴールデンゲートブリッジの前に、男性が一人立っている写真が映っている。
「……サンフランシスコか。いいところだぞ」
東雲はその言葉に慌ててスマートフォンの画面を消し、ポケットに入れる。
その姿は、榊原には少し微笑ましく映った。
「三枝先生には、私から話しておくよ。先約があるなら、そちらを優先してくれ」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
「あまり気を張らなくてもいい」
榊原はそう言って、東雲のもとから去っていった。
東雲は、油断していたと自分を責める。
再びスマートフォンを取り出し、画面に映る写真を見る。
すべてはこの男が悪いと思う東雲だった。




