表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の太陽を抱いて  作者: 佳紘
白百合の檻
5/9

白百合の檻⑤

低く、どこか甘美な声が、インクと湿った紙の匂いに混じって聞こえてきた。


晶子は口に含んだモカを吹き出しそうになるのを、ナフキンで必死に抑えた。


声の主は、いつの間にか隣の席に座っていた、髪色の明るい若い男であった。


いつからそこにいたのか、気配に全く気が付かなかった。


男は、テーブルの上に肘をついて、にっこりと彼女の顔を覗き込んでいる。


「驚かせてしまってごめんなさい。


ですが、お嬢さんの意見に感動したので、つい声をかけてしまいました。


男子の無能を女子のせいにしている。僕も同感です。


『女子は揺り籠の代わりにペンを握る』。実に良い表現ですね。このまま拝借したいものです」


男は万年筆と手帳を取り出し、迷いのない速さで書き記し始めた。


「言葉選びのセンスが抜群ですね。お名前を聞いても?」


窓から差し込む光の反射か、不思議に明るく輝く髪と瞳の色に、晶子は思わず見とれそうになっていた。


同国人とは思えない。


いつかどこかで見かけた、米国や欧州の人たちの瞳の色によく似ている気がした。


吸い込まれそうな深い色にうっとりとしそうになった晶子は、自身の置かれた状況に我に返る。


「何ですか急に」


「失礼。こちらから名乗らずに、お名前をおたずねして失礼いたしました」


胸ポケットから名刺入れを取り出し、晶子の前に名刺を差し出した。


その瞬間、いつしか父からもらった欧米の土産物と似た、甘く重厚な香りが鼻先をくすぐった。


「……黎明新報の記者、月野英一と申します。

あなたには選んでいただけなかったですが、あそこに吊るされた新聞を発行している会社です」


よく見れば、その顔はよく整っており、長いまつげが瞳を覆う。


まるで女性のような甘い顔立ちに、晶子は思わず身構えた。


彼は、晶子の様子を一向に気にかける様子はなく、晶子の手の中に、名刺をねじ込む。


「お嬢さんのお名前は?」


思わず口を固く結ぶ。


言うわけにはいかない。


津島晶子―経済界であれば、「津島」一族の名前は常識として把握されている。


記事のネタを探し回る記者に本名を明らかにすれば、明日の我が身に保障はない。


沈黙を貫くことを決意したことを見抜いたのか、彼はそれ以上追求しなかった。


その代わりか――。


「スカーフを変えるだけでは、その鋭い知性を隠すことはできないですよ。

……誰に教えられたか、分かりませんが」


彼女は目を丸くして、彼を見つめた。


その男―、月野英一は、深々と頭を下げ、席を後にした。


後ろ姿だけでも、人より頭一つ抜き出ていることが分かる。


晶子はその後ろ姿から目をそらすことができなかった。


窓から差す夕日の光に、舞う埃がキラキラと輝く。


(……なんだろう、この感覚)


彼女はまだ知らない。


この時、何かが静かに動き出したことを。


(そういえば……さっきの月野という男の香り……誰かと同じ香りな気がする)


それが誰なのか思い出せないことに、妙な不安を覚えた。



**********




店を出ると、すぐに銀座の大通りに出た。


月野は帽子を目深に被り、胸ポケットから手帳を取り出す。


「……津島晶子……深窓の令嬢のはずだが……」


何かを書きつけると、手帳を閉じた。


黎明新報までは徒歩十分もかからない。


だが、片付けるべき仕事は山積みだった。


——それでも、追わなければならない。


雑踏には、似たような背中がいくつも流れている。


その中へ、月野は何事もなかったかのように紛れ込んでいった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ