白百合の檻②
「失礼します」
晶子が職員室の扉を恐る恐る開けると、例の教師が鋭い眼差しで晶子を睨んだ。
「津島晶子さん?まず、私が授業で言っていたことをここで復唱してください」
「……あ、えーっと、その」
「唱えられないのですか?」
「その……」
「最も重要な授業で、よくもまぁ、こんなものを読めたものですね」
机の上のあの本の表紙を、その教師が指先で軽く突く。
(毎週同じ話、よく飽きないものだ)
その言葉を、必死に飲み込む。
「良妻賢母になるために必要なことを学ぶこと。
それはあなたの責務なのです。津島家のご令嬢が、その本懐を果たせなかったらどうするのですか」
(どうもしないでしょう)
という言葉もまた、喉元で押しとどめた。
「そもそも、道徳の授業中、あなたはいつも不真面目ですよね。
こないだの授業では欠伸をしていましたし、その前は、何か関係ないことをノートに書いていて……」
何も言い返せない。
授業のほとんどをロクに聞いたことがない。
試験前は、順子にノートを借りれば何とかなっていた。
気まずくなって俯くと、その教師が声を張り上げた。
「日本人女子として自分の行動を恥じなさい!」
どん、と何かを叩いた音が職員室に響いた。
びくっと肩を震わせ、音がした方をそっと見る。
教師の拳が、あの洋書の表紙に乗せられていた。
(……!よくも)
思わず顔を上げると、教師は見覚えのある満面の笑みを浮かべた。
「あら、何か言いたげな顔ね」
我慢の限界を感じたその時だった。
「山本先生」
「……何かしら、藤澤先生。今、学生と話しているのですが」
声をする方に顔を向けると、そこには英語教師の藤澤が立っていた。
「申し訳ございません。そちらの本、私の本なのです。
津島さんがもっと勉強したいと希望されたので、私の方でお貸ししました。
もっと注意喚起をするべきでした」
山本は、途端にばつの悪そうな顔をして、本から手を離した。
「……まったく、本をお貸しする相手をお間違えになられたのではないですか」
そのすきに、藤澤がその本を手に取る。
「津島さん、残念ですが、この本をもうお貸しすることはできません」
藤澤が残念そうな表情を浮かべて、晶子の方を向く。
(……ん?)
見間違いだろうか。一瞬藤澤が片目をつぶって目くばせをしたように見えた。
横やりが入り調子が崩れたせいか、山本の説教が途切れた。
晶子はすかさず、深々と頭を下げた。
「今回は大変申し訳ございませんでした。山本先生のおっしゃる通りです。
もし、私を許していただけるのであれば、明日からは一生懸命、良妻賢母となるための努力を惜しみません」
「……もういいわ。明日からはしっかり勉学に励むこと。次はないですよ」
何も期待されていないことは十分に承知していたが、望むところである。
(……明日の道徳の授業は何を考えて過ごそうかな)
晶子は深々と頭を下げ、職員室を後にした。
「藤澤先生」
席に戻ろうとした藤澤を、山本が鋭く睨みつける。
「はい、山本先生」
藤澤は、可能な限り柔和な笑みを張り付けて、山本の方を振り向いた。
「もう津島さんにあのような不健全な本を貸したりしないでください。
不敬者という誹りを受けたくないのであれば」
藤澤は微動だにせず、微笑み続けた。
「西欧諸国の考え方に染まりすぎるとろくなことは起こりませんから。
……ねぇ、藤澤先生?あら、お名前、藤澤という呼び方でよろしかったかしら?」
藤澤の表情は一つも変わらなかった。
笑顔のまま会釈をして、藤澤は自席に戻った。
全身の熱と、脈打つ鼓動を押し殺しながら。




