白百合の檻①
「女子は、よく父母舅姑につかえ、夫を助けて一家のことをおさめ、母として子を家庭のうちで教育する義務があります。
ここにいるあなたがたは、その崇高な義務を果たさんがために、有難い教えを……」
ひらすらに、子女としての本懐とは何か、を熱弁するのは、この学院に勤める初老の女性教諭である。
女学生たちの制服にちりや埃はおろか、少しの乱れも許さないことで有名である。
目を付けられると非常に厄介だ。
休み時間に呼び出され、説教されるからだ。
教室の女学生たちは、緊張の面持ちで背筋を伸ばし、机の上に教科書を広げ、教壇で力説する教師を見つめていた。
――たった一人を除いては。
(What is now called the nature of women is an eminently artificial thing.
――女性の本性と呼ばれているものは、きわめて人工的なものである、か)
少し猫背で、机の上の教科書には目もくれず、膝の上に広げている本を熟読している女学生が一人、教室の端にいた。
皆が道徳の教科書を捲るタイミングで、彼女もその本を捲る。
指先に残るかすかなインクの香りだけが、白黒の世界に色を与えた。
その瞬間、広がるのは大海の先の世界だ。
頁をめくるたびに、太平洋を横断する大型客船の汽笛が聞こえた。
窓の隙間から滑り込んできた秋風が、晶子の後れ毛を揺らす。
それは、潮騒の香りを孕んだ自由の風だ。
彼女は思い切り息を吸い込んだ。
「……こ、……きこ」
(……?)
制服の袖を何度も引っ張られて、不意に現実の世界に引き戻された。
授業中の私語は禁止である。
道徳の授業であれば、尚更。
隣の席の順子が話しかけてくるなんて、どうしたのだろうか。
お腹でも痛いのだろうか。
「……どうし……た」
顔を上げると、その女学生の顔から瞬時に血の気が引いた。
「津島晶子さん?」
時すでに遅し。
言い訳など、一つも思いつかない。
「昼休み、職員室にいらっしゃいね」
女性教師は満面の笑みを浮かべ、晶子の顔に迫っていく。
耐えられなくなって晶子が顔をそむけると、その瞬間に洋書を取り上げて、再び教壇へと戻っていった。
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美しく仕立て上げられたセーラー服に赤いスカーフ姿の年若き女子たちが集まるその場所は、白百合女子学院。
ヨーロッパの宣教師たちが創設したその白亜の校舎に集まるのは、特に裕福な家柄の子女たちである。
博愛精神を説く、宣教師やマ・スールたち。
そして、出自の良い級友たちに囲まれた毎日は、平和でもあり、そして退屈でもあった。
宣教師たちが手植えした白百合が咲き誇る庭園は、外界の喧騒を遮断した温室のようであった。
朝露に濡れた白百合が咲き誇るさまは、見る者すべてを魅了する美しさである。
けれど、その完璧な純白さは、一滴の墨汁も許さない、大日本帝国の「良妻賢母」という、あるべき姿をなぞるための型のようなものでもあった
キリスト教の教義が建学精神であっても、ここは大日本帝国である。
弾圧の対象となっては、元も子もない。
天皇を神と拝み、子女が良妻賢母になることを拒むことが許されないのは、この女学院の学生も例外ではない。
「博愛の精神と、良妻賢母は矛盾しない」
学校の掲げる理念の下、女学生たちは、白百合の名に相応しい淑女、もとい良妻賢母となるべく日々を送るのであった。




