第97話 大規模実習の告知
告知は、ざわついている朝ほどよく目立つ。
一時間目の前。
教室後ろの掲示板に、新しい紙が貼られた瞬間だった。
「うわ、来た」
「中層実習じゃん」
「早くない?」
前の方から順に声が広がる。
まだ朝のホームルームも始まっていないのに、教室の空気だけ先に浮ついた。
玲司は席に着いたまま、黒板横の予定表ではなく、掲示板の前に集まる背中の流れを見ていた。
早い。
やはり、と思う。
正式告知の下書きが掲示系サーバへ入ったのは昨夜だ。
その時点で準備はかなり進んでいると読めたが、実際に紙になるのがここまで早いなら、向こうも隠す気と急ぐ気を同時に持っている。
「水城、見に行かないのか」
後ろの席の男子が言う。
「そのうち見る」
「お前、学園行事に興味なさすぎだろ」
「興味で潜る場所じゃないしな」
「ちょっと正論っぽいこと言うのやめろよ」
小さく笑いが起きる。
軽い。
いつも通りだ。
その輪の向こうで、ユラが友達に大げさな声を出していた。
「え、待って。中層って、低層の延長でしょみたいな顔して来ると普通に泣くやつじゃない?」
「朝比奈、経験者みたいに言うなよ」
「空気で分かるの。空気で」
「その空気便利すぎるでしょ」
また笑いが起きる。
ユラはそのまま掲示板へ近づき、流れで紙を眺める。
ついでみたいな顔だ。
だが、玲司には分かった。
見ている位置が違う。
日付。
集合時間。
持込制限。
そして、外部立会い。
そこへ視線が落ちていた。
担任が入ってきて、教室のざわつきが少しだけ整う。
「はいはい、盛り上がるのは分かるけど席戻れ」
「中層実習は来週末。詳細は今日中に各班へ流す」
教師の声は事務的だった。
だがその後ろで、職員室前から渡ってくる紙束の多さだけが、この実習がただの校外学習ではないと示している。
玲司はようやく立ち上がり、掲示板へ向かった。
人の肩越しに見える告知は簡潔だ。
蒼栄学院 二年中層実習。
実施日、来週末。
複数班同時運用。
安全強化のため、外部協力枠を増員。
その最後の一文に、玲司の目が止まる。
協力企業欄。
表向きは見慣れない名前。
だが、関連会社名の並びが図書館の古い報告書と同じ系統だった。
黒峰の名はない。
だが、隠す気のある並べ方だ。
「水城、何そんな真面目に見てんの」
横からユラの声が落ちた。
明るい。
周囲に聞かれてもただの雑談にしか見えない調子だ。
「珍しくやる気?」
「別に」
「へえ。じゃあその顔は?」
「元からだろ」
「うわ、便利」
友達がまだ近くにいる。
だからユラもそれ以上は踏み込まない。
ただ紙の下段をもう一度だけ見て、それから何でもない顔で離れた。
教室へ戻る途中、職員室前の廊下に真壁宗一郎がいた。
他の教師と書類を確認している。
表情は変わらない。
だが、告知の紙へ目をやる速度が、他の教師よりわずかに遅い。
知っている側の遅さだった。
玲司はそのまま席へ戻る。
ホームルームが始まり、配布物が前から回る。
中層実習の簡易説明。
装備点検の注意。
申請書の提出期限。
どれも普通だ。
だからこそ嫌だった。
普通の書式で、普通の口調で、普通の学校行事みたいに事故の準備が進んでいく。
昼休み。
玲司は購買へ向かわず、中央棟裏の踊り場へ出た。
先に来ていたのはミオだ。
本を抱えたまま、薄い端末だけこちらへ傾ける。
「正式告知、出ました」
「見た」
「更新ログも追ってます」
ミオは静かに言う。
「掲示用の公開版は一つ前の下書きです」
「実習運営側は、そのあとも触ってます」
「どこが」
「立会い位置と、待機列です」
玲司の目が細くなる。
そこへイヤホン越しにユラの声が入った。
『ねえ、やっぱあれ黒くない?』
「お前、何で先に言う」
『だって黒いもん。外部協力枠の会社名、露骨にずらしてるくせに系列の置き方が同じ』
「同感よ」
今度はカナデの声だった。
どこか別棟から繋いでいるのだろう。
静かで、いつも通り温度が低い。
『表向きの名前だけ替えている』
『本当に切れているなら、並びごと変えるわ』
玲司は階段の手すりへ軽く寄りかかった。
「正式告知が出た以上、もう準備段階じゃない」
ミオが小さくうなずく。
「はい」
「水面下で動いてたものが、表に出る段階です」
『つまり?』
ユラが聞く。
玲司は短く答えた。
「もう始まってる」
中層実習そのものじゃない。
事故を作れる形へ寄せる作業が、だ。
踊り場の窓から、グラウンドの一部が見える。
何人かが笑いながらボールを追っていた。
校舎の中では文化祭の名残もまだ消え切っていない。
その普通さの中で、来週の実習だけが少しずつ別の形へ固められている。
そして放課後。
各班へ回った詳細資料の末尾には、案の定、外部立会いの欄が追加されていた。
しかも、その責任者名の横に。
玲司には見覚えのある関連会社の印字が、きれいなフォントで並んでいた。
安全強化。
その四文字が、今の玲司には前触れにしか見えなかった。




