第9話 配信好きの目撃者
違和感は、実習が終わったあとに来た。
訓練区画Bの小事故は、設備不良ということで雑に片づけられた。
床材の一部沈下。軽い転倒未遂。注意喚起で終了。教員の口ぶりは、拍子抜けするほど平坦だった。
玲司は列の流れに混ざりながら、もう一度だけ現場を見た。
沈んだ床。
半端な位置で止まった搬送ラック。
事故後に慌てて戻された資材。
そして、さっきまではなかった靴跡。
誰かがあとから入っている。
点検なら、もっと散る。
確認なら、立ち止まる。
これは違う。拾う場所だけ踏んで、すぐ抜けた足取りだ。
小さすぎる。
けれど、前の時間軸で何度も嗅いだ臭いに近い。
玲司は目を細めたが、今は追えない。
ここで一人だけ逆流すれば、それこそ目立つ。
「水城、戻るぞ」
班の男子に呼ばれ、玲司は短くうなずいた。
いつも通りの顔で、その場を離れる。何も知らない、地味なクラスメイトの顔で。
それで終わるはずだった。
「ねえ、玲司」
出口手前で、横から軽い声が落ちた。
朝比奈ユラだった。
さっきまで友人に囲まれていたのに、今は一人で立っている。表情は明るい。けれど目だけが少し違った。面白がっているだけの目じゃない。確認する側の目だ。
玲司は足を止めない。
「何」
「ありがと」
「別に」
「そこ、否定しないんだ」
少し笑う声。
だが軽すぎない。
「近くにいただけだろ」
「ふーん」
ユラはそう言って、スマホを指でくるりと回した。
何気ない仕草だったが、玲司の視線はそこへ吸われる。
黒いケース。
レンズが二つ。
画面には、撮りっぱなしの短い動画一覧が並んでいた。
玲司の歩幅がわずかに狂う。
ユラはそれを見逃さなかった。
「やっぱそこ気にするんだ」
「……何の話だよ」
「さっき、ちょっと撮ってたんだよね。友だちとのやつ」
軽い言い方だった。
だが、その一言で玲司の胃が冷える。
前の時間軸にはなかった変化だ。
少なくとも、玲司の記憶にはない。
ユラは普段からそういうことをするタイプなのだろう。友人との短い動画。実習の空気。何でもない日常の切り取り。そういう“見せる前提”の記録に慣れているやつの手つきだった。
問題は、その中に何が映ったかだ。
「別に、変なの撮れてないよ」
ユラはそう言ってから、わざと一拍置いた。
「……たぶん」
玲司は無言でユラを見る。
ユラも見返す。
周囲ではまだ生徒たちがだらだらと歩いている。
誰もこっちを気にしていない。
それでも、玲司には妙に息苦しかった。
「見せろ」
「え、そんな言い方?」
「確認したいだけだ」
「怖」
口ではそう言いながら、ユラは嫌そうにしなかった。
むしろ待っていたみたいに画面を開く。
数秒の動画だった。
友人の笑い声。
揺れる画面。
模擬鉱石。
それから、床の前で足を止める自分。
玲司は無意識に呼吸を浅くした。
動画の中の自分は、崩れる前に動いていた。
朝比奈の進路へ先回りし、固定ピンを弾き、「触るな」と止めている。
その直後、床が沈む。
偶然にしては速すぎる。
ユラは再生を止めた。
「ね?」
玲司は答えなかった。
ユラはスマホを胸元へ戻す。
「なんで分かったの?」
玲司は視線を切る。
「たまたまだ」
「それ、動画見たあとで言う?」
「言う」
「へえ」
ユラは少しだけ口角を上げた。
軽い。
けれど、引いていない。
それが玲司には一番まずかった。
「朝比奈」
「なに」
「それ、誰にも見せるな」
今度は、ユラの方が一瞬だけ黙った。
軽口が止まる。
代わりに、短い観察の間が入る。
「……見せられたら困るやつなんだ」
玲司は何も言わない。
否定も肯定もしない。
廊下の向こうから、誰かがユラを呼ぶ声がした。
ユラはそちらをちらりと見てから、また玲司へ戻る。
「ふーん。そっか」
それだけ言って、彼女はいつもの顔に戻った。
「朝比奈ー、先行くよ!」
「はーい、今行く!」
明るい返事。
そのままユラは二歩だけ離れ、また振り向く。
「玲司」
名前で呼ばれたのは、たぶん初めてだった。
「あとで、もう一回聞く」
玲司は眉をひそめた。
「聞くって何を」
「なんで分かったのか」
ユラはスマホを軽く持ち上げる。
黒い画面に、さっきの数秒がまだ残っている。
「これ、止めるともっと変なんだよね」
玲司の目が細くなる。
「一秒前で止めても、半秒前で止めても、あんただけ先に動いてる。フレーム送りすると分かるやつ」
言ってから、彼女は友人たちの輪へ戻っていった。
もう笑っている。もういつもの空気に溶けている。
切り替えが速い。
だからこそ厄介だ。
玲司はその場に立ったまま、奥歯を噛んだ。
ひとりだけ救えた。
未来は少しずれた。
その手応えは確かにあった。
だが同時に、見られた。
偶然を装って動いたつもりだった。
目立たない範囲に収めたつもりだった。
それでも、あの数秒を切り取られたら、言い逃れは細くなる。
しかも朝比奈ユラは、撮っただけで終わるタイプじゃない。
見返す。止める。比べる。違和感を拾う。
たぶん、次はもっと踏み込んでくる。




